第5話「あの......無能とは?」
「死神の紋章を、完全に使いこなせる」
自分で言っておいて、あれだが。どうということも他意もなかった。
ただ事実だから、言ったまで。それだけの話だ。
この世界の紋章は、生まれながらに魂へ刻まれる力の器だ。金や銀に輝くものが多く、貴族の家系ほど鮮やかに発光する。強さの証であり、家柄の証でもある。
だが——死神紋章だけは、違う。
光を放つのではなく、光を吸い込む。発動した瞬間、周囲の色がにじむように薄れ、あたりが静かに暗くなる。
生き物が本能的に「近づいてはいけない」と感じる類の、黒い力だ。
記録に残る死神紋章持ちは、古代から現代まで七名。全員が成人前に廃人となるか、自ら命を絶っている。
理由は一つで、制御ができないからだ。解放、展開すれば周囲を侵食し、封じようとすれば術者の魂を内側から焼く。どちらに転んでも、結末は同じだった。
ーーーーだから「死神紋章持ち」は、呪いの別名として使われるようになった。
能力ではなく、死の宣告として。
ただ一人の例外を除いて。
ーーー
セレフィーナは固まったまま、一言も返さなかった。屋上の夕風が彼女の銀の髪を揺らす。手の中の空の弁当箱が、少し傾いている。口が半開きのまま、紅い瞳の焦点が俺の顔のどこにも定まっていなかった。
「……セレフィーナ?」
「…………」
「おい!セレフィーナー?」
「……使いこなせる、とおっしゃいましたか」
「たしかにそう言ったな」
「死神の、紋章を......?」
「だからそうだと言ってるだろ」
長い沈黙があった。
遠くで鐘が鳴る。夕方の五時を告げる鐘だ。学園の外、街の方から届いてくる音で、風向き次第では聞こえたり聞こえなかったりもする。今日はよく通った。
「……明日の朝」セレフィーナがゆっくりと口を開いた。
「五時に、東側の泉のそばに来てもらえますか」
「何のためにだ?」
「確かめたいことがあるんです!」
「理由は気になるが、まあいいだろ」
「あなたが死神紋章を使えるというなら、私の目で直接見たいんです!」
俺は少し考え、特に断る理由もなかったので、そのまま了承した。
「言いたいことはわかった、が!そんなにすごいものじゃないから期待するなよ」
それを聞いたセレフィーナはまるでそんなことは絶対ないと確信しているかの如く、機嫌いい様子で、扉へ向かった。
扉を開ける直前に、一度だけ振り返り.......
「……覚悟しておいてくださいね!」
「何をですか」
「驚かせてしまうかもしれないので!」
「俺がか、それとも俺がセレフィーナをか?」
少し間があきーーー
「ーーーさあ、どっちでしょう?それが明日のお楽しみなのです!」
そう言って、扉を閉めた。
---
翌朝、五時ちょうどに泉のそばへ着くと、セレフィーナはすでにいた。
制服ではなく薄手の外套を羽織っていた。銀の髪を緩く束ねて、手に革製の手帳と羽根ペンを持っている。顔は真剣だ。昨日の「固まり方」とは違う。何かを調べようとしている人間の顔だ。
「おはようございます」
「おはようございます」俺は泉の縁に視線を落とした。「何から始めますか」
「まず、泉を見てください」
「もうすでに見てる......ん?」
「何か気になるところはありますか」
俺はしゃがみ込んだ。草の湿った匂いがした。夜明け前の空気は冷たく、泉の水面が薄い靄をまとっていた。
水量は、昨日よりわずかに少ない。流れが細くなっている感じがした。下の方で何かがずれている——地面の奥の奥で、水の通り道が少しだけ詰まっている、そういう感覚。川でいうなら枝川に砂が積もって本筋が細くなった、そういう状態。
「下の方に詰まりがあるな。支流が一本ずれている」
「……どこからわかるんですか」
「なんというか、まあ感じるんだよ」
「感じる......?」
「こう、手を近づけると——流れが、透けて見える感じがして。水じゃなくて、水が通っている道の形が」
セレフィーナの手帳を持つ手が、ぴたりと止まった。
「……それを、今まで誰かに話したことはありますか」
「ないな。話す機会もなかったし」
「なぜ話す気になったんですか、今さら」
「お前に聞かれたからだな」
また手帳を持つ手が止まった。今度は羽根ペンも一緒に。
俺は泉の縁の土に手をついた。表面は湿っていて、冷たかった。
「ちょっと直してもいいですか」
「——どうぞ」
何をするわけでもなかった。
指先で、土を少しだけ押した。どこかを押したというより、詰まっている場所の感触に向けて、ただ少し——促した、という感じに近い。
音も光も出ない。
でも数秒後、泉の水面がかすかに揺れた。奥の方で、何かが動く音がする。水が流れる音が、最初は遠く、次第に近くなって——泉の縁から水があふれそうになるほど、水量がじわじわと戻り始めた。
静かな夜明けの空気の中で、水音だけが広がっていった。
「……」
羽根ペンが宙に止まったまま、セレフィーナは固まっていた。
「……今、何をしましたか」
「土を、少し押しただけだが......?」
「押した」
「そうだな」
「地下水脈の詰まりを感知して、最小限の力で本流を回復させた、ということですか」
「それは大げさだな、ただ違和感のある部分を押した。誰だってできることだ」
「はあ.....まったく、この人は。いいですか?それは、大げさではないんですよ!」
彼女は声を保とうとしていたが、語尾が少しだけ揺れていた。
「地脈の修復は、大陸規模の大魔術師が複数人で何年もかけて行う作業です。それをあなたは、今、指一本でやりました」
「そんな大層なものじゃないと思うんだけどね」
「大層なものです!」
セレフィーナが手帳に何かを書き始めた。羽根ペンが走る。
「もう一つ、試させてください」
「どうぞ」
「死神紋章の“展開”は......今すぐできますか?」
「当たり前だろ」
「……見せていただけますか?」
俺は少し考えた。
ここで展開すると、それなりの反応が出る。経験上、土が動いたり、空気が変わったりする。どこまで出せばいいかを決めてから動かないと、余計なことになりかねない。
「どのくらいの規模を見たいんだ」
セレフィーナが顔を上げた。
「.........っ!?あなたまさか、規模を——調整できるんですか.....!?」
「まあ、一応は」
「上限は」
「……よくわかってないんだよな。限界まで試したことがないからなんとも.......でもまあ広げようとすれば、どこまでも広がる感じがするな」
「うーん、大体で言うと......」その一言の前置きの後、セレフィーナは本物の畏怖の念を抱く事になる。
「地平線くらいまでは、軽くいけるな!」
「地平線....?」
「え、もしかして知らない?そんなことはないと思うんだけどな」
「知ってますよ!私はこれでも勉学は負けたことがありません!というか......そんなことを言いたいわけではなくてですね」
「まあ感覚の話だから、正確じゃないかもしれないが、そこは勘弁してくれ」
「感覚の話だとしても、十分すぎます」
セレフィーナが額に手を当てた。手帳が膝の上に落ちそうになって、慌てて掴んだ。
「……では、ごく小さく。泉の水面が揺れる程度で構いません」
「わかった。細心の注意を払ってやらないと危険だからな、一回集中する」
俺は立ち上がって、右の袖を少しまくった。
手首から肘にかけて、紋章が刻まれている。
黒い。
普通の紋章は金や銀、あるいは白や赤で発光する。魔力が高いほど輝きが増すと言われていて、上位貴族の紋章は夜でも遠目に見えるほどだ。
ーーーーーーでも俺の紋章は色が違う
光を吸い込むような、深い黒だ。
発動させると、それが「にじむ」。
光が出るのではなく、光が消えていく。紋章の周囲の空間から、色が薄れていく。
あたりが少し——暗くなる。
「——あっ」




