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第10話

足の骨がくっつくまで暇だ。クロスは本当にお父様に扱かれている。単なる貴族教育じゃなくて領地貴族の当主の勉強だ。かなり忙しいようだが、休み時間には必ず私の顔を見に来る。


「ねえ、クロス。」

「うん?」


クロスは私の顔を見てニコニコしている。


「クロスは初めて会った時どうしてあんなに『生きたい』と思っていたの?」

「別に普通だよ?スラムを抜けて行ったちょっと先に高台があってさ、そこから見る街の景色がなんか温かくてさ、好きなんだ。パトーム通りのパン屋の横の通りを通るといつもパンを焼くバターのいい香りがしてさ、いつか金持ちになって焼き立てのパンを腹いっぱい食べたいとか。でも死んじゃったら、もう二度と景色を見ることもできないし、僕が食べたこともないような美味しそうなパンを食べる機会も永遠に失うんだ…って思ったら死ぬほど悔しくって。もっと生きたいと思った。生きてさえいれば、今は無理でも、何かすげー幸福なことがあるかもしれないし、ものすごくつらいことがあるかもしれない。そういう人生の波を感じたいと思ったんだ。濡れると寒いしすぐ熱が出るから雨なんて好きじゃなかったけど、この雨とお天道様が大地を育てて、金色の麦を作るんだ…って思ったらその当たり前のことがすげー!って思ってすげーって思える自分をすげーって思って、なんか一人で感動して、そういうちっぽけな『すげー』をいっぱい感じていたかった。死んだらもう何かを感じて感動することもないと思ったら怖くなった。『死にたくない』ってすごく思った。」

「ふうん…」


感受性が豊かなのかな。やっぱりクロスの気持ちはよくわかんなかったけど、いいなあって思った。自分にないものを持ってる人は輝いてる。もしかしたらクロスと生きていたら私も『もっと生きたい』って思うようになるのかな?


「今は…最高に幸せ。これ以上幸せになっちゃう予定なんだと思うと逆に生きてんのが怖い。もしシェリルを失うことがあったらきっと『幸福過ぎて怖かった時期に人生が終わってたら良かったのに』って思うかも。ちっちゃい頃はあんまり幸せじゃなくてさ、『くそー!大きくなったら絶対幸せになってやる!!』って思いながら生きてたけど、幸せになってみると未来が怖いんだ。上がった後は下がんのかなって。」

「上がったり下がったりして、幸せな時も不幸な時も、クロスと人生の波を乗り越えて精一杯生きて、いつかしわしわのお爺ちゃんとお婆ちゃんになって、二人して穏やかに眠るように逝けたらいいな。」


あの女が絵に描いた餅を述べてみた。あの女は自分が生涯その餅を食うことはないだろうと知っていた。あの女は幸福を感じる能力がなかったから自分と同じくらい不幸な音色で響き合う友人と傷を舐め合うのがましな時だった。自分は食うことが出来ないけどあの餅を食う人間がいることを羨ましく思っていた。

私は食ってやろうと思った。あの女が羨んだ餅を。


「『良い人生だった』と思えるように生きようってこと?」

「うーん。そうかな。」


『良い人生だった』と思って死のう…っていう意味だったけど、なんだかクロスの言い方の方が素敵に思えた。『死ぬこと』を目標にするんじゃなく『生きること』を目標にしたい。


「足が治ったら、パトーム通りのパン屋でパンを食べてみる?」

「うーん…やめとく。多分屋敷で出るパンの方が美味しい。あの頃『世界一旨いに違いない』って想像していた夢は、綺麗な夢のまま取っておきたい。あの頃はパンは食わなかったけど『生きる希望』を腹いっぱい食わせてもらった。これからは『美しかった夢』を食わせてもらうことにする。」

「そっか。世界一のパン屋ね。」

「うん。」



***

クロスはクノーア家の養子として正式に認められ、私の婚約者になった。まだ15なので結婚は出来ないが、当たり前だが結婚できる年齢だったとしても「では明日結婚します」と言うわけにはいかないので、来春、クロスの社交界デビューを待って結婚すると告知しておいた。結婚式に御呼ばれする予定の皆さんは準備を頑張ってほしい。式自体はディクトル大聖堂で行われ、その後我が家のホールでお祝いである。もうウェディングドレスのデザインも仕上げてあって、1年かけて仕上げるそうだ。クロスの方の衣装が悩ましくて、成長期と被っているから、身長がどの程度伸びるかが未知数。丈を長めに見積もって随時手直ししていこう、ということになった。料理は何を出すかとか、誰に招待状を送るかとか、悩ましい。我が家だけの招待客というわけにもいかないし。クノーア家所縁の貴族にも招待状を送らねばならない。

「セドリック様も来てくださる?」と聞いたら「中々酷いこと仰いますね。」と笑われたけど「祝いに行きますよ。」と言っていた。「幸福にあやかりたいから…」と言っていたが、どうやら数回あった夜会で、ミレーヌ様のことをなんとなくいいなー…と思っているらしい。私に失恋したばかりだから、まだ「すぐに次の恋!」とは乗り換えられないらしいけど、何となく楽しそうになさっている。いいことだ。ミレーヌ様は素敵な方だし、これからこの国の王となり、激務に励むセドリック様の癒しになってくれたらいいと思う。家柄的にも伯爵家で、ぎりぎり王妃の座に食い込めない家柄ではないし。

レイチェルの方は前途多難。すっかり『頭のおかしい妄想女』とラナン様に認識されてしまったらしく、そのイメージを払拭できる機会に恵まれない限り挽回は難しそうだ。「弟に会いに行く!」という名目でうちに来て、茶菓子を貪り食っては「流石公爵家~」と喜んでみたり、「ラナン様に脈がない!」と憤ってみたり楽しそうである。


「ねえ、シェリル。」


ベッドの上で微睡んでいたらクロスに呼ばれた。


「うん?」

「シェリルにとって『死』って何?」


あの女は『死』を救いだと思っていた。私はどうだろう。

そう考えた時、全然死にたくないことに気付いた。寧ろ嫌だ。それが普通の感覚かもしれないけど、自分が信じられないくらい生き汚くなっていることに吃驚した。

『死』…自分がそれを嫌悪する理由。

美味しいものが食べられなくなる…

綺麗な服を着られなくなる…

素敵な風景を見られなくなる…

確かにそれも理由ではあるけれど。

私ははっきりと自覚した。

クロスと離れ離れになるのが怖いからだ。


「『死』はクロスと私を別つもの…」


結婚式の言葉は「死が二人を別つまで」である。


「死にたくない?」

「クロスが生きる限りは。」


クロスはふふっと笑った。


「やっと居場所が出来た。シェリルは『クロスはきちんと選びなさい。色んな人を沢山見なさい。色んな人と沢山接しなさい。自分の世界を広げなさい。色んな事を経験して、色んな事を沢山感じて、沢山考えて、きちんと自分を作って、その上で私に飼われたいならずっと私の傍にいなさい。』って言ったけど、ずっとシェリルの『自分』はどこにあるんだろうって思ってた。シェリルが『シェリル』を作った上で選ばれたいと思っていた。シェリルは生にも死にもさして執着がなくて、気を抜いたらどこかへ消えてしまいそうな不安定さがあった。シェリルが生きたくて、その理由が僕にあるなら、僕は『シェリル』の中の『住人』になれたんだね。」

「……自分を作るって難しいね…?」


かなり曖昧模糊として生きてた気がする。流される人生は歩むまいと思ってたけど結局流されてた気がする。


「僕の悩みを思い知ったか。」


クロスがツンと私の頬をつついた。

これから私も自分を作って行かねばならない。あの女の生を見てあの女の視点を借りて「こうはなるまい」と思った消去法でなくて、『シェリル』の視点で『シェリルとして』どう『生きたい』か考える時間。『クロスと共に生きたい』はあの女にはないシェリルだけの『生きる意義』。それが全てではなくて、私も自分というものをしっかり作って、広げて、自信をもって心の中にクロスを住まわせてあげなきゃならないんだ。

それが『成長』……何だかワクワクする。

クロスと共に成長していく。何だかその当たり前のことが『すげー』と思えて、『すげー』と思えた自分をすごいと思った。

ああ、生きるってこういうことなのかな…


「ふふ。シェリルなんだか楽しそう。」

「クロスが私に『生きる』ことを教えてくれたから…何だかワクワクしちゃって。」

「うん。一緒に生きて行こう。」


クロスが微笑んで私にキスをした。


おしまい。

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