色仕掛け、反対っ!!
「うわ、あっさり言いやがった」
休み明けの月曜日、メールチェックをしていたときのことだった。
本社からの通達文書をみて 始業開始30分待たずして絶句。
問題のメール、結構 えげつない指示なのに、こんな文末で締めくくられていたわ。
「本件に付きまして、業務の多様化が予想されますが、ご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします」
…よろしくされたくなーい!!
何故なら、答えはシンプル。
「…これって ただ単に、仕事量が増えるって事でしょ?!」
あれから数時間後。
本社の廊下を歩きながら、アタシは ブーたれていた。
「これってさ…
今まで ウチの物流センターじゃなくて、本社の物流部がやってた仕事なのに… また本社物流に仕事をブン投げれられた。」
今もなお引っ張るスネスネモードなアタシ。それを隣で聞いているのは、本社勤務の柏木竜一。この方、社内恋愛の彼氏殿。
「…」
実際のところ彼氏殿は、何も言わないけど。
カノジョがこんなに ヒーコラしているのに、彼氏殿がシレッとしているのには訳がある。
この男は、秘書課でチーフやってるから 一通りの社内業務には詳しいの。
…今回降ってきた業務なんて、ヤツからしてみれば、簡単なんだろうけどさ…アタシには 結構 ハードなんだよね…
正直、不安というか、面倒くさい仕事が降ってきたと思ってる。やるしかないんだろうけど、ね…気が重い。萎えちゃう。
はあ。
何度目かの溜め息をついた後だった。
「この先に、書庫がある。少し付き合え。」
リュウイチがふと口を開いた。
「へー 本社って、そんな設備持ってたんだ。」
「各書類には、それぞれ保管期限がある。銀行の通帳は、10年、謄本や写本の類は、使用後即廃棄など、な。」
急に立ち止まって、胸ポケットからパスケースを取り出すリュウイチ。
「…セキュリティカード?」
「ああ」
目の前のドアでケースをかざすと ピッ、と電子音が鳴った。
「俺は、カードが支給されているが 総務課で申請すれば、お前も借りる事は出来る。」
カチャと軽快な金属音とともに、開けられたらドア。入った先には、図書館…というか、倉庫みたいな風景があった。
「ここには、各事業所から月々送られてくる書類関係がある。」
リュウイチは、書庫の中を歩きながら言う
「特に、金の支払いが絡む書類から覚えろ。このテは、領収書原本が必ず必要になる。貼り方や申請の文面などは…この辺りを読めば分かるはずだ。」
あー、やっぱ やらなきゃなんないんだ。
「…仕事ばっかり増える。」
ポツリと言葉が漏れた。
投げやりというか、もはや 焼けっぱち。グチっていうよりさ…、まあ、やるにはやるけど…って感じ。
はあぁあ。溜め息を吐ききらないうちに、リュウイチが反応した。それも、かなり冷ややかな言い方で。
「何か言ったか?」
は?…なにそれ? どうしてそう言う言い方するわけ?出来るわけ?
思わず、アタシ、反応しちゃった。もう、顔面が引きつるくらいピクリとした。
「何度でも言うわよ。」
我慢出来ない。アンタ、社内恋愛の彼氏でしょ? どうして、そこでそう言うの?
…この際、いい加減、ハッキリ言ってやる。
「…アタシのポジションってさ? いつも、仕事ばっかり降ってくる割には、誰も助けてくれないのよね。」
ウチの職場は、上司も手一杯、助けてくれる後輩社員もいない。あとは皆、現場で作業しているパートさんたち。
「こんなんじゃ、アタシ、自分が仕事覚えた分だけ苦しくなるわよ!!
無理な時は、無理っていいたい! でも、何で言わせてくれないの?!」
自分の声が金切り声になっていた、気が付けば。でも、気になんてしてられなかった。だって、もういい加減、悔しいっていうか、ミジメなんだもん。
「そもそも、なんでアンタは、アタシの内情知ってて、そんな冷たく」
そう、そうやって冷たく突き放せるのよ。って言いたかったけど、最後まで言えなかった…言わせて貰えなかった。
「キャッ」
いきなり、リュウイチに肩を掴まれ身体が揺れた。足元がふらついて、視界すら目まぐるしく…
ゴツン。
鈍くてその癖鋭い音がした。頭の後ろと背中から。
「…女の細腕。こういう事を言うんだ。」
視界が落ち着いたとき、最初に見えたのは、冷たく立ち並ぶ本棚の列たちだった。リュウイチの肩越しに、見えた無機質な塊たちが覗けて見える…
あ、アタシ… リュウイチに押し倒されたんだ。背中には、古ぼけた壁紙が張られた部屋の四隅。 今壁に背中を押し当てられ、肩も全て開いたまま、両手すらだらんと下げている…無防備そのもの。
ぼんやりと視界に流れ込んでくる他人事な風景…。このとき心臓の鼓動が いつもよりは激しい事に、ようやく気が付いた。
肩口にはなお…リュウイチが今もアタシを掴む手がある…その力が不意に緩んで、さする手に変わっていった。
その優しい指先を感じながら…怖かった、というより、疑問が疼いてくる。リュウイチが、怒った末に張り倒すなんてこと、あったっけ?
知る限り、ない。言葉は冷たいけど、本当はイイ奴だもん。でも、だからって何故?
撫でる優しさを信じ切れずにいるアタシ、頭の片隅でリュウイチとの直前までのやり取りを思い出し始めていた。
リュウイチは、あのとき『女の細腕。』っていった。
アタシは所詮、女であって。
男の前では、
力の前では、
その程度の力しかないって。
そっか、そこか。
…痛い。リアルに背中が。肩胛骨と背骨かな…ガツって響いて、今も 胸の鼓動と一緒にズキズキと余韻の程を感傷とともに伝えてくる。
そっか…
落胆の溜め息すらでてこない、呆然とした気持ち。
そういうことなのかな。
あのね、どんなに、ね
気合いで現場に立ってきても 結局は、男がその気になれば、いとも簡単にひっくり返される…
虚しいっていうのかな、思い知らされたのが、切ないっていうのかな。
ただただ…寂しさが漂ってる気分が 次第に、次第に、こみ上げてきた。
アタシが、気持ちの勢いだけで守ってきたモノって何だったんだろう。
男だらけの中で、ある程度は意地張って頑張ってきた支えって何だったんだろう。
「おまえ…」
不意にリュウイチの声が響いた
「いつまでも現場にいるつもりか?」
覆い被さるように迫ってこられて。
「俺がいる。育ててやる。」
何を…?あぁ、これから落ちてくる仕事の事…ね。
リュウイチの声音は、落胆しきったアタシの気持ちとは真逆の力強い声。低くてよく伝わる…
「ついてこい。」
ストレートな言葉だった。相変わらず簡素過ぎるくらいだったけど。
でも、それは、悩むことも 逃げ道を探す間も与えないくらい、本気の気概。
リュウイチらしいな、そう感じた。
ウニウニしてるアタシに、何とか手を差し伸べたかったけど、強行手段しか思い付けなくて。
不器用な貴方、でも、面倒見がいい貴方。
「真知子」
呼ばれて顔を上げると、リュウイチと目があった。
切れ長の大きな目、瞳。彫りの深い二重に、目許。漆黒と言っていいくらい、真っ黒な濃くて長い睫毛…僅かに揺れてるさまを 見ていた。
『どうしたら、伝わってくれるんだろう…』きっと、迷ったはず。鮮やかな焦げ茶色をした瞳の色の中に、アタシが写っているって気が付いた時… リュウイチの口調が変わった。
「自分を、大事にして欲しい。」
いつになく静かで、秘密を告げるようなゆっくりとした声に。
「…女としての人生も、」
言葉が、一端句切られて、アタシは 初めてリュウイチの意図が分かった。
いつか、ね。
アタシがもし結婚とかして、生活が変わったら。
旦那さんのご飯作って、二人で食べて。
きっとそんな生活になる。
全てが、自分だけが良ければ済んだ生活とは変わってくる。
今までは、さ。
自分の都合だけで休み取ったり、残業したりして 気ままで居られた。
物流センターの現場ってね、案外 お天気とか人の都合に振り回されるの。
大雨に雪が降れば、高速道路が止まって、トラックの運行に支障が出る。タイヤにチェーン履かせるから、早出になる。インフルエンザが流行れば、パートさんたちがバタバタと倒れて生産計画狂うし、家族に小さいお子さんがいれば、当日でお休み希望を出すパートさんもいる。
これだけの規模で仕事していれば、自分を合せないと 仕事にならなかった。
もしね
アタシ自身が旦那さんとか子供出来ちゃったりしたら。そんな生活もまた…
「望めなくなる。
だから、今のうちから幹部の仕事を覚えろ」
え?
幹部?
「万年、現場の管理職でいるつもりか? 上を目指せ。
今の仕事も下へ割り振れるぐらいに。」
まじ?
出世欲なんかないんだけど。
現場外れて事務職とかじゃないの?
大人しく慎ましく…なーんて無理だと思うけど、場合に迫られたら、そんな生活も良いなと思っているんだけど。
…ダメ? 違うの?
驚いたまま、リュウイチを もう一度みやると、 えっ?わ、笑った…?
「ドジっても、俺が引き取ってやる。思いっきりやれ」
それはもう、キレイに。
ワルイ意味で嗤ったんじゃなくて、どっちかというと…その表情、どきっとする。照れくさくてアタシが赤面する。それぐらい…
「ひ、引き取るって…」
言葉の意味が分からないフリでもしようかと思ったけど、
「もう逃げ腰かよ。」
変わらない微笑に、言葉が続かない。
「今度の外部講習会、マネジメントコースを出席で出しておいてやるよ」
それは、軽い冗談を明るく言うような、けど、大人の空気を噛んで含めるような…
いつのまにか、見とれてしまった。そして、思い浮かべてしまった。
家に帰ると、リュウイチが当たり前のように部屋に居て、帰る時間を気にするでもなく一緒に過ごして。
そして、眠くなればそのまま横になってさ。目が覚めれば、支度してまた「ただいま」を言う時間まで、おのおの働きに出掛ける…
そんな、二人の生活。今までとは違った新しい生活。
「出来ないはずがない、お前が。」
アタシ、まだ返事してないんだけど…その微笑ですと、お仕事頑張る方向に定まりましたようで。
あぁあぁ、あああ。
リュウイチが、クスッと笑った。
「…口が空いたままだ。そのマヌケ面で、何を考えていた?」
えっ、あっ、はっ!
わ、わ、我に返ると恥ずかしい。
さっきまでのは、まさに一人妄想、一人暴走。
もー、そんな恥ずかしい物思いさせないでよっ、バカバカッ!!
なんか、アタシ一人が突っ走ってるみたいじゃん
いーもん。頑張っちゃうもん
アンタに引き取られないよーに 頑張っちゃうもんっ!!
ああもうっ!
色仕掛け、反対っ!!!




