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第1話 没落

 ぐぅ~ぎゅるぎゅるぎゅる。


 「あ~、お腹空いたぁ~」


 ボクはオパール・イオネル。男爵家の息子だ。

 本当は元気な5歳児なんだけど、いまはお腹が空きすぎて大きなソファの上にちんまりと座り、背中を丸めて両手でお腹を押さえている。

 

 ボクは育ちざかりなのに、なんでこんなことになったかなぁ。

 

 ここはとっても豪華なイオネル男爵家の屋敷の一室。

 季節は、お花咲き乱れる春。

 天気もいいし、風も穏やか。

 窓からそよそよと入ってくる風は爽やかで……とてもいい匂いがする。

 クンクン。

 庭は荒れ放題だけど、森が近くにあるから自然に咲いた花の匂いが屋敷に流れ込んでくるよ。

 

 ぐぅ~。


 ああ、お腹空いた。

 甘くていい匂いがすると、余計にお腹が空いちゃうよ。


 ぎゅぅ~、ぐるぐるぐる。

 

 ボクのお腹が空腹を訴えて騒いでいる。

 あぁ。

 お腹が空きすぎて、死にそうぅぅっ。

 

 イオネル男爵家は、爵位は低いけどお金持ち。


 ……だったはずなんだけど。


「あぁ、ごめんよ。オパール。お父さまが悪い人に騙されてしまったばかりに……」


 そうなの。

 お父さまであるイオネル男爵が、悪い大人に騙されてしまったのだ。

 そのせいで我が家の金庫はすっからかん。

 台所の食糧庫もすっからかん。


「ごめんなさいね、オパール。お母さまの宝石はあるけれど、すぐに現金化はできないし……」


 そうなの。

 宝石はキラキラ光って綺麗だけど、食べられない。


 青い空には太陽が昇っていて、普段ならお昼ご飯の時間だ。

 だけど食べるものはない。

 

 もう春だから暖かい。

 いまは屋敷のなかにいるし、寒いということはない。

 だけどお腹が空いているから、薄っすら寒いよーな気がするなぁ。

 

 いまボクたちは屋敷の応接間に集まっている。

 イオネル男爵家の調度品は高級品でいかにもお高そう。

 けれど、手持ちのお金がないと食べ物は買えないよ。


「あぁ。おいたわしや、坊ちゃま」


 執事服に身を包んだ爺や(ジェイ)が、ボクを覗き込んでポロポロと涙をこぼした。


 長い白髪をオールバックにして後ろでひとつにくくっているジェイ(執事)は、使用人だけどボクのことを孫のように可愛がってくれている。

 

 ボクは深い青色のサラサラ髪とキラキラの瞳を持った、整った顔立ちの少年だもの。

 そりゃ可愛いよね。

 特にぷくぷくのもちもちほっぺは好評です。

 すべすべだし、自分で触っても気持ちいいよぉ。

 それにボクは表情豊かで利発な子だから可愛いんだって。

 肌色は白いけど、広い広い庭を駆け回ったりしているから、程よく日に焼けていて健康的。


 でも今は、お腹が空きすぎて反応できないや。


 大人たちはソファーの前に立ち、ボクを心配そうに見下ろしている。

 

「ああ、オパール。可哀そうに。せっかくの可愛くて気持ちの良いもちもちほっぺがなくなってしまったらどうしましょう」


 お母さまが右手でボクの頬を優しく撫でる。

 お母さまの手、大好き。

 えーい。頬を擦り付けちゃえ。すりすり。


 ボクのちょっとお茶目な行動に、お母さまは再びポロポロと涙を流し、それを左手に持ったハンカチで拭っている。


「ジェイも、ごめんなさいね。あなたにまで迷惑をかけて」

「とんでもございません、奥さま。本来なら食料など、つけで買えますものを。ワタクシの力が足りないばかりに……」


 しくしく泣いているお母さまが、ジェイに向かって謝っている。

 だけどジェイは逆にお母さまへ謝っているよ。

 ごめんなさい大会だね。


 でもボク知ってるんだ。

 屋敷の使用人たちが、この家は『没落』したんだって、こそこそ言っていたのを。

 えっとねぇ。『没落』すると破滅して落ちぶれてお終いなんだって。

 だからね。

 使用人たちが次々に辞めてしまって、いま残っている使用人は執事であるジェイひとりだけなんだ。

 この屋敷は広いからね。

 維持するだけでも大変。

 だから前と比べたら、ちょっとだけ汚くなっている。

 だからボクは『没落』って大変なんだな、と理解した。

 

 ……ん、ごめん。

 やっぱりよくわからないや。


 お金がないっていっても、この屋敷には、お金に換えられそうな財産がまだいっぱいあるのに、ご飯がないのはなぜ?


「私が事業に失敗したから……」


 申し訳なさそうに言うお父さまの言葉を、ジェイは頭を振って否定した。

 

「いえ、旦那さま。旦那さまのせいではありませんよ。どうせマラカイト伯爵が、また邪魔をしたのでしょう。今回の『つけが利かない』ことだって、マラカイト伯爵が裏で手をまわしているに違いありません。貴族がつけで物を買うなんて当たり前のことです。それができないなんて変ですよ」


 ジェイがプンプンしながら言うのを聞いて、お母さまが溜息を吐いた。

 

「ああ、マラカイト伯爵。あの人、いつになったらわたくしのことを諦めてくれるのかしら? わたくしは、もう二人目を身ごもっているというのに」


 お母さまが自分のお腹を撫でながら嘆いている。

 お母さまのお腹の中には、ボクの弟か妹が入ってるんだ。楽しみだね。

 でも『没落』っていうの?

 この状態だと赤ちゃんが生まれてくるのを安心して待っていられないよね。

 

 マラカイト伯爵という人をボクは知らないけれど、みんなが言うことには、お母さまを手に入れようと我が家に悪いことを仕掛けてくる悪い人なんだって。


 お母さまに片思いをしているらしいけど、好きなら優しくしないと嫌われちゃうのは当然のことだよね。

 大人なのに、それが分からないなんて変なの。

 ボク、子どもだから分からないや。


 お父さまがお母さまの肩をそっと抱くと、情けなさそうに口を開く。


「すまない、ペリドット。私が事業に失敗したばかりに君にも苦労をかけて……」

「あなた。それは言わない約束でしょ?」


 お母さまがお父さまをたしなめている。

 そんなお母さまのお腹はとても大きい。

 赤ちゃんが今にも出てきそうだ。

 ボクのお腹もペコペコだけど、お母さまだって何も食べてない。

 当然、赤ちゃんのお腹もペコペコだよね?

 それはとてもとてもごめんなさいなことだよ。

 

 ボクは妹か弟ができるのを、とっても、とっても楽しみにしていたのに。


 ごめんね、妹か弟。

 お兄さまは、お腹が空いて死にそうです。

 君もお腹がペコペコだと思うけど、お兄さまは君が生まれる前にお腹空きすぎ病でしんでしまうかもしれません。


 お母さまがお父さまに謝っている。

 

「ごめんなさいね、あなた。わたくしが魅力的なばかりに」

「あぁ、ペリドット。我が愛しの妻よ。美しすぎるのは罪ではないよ。私が頼りなくてごめんね」

「そんなことはないわ、あなた。わたくしは、あなたの側がいいの。よりによってこんなときに、頼りになりすぎるお父さまがいらっしゃらないなんて。いつもなら余計なことにまで首を突っ込んでくるのに、必要な時にいないのは辛いわ」


 お母さまが嘆いている。


 お母さまのお父さまは、ボクのお爺さまだよ。

 お爺さまは、手広く商売をしていてお金持ちなんだ。


「悪賢いマラカイト伯爵は、お義父さまの留守を狙って仕掛けてきたんだ」


 お父さまが悔しそうに唇を嚙んでいる。


「奥さま。しかもマラカイト伯爵は、奥さまのお父上であるマスグラバイト男爵さまが、旅先で亡くなったという嘘の噂を流しているようです」

「まぁ! 本当なの、ジェイ⁉」


 お母さまがジェイの言葉に驚いている。

 そうだよね。

 お爺さまが亡くなったなんて、とんでもない嘘だ。


 お爺さまはやり手の商売人かつ有能な冒険者なんだよ。

 まだ王国と取引のない僻地へ行って、商売を始めちゃうすごい人なんだ。

 そんなお爺さまが死ぬわけない。


 だいたいお爺さまが亡くなったら、赤の他人のマラカイト伯爵よりも、身内であるボクたちのほうが早くお知らせを受け取るに決まっているじゃないか。

 変な噂を流さないでよ。ぷんぷん。


 ジェイが申し訳なさそうな表情で説明している。

 

「はい、奥さま。だから商売人たちはマラカイト伯爵の顔色を窺って、このお屋敷のつけを認めてくれないのです」

「ああ、なんてこと」


 お母さまがびっくり仰天しているよ。

 あんまり驚くと、お腹の赤ちゃんもびっくりしちゃうよ。


 ジェイも心配しながらお母さまへ話しかけている。

 

「落ち着いてください、奥さま。奥さまは普通の状態ではありませんから、お耳に入らないよう気を配っていたのです。ですが、それがかえって事態を悪化させるとは……」


 シュンとうなだれたジェイに、お父さまが話しかけた。

 

「ジェイ、それは私の指示でもあるのだから、お前が責任を感じることはない」

「旦那さま……」


 お父さまがジェイを慰めている。

 お母さまはしくしく泣いている。

 ボクはお腹が空いている。

 気を使いあうことで、事態を悪化させちゃったみたいだね。

 

 あぁ、お腹空いた~。

 ボク、お腹空いていると、キチンと考えられないんだよねぇ~。

 もともと5歳児だし、あんまり頭よくないし。

 なんかもう分かんない。

 ボク、このまま死んじゃうのかな?


「ガクッ」


 ボクは自分の口で音をたてながら、もちもちほっぺをガクッと左肩側に大きく落とした。

 もうねぇ、ソファの背もたれに背中を預けているのもキツイや。

 寝転がっちゃえ。


 ソファの上はフカフカだから、倒れるように寝そべったけど痛くないよ。

 でもなんか、眠いっていうか、気が遠くなるような感じだ。

 

「坊ちゃま⁉」

「オパール⁉」

「オパールッ! いやぁぁぁぁっ!」


 賑やかな大人たちの叫び声を聞きながら、ボクは意識を手放した。

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