赤く染まるユーラシア
1952年6月
トルコがソ連支援のトルコ共産党が
トルコ全土を掌握
イギリス植民地や地中海に共産主義が侵攻していった
自由より平等なご飯を求める人の力がトルコを共産主義に動かしたのだった
これに凍りついたのは、イギリスと大日本帝国だった
トルコ周辺には、
イギリス植民地や同盟国が多く
さらに、イギリスが公式に認めたユダヤ人国家であるイスラエルもあり
仮にエジプトやインドが共産化した場合
インド洋と地中海は共産主義の赤い海に染まり
イギリスはアジアへの道を失うことに繋がることになる
イギリスは、日英米連合条約を基本に
対共連合設営を目指した
だが、準備が整わないうちに、シリアが共産化し
イスラエルでユダヤ人国家建国準備をしていた、ユダヤ人達は、ミャンマーや南アフリカ、オーストラリアに逃げ出し、そこから日本やアメリカに逃げたものもいた
坂本開発も技術部門でユダヤ人を顧問に入れていた
日本もトルコ共産化に凍りついた
トルコは、中東で数少ない親日国家であり、
アジアとヨーロッパを繋ぐ資本主義の陸路であった
トルコが共産化した場合
エジプトも共産主義の手が延びる危険性が増して
スエズ運河がイギリスの手からソ連共産主義の手に渡り
インドまで共産化した場合
イギリスへは、大日本帝国からオーストラリア、南アフリカを回っていくか
アメリカを経由するしかなくなり
金銭や時間によるコスト
何より、インドシナ半島に共産主義が進出した場合には、台湾にまで共産主義の勢力が到達する危険性だった