68.祝福
堂内はS学院と趣が違って、ステンドグラスのないシンプルな窓が付いた造りだった。長椅子の並ぶ奥には、緋色のマットが並べられてあった。
学とレイラは白々とした静かなチャペルの、ほぼ中央の列に座った。
二人の間にはひとり分の隙間が空いている。
「その……俺、何か悪いことしましたか?」
レイラは静かに目尻を拭いた。
「あの日、あれから考えたの」
互いに、祭壇の簡素な十字架を見ている。
「あなたが私を好きでいてくれたこと、あの時は素直に嬉しいと思ったの。でも同時に、恐怖も感じてしまって」
「恐怖?」
おうむ返しした学の声が堂内に響いて、わっとまたレイラは泣き出した。
「今まで、あなたに言ったこと、して来たことを思い出して、怖くなったの。私、何てことをして来たんだろうって」
しゃくり上げながらも、彼女は一息に吐き出した。学は口を開けて聞いている。
「全部思い出して、どれだけ傷付けて来たんだろうって考えたの。私がもし市原君の立場だったら立ち直れないわ。それだけひどいことを、私は……」
「ひどいなんて、そんな」
学は反論した。
「傷付いてなんかいません。だってそんなに藤咲さんに被害者意識を持ってたら、好きになんてならないじゃないですか」
すると今度はレイラがむきになった。
「市原君は優しいからすぐそんなことを言うのよ!本当は凄く辛い思いをしたのに、そうやって私を庇うから本質が見えなくなって……」
言われた学も、褒められたはずなのに腹が立って来る。
「藤咲さんだって、人の気持ちを知ったように言わないで下さい。何も分かってなんかいないじゃないですか。かばってなんか……」
「嘘よ。だって冬はずっと悲しそうな顔で」
「ああもう!言いますよ、すっごく傷付きました。毎晩眠れなくなるぐらい悩んで、辛い思いして、上げたら落とされて、そりゃもうしんどい毎日でした。でも好きなんです!」
怒りに任せて言い切って、学は我に返る。
レイラはもう泣き止んで呆然としている。言うことが互いに途切れ、二人は前に向き直った。
「……まだ、好きでいてくれたの?」
ぽつりとレイラが言葉を落とす。学に、急に緊張の波が押し寄せて来た。
「そりゃ、それだけ傷付くっていうのは、やっぱり好きだから」
「そっか。……そういう考え方も、あるのね」
レイラはふーっと息をついた。そして意を決したように息を吸い込むと、
「私も、あなたが好き。だから冬休みが明けてから、あなたの顔が見られなくなったんだと思う。また傷付けるんじゃないかって、嫌われたらどうしようって、急に怖くなって」
一息で言う。学は腰が抜けたように、背もたれに体を預けた。
「……本当に?」
「本当よ。あの日まで私、きっとあなたへの気持ちに蓋をしていたの。でも先生とはっきり別れてから少しずつ、蓋をしていたことに気付き始めた。で、蓋を開けちゃったらこのザマよ……」
レイラは実に不幸そうにため息をついた。冷えた堂内に反し、学の顔はどんどん熱くなって来る。
「そうですか……じゃあその蓋、開けっ放しでお願いします」
照れ隠しのつもりで言ったのだが、レイラは笑わずに、ただ恥ずかしそうに頷いた。
「……今日から、そうする」
そうしてようやく互いに顔を見合わせて笑った。互いの笑顔を見るのは、ほとんど一ヶ月ぶりだった。また、彼女がにっこりと笑いかけて来るのを、学は今日現実に、初めて見た気がする。彼の中に、毎日この顔が見たいという新たな願望が芽生え始めた。
その時だった。
ギィと音がして、チャペルの正面扉が開かれる。黒い革張りのケースを持った大学生が次々に現れ、二人は声を失った。
「失礼しまーす」
大学生達ははしゃぎながら入って来た。皆高校生二人を好奇の視線で眺め、ハンドベルを並べ始める。学とレイラは真っ赤になって固まった。
「おめでとう少年!」
男子大学生がふざけて声を飛ばし、堂内はどっと笑いに包まれた。
「あ、あの、私達はこれで……」
二人はいそいそと立ち上がる。二人の背後に、学生達の明るい笑い声と共にベルが並べられて行く。
二人でチャペルを出た時、学の目には明らかに景色が違って見えた。
「ねえ、手繋ごうか」
レイラが握手を求めるように手を差し出して来る。え?今?と学は慌てる。
「だって私のこと、好きなんでしょ?」
学が恐る恐る差し出した手を、レイラの冷たく湿った手がしかと握った。緊張感に、くらくらする。
学はレイラに引っ張られて歩き出した。




