44.市原君、ありがとう
三日目の昼休み、コーチは両手に花火を抱えて鶴の間にやって来た。
「……何ですか、これ」
岬が問うと、
「あれ?言ってなかったっけ。三日目夜は、合宿恒例花火大会をするのよ!」
コーチはどさりと花火の山を置く。
「バスから湖が見えたでしょ?あの湖畔で花火をするのよ。うーん、青春!」
西田と岬はへぇと笑って、それから気まずそうに学を見やった。学はあれから全く眠れなかったらしく、黙って下を向いている。二人は彼の余りの憔悴ぶりに、昨晩の内容を聞き出せずにいた。
一方、レイラは本当にスッキリした顔をしている。対比するだに学の傷付きようが想像され、彼らも見ていて辛かった。
学は練習をよく分からないまま終え、味のしない夕飯を食べ、いつの間にか夜七時を迎えた。薄暗くなる中、全ての生徒がロッジ前に集結し、全員で湖畔へ向かった。
生い茂る草むらの中に広々としたキャンプ場が現れた。懐中電灯の光を頼りに花火の袋が開けられ、各自一本ずつ手渡された。ハンドベル部の花火は部員全員に行き渡った。が、オケ部は数が足りないらしく揉めていた。それを見て、山下は
「うちはうちでやろう」
と部員に声をかける。
揉めている輪から少し外れたところで、何人かのオケ部員がこちらに熱視線を送っていた。明日菜はそれに気付いて西田の背中を押す。西田は渋々そちらへ歩いて行った。
末続がオケ部の喧噪をかき消すように、打ち上げ花火を一発飛ばす。オケ部とベル部それぞれから歓声が上がった。ひとしきり連続で打ち上げてから、末続は明日菜の花火に火を付けた。その火はレイラへ配られる。レイラは火しぶきを持って、学に近付いて来た。
学は浮かない顔で対峙し、火を貰う。レイラの水色の火しぶきが、学の花火に白い炎を付けた。その時、レイラの口が微かに動いた。学はそれを見ず、岬に火を渡す。岬は花火から目を離し、レイラと学を交互に見つめた。
向こうで、女子が泣いている。西田が気まずそうに帰って来た。岬はひとり火を見つめている学にそっと寄り添った。
「藤咲さんが、ありがとうって」
……え?と学は遅れて反応した。
「点火する時、藤咲さんがありがとうって言ってましたよ」
学が反応に困っていると末続がやって来て
「火、ちょうだい」
岬と学の間に強引に割り込む。盗んだ火を、彼女は西田の花火に分け与えた。
「皆!こっち集合!」
山下がカメラを構えている。部員らが集まると、光の輪が出来る。明日菜とレイラは既に二本目を構えている。山下のカメラが断続的に光を放って、その様子をカメラに収めた。一年生も新たな花火を貰い、火は輪の中でぐるぐるとリレーした。
最後に、末続は線香花火を持って来た。
音もなく火を噴く線香花火。火の勢いがさほどないので、自然と皆の距離が詰まる。その頃合いで、いつの間にか学の隣にいたレイラが口を開いた。
「市原君、ちょっといい?昨日、言い忘れたことがあったの」
全員が耳をそばだてている。学は恥ずかしくなった。
「今ここで?」
「大した話じゃないから、ここで聞いて」
彼女は学の大げさな反応に少し怒った。
「ずっと言わなきゃと思ってたの。私、あなたがうちの部に入ってくれて、本当に良かったと思ってる」
それを聞き、山下と末続は笑顔で頷き合う。
「最初冷たくしたのも、あらぬ噂を立てられるんじゃないかって怖かったからなの。決してあなたを嫌ってたわけじゃない。本当は、来てくれてありがたいなって思ってた」
西田と岬は互いに首をひねっている。でもその顔はどこか安堵している。
「あなたがいたから、今ここにいる部員達に出会えたと思うの。こんな風になるなんて、春は思いもしなかったわ。私、市原君にお礼を言わなきゃいけないの。本当に、ありがとう」
学はレイラの顔を見られずに下を向いたままでいる。そのふくらはぎを、西田が軽く蹴った。
「おい、何か言え」
その衝撃で線香花火の火が落ちる。学は頭を掻いた。
「その……」
「相手の目を見て言いなさい、目を」
山下が茶化す。学はレイラの目を見て言った。
「どういたしまして」
随分上からだな、と西田が感想を述べ、皆が笑った。しかしひとり、泣き出す者がいた。
「よ、良かったあ」
明日菜だった。息も出来ない程にしゃくり上げ、大粒の涙を流す。
「何で明日菜が泣くの」
末続が明日菜の背中を撫でる。
「だって……あんなに色んな事があって頑なだったレイラがようやく素直に」
「親心ですね」
岬がにっこり笑った。
「何よもう、この合宿、稀に見る大成功じゃない?」
末続は感無量といった表情で天を仰ぐ。
「春からは考えられないどんでん返しだなあ」
山下も晴れ晴れとしている。学は
(皆スッキリしたんだな……良かった)
と微笑んでみるものの、まだ心に何か色々と刺さりっぱなしなので、皆を羨ましく思った。
学はレイラを盗み見た。その瞳は何故かとても寂しそうに伏せられている。学はどきりとして、あれはまさか便宜上の仲直り発言じゃあるまいな……とレイラを疑った。
その視線に気付いたらしい。レイラは学に体を向けると、人差し指を自らの唇に当て、「しー」と息を漏らした。学ははっとする。
今感じたことは黙っていろ、ということだろうか。皆が会話する中、再び学とレイラの間に沈黙がやって来た。学は混乱する。どんな顔をして良いのか、まるで分からない。




