42.予兆
二日目の朝練では、小宮、荒井、他3名の計五人が小さな部屋で自主練をさせられている。理由は「下手だから」ということだ。
「うちのオケに参加したいんだったら、もっとレベル上げてよ」
そう言い残して二年は大広間に消えた。
誰も上級生はいない。顧問やコーチもあちらに掛かり切りだった。教えてくれる人はいない。ただひたすら自主練をせよ、と言うのだ。
五人のやる気の低下に拍車がかかる。徐々に自主練をやり尽してしまい、愚痴大会になって来る。
「私達さ、陰でストッパーって呼ばれてるらしいよ」
小宮は、そりゃ仕方ない……と思う。
「合宿からミスするようになっちゃった。変に緊張してるみたい」
「自主練なんて。ていのいいハブだよこれ」
本来上手なはずの荒井がなぜか名指しで移動させられたのを、小宮も疑問に思っていた。
「ていうか鹿島さんなんて荒井さんより断然下手じゃん?なのに先輩と仲良しってだけであっちの大部屋で続けてるんだよ!」
愚痴が混線する間、近くの「鶴の間」からウェディングマーチが流れている。
(かわいいな……)
と小宮は上の空で思う。
ハンドベル部はウェディングマーチの練習を繰り返している。末続が熱心に声をかける。
「ちょっと岬君、ちゃんとレイラの音を聞いて合わせて。もうリズムを頼りに振る段階はお終いよ。出来れば楽譜から目を離して、私の指揮を見てくれる?あと、市原君、音弱い。もしかして、クラッパーの位置がおかしい?調整してみて」
学は周囲と見比べ、ベルの中のクラッパーを回して位置を決める。レイラは岬に、腕を伸ばして振るのではなく、もう少し手前で振ろうと話しかけている。
「じゃあもう一度頭から始めよう。せーの」
オケ部の方が先に朝練を終えた。女子らが通りかかり、開け放った窓の前で足を止める。ウェディングマーチを男子が振っているのが珍しいらしい。最後の音が合うとわっと窓の外で拍手が起きた。ベル部は互いに顔を見合わせて笑っている。
末続も拍手する。健闘を讃え合っているかのようだ。小宮がやって来て、ちらと眺めて去って行く。その顔は苦痛に歪んでいる。
昼食時、いつもの席に小宮がいない。
「小宮さん、どうしたの?」
学が尋ねると、荒井は怒り心頭で
「嫌がらせされて病んだわ。部屋で寝てる」
とのたまった。他の一年女子がその話に加勢し始める。
「小宮さん、先輩にやり方教えて下さいって言いに行ったら無視されたんです」
「それでコーチに聞きに行くって言ったら、迷惑かけるなって止められて」
「どうしたらいいの?って思うんです。自主練にも限界があるし」
「私達、まだ一度も合奏してない」
西田は
「そういうのはそっちでやってよ」
と困っている。そうなんだ……と、学は小宮を可哀想に思う。レイラはぴしゃりと言った。
「ここでこんなこと言ってないで、味方増やしてあげて、顧問やコーチに抗議したらどうなの?小宮さんが病気になっちゃったのは、ひとりで受け止め切れないからでしょう」
わあわあやっていた四人は黙ってしまう。
結局彼女達は先輩や同級生が怖くて、何も言えなくなっているだけなのだ。
ああ、この感じ、経験がある、と学は思う。
味方はいないのか。
眉をひそめて見ているのは、いじめている方なのか、いじめられている方なのか。段々分からなくなり、全員が敵に見えて来るあの状態に、小宮もはまったのかも知れない。
「今日の練習は夜九時までね」
沈黙をいいことに、レイラが言った。
「後片付けのあと、君達は私達の部屋に来て」
何の躊躇もなくさらりと言われ、男子らは息を呑んだ。
ついに事実が分かるのだ。それがこのメンバーと部活をする上でどのような影響が出るのか、まるで予想がつかなかった。
今、自分達はこうして問題ない風でも、これまでに様々なことがあった。腹を割って話せたのだって、つい最近のことだ。今思えばレイラの身勝手な振る舞いが、関係前進の予兆だったとも言えなくはない。何をきっかけに部内が変わるのかは運も多分に関係している。
学はそうして築き上げた関係は全て、今日の夜に試される気がしている。
学にとって今の小宮の困難な状況は、他人事とは思えなかった。




