第一章 中編 『AIバディ・ポチの事件簿 〜エリートを捨てた男と柴犬ポチ、AIキャロルのドブ板正義〜』
まえがき
これは、黄金の座布団を蹴り飛ばした男と、電子の姿で蘇った柴犬が、下町の小さな「消えた幸せ」を取り戻す物語です。怪我をする人はいません。安心して、練乳より甘い午後のひとときにどうぞ。
第一章:鉄のアームと、恋のバケツ(中編)
■ 匂い立つエゴイストと、コロッケの涙
商店街の入り口に、キャロルを停めた瞬間だった。
上空を掠めた一機のドローンが、不自然な急旋回を見せてあちねをスキャンする。機体には六大組織の一角『アギト・システムズ』の紋章。
『あちね、アングル最悪ですよ。今のスキャン、寝不足のクマまでバッチリ記録されました。一族の監視ルームでは今頃、「生活習慣の改善命令」の準備を始めてるでしょうね』
「うるせえ。俺の生活リズムは江戸っ子気質で決まってんだよ。ポチ、ハッキングしてレンズを曇らせとけ」
あちねが腰を落とし、現場である「福まる食堂」の店先を検証し始めた、その時だった。襟元から高級香水「シャネル・エゴイスト」の華やかな香りがふわりと立ち上がる。
店主のトメさんは鼻をひくつかせ、揚げ物用の菜箸をあちねに突きつけた。
「なんだい、あちねさん。その妙な匂いは。……香水かい? そんなキザな匂いをさせてたら、あたしの揚げたコロッケが泣いちまうよ。コロッケの香ばしさは、下町の魂なんだからね!」
「て、てやんでえ。これは……その、汚れ仕事の臭い消しってやつだよ、トメさん」
「コロッケが泣く」という下町ならではの説教に、あちねは面食らって動きを止めた。動揺を隠そうと、彼は足元に落ちていた「揚げたての破片(衣)」を拾い上げた。
「……あち! 熱いッ!!」
指先の熱さに飛び上がったあちねは、そのまま情けなく指をくわえ、ポチCに向かって精一杯の虚勢を張った。
「……あち……『あちね』だけに、あちっ、てな! なんちゃって……」
『……あちね。AIのログに「史上最低のダジャレ」として記録完了しました。冷却水にでも浸かって頭を冷やしたほうがいいワン。サイドミラーを爆笑モードでパタパタさせておきますね』
そのやり取りを、薬局の軒先に置かれた設置型拠点「アマケロ」の、つぶらな瞳がじっと見つめていた。
このマスコットの正体は、ミケタン星の技術を宿したアマガエルのケロヨ(内緒の正体でやす)。あちねのあまりの不甲斐なさに、アマケロは緑色の喉を小さく震わせ、「……ケロォ(はぁ……)」と、人間には聞こえないほどの深い、深い、ため息をついた。
「うるせえ! これは現場の温度を身体で覚えるための儀式だ、てやんでえ!」
■ 氷室零、完璧なる論理の降臨
あちねが不格好に指を振っていたその時、一台の漆黒のテスラが静かに横付けされた。
降りてきたのは、一分の隙もない三つ揃いのスーツを纏った男――氷室零だ。彼は警視という肩書きに加え、内閣府直轄『深海市スマートシティ開発特区・保安顧問』のバッジを胸に光らせ、映画のワンシーンのように完璧な所作でタブレットを掲げた。
「阿那君。相変わらず非論理的な猿芝居を演じているな。バケツに足を突っ込み、揚げカスで火傷をする……。私の『アイ・オブ・ゼウス(神の目)』が算出する君の解決スコアは、もはや限りなくゼロに近い」
氷室は優雅な仕草で空間をスキャンし始める。その指先の動き、鋭い視線、そして「立っているだけで絵になる」姿は、あちねの不器用さとは正反対の、磨き抜かれたエリートの輝きだった。
「深海市が政令市へ拡張されるこの歴史的転換期に、トメの『福まる食堂』のような老朽化した『穴』は許容できない。最新AIのシミュレーションにより、このコロッケ消失は物質転送の『バグ』として検出された。本日中にこの一画を封鎖し、行政上のエラーとして処理する。……下がっていなさい」
氷室が去り際に見せた、鼻につくほど完璧な背中。あちねはヒリつく指を振りながら、去っていくテスラを睨みつけた。その傍らで、アマケロは再び「……ケロ(やれやれ)」と、冷ややかな視線をあちねに送っていた。
「完璧な計算だと? へっ、トメさんのコロッケには、計算じゃ測れねえ『熱』があるんだよ、氷室」
■ 「世界のヘソ」と、忍び寄る九頭龍
氷室が立ち去った後、ポチの声がスピーカーから一段低くなった。
『あちね……笑い事じゃありません。氷室が「バグ」と呼んだあの場所には、旧帝国軍が敷設した光ファイバーの結節点……通称「世界のヘソ」が眠っています。ここを掌握されれば、この国の通信インフラは、日本全土を狙う巨大組織「九頭龍」の餌食です。しかも、コロッケが消えた先は、団地の5号棟……ミケタン星の「失敗作」の技術が使われている形跡がありますワン!』
「……親父が言ってた通りか。ドブ板の隙間に、世界をひっくり返すスイッチが落ちてるってわけだな」
あちねは不敵に笑い、あえて正面から「立ち入り禁止」のテープを跨いだ。襲いかかるガードドローンをポチのハッキングでいなしながら、キャロルのアクセルを踏み込む。
「完璧な包囲網だと? てやんでえ。穴だらけで、風通しが良くて助かるぜ。行くぜポチ! 庶民の晩飯を勝手に実験に使わせるほど、俺の気性は優しくねえんだ!」




