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損害賠償


俺は、戦場を捨てた。


銃も、火薬の臭いも、泥と血にまみれた日々も、全部だ。


軍を退役してから受け取った金の半分を使い、俺は小さなカフェを開いた。


かつて特殊部隊にいた男が、今では毎朝コーヒーを淹れている。


我ながら、悪くない人生だと思っていた。


少なくとも、あの日までは。


その朝も、俺の目の前には白い磁器のカップが置かれていた。


中にはカプチーノが入っている。


ただのカプチーノじゃない。


泡でウサギの絵まで描いた。


耳を左右対称にするだけで四十分もかかった。


あとは最初の一口を飲むだけだった。


――その瞬間、宇宙は俺に、なぜ俺が人間嫌いなのかを思い出させてくれた。


耳を突き刺すような甲高い音が響いた。


迫撃砲が炸裂する直前に聞く、あの嫌な音に似ていた。


反応する暇もなかった。


レジのすぐ横の空間が、腐った布のように引き裂かれた。


次の瞬間、凄まじい空気圧が店内を吹き抜け、正面の窓ガラスを吹き飛ばした。


そして、六十万円で買ったエスプレッソマシンは、ねじれた鉄くずへと変わった。


光を放つ裂け目から、三人の男が飛び出してきた。

童話に出てくるような、ピカピカの鎧じゃない。


泥と乾いた血で汚れた、錆びた鉄のプレート。


肩には、戦術用の紋章が刻まれている。


侵攻側の兵士たちだ。


しかも、立ち位置と動きからして、かなり戦場慣れしているらしい。


店内に出た瞬間、三人は迷うことなく周囲を警戒し、陣形を組んだ。


……ただし、今回はその陣形が少しだけ震えていた。


先頭にいた男が店内を素早く見回した。


だが、その声にはもう余裕がなかった。


「くそっ……ここはどこだ!? 俺たちが出るはずだった場所じゃないぞ!」


その隣の兵士が、手首の端末を確認する。


明らかに動揺していた。


「ポータルが逸れた……何が起きたのか分からない」


左側にいた兵士が一歩前へ出た。


そして、苛立ちをぶつけるように、カウンター脇のマネキンへ大剣を叩きつけた。


一閃。


マネキンの首が飛び、その衝撃で俺のカップまで宙を舞った。


完璧だったカプチーノが、タイルの床に叩きつけられた。


磁器が砕ける。


泡で描いたウサギは、茶色い染みに変わった。


俺は床に広がった液体を、三秒間じっと見つめた。


昔、セラピストに言われたことがある。


昔の自分に戻りそうになったら、十まで数えろ、と。


……三までしか数えられなかった。


……異世界からの侵攻作戦失敗による損害なんて、保険は利かないよな


俺は黒いエプロンを外した。


ゆっくりと畳み、カウンターの上に置く。


「おい、クソ鉄くず」


左側の兵士に声をかけた。


男は苛立った様子で振り返った。


剣の柄を握り直し、俺を頭の先から足元まで見下ろす。


まるで、道端の邪魔者でも見るような目だった。


「見知らぬ人間と話している暇はない」


そう吐き捨て、俺の胸元へ剣を向ける。


「俺にはある。というか、今日はもう一日丸ごと暇になった。俺のカフェはめちゃくちゃにされたんだ。……全部、弁償してもらうぞ」


兵士は苛立たしげに舌打ちした。


次の瞬間。


何も言わず、俺の喉元へ真っ直ぐ剣を突き出してきた。


――筋肉の記憶か……


考える暇なんてなかった。


頭より先に、体が動いていた。手のひらで刃を外へ弾き、そのまま相手の懐へ入り込む。手刀が顎を捉え、男の体勢が崩れた。


体勢を立て直す前に鎧のベルトを掴み、その勢いを利用して木製のテーブルの縁へ顔を叩きつける。


乾いた音が店内に響いた。


俺は一瞬、その場に立ち尽くした。


……不思議なことに、さっきよりずっと落ち着いていた。


残った二人もすぐに反応した。二歩ほど後ろへ下がり、互いの背中を守るように構えながら、隙を探っている。


訓練は悪くない。


ただ、相手を間違えただけだ。


「何をしやがった!?」


二人目の兵士が唸りながら、戦闘用のダガーを抜いた。


「別に大したことはしてない。ただ計算してるだけだ。エスプレッソマシンが六十万円。窓ガラスが十二万円。そして、俺の精神的平穏……これはもう、値段なんてつけられない」


頬に残っていたコーヒーの雫を指で拭った。


三人は黙り込んだ。


ポータルへの反応と、さっきの会話から、何が起きたのかはだいたい察しがついていた。こいつらは、自分たちの意思でここへ来たわけじゃない。


なら、あの裂け目がやつらを自分の世界へ連れ戻せるなら、俺だって利用できる。


先頭にいた男も、同じ結論にたどり着いたらしい。


「行くぞ! こいつと戦っている場合じゃない! モタモタしていたら、ポータルが閉じる!」


三人は一斉に振り返り、光る裂け目へ向かって走り出した。


「おい」


カウンターの下に手を伸ばし、隠していた重いアイスカッターを取り出す。


「俺の朝を、ただの航法ミスでめちゃくちゃにしておいて……」


柄を強く握り、俺も後を追った。


「払わずに帰れると思うなよ」


三人の兵士が次々と光の裂け目へ消えていく。


俺も、その後を追って飛び込んだ。


「一銭残らず払ってもらうぞ」








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