勝手な不安
静か過ぎるぐらい、静かなある夜のこと。
誰もいない部屋で、アタシは一人、蝋燭の光をみていた。
我ながら、寂しいこと…してると思うけど… だって、そうじゃなゃ、気持ちがモタナイと思ったんだもん。
今日は、役職者会議があった。
社内恋愛のアタシたちは、当然会議でも顔を合わせるんだけど… アタシは内容不備で怒られ、彼氏殿リュウイチは終始不機嫌な視線だった。
彼氏さまの前で大赤っ恥だなんて。その後の懇親会なんて、出れたもんじゃなくて、アタシは逃げ出すように会場から帰ってきた。
確かに言われてた。
「分からないときは、相談しない奴が悪い。
不安なときは、添削を頼まない奴が悪い」
アタシがいる物流部は、みんな忙しくて、期限ギリギリに仕上げた書類なんか目を通す余裕なんか無かったから…そのまま出したら、やっぱり怒られた。そりゃ、怒られるよね。
分かってる。自分が悪いんだって。
これからも、やるしかないって、分かってる。
でも、ね。この頃もう限界なの。
どんなにアタマで自分に言い聞かせても、これ以上 自分が成長できる実感がもう持てない…自分の天井が見えてきたよ、アタシ。
…疲れた…
家にたどり着いた途端、アタシは、うずくまって、立ち上がれる気がしなかった。
それが1時間前の話。
今、アタシがいるテーブルには、蝋燭が一つ。今もまた、風一つ無い部屋の中で、炎がまっすぐに立っている。
これは、いつだったか彼氏殿リュウイチが置いていったアロマキャンドル。パッケージには、オシャレなデザインでブランド名が刻印されて、開けると 一気に花の香りが立ち上った。
甘いようで、でも、瑞々しく楚々としていて。
なんとなく 心寂しくて灯したアロマキャンドルは、心の話し相手には、なってくれそうな明るさがある。
不思議よね。
まっすぐ立ち上る炎を見ていると、不思議と「疲れた」以外の気持ちが戻ってくるんだもん。
ぼんやりと浮かぶのは、やっぱりさっきの失敗。やっぱ、抜け出せないな…このくらーい気持ちからは。
つくづく凹んでしまうわ。あの会議資料。あーあ、やっちまったなあ…
統計の計算方法は合ってるのに、ソースそのものが間違ってるなんて。なんで気が付かなかったんだろ。
リュウイチ、呆れたろうな。
「そんな事も出来ないのか」「入社何年目だよ、お前」って。
「はあ。」
ため息が止まらない。
やらかすたびに思うよ。リュウイチ、こんなアホな彼女と何でずっと付き合ってくれてるんだろう。
アタシは、物流センターで現場から役職者になって、最近 数字をかじるようになってきた。
一方、リュウイチは 会社の重役専属の秘書で、数字は勿論、代行して商談の最前線に立つこともある。
…月とスッポン。
今まで、どうして アタシなんかと付き合ってくれるのか、何度も自問自答してきた。
答えが出ないまま、今日までズルズル来ちゃって、そしていつも、「アタシ自身が、頑張り続ければいいんだ。」と結論付けて、自分を納得させてきた。
リュウイチは、仕事に関しては厳しいけど、育ててくれる。…愛情は分かるけど、女としては、違う愛情の方が嬉しいんだけどな。
今も蝋燭は、香りとともに まっすぐ立ち上っていた。
そんなこと、ぼんやり考えちゃうなんて、アタシ 相当 弱って疲れてるんだろうな。
疲れてるで思い出したけど、そういえば、ここんこと目が乾くんだった。蝋燭眺め続けて、なんか 残像でクラクラしてきた…
アタシは、無意識に身体が崩れていき、そのままパタリと倒れた。遠のきかけた理性が、「火、焚いてるって!」訴えるけど、疲労には勝てなくて…
眠ってしまった…と気が付いたのは、不意に玄関がガチャガチャと騒がしいと思った時だった。
バチッ、鋭くプラスチック同士が擦れる音が響いて 音が耳に刺さり、追いかけるように、機械的に照明器具の光が目にも突き刺さってきた。
うっ、いきなりは、眩しい…
よろよろと起き上がるアタシに、立ちふさがるように前へいる男がいた。
「サンキュー 開けておいてくれてたか。」
ほんの数時間前に、あまりいい記憶で別れてなかった張本人その人。
ケータイを見ると、社用ケータイと個人ケータイが共に、不在着信を示すライトが点灯していた。
来る、って連絡くれてたんだ… 鍵もかけ忘れなんて、不用心だけど リュウイチが入って来れて良かった…
寝ぼけたアタマが、ノロノロと思考を始める。
「火がついているままで眠らないでくれ」
「ああ、ゴメンナサイ」
逆光で読めない表情から、読めない声が降ってくる。無意識に今日何回目かの謝罪の言葉が口から漏れた。
「アロマキャンドルだからな」
リュウイチが、不意に優しく言うと、アタシの目の前にしゃがんだ。
…あーあ、無様に化粧落ちてるんだろうな… リュウイチの長い指が、頬に落ちていたらしい睫毛を払ってくれる。
なんだ、良かった。いつもと変わらない…
なんだかんだあっても、リュウイチは、仕事から離れると優しくなる。その度に、「アタシが勝手に不安がってるだけ」なんだって結論に行き着いていた…っけ…忘れてた。いや、全てがうやむや過ぎて、気が付けてなかった。
「枕元まで持って行くといい。…俺は、もう少し起きている。」
それは、後で消しておいてやる、っていう意味で。そして、眠るまで傍にいるよって意味で。
ああ、あたし。
心配しなくても愛されてる…疲れちゃってるから、感じ取るセンサーがきっと鈍くなっちゃってるだけ。
そんなことが、しみじみと沸いてきた。
別れちゃったときとか想像するなんて、ホント なんて勿体ない時間の使い方したんだろう。バカみたい、あたし。
「ありがと。…このまま焚かせて貰うね」
その前に、化粧は落とさないと… よろよろと立ち上がるけど、さっきより足取りは軽かった。
「百合、の香り?」
「ああ。」
貰い物なのかな、それともわざわざ買った?リュウイチが、スーツ姿のまま、アロマキャンドル片手に匂いかいでる姿を想像すると、ちょっと笑えちゃうかも。
「いい匂い」
揺らめく炎と立ち上る香りを感じながら、自然と口から言葉が出た。
「そうか。」
視界の端から、リュウイチが僅かに笑った気がした。漂う花の香りと一緒に、リュウイチの存在感がゆっくりと広がっていく。
「好きだな」
香りが。
貴方の優しさが。
「…良かった。」
相変わらず愛想もないけど、だからこそ、飾りっけのない無垢な貴方の一面が、時たまこうやって際立つ。
つくづく…
貴方が好きなんだな、って思う。
貴方が好き過ぎて、不安になることもあるんだなって思う。
揺れる蝋燭。
立ち上がるあたしとともに、香りもまた、新たな空気と混ざり合っていく。
「眠るまで、隣に居てくれる?」
リュウイチは、ふっと笑った。
「先に俺が眠くなったら消すけどな」
ねえねえ。
抱き合って、ぎゅっと包んでもらいながら眠りたいって言ったら、呆れるかな。
「ねえ、リュウイチ…」
リュウイチが振り返る。
「あのね」
アタシは、思っていたお願い事を告げてみた。
リュウイチは、また静かに笑って…手の中の炎のようにアタシをみた。そして、部屋中に広がっていく香りのように…
リュウイチ、ありがとう
おやすみなさい