ぼけタカ騒動 1981年4月20日号掲載
新浜だより(行徳新聞再録) 1981年4月20日号掲載
ぼけタカ騒動
三月二〇日の夕方近く、ふだんは何があっても決して急がない高校二年の原島政己君が息せき切ってかけつけてきた。目の色が変わっている。
「マダラチュウヒ!もし違ったら日本の鳥じゃないよ。首から背中が黒くて下面はまっ白なんだ。すぐ近くで見られるんだ。地面でネズミか何かを夢中で食べてて、飛ばないんだ。早く来て、カメラ持って来て」
変なタカがいるというので見に行ったところだった。マダラチュウヒは大陸産のタカの一種で、日本では対馬などで二、三の記録があるに過ぎない珍鳥である。原島君があせるのも無理はない。常連どもは色めき立ってとんで行き、ひと足遅れてカメラ一式を車に積み込み、主人と私もかけつけた。
観察舎入口の車止めから約百メートル、汚水処理場の造成地のへりから一段下がった細い水路ぎわに、くだんのタカが下りていた。夢中になって獲物を食べ続けている。くちばしの上に真っ赤な腸の切れ端が引っかかり、なかなかすごみのある様子である。大きさはおよそトビ位、頭から背面全体が灰黒色、胸以下は汚白色である。知っているどの種類にもあてはまらない。図鑑のマダラチュウヒの雄に確かに似てはいるが、嘴や足は大きく、まるでワシのような体つきである。すらりとして足の長いチュウヒ類とはだいぶ感じが違う。
三〇メートルほど離れたところから、私たちがレンズを構えているのに、「変なタカ」はさほど気にも留めずに食べ続けている。やがて道の曲がり目から軽トラックが姿を現わした。タカは首を上げてじっと見ている。いよいよ飛ぶかと私たちは息をつめて見守っていた。トラックが近づき、タカから水路一つ隔てた道路を軽い地ひびきを立てて通りすぎた。タカは身構えてはいたものの、車が姿を消すと、再び食べ始めた。どうも、野生のものとは思えない落ちつき方である。主人が車を進め、タカの真正面、約一〇メートルの距離から写真を撮りはじめたが、タカは逃げようとはしなかった。
やがて、あたりに薄やみがせまるころ、「変なタカ」はやっと食べるのをやめ、ゆっくりと造成地の上に出た。そして翼をひろげ、いかにも不器用にはばたくと、福栄四丁目のパークサイドの住宅地(現 福栄かもめ自治会)へと飛んで行った。その時、足に巻かれた太いビニール管がはっきりと見えた。やはり、かご抜けに間違いない。種類の見当がつかないはずである。
タカはほんの五〇メートルほど飛んだだけで、手近な二階の屋根に止まった。薄やみの中にコウモリが一匹、ひらひらと舞っている。川向こうに渡ってさっきまで食べていた残骸を見に行っている間に、タカはまた飛び立ったが、四軒ほど先の青いかわら屋根に舞いおりて、そこで落ち着いてしまった。食べていたのは大きなマスクラットで、自力で捕えたものらしかった。タカは私たちが引き上げる時も同じ場所でじっとしていた。夜、犬の散歩に出た時も、月光に照らされたかわら屋根の上に、黒々としたタカの影がおぼろに見えた。
このタカは、翌日早朝も同じ屋根にいた。昼ごろ、降りだした雨に打たれて「汚水処理場」という看板の「場」の文字の上にしょんぼりとしているのが見られたが、以後姿を消した。図鑑を手当たり次第にひっくり返した結果、南米産の「ハイイロオオノスリ」にほぼ間違いないという結論が出た。
二十三日の午後、カモメの様子が変なのに気づいた。キャア、キャアと甲高い警戒声を上げながら空に舞い上がって行く。犬がいたり、タカなどが下りている時の声なのだが、警戒の対象が見つからない。そろそろ渡りの兆候が表れたのかなと思っていた。
翌朝、電話が鳴った。観察舎からほんの八〇メートルほど先のお宅からである。「あのう、昨日から軒下のところに大きなタカが止まっているんです。こわくって、物干し台にも出られないんですけど‥‥‥」
まったくもう、あのぼけタカめ、つかまえてやる、とばかりに、はしごや網を持ってとんでいったのだが、タカはさっさと飛び立って、なんとわが家のテレビアンテナの上に止まったものだ。カモメたちはまた大騒ぎを始めた。セグロカモメたちが屋根の上をぐるぐる飛びまわり、警戒声を上げ続けている中で、小さなユリカモメが一羽、タカの頭上すれすれに舞い下りて、果敢な攻撃をかけるのには驚いた。
アンテナの上で四囲を見回していたタカは、ウラギク湿地の中に下りたり、護岸堤の丸太に止まったりしたあげく、カモメに追われながら飛んで行き、また住宅地の屋根におりた。カモメたちはやった、やった、とはやしたてるように鳴きながら、間もなくもどってきた。
この日以後、ぼけタカ君がどうなったかはわからない。ご存じの方がおられたら、お教えいただければ幸いである。




