不透明人間の不思議
当然のように透明として生まれてきて、治ることなく育ってきた。
人よりも辛い時は多く、楽しい事は少ない。 それは間違いないけれど……ああ、それは履こうと呼ぶにふさわしいのだろう。
けれど少女は、別の人生をやり直したいとは考えていなかった。 あるいはそれを幸福と呼ぶのかもしれない。
己の不幸を知ってか知らずか、リクは面白そうにテレビをジッと見つめていた。
「リクちゃんは今どうしてるの?」
家主の女はキョロキョロと見回しながら巣鳥に声をかけた。
「テレビ見てるな。 まぁあんまり見る機会ないから珍しいんだろ」
「どんな生活してるの……」
「まぁ、普通にその日暮らしだ」
「普通の人はその日暮らししないから」
台所周りの片付けを終えた巣鳥は女とリクのいるリビングに戻り、首を傾げる。
「あん? リクはどこ行った」
女もキョロキョロと見回すが分からないと気づきテレビに目を向け直す。
必死で巣鳥が見回し、見つからないことに若干の焦りが生まれる。
「おいリク、クソガキ、どこいって……」
不意に服の袖が引かれ、目を向けると眠そうな目をしたリクが巣鳥の手を引いていた。
「……ん、ずっといる」
「あ……ああ、小せえから見逃してた。 ……あんまウロチョロするなよ」
「むぅ……」
リクは不服そうに口先を尖らせる。 女は安心したように溜息を吐き出し、巣鳥に尋ねる。
「リクちゃんの好きな食べ物って何? 私の腕を振るっちゃうよ!」
「たけのこの里!」
「たけのこの里は菓子だ。 飯を食え」
「……肉?」
「食材で言うな……焼肉とかでいいか?」
「うん!」
「焼肉って私の腕関係なくない?」
巣鳥はフローリングの床にそのまま寝転び、リクの頭にポスリと手を落として溜息を吐き出した。
「にくー、にーくー」
「うるせえ」
「うるせえって言う方がうるせえんだよ?」
「いや、うるせえ奴がうるせえんだよ。 理屈をこねようとデシベルは裏切らない」
「でしべる?」
「音量のことだ」
「怨霊!? 裏切らないのか……怨霊って」
二人がくだらない話をしている横で女は買い物に向かう用意を済ませて家を出て行く。
巣鳥はつまらなさそうにあくびをしてから鞄に手を伸ばし、鉛筆と紙を取り出して机の上にそれを置いてから身体を起こす。
「文字書く練習するぞ。 漢字の書き取りだ」
「んー、まだぼくのとしなら、難しいのは習わないって、すとりがまえに言ってた」
少しだけ表情を歪めて巣鳥は目を逸らす。
「いいから、やれ」
「おうぼうだ……」
「大人は横暴なんだよ。 むしろ横暴になったら大人と言ってもいい」
「それはおかしい」
文句を言いながらもリクは紙に鉛筆を走らせ、巣鳥はそれを見て雑な部分を指摘しながら、可能な限り綺麗な字を書くように指導する。
「さんすうとか、いいのか?」
「いいんだよ。 算数なんて出来なくても死なねえ」
「まあ、さんすうができない赤ちゃんは死んでないもんね」
巣鳥は一瞬首を傾げる。 その理屈を使えば大体の人間は死なないことになるのではないだろうか。
まさか勉強は一切意味がないのかと思い、すぐに自分の頭がおかしくなっていることを自覚する。
「……保護してもらってるからだろ、それは」
「ならぼくもだいじょぶ」
「俺はいつまでもいるわけじゃねえよ」
リクはすこし顔を背けて、黙々と書き取りを続ける。
「……だから、すとりがいなくても関われるように文字?」
「……」
黙りこくった巣鳥を見て、リクは鉛筆から手を離す。
「べんきょう、しない」
「はあ? いや、やれよ」
「や」
「や、じゃねえよ。 やれって」
「や、だ。 しない。 しません。 するもんか」
リクは鉛筆を机の上に弾き、巣鳥はその様子を見て苛立ったように舌打ちをする。
「うるせえ、否定を重ねたらいいってもんじゃねえんだよ。 結婚式のライスシャワーだってめでたいからって赤飯でやったらベッタベタになるだろ、同じものを重ねても意味ねえんだよ」
「さきにごま塩をみんなに振っておけば、塩のおかげでひっつかない」
「ごま塩がそこら中にばら撒かれて掃除大変だろ」
「さきにクリームを全身に塗ってたらくっ付く」
「注文の多い結婚式か」
しばらく、「やれ」「やらない」と問答を繰り返しているうちに女が戻ってき、すぐに用意をして焼肉を食べ始める。
「どう? リクちゃん」
「うまいうまい」
「美味いってよ」
不服そうに翻訳をしながら口に肉を運ぶ。
必死に噛り付いているリクように肉をもう半分に切ってから焼いてやり、それを皿に入れていく。
「そう言えば巣鳥。 仕事あるの?」
「ん? まだねえな」
「ならさ、私の仕事を手伝ってよ」
「仕事って、なんかの依頼か?」
「幽霊探しだって、そういうの得意でしょ?」
「無茶振りするな。 幽霊なんていねえよ。 探しようないだろ」
「まぁそうだよね。 普通は断るしかないんだけど……見つからなくていいからって言われてね」
巣鳥は「馬鹿らしい」と笑ってから、女の前にある缶ビールに手を伸ばし、ぺしりとはたかれる。
「私のだから」
「ケチケチするなよ……」
「図々しいよ。私もお金ないから」
「固定給もらってるだろ、一口でいいから」
「固定給を過信しすぎだよ。 うちの部署はブラックな上に血生臭くて薄給のブラッディ部署だからそんなに余裕ないんだよ」
「ブラ……ひわいな言葉か?」
「違う」
女は突然「違う」と言われて少し驚くが、巣鳥の目は別の場所を見つめており、自分が言われたわけではないことに気がつく。
ゴクゴクと酒を飲み干していく巣鳥を見ながら女は頰を掻く。
「……すとりー、ねむい」
「歯を磨いて風呂入ってからな」
「んー、ぼけたのすとり、きのうも入った」
「毎日ちゃんとするんだよ」
台所のシンクに食べた分を運び、鞄の中から取り出した歯ブラシをリクに押し付ける。
「からいの、や」
「虫歯になったらドリルで歯を抉られるぞ」
「うう……。 じどーぎゃくたいだ……」
「治療だ」
「出るとか出てもいいんだからな……」
「何処に出るんだよ」
「おっぱいとかおしりとか」
出るとこ出るというが、それは違う。
渋々といった様子でリクは歯磨きをして、頭を撫でられることに満足するように鼻を鳴らした。
続いて風呂に入ってすぐに出ようとして怒られたが、ほとんど何事もなく就寝する。
リクが寝静まった様子を見終えた巣鳥に女は声をかける。
「寝たの?」
「ん、ああ、結構前に」
珍しくもない受け答えを聞き、女はあっけに取られたように巣鳥を見る。
結構前に寝ていたのなら、離れても問題がなかったのだろう。 なのにそこにいたのは。
「寝顔を見てた……とか?」
信じられないといった様子で女は尋ね、巣鳥は怠そうに答える。
「まぁ、クソガキも寝てりゃ可愛いもんだよ」
「……あの鬼の巣鳥が……子供の寝顔って」
「別にいいだろうが、何年前の呼び方だよ」
「……かっこ悪くなったね」
「ずっとガキみてえなことしてる方がだせえだろ。 何歳だと思ったんだよ。 鬼は定年退職だ」
女は巣鳥の目を見てつまらなさそうに溜息をつく。 巣鳥はゆっくりと立ち上がって部屋から出る。
「突然押しかけて悪いな」
「いや。別にいいけどね。 ……父親してるね」
「親なんて出来るかよ。 真似事どころかままごとだ」
女は冷蔵庫から缶ビールを二本取り出して一本を巣鳥の前に置く。
「飲むよね」
「悪い。 最近あいつの夢見が悪いらしいからやめとく」
「ほんと、つまらなくなったね」
「ガキのオモチャじゃねえんだ。面白くはねえよ」
「……どうするつもりなの? あの子」
「言葉を教えて、文字でもしっかりとやりとりが出来るようにはさせねえとな」
少し戸惑った様子を見せてから口を開く。
「……どうかしてる。 他人の子なのに」
「……俺がどうかしてるのは、いつものことだってよ」
女は眉を寄せて、リクの寝ている部屋の扉を見る。 三番目の缶ビールに手を掛けて、やんわりと巣鳥に止められて余計苛立つ様子を見せた。
「楽しくない」
「お前は俺をなんだと思ってたんだよ」
「鬼」
「……久しぶりにあった友人に酷い言われようだ」
無理矢理三本目を開けて、喉に流し込むように飲んだ。
「治る見込みあるの? あの子」
「ねえな。 前に似たような状況の奴は見たが、それとは違って全く抑えられない。 それどころか、悪化するばかりで最近は俺も見えなくなってきたぐらいだ」
「……ダメじゃん」
「まあ、色々試して見るつもりだ」
女はつまらなさそうに口を尖らせ、酒気を帯びた息を巣鳥に吐きかける。
「しばらく泊まってってもいいけど、仕事を手伝ってね」
「幽霊探しをか?」
「適当でいいけどね」




