60.許せない≠許さない?
三週間後。
夕方の教会から、バタバタと走り出して来るハンドベル部員達。皆教会裏の芝生に寝転んで、皆息を整えた。
「あー、疲れた!」
遅れてトナカイの着ぐるみが現れる。トナカイは頭を外した。中から汗だくの学が現れた。西田が指差して「ケッサク!」と笑う。
学も全く予想していなかったことだが、演奏が終わってから小学生らと鬼ごっこをする、という流れになってしまった。お馴染のクリスマスソングを聞いてテンションが上がりまくった教会学校の子供と、とにかく走り回ったのだ。特にトナカイ姿の学は集中的に振り回され、昼から今まで走りっぱなしだった。
しばらくすると、教会で帰りの会を終えた小学生らが出て来た。部員皆で手を振り、見送る。汗だくの学はひとり教会の地下室へ入り、制服に着替え直した。冬なのに一向に汗が収まらない。
地下から階段を上がった学を、タオルを持ったレイラが出迎えた。
「お疲れ様」
学は黙ってそれを受け取る。顔を拭いている時、ふとレイラが言った。
「二十四日に、後東先生と新横浜で会うわ」
学はタオルから顔を上げた。
「私、別れて来る」
学の目を見てレイラは決意表明した。学はそうですか、と努めて軽い口調で応えた。レイラはまだ探るように彼を見つめている。
「そんな報告、もういいですから」
苛立ちを抑え切れなかった。するとレイラは無理に笑顔を作って
「あのね。ちょっとだけいいから、付いてきて欲しいんだけど……」
などと言う。学はむず痒い気分でタオルを突き返した。レイラはその勢いに押され、少し顔を歪ませると、足早にその場を去った。
二十四日は教会で礼拝の演奏がある。夕方からのナイト礼拝だ。それを終えて会うとなると夜か?とまで考え、学は首を振った。
(もういい。何も考えたくない……)
と、教会の裏の扉から、ひょっこり明日菜が顔を出した。学は息が止まる。
「牧師さんがケーキ食べようって呼んでるよ」
明日菜の表情から、学は嫌な予感がした。
「松島さん、もしかして今の話」
学は怒っているが、明日菜は笑っている。
「知ってるよ!レイラったら、やっぱり後東先生と連絡取ってたんでしょ?」
学は言葉をなくした。分かっていたように明日菜は続ける。
「別れるんだって。レイラから聞いたよ」
「松島さんはあれを聞いてどう思いました?」
「うん。私は〝良かったね〟って言ったよ」
二人はケーキを食べるという別棟に向かって歩き出した。
「……怒りは感じませんか?」
「うーん。確かにナニソレ!とは思ったけど、私は〝良かった〟感の方が大きいよ?」
「騙されてたんですよ、俺ら」
すると明日菜は歩みを止め学に向き合った。
「市原君はレイラを騙したことないの?」
学はナイデス……とぎこちなく答えた。
「私もレイラを騙したことあって、お互い様だって思う。それにレイラがあの状況から助け出してくれたこと、今は感謝してる。だから、もう責める気ないんだ」
学は明日菜の瞳に溢れる自信を見た。
「ねえ。市原君は、レイラを責めているの?」
学は答えられなかった。怒りが先に立って、責めているとまでは思っていなかったのだ。
「レイラ、本当のこと言うの、凄く勇気が要ったと思うよ。その気持ちだけでも、私はあの子を許せる気がするの」
学はまだ納得行かない顔をしている。
「市原君の気持ちも分かるよ。私、レイラに君のことで忠告したこともあった」
「俺のことで、ですか?」
「うん。市原君、文化祭までレイラに振り回されっぱなしだったじゃない?今思えば、レイラにも葛藤があったのかなって思えるけど……」
学は思わず首を振った。
「振り回されてなんかいませんよ。きっと、松島さんの目にそう見えただけで」
明日菜が微笑む。学はしまったと思った。
「何で、レイラは市原君に先に出会えなかったんだろ」
寂しげに明日菜はひとりごちた。
「市原君も、そう考えたこと、ない?」
学は自身の怒りの根本に薄々気付き始めていた。過去が憎いのだ。相手の過去が憎かった。かと言って、タイムマシンでもない限り、それを正す方法はない。どうしようもないことで苦しんでいるのだ。
「過去は変えられない。だから、先に進むしかないんだよ、私達」
明日菜の声が少し震えている。学は尋ねた。
「松島さん、何かあったんですか?」
明日菜は顔を伏せるが、明るい声で答えた。
「私も後東先生が好きだったんだあ。でも、レイラに先に取られちゃった」
学ははっとした。
(こんなに近くに同じような立場の人がいて、この自分との感情の差は一体……)
ーーレイラを騙したことないの?
ーーレイラを責めているの?
(松島さんは、ずっとそう考え続けていたのだろうか)
「だからこそ、先生とレイラが上手く行けばいいと思って色々味方もしたし、戦ったわ。でも、心が壊れる方が先だった。結果、どっちにも悪いことしたと思ってる。最初から自分の気持ちに素直に従って行動しておけば良かったな」
学の胸はずきずきとうずいた。
「過去を責めてもどうにもならないよ。責められる方だってどうしようもないんだから。自分がこれからどうしたいのか考えた方が、市原君も楽になれるよ」
二人が辿り着いた別棟の席に、レイラの姿はなかった。西田によると、体調が思わしくないので先に帰ると言って、ケーキを食べずに帰ったらしい。
学の胃はぐっと重くなる。




