干潟は残るか 1991年5月10日号掲載
新浜だより(行徳新聞再録) 1991年(平成3年)5月10日号掲載
干潟は残るか
江戸川(放水路)の堤防に出ると、いつでもほっと胸がひろがるような気がする。草のかおり、潮のにおい。枯草の間から新芽がのぞき、北へ帰りはじめたカモにかわって、干潟には旅鳥のシギやチドリの姿が見える。冬眠からさめたカニが泥の上ではさみをふる。自然のいぶきをたっぷりと感じるところだ。
この二月、地下鉄東西線の下から急に干潟の埋め立て工事が始まった。あわてて問い合わせたところ、台風による決壊箇所の修理だとのこと。修理ならやむを得ないのだろうかと思っていたら、みるみるうちに三百メートルも工事が進み、岸近くにひろがる干潟は一メートル以上もの土砂の下になってしまった。
もともと江戸川放水路は人工的に切り開かれたもので、行徳橋のところのローリングダムで海水がとどめられ、川の水は(旧)江戸川へと流れる。台風や集中豪雨などの緊急事態に限ってローリングダムが上げられ、放水が行なわれる。人工的とはいっても開削されてから長い月日がたち、今では岸の干潟は河口部としては東京湾最大。かつてどこでもいたトビハゼ、フトヘナタリなどは放水路の干潟がほとんど最後の生息地になっているとのことだ。もちろん鳥も多い。
こうした大切な場所が埋め立てられたら、生物にとっては大打撃。何とかならないものか、と担当の建設省にお願いしたところ、とりあえず説明会をしてくれることになった。
説明会が行なわれたのは四月三日のこと。いくつかの自然関連の団体から要望書などが出ていたが、この時も友の会をはじめあちこちのグループが出席された。担当の江戸川往時事務所からは、ちょうど地下鉄の操車場のあたりについて、堤防の土砂が流出して地盤が下がっているため、八百メートルの区間で現在と同様の工事を行なう計画だという説明があった。しかし、自然関連の団体からは、生きものにとってこの区間の干潟がどれほど重要かという説明も行われた。
建設省の対応は思いのほか早く、四月九日、既に工事が終わった区間はともかく、残り区間の工事は一時凍結し再検討するという連絡があった。
何はともあれ、ひと安心。とりあえず「大英断」をされた建設省に大感謝。しかし、建設省は堤防の沈下対策をとらなくてはならない立場だ。干潟に与える影響を最小限にとどめるにはどうしたらよいのか。はたして干潟は残るのだろうか。これからの「再検討」ができるだけ望ましい方向になりますように。
註。 この時の「再検討」から「トビハゼ護岸」が生まれました。建設省はまず当該地のトビハゼの全数捕獲と工事期間中の飼育、干潟の表層の泥を保存、「ふとんかご」の設置による泥干潟の保全など、トビハゼの生息環境を再現できるような方策をとり、地元の保護団体は植栽用のアシの地下茎を確保したり、トビハゼを放す前にまずヤマトオサガニやアシハラガニなどを放して定着をはかり、その上で冬を越させたトビハゼを放しました。建設省の出版物、「トビハゼ所長奮闘記」にこの時のの経緯が詳しく書かれています。




