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第36話「恋敵現る!?!?」

 夢から覚めた瞬間、胸の奥に残っていた熱だけが、現実と過去の境界を曖昧にしていた。


 薄暗い天井。


 窓の向こうでは、まだ夜明け前の青白い空が静かに滲んでいる。


 けれど、呼吸だけは妙に浅かった。


 まるで、まだあの終わりかけた世界の空気を肺の奥へ引きずっているみたいだった。


 「……っ」


 右手を押さえると、冥境の門印が微かに熱を持っていた。


 夢。


 起きて最初に俺はそう思った。いや......そう思いたかっただけだったのかもしれない。


 しかし.......ただの夢だと切り捨てるには、あまりにも感覚が鮮明すぎる。


 炎の熱も、黒い雨の匂いも、あの男――“閉門”の声も......全部、現実みたいに残っていた。


 そして何よりーーー


 ーー銀髪の少女。


 あの夢の中で、“開門”の隣に立っていた少女の姿が、頭から離れなかった。


 セレフィーナによく似た少女。


 けれど、どこか違う。


 もっと大人びていて、もっと深い悲しみを抱えた顔。それなのに.......


 笑った時の顔だけは、驚くほど今のセレフィーナに似ていた。


 「……なんなんだよ、あれ」


 小さく呟く。


 返事はないただの独り言だ。当然、返答など返ってくるはずもない。


 なのに胸の奥だけが、ずっとざわついている。あの夢は、ただの記憶じゃない........もっと別の何かだ。


 忘れてはいけないものを、無理やり思い出させられている感覚。


 そんなことを考えていた、その時だった。


 ――コンコン


 部屋の扉が軽く叩かれる。


 「レイン、起きてますか?」


 聞き慣れた声だ。だが、心臓が一瞬だけ変な跳ね方をした。


 「……起きている」


 扉がギギギギギと、軽く音を立てながら開く。


 朝日を背にしながら、セレフィーナが静かに部屋へ入ってきた。


 銀色の髪が、朝焼けを受けて淡く光っている。


 その姿を見た瞬間........夢の中の少女の面影が、ほんの一瞬だけ重なった。


 思わず、息を呑む。


 「……? どうかしましたか」


 セレフィーナが不思議そうに首を傾げる。


 その仕草が妙に現実的で、俺はようやく呼吸を吐いた。


 「いや……なんでもない」


 「顔色、悪いですよ」


 彼女が自然な動きで近づいてくる。今ではもう、それが当たり前みたいに。


 細い指が、そっと俺の額へ触れる。


 冷たい。


 けれど........不思議と安心する温度だった。


 「熱は……ないですね」


 「心配しすぎだ」


 「昨日あんなことがあったんですから、心配くらいします」


 少し拗ねたみたいな声だった。


 だが、その声音の奥には、本物の不安が滲んでいる。


 地下水路での戦い。


 閉門の出現。


 あれは間違いなく、今までとは格の違う存在だった。セレフィーナも、それを理解している。だからこそ、こうして様子を見に来たのだろう。


 俺は小さく笑う。


 「大丈夫だ。ちゃんと生きてるぞ」


 「……その言い方、嫌いです」


 セレフィーナが俯いた。


 銀色の髪がさらりと落ちる。


 「まるで、“いつ死んでもおかしくない”みたいに聞こえるので.......」


 胸が、少し痛んだ。


 夢の中の“開門”が脳裏を過ぎる。


 世界を守るために、全部を背負っていた男、最後には、きっと一人で壊れていった男.......


 ――俺は、ああなるのか。


 ふと、そんな考えが頭を過ぎる。


 だが、その瞬間だった......


 「レイン」


 セレフィーナが俺の服を小さく掴む。


 視線を上げると、真紅の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。


 「一人でどこか行こうとしないでください」


 その声は静かだった。


 けれど、驚くほど真っ直ぐでもある。


 「あなた、時々……全部自分だけで終わらせようとする顔をします」


 図星だった。だから何も言えない。俺のその反応を見てセレフィーナは少しだけ苦しそうに目を細める。


 「図星なようですね.........昔から、そうだったんですか」


 「……昔?」


 「そう.......ですね。もしかしたら、レインの記憶にも残っていないような、そんな遠い、遠い昔です」


 彼女が小さく息を吐く。


 「昨日、“あの男”を見た時、レイン、すごく苦しそうな顔をしていたので.......」


 閉門。


 あいつを見た瞬間から、頭の奥で何かが軋み続けている。


 記憶、夢、知らないはずの景色.......


 全部が少しずつ繋がり始めている。


 そんな時だった。不意に、廊下の向こうから騒がしい声が聞こえてくる。


 「だから違うって言ってるだろ!!」


 「いいえ違いません!! 昨日、第三棟の女子が見たそうですよ!?」


 「うるさいうるさい!!」


 エリクとアイラの声だった。セレフィーナが一瞬、目を瞬かせる。


 「……何やってるんですか、あの二人」


 俺も少し眉をひそめながら立ち上がり、扉を開けた。すると......


 廊下の真ん中で、エリクが顔を真っ赤にしながらアイラへ詰め寄っていた。


 そして、その少し後ろ。


 一人の女子生徒が、おろおろしながら立っている。


 栗色の髪、小柄な身体.......


 以前、エリクへ手作り菓子を渡していた図書委員の少女だった。


 「……こんな朝っぱらからお前らは何してんだ」


 俺が聞くと、エリクが勢いよく振り返る。


 「レイン、お前からも言ってやれ!!」


 「主語がねえんだよ。何をだ?」


 「俺は別に婚約とかしてない!!」


 一瞬、空気が止まった。セレフィーナが目をもう一度瞬かせる。アイラがにやぁ……っと笑った。


 「えー? でもぉ、向こうのご家族かなり乗り気らしいよ?」


 「誰情報だ!!」


 「そりゃ....ねえ?図書委員ネットワークでしょ」


 「怖ぇよ!!」


 エリクが本気で顔を引きつらせる。


 だが........その後ろで、栗色の髪の少女もエリクと同様に、完全に顔を真っ赤にしていた。


 きっと、こっちは別の意味だろう。


 「あ、あの……っ、ち、違うんです……! まだ婚約とか、そういうのじゃなくて……!」


 「“まだ”って言ったな今」


 アイラが即座に拾う。


 少女もエリクも同時に固まる。


 数秒後........


 「……は?」


 「ち、違っ……あぅ……っ」


 少女が限界みたいに耳を真っ赤にしながら俯いた。セレフィーナが小さく吹き出す。


 珍しく、声に出して笑っていた。


 その笑顔を見た瞬間。


 昨日のことをずっと考え続けることだけが、セレフィーナのためになるわけではない。そのことに気づかされた。


 胸の奥に残っていた重苦しい感覚が、少しだけ薄れる。


 ――ああ、守りたい


 終わりかけた世界でも、閉門みたいな化け物が現れても。こんな時間を、失いたくない。


 そんなふうに感傷に浸っていた時だった。


 廊下の奥から、聞き覚えのない声が響く。


 「へぇ……随分楽しそうじゃないか」


 空気が変わり、笑い声が止まる。


 視線を向けると、そこには、一人の男が立っていた。


 整った貴族服、金色の髪、そして、セレフィーナを見下ろすような視線。


 その瞬間......


 セレフィーナの表情が、凍った。


 男は口元だけで笑う。


 「久しぶりだな、セレフィーナ。“元婚約者”として、少し話をしないか?」

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