大晦日の英会話
12月31日、大晦日。
光明神社の参道は、正月を迎える準備で華やいでいた。
しめ縄。
提灯。
甘酒の屋台。
初詣客を見越した仮設テント。
商店街の人間たちが忙しそうに動き回っている。
冷たい空気の中に、どこか浮き足立った年末独特の熱気があった。
午後3時ごろ。
『ワルン・クラサワ』のドアが開く。
「こんにちは」
敏夫だった。
店は年末年始休業に入っている。
入口には、
“年末年始休業 1月4日より営業”
という張り紙が出ていた。
「こんにちは。年末年始は休みにしたんだね」
「まあ、この時期にエスニック食べる人も少ないかなと思って」
グリフは笑う。
「あと、ジョコにも日本の正月の雰囲気見せたかったんですよ」
「なるほどね」
敏夫は店内を見回した。
客のいない店は少し広く感じる。
「でも、年末は結構入ってたみたいじゃないか」
「忙しそうで、入りづらかったよ」
「忘年会ですね」
グリフは肩をすくめた。
「“今年はちょっと変わった店でやろう”って人が多かったみたいです」
「意外とエスニック需要ありました」
「良かったじゃないか」
「はい。おかげで何とか年越せそうです」
敏夫は笑いながら席につく。
「“アマン”もかなり売れてるよ」
「この前、仙台の百貨店から追加来た」
「春子おばさん、また調子乗ってるんじゃないですか」
「乗ってる」
敏夫は即答した。
「この前、“クリームシチュー味アマン”試作してた」
グリフが真顔になる。
「……それは危険ですね」
「危険だった」
「職人さんたちも止めなかったんですか」
「止めたよ」
「でも春子さん、“食べてみないと分からない!”って」
「で?」
「不味かった」
2人で吹き出した。
「あと、“冷やしアマン”も冬にやろうとしてた」
「なんで冬に」
「本人いわく、“冬だからこそ冷たい物が逆に売れる”らしい」
「マーケティング理論なのか暴走なのか分かんないですね」
「最近、職人さんたちが諦め始めてる」
敏夫は苦笑した。
「“とりあえず1回やらせよう”って空気になってる」
「強いなぁ、春子おばさん……」
少し笑ったあと、敏夫は表情を戻した。
*
「……で、例のメガソーラーだけど」
空気が少し変わる。
グリフも頷いた。
「レポートにはしてあります」
「印刷します?」
「メールでデータ送ってくれてもいいけど」
「実はこのあと、武藤さんグループで集まりがあるんだ」
敏夫は時計を見た。
「その時、話題に出るかもしれない」
「概要だけ今教えてもらえるかな」
「詳しくは正月休みに読むよ」
「メールしておいて。念のため暗号化も頼む」
「分かりました」
グリフは頷いた。
「年明けから動き出すって言ってましたもんね」
そして少し間を置いた。
「……個人的には、“慎重姿勢”が望ましいと思います」
敏夫は静かに息を吐いた。
「……そうなるか」
「国全体で見れば、再エネ推進は良いことだと思います」
「でも、町単位で考えるとメリットが薄い」
グリフは続ける。
「今回の案件、“メガ”って付いてますけど、全国規模で見ればそこまで巨大じゃない」
「景観、環境、災害面……どれも“許容範囲”ではあると思います」
「ただ、“突っ込み要素”が多い」
「状況次第で、反対運動が大きくなる可能性があります」
敏夫は腕を組んだ。
「ただね、夏とは少し状況が変わってる」
「事業者側も色々考えてるみたいで」
「土地整備は、地元業者へ委託する方向らしい」
「その業者、武藤さんの支援者なんだ」
グリフは苦笑した。
「なるほど……そう来ますか」
「県にも根回し進めてる」
「県としては、“地元理解が得られれば許可”という方向みたいだ」
「武藤さんも、少し推進寄りになってる」
グリフは少し考え込んだ。
「……それでも危険な気がします」
「工場とか商業施設なら、利益を受ける人間の裾野が広がる」
「だから反対運動への心理的ブレーキも働く」
「でもメガソーラーは違う」
「着工前は静かでしょう」
「環境意識高い人が少し騒ぐ程度」
「でも、実際に工事始まった時のインパクトは大きいですよ」
敏夫は頷く。
「……じゃあ、着工を選挙後にすれば何とかなるかな」
「そこは難しいですね」
グリフはゆっくり答えた。
「自然保護団体の規模や動き次第です」
「もし、外部団体が署名程度なら、地元は“また変わった人たちが騒いでる”くらいで済むと思います」
「ただ……」
「ただ?」
「相手が、“金と時間を使う価値がある”って判断したら」
グリフの声が少し低くなる。
「人を動員できます」
「デモもできる」
「マスコミも呼べる」
「そうなると観光関係者は嫌がります」
「“イメージ悪化する前に止めてくれ”って陳情も出るでしょう」
「そうなると、町長のイメージは傷つく」
「でも、その時点で中止すれば、“英断した”って評価もあり得る」
「ただ今度は、施工側から見れば裏切りです」
「支援業者や団体も、“あの町長は信用できない”って離れるかもしれない」
敏夫は苦い顔になった。
「この町、組織票の比重大きいからな……」
「そうですね」
グリフは頷いた。
「だから、“触らぬ神に祟りなし”で行くのが安全だと思います」
敏夫はしばらく黙った。
店の外では、正月飾りを運ぶ人たちの声が聞こえる。
「……ただね」
敏夫が口を開く。
「牛山派も、今かなり割れてるんだ」
「後継争いしてる」
「場合によっては、向こうからこちらへ来る議員もいるかもしれない」
「そうすると、多少票落としても勝てる可能性が出てくる」
グリフは眉をひそめた。
「その情報、わざと流してる可能性は?」
「もちろん考えてる」
敏夫は即答した。
*
「ただ、信憑性はあるんだ」
「今日の会合にも、牛山派の有力町議が来るらしい」
「もし本当なら、その人の組織票はかなり大きい」
「メガソーラー絡みで多少票減っても、補える計算になる」
「なるほど……」
グリフはゆっくり頷いた。
「じゃあ、その建設会社に推進約束して、票を固めた方が得策ってことですか」
「そういうことだ」
敏夫はコーヒーを飲んだ。
「ただ、票の減少分なんて誰も正確には読めない」
「最後は、ベテラン政治家の経験と勘だよ」
グリフは少し考えた後、言った。
「……だったら」
「環境団体側にも、“逃げ道”作った方がいいかもしれませんね」
「逃げ道?」
「熊田は認める代わりに、別の里山保全へ補助出すとか」
「もちろん、“金出すから黙れ”とは言えないですけど」
「町から支援受けてるってなると、感情的には少し抑えられる」
敏夫は少し感心したように笑った。
「直人君、大人になったね」
「向こうの島で覚えたのかな」
「色々政治的なことやってたんだろう?」
「いやいや、大したことしてませんよ」
グリフは苦笑した。
「ただ、“綺麗事だけじゃ回らない”ってのは、肌感覚で分かりました」
「確かにね……」
敏夫は頷いた。
「団体も一枚岩じゃない」
「環境団体同士で競争もある」
「もし補助出すなら、“どこと手を組むか”も重要になる」
「選挙って、戦いなんですね」
グリフがぽつりと言う。
「敵味方の戦力を見て、どこと組むか考える」
「まあね」
敏夫は静かに笑った。
「勝つと負けるじゃ、雲泥の差だから」
「武藤さん負けたら、敏夫さんも厳しいんですか?」
敏夫は少し含みのある笑みを浮かべた。
「まあ、そうだが……」
「実は、そうでもない」
「ここだけの話だけどね」
「負けたら負けたで、やりようはある」
グリフは、その笑いを見て思った。
(……一枚岩じゃないのは、こっちも同じか)
店の外では、夕方の鐘が鳴っていた。
参道には提灯の灯りが少しずつ灯り始めている。
冬の空気は冷たい。
だが町全体は、どこか浮かれていた。
新しい年。
新しい選挙。
新しい利権。
その全部が、静かに動き始めているように、グリフには見えた。
***
年が明けた。
東北の冬は厳しい。
北竜川の水面には薄く氷が張り、朝は車のフロントガラスが白く凍る。
だが、光明神社は雪景色がよく映えた。
写真好きにはたまらないらしく、この時期でも観光客は意外と多かった。
グリフは敏夫から頼まれた調査を一通り終えていた。
それでも飲み歩くことは続いている。
店の宣伝効果が思った以上に大きかったこともある。
だが、それ以上に。
人と話すのが案外好きだった。
ルンザットでもそうだった。
村人と話し。
漁師と話し。
農民と話し。
政治の話もした。
人の考えを聞くのは面白い。
それは日本に戻っても変わらなかった。
*
ある土曜日の午後だった。
光明神社の参道は観光客で賑わっている。
雪は降っていなかったが空気は冷たい。
グリフは商店街を歩いていた。
すると前方から怒鳴り声が聞こえた。
「だから分がんねぇんだって!」
土産物店の店主だった。
相手は外国人観光客。
30代くらいの欧米人夫婦。
お互い困り果てた顔をしている。
グリフは少し離れた場所で様子を見た。
どうやら喧嘩ではない。
単純に会話が通じていないだけらしい。
外国人男性が何度もメニューを指さしている。
店主は何度も首を横に振っている。
グリフは近づいた。
「どうしました?」
店主が振り返る。
「ああ、直人くん!」
「助けてくれ!」
「何言ってるのか全然分がんねぇ!」
外国人男性は、救世主を見つけたような顔になった。
「Oh! Do you speak English?」
(おお! 英語が話せるのか?)
「A little. What's the problem?」
(少しなら。どうしました?)
男性は安心したように説明を始めた。
「We're vegan. We don't eat meat, fish, eggs, or dairy products.」
(私たちはビーガンです。肉も魚も卵も乳製品も食べません。)
「We're looking for something we can eat.」
(食べられるものを探しているんです。)
グリフは思わず少し感心した。
(ビーガンか……)
東京なら珍しくない。
だが倉沢ではかなりレアだった。
グリフは店主へ向き直る。
「肉だけじゃなくて、魚も卵も牛乳もダメなんだって」
店主は固まった。
「魚も!?」
「はい」
「卵も!?」
「はい」
「じゃあ何食うんだ!?」
グリフは肩をすくめた。
「俺に言われても」
外国人夫婦は不安そうにこちらを見ている。
グリフは店の商品を確認した。
漬物。
せんべい。
まんじゅう。
ようかん。
「これと、これなら大丈夫そうですね」
グリフは英語で説明する。
「These rice crackers are okay.」
(このせんべいは大丈夫です。)
「And this sweet bean jelly should be vegan too.」
(このようかんもビーガンだと思います。)
夫婦の表情が明るくなった。
「Great! Thank you!」
(素晴らしい!ありがとう!)
会計を終えると、2人は何度も頭を下げて去っていった。
店主は大きく息を吐いた。
「助かったぁ……」
そして真顔になる。
「直人くん」
「はい」
「英語教えてくれ」
「はい?」
「最近、外国人増えてんだ」
店主は真剣だった。
「毎回お前が都合よく歩いてるわけじゃねぇべ」
すると隣で話を聞いていた土産物店の店主も入ってくる。
「俺も習いてぇ」
「外国人来ると緊張するんだよ」
さらに。
向かいのそば屋の主人も。
「“Thank you”しか分がんねぇ」
和菓子屋の女将も。
「うちにも来るのよ」
気づけば5、6人集まっていた。
グリフは少し困った。
「いや、俺、英語教師じゃないですよ」
「いいから!」
「観光英会話でいい!」
「注文取るだけでいい!」
「道案内だけでいい!」
みんな本気だった。
*
数日後。
ワルン・クラサワ。
閉店後。
夜8時。
店内には商店街の店主たちが集まっていた。
上村まで来ている。
「なんでお前いるんだよ」
「面白そうだから」
「英語使わねぇだろ」
「使わねぇ」
総一郎まで来ていた。
「じいちゃんも?」
「海外進出じゃ」
「何のだよ」
ジョコは腹を抱えて笑っていた。
黒板代わりに使うホワイトボードを見ながら、グリフはため息をつく。
「じゃあ、まず自己紹介から」
店主たちは一斉に緊張した。
「My name is~」
と言っただけで大騒ぎになる。
だが、みんな妙に楽しそうだった。
グリフは思った。
(なんか面倒なことになったな……)
だが同時に。
(まぁ、こういうの嫌いじゃないか)
とも思った。
外では雪が静かに降り始めていた。
その夜から。
週1回の商店街英会話教室が始まった。
***
倉沢にも、ようやく春の気配が見え始めていた。
北竜川の雪は消え、川沿いにはふきのとうが顔を出している。
光明神社の参道にも観光客が戻り始めていた。
店も順調だった。
爆発的な人気ではない。
だが、確実に客が増えている。
観光客。
地元客。
英会話教室の生徒。
口コミ。
その全部が少しずつ効いていた。
グリフは藤田製菓の事務所でパソコンを閉じた。
今日の受注処理は終わった。
時計を見る。
午後4時前。
(やばいな)
(そろそろ帰らないと仕込みが間に合わん)
ジョコも成長しているとはいえ、まだ店の要はグリフだ。
帰ろうとしたところで、事務所のドアが開いた。
敏夫だった。
少し疲れた顔をしている。
最近、町議会も忙しいらしい。
「お疲れ様です」
グリフは立ち上がる。
「先に上がりますね」
「いつも手伝ってもらって申し訳ない」
敏夫は苦笑した。
「店も忙しくなってきてるようなのに、大丈夫かい」
「大丈夫ですよ」
グリフは鞄を肩にかける。
「ジョコもかなり仕事早くなりましたから」
「そうか」
敏夫は頷く。
「でも、そろそろきついんじゃないかな」
「春子にもパソコン覚えてもらえればいいんだが……」
2人とも無言になる。
その可能性は低い。
非常に低い。
「商品開発に夢中で、戻ってきそうにない」
「なので、事務員を雇おうかとも思ってるんだ」
「ただね」
敏夫は少し困ったように笑った。
「直人君、注文の捌き方が上手いんだよ」
「ただパソコンできる人じゃ代わりにならない」
「いやいや」
グリフは手を振る。
「まだ大丈夫です」
「そうかい」
敏夫は頷いた。
「でも負担減るようには考えてみるよ」
「引き留めてすまない」
「お疲れさ――」
その瞬間。
勢いよくドアが開いた。
春子だった。
「直人ー!」
嫌な予感がした。
グリフは帰り支度を止めた。
「……はい」
「もう帰るの?」
「最近早いわね」
「店あるんで」
「そうよね」
春子は頷いた。
そして急に笑顔になった。
「あ、そうそう!」
嫌な予感が強くなる。
「私の友達、お店行ったんだけど」
「美味しかったって!」
「ありがとうございます」
「だからね」
春子は拳を握った。
「コラボしましょう!」
「コ……」
グリフは固まる。
「コラボですか?」
「そう!」
「うちは和菓子屋!」
「あなたはエスニック!」
「つまり!」
なぜかドヤ顔になる。
「エスニックまんじゅうよ!」
グリフは目を閉じた。
敏夫も目を閉じた。
「いや……」
「具体的には?」
「ナシゴレンを中に入れる!」
「却下」
即答だった。
「早い!」
「早いですよ」
「絶対ダメでしょう」
「じゃあ、トムヤムクンまんじゅう!」
「もっとダメです」
「どうしてよ!」
「汁物ですよ」
春子は腕を組む。
「じゃあ、カレーまん!」
グリフは少し考えた。
「それは普通にありですね」
春子の目が光る。
「でしょ!」
「ただ、それ中華まんですよ」
「和菓子じゃない」
「細かいこと気にしない!」
敏夫が呟いた。
「それで今まで生きてきたんだよな……」
春子はさらに盛り上がる。
「じゃあさ!」
「アマンの中にココナッツ入れる!」
「いや」
「マンゴー!」
「いや」
「パクチー!」
「絶対売れない」
「なんで!」
「好き嫌いが激しすぎます」
春子は本気で悩み始めた。
「じゃあどうする?」
グリフは時計を見た。
4時10分。
まずい。
本当にまずい。
仕込みがある。
ジョコが待っている。
この話は長引く。
経験上わかる。
春子のアイデア会議は止まらない。
「……じゃあ」
グリフは諦めた。
「試作品だけ作ってみましょう」
「本当!?」
春子が飛び跳ねた。
「やった!」
「直人が賛成した!」
「いや、賛成じゃなくて試作です」
「うんうん」
聞いていない。
もう試作決定である。
「じゃあ職人に考えさせる!」
「今から?」
「今から!」
春子は走って出ていった。
ドアが閉まる。
静寂。
敏夫とグリフが顔を見合わせる。
「……」
「……」
敏夫が呟く。
「ごめん」
「いや、慣れてます」
グリフは遠い目をした。
*
ようやく帰ろうとした時。
敏夫が思い出したように声をかける。
「あ、直人君」
「はい?」
「また相談があるんだ」
「店に行くよ」
グリフは頷く。
「今日は英会話の日なんですよ」
「終わるの9時くらいになります」
「え?」
敏夫が目を丸くする。
「英会話なんて始めたの?」
「始まりました」
「勝手に」
「誰が教えてるの?」
「僕です」
敏夫は少し考えた。
「……君、本当に何屋なんだ」
「最近、自分でも分からなくなってきました」
敏夫は笑った。
「じゃあ明日の夜にしよう」
「わかりました」
「お待ちしてます」
事務所を出ると、外は少し暖かかった。
参道では観光客が歩き、遠くから神社の境内放送が聞こえてくる。
春は近い。
店も少しずつ軌道に乗ってきた。
英会話教室も続いている。
政治の話もまだ終わっていない。
そして今度は、春子が何かとんでもない試作品を作り始めるらしい。
グリフはため息をついた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
ルンザットにいた頃のような命懸けの問題はない。
その代わりに、
和菓子屋のおばさんがパクチー入りアマンを作ろうとしている。
(……平和って、こういうことかもしれんな)
そう思いながら、グリフは店へ向かって歩き出した。




