3 騎士ガールの居場所
食事の後、イリナとアルットゥは、淑女部のブースへと赴いた。
「あ!来てくださったのね。こちらへどうぞ」
オイビィがニコニコと二人を椅子へ案内した。そこには、エルネスティもいた。
「護衛の都合でな、オイビィ王女の所属部につきあっているんだ」
イリナには、エルネスティの言葉がなぜか言い訳に聞こえてしまった。
『そんなことは、知っているわ。わざわざ言わなくてもいいのに。いったい何を私に伝えたいの?ああ、事務報告だわ。私とカールロが警備係なのは知っているのですもの』
イリナはエルネスティに言い訳されたらされたで、イヤな気持ちになるようだ。
「イリナ嬢!」
エルネスティは思考の彼方にいたイリナを呼び戻す。
「あ、はいっ!わかっています!」
イリナとアルットゥに、オイビィがお手伝いをしてくれるご令嬢とともに、紅茶を振る舞ってくれる。
イリナとアルットゥの前に並べられたのは、とても小さなカップで蓋がしてある。それが3つ。
「まずは、右側からどうぞ」
「おっ、うまいな!オイビィ、茶なんていつ入れられるようになったんだ」
王女がお茶をいれることなど早々ない。アルットゥが驚くのもよくわかる。
「ふふ、淑女部のみなさんに習いましたのよ。とっても楽しい部ですの」
オイビィは周りで忙しそうにしているご令嬢たちを眩しそうに見た。オイビィがこの文化部をとても楽しんでいることがよくわかる。
「これは、サッパリしていて、飲みやすいですね」
イリナが目を細めて、息をついた。本当に美味しい。その表情を見たお手伝いのご令嬢が立ちくらみしていた。エルネスティはそれを目の端に捉えた。そして、顔半分を手で隠して、驚きを隠していた。イリナがご令嬢たちに人気であることは、ヘンリッキから聞いていたエルネスティだが、目の当たりにするとさすがにびっくりする。
「では、真ん中をどうぞ」
エルネスティの視線など気にせず、オイビィが笑顔で進めていく。ご令嬢たちも喜んで手伝っている。
「これは、香り高い」
蓋をとった瞬間に高貴な香りが漂う。
「うん、素晴らしいですね。これだけ雑味のない香りだすのは、技術もありますよ」
イリナも笑顔でアルットゥに賛同した。イリナの褒め言葉に、オイビィもそしてお手伝いのご令嬢たちも大喜びだ。
「左側をどうぞ」
オイビィが笑顔のまま、次をすすめた。
「これも、うまい!オレンジが入っているのか?」
「そうですね。フルーティな香りがいいですね」
イリナは何度もカップに鼻を近づけて、香りを楽しんだ。
「ね、お茶といっても、違いますでしょ。エルネスティ王子は、お砂糖を入れてお飲みになりましたのよ。ふふふ」
「オイビィ王女、秘密だと申しておるだろう」
エルネスティは、オイビィの頭にコツンと拳をおいた。
『っ!私はあんなことされたことがないかも』イリナの笑顔が少し曇った。
オイビィとふざけあっていたエルネスティには、そのイリナが目に入っていなかった。
「ふふ、そうでしたわ」
オイビィは、そう言いながら、ペロッと舌を出して、両目をキュッとつぶった。それから、イリナに向き直った。そんなオイビィの可愛らしい仕草を、イリナは少し羨ましく思った。
「イリナ様は、どれがお好みでしたか?」
「このフルーティな紅茶が好きですね」
イリナはもう一度、カップの香りを楽しむ。
「今日は、オレンジですが、いろいろあるようですの。今度、生徒会室でお入れしますわね」
オイビィが嬉しそうに約束をしてきた。
「楽しみにしてます」
アルットゥは、真ん中の香りのよい物が好みだったようだ。
こうして文化祭は、終わっていった。
後日、生徒会室に、たくさんのフルーツ茶が贈られてきたときには、エルネスティは本気で驚きを隠せなかった。アルットゥに香り高い紅茶が贈られたという話は聞いていない。つまり、イリナの人気は、少なくともアルットゥ以上だ。
イリナは、その贈り物たちを、不思議そうに見ていた。
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文化祭の余韻も冷めたころ、
「イリナ嬢、しばらく企画もないから、生徒会は休みにする。また企画がはじまったら召集するので、その時は頼む」
「エルネスティ王子殿下、畏まりました」
今朝、エルネスティにそう言われたイリナであったが、忘れ物を取りに、放課後、生徒会室に行った。
イリナが生徒会室に入ろうとすると、誰もいないはずの生徒会室に、多くの笑い声が聞こえた。エルネスティとヨエルとカールロ、アルットゥ、それからオイビィであった。イリナは、なぜかそこへ入ってはならない気がして、踵を返した。
『あれ?私、なぜ入らなかったんだろう?荷物を取りに行っただけなのだから、入ったらよかったんだわ。でも、私のいないあの楽しそうな空間にどういう顔で入ればいいの?私、今までどうやって入っていたのだったかしら?』
イリナは、思考の彼方に行ったまま、足を動かし、生徒会室から離れて行った。
イリナの反対側から、ヘンリッキが生徒会へ向かっており、イリナの背中を見て、不思議そうな顔をしていた。
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ある日の学園のテラス席。いつもの二人がお茶をしている。
「あら?ずいぶん元気がありませんのね。どうなさいましたの?」
クリスタはイリナの顔を覗き込んだ。いつもより、笑顔でない感じがした。
「なんかね、ひっかかりを感じるの。その正体がわからなくて…」
眉根を寄せたイリナは、一度持ったカップを皿に戻し、それもテーブルに戻す。お茶をゆっくりと、という雰囲気でもないらしい。
「あら?もしかして、文化祭あたりからかしら?」
イリナとは正反対に、クリスタは口角を上げて質問した。
「ええ、そうよ。なぜわかるの?」
イリナは、目を丸くしてクリスタを見た。クリスタがお茶を口に運ぶ。イリナは、少しじれったく感じた。イリナが人のお茶時間をそう感じたのは初めてで、イリナのひっかかりを増やしていった。
「ふふ。いい傾向なのかもしれないですわね」
文化祭でエルネスティとオイビィが護衛の都合でずっと一緒だったのは、生徒はみんな知っている。クリスタには、それが原因の1つだと確信がある。
クリスタは、お茶をテーブルにおいて、イリナの目をジッと見た。
「ねぇ、イリナ。そのひっかかりって、気持ちを言葉にできる?」
イリナは、首を傾げた。イリナの中にこれを表現する言葉は、見当たらない。
「それって、モヤモヤした感じ?」
クリスタがにっこりとした。イリナは、あまりにもピッタリな言葉に何度も頷いた。
「ふふふ、イリナったら、可愛らしいですわね」
クリスタが慈愛の瞳でイリナを見つめた。離れたところから、悲鳴が聞こえた。
「どうしたら、消えるのかしら?」
「まずは、自分の気持ちに向き合う必要があるのだと思いますわ」
「自分の気持ち、かぁ。隠したりしてないと思うのよ」
「そうですわね。『隠してる』ではなく、『気がついてない』のでしょうね」
クリスタが皿を持ち上げた。
「考えてみるわ」
イリナも皿を持ち上げた。二人でカップに口をつける。イリナは、頭の中でクリスタの言葉を反芻する。
「反対にあちらもそう感じてると思いますのよ。どちらが先になるのかしら?」
「え?何?」
イリナは思考の彼方にいて、クリスタの言葉を聞き逃した。
「ふふふ、いい風が吹きそうなのですわ。きっと、イリナには必要な、風ですわ。」
クリスタは、なんとなく遠くを見据えていた。イリナはそんなクリスタの姿に首を傾げるしかできなかった。
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クラスという概念のない学園では、朝は、学食や図書室などに集まっていることが多い。イリナたちも例外ではない。イリナが馬車寄せまで、オイビィとアルットゥを迎えに行くと、まずは学食に向かい、その後、授業へ行くことにしている。
いつも待ち合わせ場所にしているテーブルへ行くと、いつものメンバーがすで待っている。オイビィは、いつものように、エルネスティの隣に座って話を始めた。イリナは、なんとなく居場所がないように感じてしまった。
「クリスタに渡したい物があるの。クリスタと話してくるわね」
イリナは、なんとなく言い訳をして、その場を離れた。
『今まで、あそこでどんな話をしていたかしら?私の居場所は、あそこだったかしら?』
自分にとって、当たり前だった場所が変化してしまったことに戸惑っているとは、当の本人は、わかっていない。
それでも、翌日からは、気を取り直して、その場にいるようにはなった。だが、放課後の生徒会室には、足は向かないイリナなのだ。
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年末の学園パーティーの企画準備が始まることになった。
「イリナ、年末パーティーの警備の相談があるんだ。それに、他にも準備がある。今日からしばらく生徒会室へ来てくれるか?」
カールロに誘われて、イリナは放課後ならと、承諾した。
何もなかったかのように生徒会5人とオイビィとアルットゥで生徒会室に集まるようになった。
文化祭準備の際には、アルットゥはイリナによく質問していたのだが、いつの間に仲良くなったのか、アルットゥはヨエルと一緒にいることが多くなっていた。イリナにとっては、それもまた生徒会室に居心地の悪さを感じる要因となり、イリナは生徒会の仕事以外では生徒会室に近付かなくなっていった。
それでも、パーティーまでは仕事があるので、それなりに行っていた。
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その日、料理の係であるエルネスティとオイビィとヘンリッキが、料理人との話し合いのため、席を外していた。アルットゥとヨエルは、テーブルの配置や照明について、話をしている。
イリナとカールロは、当日の警備について、話をしていた。
「今年もこのパーティーに自警団を使うのは、流石に無理だろうな」
「そうね。自警団は全く楽しめないことになってしまうもの。王立騎士団から数名と近衛騎士団から数名、毎年のことだから問題ないとは思うわ」
イリナは、去年までの記録をめくりながらノートに人数等を書き込んでいった。
「だが、3年前、王女殿下のいらっしゃる時に、無関係者が侵入していただろ。王女殿下に抱きつこうとしたのだろう?あれから警備が変わっていないのは、問題だろう」
カールロが、3年前の資料を開いて、事件の内容部分を、トントンと、叩いた。イリナは以前目を通したところだが、一応確認のためもう一度読んで見る。問題点は書かれているが、改善策は立てられていない。
「そうなのよ。生徒を把握しなければならないと思うの」
二人はいったん、話を中断して、それぞれに考えてみる。先に声を出したのは、イリナだった。
「ねえ、文化部の名簿を使うのはどうかな?チェックも文化部でお願いすれば、近衛を増やすこともないわ」
カールロは、イリナの意見に手を打った。
「それ、いいじゃないか。それなら、文化部に入っている者でないと会場に入れないことになるな。そうだ、参加のピンを作って、チェックを通ったら、それをつけるっていうのはどうだ?」
「それなら、手首にリボンの方がわかりやすいと思うけど」
それから二人であれこれ考えてみたが、この案については、みんなで話しあうことにした。
「後は、オイビィ王女殿下と誰が踊るかだな。エルスは、決まりだとして、誰でもオッケーというわけには、いかないだろう?」
「それは、ご本人に、後で確認してみないとわからないわね」
そうやって話しているところに、学食へ行っていた3人が帰ってきた。
「イリナ様、聞いてくださいませ。エルネスティ王子殿下ったら、甘い物についての質問ばかりなさいますのよ」
オイビィが笑いながらイリナに報告する。
『っ!』
エルネスティが甘味好きなのは、あまり知られていないことだ。もちろん、イリナは知っているのだが。
「そう。エルネスティ王子殿下は、甘い物がお好きなのかもしれませんね」
「ええ、そうみたい。ふふふ、料理人さんたちに、取り置きをお願いしておりましたのよ。お可愛らしいお方ですわね」
『っ!『お可愛らしいお方』か…。そうね。王子殿下には、そういう面も確かにあるわ。あまり知られていないけど』
イリナは、自分だけが知っていたはずのことをオイビィに知られてしまったような気持ちになった。
「オイビィ王女、もうそれくらいでやめてくれ。それは内緒だと、料理人にも言ったであろう」
『内緒、かぁ』
「とにかく、料理の確認は済みました。そちらは、どうですか?」
ヘンリッキは事務的に話を進めていく。
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