そんな貴方だけど。
誰もいない、秘書課に併設された応接ブースで。
「今夜は帰さない。」
目の前には、妙齢美男の独身メンズ。
ケータイを手際よく取り上げられて「これは没収、邪魔は入れさせない…」低くよく響く声で宣言される。
「俺から逃げようと思うとは、いい度胸だ。」
二人の上には、そこだけが明るいだけの心許ないスポットライト。光だけの静寂な世界…
向かい合う私たちの間には、ただ一つだけ。
「来期概算(案)」と書かれた書類。
はーい、期待させてスンマセン。
提出物、溜めちゃいまして呼び出されましたわ、アタクシ。
毎度!
物流センターで管理社員やっとります、蕃昌真知子でござい!
本社物流部と押し問答やってたら提出期限が過ぎちゃったのよ。
そのまましらばっくれようと思ってたら、あーあ。
直々に秘書課からご連絡がやっぱり来た…ツンツン堅物の秘書課チーフ兼彼氏殿が見逃してくれる訳が無く、こうやって捕獲確保されて机に向かわされてるってワケ。
あれからどれぐらい経ったかしら?
本社最上階の窓から見える夜景のライトも、大幅に減っちゃった
…時間、掛かりまくったけど、やったわよ。べそかきそうになりながら。
「…概算は、提出時期が分かりきってる書類だ。いつも、この時期に連絡が回る。知らないはずがない。何年、責任者をやっているんだ。恥を知れ。」
目の前の彼氏殿は、定規で一項目づつ数字を最終確認しながら、言う。
…だってえ。学んだ知識は、使わなきゃ、忘れるわよ。フツー。
「組織で働くなら、『二つ上の役職がやっている仕事』を覚えろ。本社物流部の部長の行動予定を追えば、会社の動きは、自ずと分かるはずだ。」
そりゃまた… 理屈は分かるけど、そこまで仕事は頑張りたくないんだけどな…
遠くで、止めてないパソコンのスクリーンセーバーが動いている。機械的に泳がされている熱帯魚… ふと、自分に重ね合わせてしまう。
今のアタシは、本当に 都合良く泳がされる。
教えられては、ルーティンワークへ組み込まれ、やりたい仕事とは無縁のまま、ただ使われるだけ。
水槽の中で、養殖されてる金魚となにが違うんだろう。
…なんか…どんどん仕事が増えていくな。
もうこれ以上は無理。いつも言ってるけど、これ以上は、本当に無理。
物思いにひたってたら、ふと 目の前には、秘書課チーフ兼彼氏殿:リュウイチがいない。
あれ?
「お前にしては、頑張った方か。」
ふと、聞こえた恋人の声は、アタシのすぐ上だった。いつのまにか、ソファの後ろに立っていたわ。
「…出来の悪いカノジョを持つと、面倒だ。」
その割には、顔はニヤっと笑っていて。
「…最終頁の日付を直せば終了だ。最後の最後で惜しかったな。」
USBメモリが「日付は直しておいた。」カタリと渡された。
やったー、提出完了だわ~っ!
喜びの背伸びをしながら、真下から、彼氏殿:リュウイチを見上げた。
「終わったなら、アタシのケータイ返してよ」
そろそろ、社用ケータイに着信来てないか心配だし、個人ケータイの履歴も、そろそろ確認するだけしておきたい。
「駄目だ。」
は?
「アタシの社用ケータイ、鳴ったときは アンタで手に負えるの?」
リュウイチは、返事もしないで、アタシのケータイをいじりながら「新規の着信はネェな」とつぶやく。
抗議の目線を送れば、一瞬だけ目を合わせて、あとはシレッと一言。
「お前なら、折り返しが2時間遅れようが、それぐらい取り返せるだろ」
えー、なにそれー
…でもまあ…この時間で起きるトラブルは…まあ、起きたとしても、今日働いている顔ぶれなら、自力で対処出来るか…
「うん…まあ、2時間くらいは。」
凄い不安だけど、まあ、鳴っちゃった時は、鳴っちゃったというわけで…諦めて受け入れますか…
「なら、もう少し俺につき合え。」
アタシは、渋々頷いた。
連れて行かれたのは、秘書課の再奥にある社長室。
社長面談の時に一回入ったことがあったなあ…あの時は、日中だったけど。
…ぼんやり記憶を遡っていると、リュウイチが窓際へアタシを誘って、ブランドを巻き上げてくれた。そこから見えた夜景は…
「東京の名所が…きゃっ!」
突然、言葉が途切れざるえなかった。全部言い切る前に、視界がリュウイチに塞がれ、身体の自由も長い両腕の中に絡め取られていた。
ちょっと、なによ、も言えないくらい…咄嗟というか。
「出すのがわかってる書類一枚ぐらい、早く仕上げておけよ」
咎めるはずの台詞が、甘く聞こえる掠れた囁き
「…俺を待たせるな、じれったい。」
責めるはず言葉が、淡く響く息混じりの声
一体、いつの間にスイッチ入ってたのよ? 展開、急過ぎない?
そんな気持ちも吸い取られるような、力強い手、熱。
あの、そういうことなら…恥ずかしいけど、喜んでお受けいたしますです、ハイ。
そこからは、互いが ただの恋人同士として抱き合って、そして。
社長室のソファって、実は古いんだね。中の詰め物が、寄っちゃってるというか、圧縮されちゃったというか。
もーちょっと柔らかいと良かったのに。
そんな事を思っちゃったりした、一段落したあとのアタシたち。
身体を先に起こしていたリュウイチがいう。
「お前のケータイ、返す」
個人ケータイと社用ケータイ。
それぞれ、大したメールはなくて、着信は一件もなった。
アタシの社用ケータイって、そう言えば、鳴らないときは鳴らないんだよね。
そんな事を思いながら、画面を閉じた。
そうはいっても、なんだかな。
「なんか、久しぶりに…夜、一緒にのんびりしたね」
実は、この頃お互い忙しくて、ゆっくり二人で過ごす時間がなかった。
リュウイチが、あぁと気怠げに返す。
さーて、本題入って言っちゃうもんね。
「ケータイ、鳴らなかったから良かったけど。」
アタシの一言に、リュウイチの眉間には早速皺が入る…やばい、この会話の後、なにが続くか分かってる。
…けど、言っちゃうもんね。
「まさか、ケータイを全部取り上げられるとは思わなかった。…これってさ、俺と仕事、どっちとるの?的なノリじゃない?」
甘い夢から現実に引き戻され、一層、不機嫌になってきたリュウイチ。
「ケータイ、鳴らなかっただろ?」
「まあ、鳴らなかったけど。」
リュウイチは、少しだけ間をおいて一息ついて。
「お前が常に居なくても、物流センターは回っている。」
うわっ、相変わらず冷たい言い方するなあ。会話が止まりかねない愛想のない言い方…
「…そうね、お陰様でウチで働いている皆さんは、優秀さんばかりですから…」
どーせ所詮、そうなんだけどね。だからって、そんな言い方無いじゃん。
…どーせ、大したことのない物流センターですよー
概算一枚、さっさと出せない程の数字に弱い管理者でふよーっと。
リュウイチは、アタシと目を合わせることもなく、おもむろに、立ち上がってサイドテーブルへ手を伸ばした。
「それだけ手が掛からないだけの組織を、お前は育て上げたってことだ。」
…え?
それって、サクッと誉めてくれてる?
リュウイチは、アタシの視線を気にするわけでもなく、テーブルにあったミネラルウォーターの封を切って、淡々と飲み干している。
その仕草に、ふと気が付く。
ねえ?もしや。
「リュウイチ、これって、確信犯でやった?」
ケータイが鳴ったとしても、2時間以内なら取り返せる。
だから、2時間あれば…?
仕方なさすぎて苦笑いしかでてこないけど。
「お前には、これが一番伝わるだろ。…そろそろ、仕事の力配分を覚えろ」
あはは、とんでもない建前ね…そんなって、ないじゃない。
時間作れないアタシへ 強引に割り込んでくるなんて。
相変わらず 手荒いけど…
無骨ながら可愛い本音が、たまーに出るのが貴方らしい。
寂しかったの? なんて、聞いたら スネちゃうだろうから。
「ありがと、ね」
そっけなく、「あぁ」って返事しながら、まだペットボトルの水を飲んでる。
ねえ、ところで。
「アタシが悶々と呻いては、何とか概算を書き上げたのに、アンタは最初からこーいうこと考えてたんだ?」
「…アホか…」
リュウイチは、まだ水を飲もうとするけど…それ、もうないよ?
…リュウイチ君、残念。照れ隠し、バレバレですから。
分かりやすい反応に笑いがこみ上げてくる。
「はいはい」
ホント、ますます好きになっちゃうな。
隙のないルックスに仕事も完璧にするのに、突然、暴走するんだから。
ねえ、リュウイチ?
「ちょっとお腹空いたな、一緒に食べようよ? ウチ、来てくれたら何か作るよ?」
泊めてあげる。一緒に過ごしてアゲル。
「飯か、悪くないな」
リュウイチが立ち上がって、アタシの事も起こしにかかる。
そう。
悪くなさそうな、まだ続く夜に期待を込めて、アタシは、立ち上がった。
リュウイチ、今夜は久しぶりに朝まで一緒だね。いっぱい過ごそうね




