第十二話 死線に潜って
「お、おい嬢ちゃん! 無事だったのか!? いや、それより早くこっちに来い!」
護衛隊長のハシムが、ようやく壁の向こうから現れたのが俺だと気付き慌てて呼ぼうとする。やはり性根は面倒見のいい男なのだろう。その思いやりは美徳だが、けれど今は、彼の言葉に従っている暇はなかった。
ふと気付き、足元に転がっていた砂海の民らしく柄に紋様の入った、確かシャムシールとか呼ばれていた曲刀を拾い上げる。
取り立てて名刀というわけでも無さそうだが祭祀用の短刀よりはマシだ。
軽く振って重心を確かめ、スケルトン・キングの襲来に備える。
早速武器の問題も解決、とは言わないが改善はしたので、俺は少しだけ安堵の溜息を漏らした。
「なぁ、おい……聞いてるか? もうすぐあの怪物がこっちに来る。アサドの爺さんもどっかに消えちまったままだ、義理立てしてもしょうがねえ。アイシャっつったよな。俺たちが少しは時間を稼ぐから、お前は早く……」
「ああ、聞いてるよ」
ハシムの話を遮って、俺はわざと口調を変えることなくそっけなく告げる。
昨日まで守られていた、美人で踊りの上手い女の子、では意味がない。
アイシャを生贄に捧げる儀式の存在を誰がどこまで知っていたかは定かではないが、どちらにせよ「可哀想な女の子」では駄目なのだ。
「あれは魔神の眷属だ。ただし主人はもういない。年月を食ったせいで力もだいぶ衰えて、胸より下は維持できずに崩壊したようだし、知力もせいぜい獣並みだ。骨は堅いし、砂から腕を生やす厄介な魔法も使う。けどそれだけだ。本当にどうにもならない相手じゃあ、ない」
心の奥底に緊張を押し込んで。平静を装ったままで気軽に言う。
昨日までとは別人の、まるで熟練の戦士であるかのような振る舞いを心掛ける。
事実中身はそうなのだから、演技も最低限で済むわけだ。
「じょ、嬢ちゃん? いったい何言って……」
「わからないか? わからないなら黙って見てろ。教えてやるよ」
右手に曲刀。左手に短刀を構え、薄布と装飾品以外何一つ身に着けていない少女の体で。
壁を突き崩し、天井ごと崩壊させて現れた骸骨の王に恐れを知らずに切っ先を向けて。
「位階55の中堅戦士の、戦い方って奴を」
戦闘の火蓋を、切った。
骨の巨拳が、次いで『砂の腕』の不定形な巨拳が嵐のように次々と休む間もなく降り注ぐ。
俺は右に左にステップを踏みながら、上体を逸らし、時には床を這うような姿勢で足を止めずに回避していく。
どちらの巨拳も直撃すれば即死は免れない。掠っただけでも行動不能になるのは間違いないだろう。
だが逆を言えば、当たりさえしなければどんな攻撃も意味をなさない。
そして一撃一撃が大きいだけに、速度で上回ってさえいれば、隙はいくらでも見つけられた。
「よし、届いた!」
俺がある場所に頭から飛び込んだまま一転して着地すると、骨の拳は急に現れなくなった。
『砂の腕』はその場所の外側から打ちつけようとするが、その場所の外枠にぶつかって形を失って砂として降り注ぐばかりである。
『こんなところに……』
潜り込んだ安全圏。
それはスケルトン・キング自身のがらんどうの胴体の中だ。
視界からの死角でもあり、同時に周囲は外枠、つまり眷属の骨格によって守られている。
強固な骨格自体を利用して内側から攻め立てるという、いくつか考えた策のうちの一つだった。
だが。
『あっ、下から……!』
「っくそ、便利な魔法だな!」
足元がうごめいたのを察知して。俺は即座にまた肋骨の隙間から胴体の外へと転がり出た。
直後に胴体の下の砂が盛り上がり、『砂の腕』の形を取って突き上げる。
外側から攻撃ができないのなら内側に腕を作ってしまえばいいということらしい。
死角はなかった。
策のうちの一つも潰えた。
ならば、次だ。
遺跡の床の上にあふれた砂を蹴り、大きく右へ回り込む。
骨の腕のうち片方には近付くことになるが、片方からは最も遠ざかれるのが両脇だ。
薄布をはためかせて三本の『砂の腕』をかいくぐり、振り回された骨の巨拳に速度を合わせ、すれ違いざまに曲刀で薄く斬りつけた。硬い感触が響き、アイシャの鳶色の細腕が軽く痺れる。
前転しつつ距離を取り、正面からの二本の『砂の腕』の爪を左に跳んで避ける。
斬ることに特化した鉄剣はびりびりと振動するだけで刃こぼれこそなかったが、斬りつけた骨にもやはり傷はついていなかった。
よほどの豪剣か大槌、それも首都で第一線を張る重戦士でもなければあの骨格を砕くのは難しそうだと結論を出す。ここまではある意味では予想通り。本命は。
「やっぱ、目だな」
端的に呟き、一瞬の間を置いて全身全霊で地を蹴った。
加速、加速、加速する。
首都でも限られた者しか扱えない歩法を使い、全身の力を引き出す呼吸と魔力の運用を利用して、少女の体から驚異的とも言えるほどの速度を引き出していく。
風と一体化するかのような尋常ならざる暴速で、周囲に生み出された十三本の『砂の腕』すら置き去りにして。肋骨を足場に駆け上がり、俺は左に握った祭祀用の短刀を、骸骨の左の眼窩に突き刺していた。
そこには本来、何もない。
何もないはずなのに手応えがあり、つまりはそこに何かがあった。
『……ォオォ……ォオオォォオオオオ……ッ!!』
風洞を吹き荒れる北風のような、空虚だが怒りの満ちた咆哮が骸骨からあふれ出す。
足をかけていた鎖骨を蹴って空中に身を躍らせた瞬間、骨の指先が邪魔者を串刺しにせんと顔の前に突き出された。
いや、違う。
あれは手のひらで顔を庇ったのだ。
正確には、魔の宿る短刀を突き入れられて消えた炎と逆の側。右の眼窩に宿った紫の怪しい炎を。
恐れ、という感情をあのモンスターが持っているのかはわからない。
だが骨の右腕を眼窩を守るために使い、体の周囲に二十本近い『砂の腕』を展開させて、しかし襲いかかってくる様子は見られなかった。
魔神の眷属の胸中は読み取れない。
だが与えられた貴重な時間を、俺は有効に使うことに決めた。
言葉すら出ずにあっけに取られ、呆然と俺を眺める護衛たちに振り返る。
彼らも胸中は複雑というより意味不明だろうがそれをおもんばかってやっている余裕もない。
だから俺はアサドとある意味では同じように、一方的に口を開いた。
「さて、見たな。奴は長い眠りから覚めたばかりで、力は格段に衰えてる。こんな小娘でもちょこまか動けば十分に攪乱しつつ、有効なダメージを与えられるくらいにだ。多分だが、あの右の眼に残ってる火を消せば、あいつにかけられた呪いは消滅して奴は死ぬ。だが今ので警戒されたから、うかつにもう一度飛び込めば今度はありったけの『砂の腕』を繰り出して俺は封殺されるだろう。……他に誰も、攪乱に協力してくれる奴がいなければな」
口上を述べる。
戦場で臆した戦士たちを鼓舞し、背中を思い切り叩くための激励を。
それはこちらの感情の押し付けで、それこそアサドとの違いなど一つしかなかった。
「俺はお前らに「勝てる」と示した。つまりあれは、勝てる強敵だ。勝てる強敵を前に逃げ出すのは賢者じゃなく臆病者の腰抜けで、少なくとも戦士じゃあない。……それで。護衛稼業なんぞをやるほど腕に自信のあるお前らの胸に、大砂海に生きる戦士としての誇りはほんの少しでも残っているか? それともお前らは雇い主に騙されて、追い立てられて逃げ惑うだけの、臆病者の腰抜けか!?」
この、一点しか。
「――お前たち自身が、選べ!!」
そう言って。
俺は身を翻し、『砂の腕』がオアシスの樹木より多く立ち並ぶ骸骨の懐へと、飛び込んだ。




