金がないなら、剣で払ってもらう
傭兵から聞いた話を頼りに、俺は裏路地へと足を踏み入れていった。
さっきまで聞こえていた広場の喧騒も、少しずつ遠ざかっていく。やがて、それは背後からかすかに聞こえてくる程度のざわめきへと変わっていた。
進めば進むほど、建物同士の間隔は狭くなっていく。道幅も、人が二人並んで歩くのがやっとというほど細かった。
俺は周囲を見回した。
だが、何もない。
目に入るのは、固く閉ざされた扉や小さな窓。それから、壁際に放置された木箱がいくつかあるだけだった。
もう少しだけ進んだところで、俺は足を止めた。
道の隅に、何かが落ちている。
しゃがみ込み、指先で石畳に積もった埃を少しだけ払ってみる。
すると、その下から黒ずんだ染みが現れた。
血だ。
量はそれほど多くない。
それでも、まだ乾ききってはいなかった。
「この先か……」
俺はすぐに立ち上がり、その跡を追うことにした。
さらに二つほど路地を抜けていく。
進めば進むほど、周囲の家々は荒れ果てたものになっていった。腐りかけた木の梁、今にも崩れそうな屋根。そして、湿った壁にこびりつくような、古びたカビ臭さ。
そのとき、不意に路地の静けさを破るように、人の話し声が聞こえてきた。
声は、数メートル先にある石造りの建物から聞こえてくる。
窓は一つが割れていて、入口には木の板が半端に立てかけられていた。
俺はほんの一瞬だけ中を覗き込んだ。
それだけで十分だった。
いた。
さっきまで怯えたネズミのように逃げ回っていた三人は、今度は身を隠していた。
そこは、かつて穀物を保管していた倉庫らしい。薄暗い建物の中で、俺がカフェのテーブルに叩きつけて顔面をぶつけた男が、壊れた木箱に腰を下ろし、悪態をついている。
その隣では、もう一人の男が汚れた布を頭に巻きつけていた。
「それで、俺たちはこれからどうやって戻る?」
「分からない。ポータルが座標から逸れたときに、核が完全に破壊された。エネルギーの過負荷で、結晶の内部構造まで吹き飛んだんだ」
「くそっ……。つまり、俺たちはここに閉じ込められたってことか? 俺たちが核を壊したと知ったら、隊長に何をされるか……」
「隊長に殺される前に、俺たちが生きて帰れることを祈るんだな。今は、ここから出る方法を探すしかない」
つまり、こいつらも帰れなくなったらしい。
それに、今の話を聞く限り、この場所は敵側の領土ということになる。
核は破壊された。
それはつまり、俺自身も元の世界へ戻るための唯一の手段を失ったということだった。
「それに、この馬鹿なんて三秒でぶっ飛ばされたんだぞ」
「普通の民間人じゃなかった! あいつがどう動いたか見ただろ? 魔法すら使わずに、俺の構えを新兵みたいに簡単に崩しやがった。前線にいた頃だって、あんな速さで殴る奴なんて見たことがない」
「退役したベテランだろうが、カフェ店員に化けた悪魔だろうが、俺にはどうでもいい。問題は、表通りの路地からここまで血の跡を残してきたことだ。地元の警備隊に見つかったら、俺たちは終わりだ」
――地元の警備隊?
つまり、こいつらは帰る方法を探しているだけじゃない。
誰かに見つかることも警戒しているらしい。
それなら、こいつらが顔を隠していた理由も、俺に追われたときにあれほど急いで逃げた理由も説明がつく。
本当にここが敵の領土なら、警備隊の目を引くような真似は、何としても避けたかったはずだ。
だが、まだ一つだけ分からないことがある。
なぜ、こいつらは俺のカフェに現れた?
あいつらがポータルを開くための核を持っていたのなら、あれがただの偶然だったとは思えない。
どこかへ移動しようとしていた。
それなのに、何かの理由で俺の世界に飛ばされた。
そして今、その核は破壊されている。
俺は別の世界に取り残されただけじゃない。
家に帰るための唯一の手がかりまで失ってしまった。
「誰かに跡を見つけられる前に、ここを離れないとまずい」
「それで、どこへ行く?」
「まずはこの辺りから離れる。その後のことは、それから考える」
どうやら、こいつらも大した計画は立てていないらしい。
もう少しだけ中を覗こうとした、そのときだった。
路地の向こうから、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
倉庫の中から聞こえていた会話が、ぴたりと止まる。
俺も動きを止めた。
足音は、少しずつこちらへ近づいてくる。
俺は入口から離れ、音を立てないように壁の陰へ身を隠した。
現れたのは、武装した男が四人だった。
三人の兵士とは違う制服を着ている。
もしここで見つかったら、こんな見知らぬ街で、なぜ壁の陰に隠れていたのか説明しなければならない。
……そんなもの、まともな説明になるわけがない。
俺はその場でじっと待った。
やがて、足音が完全に遠ざかっていく。
それを確認してから、もう一度入口のほうを覗き込んだ。
三人はまだ倉庫の中にいる。
幸い、誰もあの巡回の後を追って外へ出ようとはしなかった。
俺は少しだけ入口に近づいた。
すると、再び中から声が聞こえてきた。
「もう行ったみたいだな」
「俺たちも移動しよう」
「まだだ。今は危険すぎる」
「日が暮れるまで待ったほうがいい。暗くなれば、見つからずにここを抜けられる可能性も高くなる」
俺には、一つの考えが浮かんだ。
このまま隠れている必要はない。
俺が出ていって、あの三人が敵側の兵士としてこの倉庫に隠れていると警備隊に伝えればいい。
その後、こいつらがどうなるかなんて俺の知ったことじゃない。
俺が気にしているのは、ただ一つ。
こいつらにカフェの代金を払わせて、元の世界へ帰る方法を見つけることだ。
こいつらは俺のコーヒーマシンを壊し、店をめちゃくちゃにした。
そのうえ、俺まで殺そうとした。
警備隊に知らせてほしくなければ、壊したものの代金を一セント残らず払ってもらう。
そう決めると、俺はそのまま倉庫の中へ入った。
三人は一斉に立ち上がり、腰の剣を抜いた。
一瞬、誰も口を開かなかった。
そして、三人はようやく俺に気づいた。
「お前……。ここで何してやがる?」
「俺のカフェの件だ。お前らが壊したんだから、代金を取りに来た」
左にいた兵士――さっきカフェのテーブルに顔面を叩きつけた男が、横に唾を吐き、歯を食いしばった。
「この野郎、俺たちをここまで追ってきやがった」
「そのようだな」
核を持っていた男は、俺から視線を逸らさなかった。
「ずいぶん勇敢だな……それとも、ただの馬鹿か?」
「前にも似たようなことを言われたよ」
「たとえ俺たちがお前に金を払ったところで、お前は元の世界には戻れないぞ」
「それはもう分かってる」
三人の間に、しばらく沈黙が落ちた。
どうやら、俺がそんな答えを返すとは思っていなかったらしい。
「……じゃあ、一体何が目的なんだ?」
「さっき言っただろ。壊したものの代金を、一セント残らず払ってもらう」
「じゃあ、どうやって払えっていうんだ、カフェ店員? 俺たちに何を出せって? 靴についた土でも売れっていうのか? ここは敵の領土だぞ。地元の警備隊に追われて、そのうえ、この辺りで使える帝国の金なんて一枚も持ってない!」
「それはお前たちの問題で、俺には関係ない」
俺は三人の装備に目を向けた。
「鎧もある。剣もある。軍用の装備だって持ってる。ここの商人の中には、それなりの金を出して買ってくれる奴もいるだろう」
「金がないなら、現物で払ってもらう。まずは、その手に持ってる剣からだ」
「その代わり、さっき通った警備隊がこの路地に戻ってこないようにしてやる」
俺は入口のほうへ一度だけ目を向けた。
「もし断るなら……そうだな。少し大きな声で外に向かって叫べばいい。さっきの巡回兵が何事かとここへ入ってくるだろうからな」
三人の兵士は互いに顔を見合わせた。
目の前には、金を払うまで一歩も引くつもりのない元軍人。
そして、すぐ近くには敵側の巡回兵がいる。
逃げ道は、ほとんど残されていなかった。
「三秒で決めろ」
俺は三人を見たまま、静かに続けた。
「それと……俺が三まで数えたら、どうなるかはもう知ってるだろ?」




