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新浜だより 行徳新聞掲載再録  作者: 蓮尾純子(はすおすみこ)
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月夜 1981年10月20日号掲載  

新浜だより(行徳新聞再録) 1981年10月20日号掲載 


   月夜


 起こってはいけないことが、とうとう起きてしまった。新浜鴨場に隣接した湊排水機場の遊水池で、三歳と四歳の兄弟が水死されるという、思い出すのもいたましい事故である。この欄で二回にわたって書いてきたカルガモたちの大半が拾われた、まさにその同じ池だ。矢板とコンクリートで岸が垂直に固められ、浚渫されて岸からすぐに深くなった池は、泳ぎ達者なカモのヒナにとっても、落ちたら二度と上がれない危険な場所だ。カモにとって致命的なら人間にもあぶないことを、もっと強調するべきだったと、今更のように悔やまれる。

 事件後の総点検で、付近の水辺は一斉に柵が補強されて近づけなくなった。子供が水に近寄らなければ、確かに事故は起こらないはずだ。しかし、それでよいのだろうか。

 友人のTさんは行徳生まれの行徳育ち。野鳥の会の若手リーダーであるT氏と結婚後、出産を機に退職するまで保母さんだった。幼い子供を扱い慣れたTさんは、口惜しくてならないといった口調。

「私なんて運動神経にぶいでしょ。小さい時そこいらの池や用水に何度も落っこちたのよねえ。でもいつだって、岸のヨシにつかまって上がってこられたんだから。子供が池で溺れたなんて、聞いたこともない。今みたいに掘っちゃって、岸からすとんと深くなっているんじゃ、大人だって落ちたら上がれっこないじゃないの」

 人間がめぐらした柵やかこいはいつかは破れるものだ。観察舎のまわりでも、何度修理しても破られる場所がある。柵の補強は大切だが、水鳥でさえ一度落ちたら二度と上がれないという池の構造自体も問題ではなかろうか。全体を浅くするのは無理だとしても、せめて水際だけは浅くして、泥が露出し、ヨシなどが生えるようにすることはできないだろうか。「落ちてもはい上がれる」方式の池を考えない限り、何年か後にほとぼりが冷めた頃、次の悲劇を招く可能性があるのではないか。

「子供を水から隔離しようとするからいけないんだ。」ぽつりと口をはさんだT氏の言葉が、重くこたえた。同じ近郊緑地特別保全地区の中で起きただけに、悔やんでも悔やみきれない事件である。



 十月に入ったとたんに、あれほど盛んに鳴いていたカンタンやらウマオイが、すっかり声をひそめてしまった。エンマコオロギの声はこころもち細くなったようだが、一層さえざえとひびいている。ミツカドコオロギは、風呂場や玄関で気ぜわしく鳴くようになった。

 十月十二日の夜は、一片の雲もない空に、澄みきった月が照りわたっていた。秋から冬にかけて続けられる渡り鳥の標識調査(鳥を捕え、番号と環境庁・JAPANと文字の入った足環をつけて放すこと)では、網場の最終見回りが夜の九時すぎになる。静まり返った保護区の草原の中を一巡する約三〇分は、月のない夜は少々無気味だが、秋の夜長を満喫するにはちょうどよい。

 中天にかかる月の明るさで、花や葉の色までかすかに見分けられ、懐中電灯を使う必要もないほど。星の光はすっかり薄れてしまった。上から数枚だけを緑のままに残して枯れ上がったアシ原には、心地よい干草の匂いが漂っている。夜露にぬれたススキの穂先がひんやりとほほをなで、月光の下でも鮮やかな黄金色が目立つセイタカアワダチソウの花ぶさは、顔を寄せるとかすかな甘い香りを放っている。エンマコオロギにまじって、遠くで鳴きかわすウミネコの声が聞こえてきた。こんな夜は、一晩じゅう歩き続けていたくなる。人間にも渡りの衝動が残っているのだろうか。

 こんなに静かな晴れ渡った夜には、数百から二千メートル近くもの高さの上空で、南をめざす鳥たちが続々と渡っているに違いない。保護区の水辺は一見静まり返っているようだが、鳥たちの変化は目を見張るばかりだ。ほとんど毎日のように夏鳥や旅鳥が姿を消し、冬鳥のカモ達が数を増している。かつて、夜の渡りを観察する唯一の方法として、満月に近い 月を望遠鏡で見つめる「月面観測」が行なわれていたことが思い出される。

 月光に白く光る網場のポールのてっぺんに、黒々とした影が止まっているのが見えた。ヨタカだ。丘陵や山地の鳥だが、東南アジアへ向かう渡りの途上で、半月から一ヶ月以上もこの付近で羽を休めて行く鳥の一つである。夜行性のため、夜しか姿が見られない。十メートルほどの距離に近づいた時、ヨタカはふわりと舞い上がり、アシ原の彼方に消えて行った。



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