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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
一章 暗殺集団『飛燕』
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また朝はやってくる


 朝になった。血の飛沫があちこちに見られる宮殿の広間で、ヒュバルはジュランを抱きかかえていた。その死に顔はとても穏やかだ。ヒュバルは何も言葉を発すること無く、抱きしめては声もなく涙を流す。

 

 「ヒュバル様…。何か口になさりませんか」

 

 ハクがイスファターナ兵が分けてくれたパンを差し出した。

 

 「…ごめん」

 「…左様ですか」

 

 ヒュバルだけではなく、飛燕の多数が放心状態となっていた。どこかでジュランに憧れ、彼の時に見せる温かい一面に惹かれていた。それを失った悲しみは計り知れない。

 

 「キフィルニア殿下は、貴殿しか信じられる者はいないと言っていたけれど、多くの者に好かれていたんだ。これは本当に一生の誇りにしていい」

 

 シュワームが話しかけてきた。

 

 「さて、君はどうする?私は君を頼まれているが、この様子では他の者たちは希望も見出せず、生きてはいけないだろう。君は殿下の弟だっただけか?それだけではなく彼の心を一番知っていたはずだ。君にしかやれないことがあると思うがどうだろう」

 「…」

 

 ヒュバルはシュワームの言葉を聞いて、ようやく宮殿の中を見ることができた。壁に寄りかかって俯く者、泣く者、配給のパンを意味もなく口に運ぶ者。悲しいのはは何も自分だけではないのだ。


 ヒュバルはジュランの手を握った。


 (俺にやれることがあるのなら…)


 

 「…飛燕の者に告ぐ。みんな、よく聞いてくれ」

 

 ヒュバルの凛とした声は広場に響き渡った。 それまで俯いていた者も、なんとか忘れたいと口にパンを頬張る者も一同がヒュバルを見た。

 

 「…もう飛燕は存在しない。青蘭様がお亡くなりになった悲しみを忘れはしない。だが、その悲しみに留まり続けることを青蘭様はお望みではないはずだ…」


 (気を抜くと声が震えそうだ。兄さんはいつもこんな重圧の中で生きていたのか)


 「…これは提案なんだが、今ここに一つの組織を作りたい。これからみんなが暮らしていくための情報を、必要となる人間にそれぞれに伝え合うための組織。名は……虚空きょくう。何も妨げるものがなく、すべての者の存在する場所、という意味だ。我々は自由になった。これまでの行いの償いも、新しい未来も共に背負う仲間の名前だ。もちろん、参加は皆の決断に委ねる」

 

 それに一番早く答えたのはハクだった。彼の武器である短剣を床に置き、膝をついてヒュバルの前に頭を垂れた。

 

 「賛同いたします、ヒュバル様」

 「私も。賛同いたします、ヒュバル様」

 

 セシルがそれに続くと、他の飛燕達も二人に習った。 この時点で、すでに主従の関係が出来上がっている。本来十四にしか満たないヒュバルのしてみせたことはシュワームが予測していたものをはるかに超えていた。

 

 「私からひとつ、いいかな」

 

 シュワームは言った。

 

 「虚空として生きるだけでは、やはり金などもいるだろうし、生活は立ち行かない。差し出がましいことかもしれないが希望するものにはイスファターナでの仕事先を提供しよう。 私にできるせめてものこととして、これから立ち上がろうとしてる君たちのその勇気に期待しているんだ」

 「ありがとうございます、シュワーム様」

 

 ヒュバルは頭を下げた。

 

 「いや、これくらいのことはさせてくれ。今日この場にいる人間として」

 

 シュワームはあらゆるつてを当たってくれると言った。イスファターナ帝の右腕の伝なら信頼もできるだろう。

 

 「ヒュバル様…」

 

 セシルが言った。

 

 「シュワーム様さえよろしければ、虚空に入っていただけたらどうかと。イスファターナの宮殿の情報が欲しいっていう訳じゃないですよ。今回、この宮殿で戦い、生き残った人間はもう家族も同然。お立場上、情報が必要なときには我々が提供します。いかがでしょう」

 

 セシルの案に、皆が頷いた。

 

 「シュワーム様。どうやら総意のようですが、あなた様にも入っていただけませんでしょうか」

 

 驚きを隠せないシュワームであったが、やがて感謝と共に虚空の一員となった。

 

 

 




 「シュワーム様、イスファターナに海と星が見えて、人気の少ないところはありませんか」

 

 イスファターナに向かう途中、ヒュバルは言った。結局叶わぬ夢となったが、ジュランの墓の場所はその望みを叶えられる場所に作りたかった。

 

 「…少し行った先に私が陛下に与えられた屋敷がある。海も近いし、星も見える。利用することは無いに等しいが、そこなら手入れも入る。君さえよければそこを使ってくれ」

 

 そうして一行は イスファターナの都イスファルの手前にある屋敷により、そこでジュランを埋葬した。

 

 「私の名前を言えばいつでもここに入れるようにしておく」

 「ありがとうございます」

 

 昨日の大雨から一転して晴れた空。帝国に住んでいた虚空の人間で海を知る者は少ない。大きく開かれた庭園の先に見えるイスファターナの海は、痛いほどに眩しく光っていた。

 

 「兄さん、これが海です。そしてここはお母上の故郷でしたね。兄さんは帝国を愛しておられたかもしれないですが、森の離宮の仕事の前に語った夢を少しでも実現したかったんです」

 

 皇帝を止めてほしいと言ったジュランも、忘れろと言ったジュランも、どちらも本音だったのだろう。ジュランは復讐の人生にヒュバルが身を投じることを望まなかったのだ。恨みを糧に生きることこそ悲しい人生はない。

 

 「ヒュバル君、そろそろ行こうか」

 

 シュワームが呼びに来た。すると、ヒュバルの表情から何かを察したのか、ヒュバルの肩に手をおいた。

 

 「君はこれから、どうしたい」

 「…わかりません」

 「では一つ、これは君次第だが…」

 

 少し考えながら言うシュワームを、ヒュバルはじっと見る。

 

 「…私には妻がいるのだが、子供に恵まれなかった。妻はそれを何かと気にしている。私は仕事上、家にいないことが多く、妻を気遣ってやれない。そこで君に我が家の養子になってほしい」

 「…養子」

 「もちろん君にもご両親がいるだろうから無理にとは言わない」

 「 いえ、私はこの身体を売られた身の上ですから家族はもういません。唯一私を可愛がってくれたと記憶している祖父も、イスファターナでの旅行中に事故で亡くなって、家族との繋がりはこの祖父の懐中時計しか…」

 

 ヒュバルが時計を取り出すと、シュワームは驚いてその装飾を見た。

 

 「…君のおじいさんの名前は?」

 「…わかりません。私が売られる前に亡くなっていたので、私が相当幼い頃だったと思います。家族を思い出すこともなかったので…」

 

 シュワームはヒュバルから時計を預かると、やがて納得して頷いた。

 

 「―ジルサ。それが君のおじいさんの名前だよ」

 「えっ?」

 「 ここに古代文字でこう書いてある。

 『愛する娘リリーとその息子ヒュバルに愛の女神の加護を―ジルサ』

 確か帝国には懐中時計に細工をして大事な人守るという風習があったな。昔これを見たときは古代文字は読めなかったから何の細工か分からなかったけど、ジルサさん、ご家族を大事にしていたんだね」

 

 ヒュバルは時計を眺める。

 

 「祖父を知っているんですか」

 「うん。ジルサ=シュタートって有名な歴史研究家だ。彼がイスファターナに来ていたとき、彼の本の支持者だった私は、彼を屋敷に泊めたんだ。しかし、数日後の雨の日に馬車にひかれてしまって…。この懐中時計を届けてほしいと言われて、必死に家を探したよ。君がジルサさんの孫だとは思わなかったが」

 

 ヒュバルは時計の細工を指でなぞってみた。

 

 「…これは文字なんですよね」

 「大陸古代文字という、帝国もイスファターナもソウェスフィリナもブルデリアという一つの国にまとまっていた頃の文字だ。読める人間は少ないだろうね」

 

 知らないことはたくさんある。その事をヒュバルは再認識した。知っていることと知らないことの数倍生きる糧になる。

 

 「シュワーム様、私を養子にしてくださったら、あらゆることを学ばせていただけませんか。今回のことも皇帝が何を考えていたのか、兄さんが望んだ世界がどのようなものなのかも、私は知っているようでその本質を何も知らない。知りたいんです。学んだそれらがあなたのお役に立てるかはわからないけれど、兄さんはあなたの考えを高く評価していました。あなたならそれはできると…兄さんが見ていた世界の一端に触れてみたいんです」

 

 知りたいという欲求―シュワームはかつての自分とヒュバルを重ねていた。 田舎に生まれた故に学ぶことを許されず、家を飛び出し放浪しながらわずかな金で本を買った、若かりし頃の自分の姿を。

 

 「…学べばきっと見えてくるものがある。私の役に立つかどうかは考えなくていい。楽しんで学びなさい。今日から君はグリュネール家の人間だ」

 

 その日、虚空のみんなはシュワームの別邸に泊まることになり、ヒュバルはみんなとしばしの別れを告げた。

 

 「お帰りなさい、シュワーム」

 

 屋敷の扉を開いて出迎えたのは、小柄で可愛らしい、陽気な夫人。

 

 「あら?その子はどうしたの?」

 「ハサキ、少し話がある」

 

 ハサキ夫人はシュワームから話を聞いて最初は戸惑っていたが、納得するとまるで母親のように接してくれた。

 

 「ヒィバル、夕食は口に合うかしら?」

 

 夫人は帝国の言葉が苦手らしく、ヒュバルと発音するのが難しいようだ。

 

 「はい、とても美味しいです」

 「…また間違っているぞ、ハサキ」

 「あら、ごめんなさい!」

 

 帝国はイスファターナの北東に位置する。寒さのためにそうなったのか、考えてみると口の開きが狭い。それに対して南に位置するイスファターナの言葉は口の開きが大きい。イスファターナの言葉に慣れ親しんだ夫人が苦手なのは当然だった。

 

 「いっそ、別の名前をつけてもいいかもな」

 

 シュワームが言う。

 

 「あら、それはだめよ。私が話せるようになればいいだけのことだし」

 「私は構いません。お二人にはよくしていただいています。そのお二人に特別に名前をいただけると、私も嬉しいです」

 

 するとハサキ夫人はヒュバルに抱きついた。

 

 「もう、なんてかわいいの!」

 

 それをシュワームが呆れた様子で諌める。

 

 「こら、ハサキ。ヒュバルも困るだろう…しかしそうだなぁ…」

 

 シュワームはしばらく考え込んで席を立つと、部屋を出て一冊の本を手にして戻ってきた。

 

 「ナフカって名前はどうだ?」

 「ナフカですか」

 「君のおじいさん、ジルサ=シュタートの名著『飛翔するナフカ』という本から名前をいただく。ナフカは伝説の龍の名前だ。人間を嫌いながら、どこか憎めずに最後はある王朝の始祖の力になるんだ」

 「そんなにすごい龍から名前をいただいておそれ多いと言いますか…」

 「君のおじいさんは喜ぶと思うよ。それに、グリュネールの人間の名前はそれくらい奇抜でいいんだ」

 

 後日、話を聞くとどうやらグリュネールというイスファターナ帝がつけた名前にも、たいそうな意味があるのだとか。

 ヒュバルはこの日からナフカ=グリュネールという新しい名前で新しい人生を生きている。

 忘れられないことも、許されないことも、冒してきた過去を消すことはできない。それを悔いて何もしないことの方が罪だと最近は思う。

 今、グリュネール家で幸せな日々を過ごしていること、たくさん日々の学びがあること。ナフカはそれが楽しくて仕方がない。ジュランはこれを聞いて何と言うだろう。

 出会いが道を作っていく。誰が時を定めるのか、未知なる運命はナフカを新たな時代に引き込もうとしている。

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