54.開演
保健室の椅子に座って、学は保健医の女教師に、顔の至るところに消毒を施されている。体に傷はなく、学はいつものように振舞っていた。
山下があの……と口を開くのと同時に、
「演奏には、出ますよ」
と学がかぶせた。山下は驚いた。
「大丈夫?あんなに殴られて一時間も立っていられる?」
学はそれについては答えない。殴られ慣れているとはいえ、正直なところ、今後の体調の予測は立たなかった。けれど。
「一曲でもいいんです。とにかく……」
そこまで言い、声が詰まってしまう。見兼ねて保健医が口を出した。
「折り畳みの車椅子あるけど、使います?」
山下がお、と声を上げた。
「そうだね。座っていれば出来るかな?」
「やってみます」
そこにレイラが息急き切って入って来た。
「市原君!平気なの?」
「えっと……やるだけやってみます」
保健医が車椅子を持ってやって来る。悄然とするレイラの前に、ぱっと車椅子が開かれた。
「礼拝堂に行っておいで」
更に保健医はマスクを手渡す。学の顔にある痣は全て頬や口周りに集中していた。マスクをすれば、ただの風邪引きに見えなくもない。
「ありがとうございます」
もごもごと言って、学は車椅子に座った。すぐさまレイラがそのハンドルを握る。
「色々大変そうだけど、私は応援してるから、頑張ってね」
保健医の応援に生徒二人は頷いて、軽々と保健室を出て行った。
向かうは、礼拝堂。
レイラと学は保健室を出て、高校校舎の裏側から礼拝堂裏口へ向かう。
「何だか大変なことになってすいません……」
学が謝ると、頭上から
「あなたは何も悪くない。気にしたら負けよ」
と、レイラの励ましが降って来た。学は少しほっとした。
「ところで、あの男はあなたの何なの?」
「かつての同級生です」
「どうしてあんなことしたのかしら」
「それは……」
学は隠しても仕方のないことだと思った。
「俺、中学時代、ずっとあいつにいじめられていたんです」
そうなの……とレイラは考え込んでいる。
「今日再会したら、またああやって」
レイラは少しの沈黙の後、ちょっと笑った。
「それで四月の私を見て、助けてくれたのね」
その時、レイラのポケットにあるスマートフォンが光った。ディスプレイに「goto-××××-……」の文字が浮かぶ。レイラは確認もせずにすぐさま電源を消し、それから丸一日画面を立ち上げることはなかった。
開演十分前。
二人が礼拝堂裏手から入ると、客席は人でいっぱいになっていた。
石室は血の気が引いた顔で、立ち見客の間に突っ立っている。人が多過ぎて、出るに出られなくなってしまったようだ。
裏口から登場した車椅子の学に、否が応にも聴衆の視線が刺さる。一年生は笑顔で彼を迎え入れた。学は車椅子から立ち上がった。
色とりどりのステンドグラスに漆喰の壁。
緋色のベルベットに、学が持って来た巨大な低音ベルも並んでいた。
時は来て、礼拝堂の扉は閉められる。




