43.レイラの過去
夜の練習が終わった。末続はすぐに風呂に入ると言って消え、ベルは生徒らだけで片付け始めた。学がこの夜極度に緊張しているのを、他の部員が気の毒そうに眺めている。
明日菜と岬、西田らは互いに頷き合うと、予定通りの台詞を言った。
「じゃ、あとの片付けは二人でやって」
は?とレイラが声を上げる。学もぽかんとする。
「私達、先に部屋に戻ってるね」
「ちょっと待ってよ。皆で……」
「私、内実良く知ってるから、今更だし」
「俺らも市から聞きますわ。じゃあ」
気を利かせたつもりなのだろうか。三人はバタバタと駆け出して行った。
「もう!一体何なの?」
レイラは頬を膨らませているが、どこか安心したようにも見える。黒い革のケースを開けると、中には緋色のベルベットが覗く。学とレイラは黙々とベルを箱に収め始めた。
「……あのね、市原君」
ケースがばたんとひとつ閉められる。学は名前を呼ばれて、心臓が喉から飛び出すのではないかと思う。
「正直に言うわ」
彼女の方はもう、完全に覚悟が出来た目をしていた。
「私、後東先生と付き合っていたの」
いくらか予想は付いていた。学は諦めに似た気持ちで、心を落ち着かせようとする。やっぱり聞くのは辛かった。
「……そうですか」
「驚かないのね」
「予想は付いてましたから」
もうひとつケースが開けられる。光を乱反射していたベルが、重いケースの中に閉じ込められて行く。
「付き合っていたのは、いつ頃ですか」
「中学三年から……去年の秋まで」
長いような短いような時間だと思った。それからレイラが話し出さないので、心を殺される覚悟で学は聞いた。
「その……どちらから告白しましたか」
レイラは少し考えてから、
「……後東先生から」
と言う。ほっとしてしまう学だったが、
「私も好きだったから、嬉しかった」
その言葉で、二度と彼女の顔が見られなくなる。
「学校の中じゃ、互いに無関心を装ってた。その分、外で会うことにして……一応、隠れて会ったわ。地元じゃなく、東京とかで会うようにはしたけど……何故かしらね、夏休み前にはその噂が学校中に広まってた」
ケースがまたひとつ閉まる。
「それで本当にそういう事実があるのかって、学校から確認が入ったの。私はそうだと認めたわ。でも先生は否定した」
そこで少し、レイラの声が震えた気がした。
「それから夏休みに入って、全ての処理が行われたわ。秋になって登校すると……先生は名古屋の姉妹校へ飛ばされていた」
もうひとつケースが閉まる。あと四ケース。
「その日から、同学年全員から無視されるようになったわ。親友だと思っていた人達にも……明日菜は最後まで味方でいてくれたけど、それでいじめられたから登校しなくなって行ったわ。ベル部の同学年も、それを見て皆辞めちゃった」
学は何も喋る気にならなかった。するとレイラはさらりと
「何か質問は?」
学は凍える気持ちでベルを眺める。
「……そんな目に遭ってまで、藤咲さんはどうしてこの学校にいるんですか?」
レイラは急に押し黙る。学は苦しくなって来るが、疑問は止まらない。
「先輩は……本当はその、後東先生と少しでも繋がっていたくて、ずっと」
はっとしてレイラは口を挟んだ。
「それは違うわ。私は小学校からずっとここに通って来たし、ここにしかいられないから。それに……」
レイラは絞り出すように言った。
「ハンドベルが、演奏したかったから」
それはきっと、レイラの本音だった。
「演奏に集中していれば、全部忘れていられたから」
二人の瞳にベルの金色の光が映る。
「そうですか」
レイラの言い分しか信じられるものはない。
けれどレイラの言い分だから疑ってしまう。
ベルは全てのケースに収まった。
「分かりました。もうこの話はやめましょう」
学はすっぱりと会話を切った。これ以上レイラと話したら、心が壊れてしまいそうだった。レイラはまだ何か言いたそうだったが口をつぐむ。ベルケース全てに鍵をかける。学は鍵をレイラに手渡した。
ようやく向き合う形になった。レイラは意を決したように学を見つめた。
「ねえ市原君」
学は黙っている。
「私のこと、嫌いになった?」
段々苛々して来る。が、努めて冷静に学は言った。
「別に、好きでも嫌いでもありません」
「……そう」
レイラはほっとしたような表情を見せた。学はそれで更に深く傷付いた。
離れの男性宿舎に戻る。暗がりの中、西田と岬は何か言いたそうに口を動かしたが、学の殺気立った様子を見て何も言うことはなかった。学は布団を頭まで被り、声には出さず毒づいた。
嘘ばっかりだ。
「私、男は嫌い」
(嘘ばっかり……)
怒りの感情が襲ってくる。それは嘘をつかれていたことだけが要因ではなかった。レイラの話の中で、後東に対する怒りの感情が全く感じられなかったことに、学は何より腹が立っていたのだった。
(どうして怒らないんだろう?付き合っていたにも関わらず、その関係を否定した男のことを。どうして……)
ああ、と答えに行きついた。学は考えないようにする。
(心を殺せ。そうすれば、きっと楽になれる)




