シーン 126
夕方。
ペオは約束通り薬を持って帰ってきた。
この薬が本物という事を証明するサイン入りの証書も持参している。
証書には、処方の方法と使用上の注意点も記載されていた。
ペオの話によれば、指示通りに処方すれば良くなるだろうとの事だ。
ちなみにガウエスはまだ我が家に居た。
理由はペオが持ち帰った薬を本物かどうか確かめるため。
僕は初めから心配していなかったが、彼は懐疑的だった。
しかし、証書を見た彼はまたしても驚き、完全に言葉を失った。
あまり綺麗な文字ではないが、証書と薬の小瓶に貼られたラベルの筆跡から、この薬が本物で間違いようだ。
「…信じられない。間違いなく師匠の字だ」
「しかしペオ、よく手に入ったな?」
「実は、直接お宅を訪問したんです。ガウエスさんの師匠、つまりルーカスさんは不在でしたが、代わりに奥様が対応してくれました。奥様は勉強熱心な方なので、ルーカスさんと同じくらい毒の知識を持っているんですよ」
「そうなのか?それで、代金はどうしたんだ?申告してくれればちゃんと支払うぞ」
「心配には及びません。陛下の様態を伝えたら“タダ”で分けてもらえました」
それを聞いて少し呆れてしまった。
そもそも、“毒物”を含めて薬品は扱いがとても難しい。
仮に、専門的な知識が無い者が扱えば、重大な事故になりかねない。
それに、この世界の技術や設備ではあまり精度も高くはない
そのため、“解毒剤”を作るにも同様の手間と時間が掛かってしまう。
彼が貰ってきた小瓶一つでも、金貨数枚はくだらない高価なものだ。
いくら皇帝が一大事とは言え、それなりの対価を要求されても不思議ではない。
一体どんな魔法を使って手に入れたのか、とても気になるところだが、あえて聞かないのも主としての務めだと思う。
きっと、何らかの情報を提供して、対価を相殺してきたのだろう。
「とりあえず、これを使えば解毒出来るだよな?」
「はい、間違いありません!」
ペオは胸を張って答えた。
ここまで言い切る姿は見ていて気持ちがいい。
それでこそペオだ。
「じゃあ、すぐにこの薬を陛下に届ける。ペオ、お前も一緒に着いてきてくれ。処方の仕方を聞いてきたお前が居れば安心だ」
「わかりました!すぐに支度します」
そう言って彼は自室に消えていった。
思えば彼は初めて宮殿に入る。
そのため、身なりを整えようということらしい。
普段着でも十分に上等な衣装だが、今回ばかりは持っている物の中で特別仕立てのいい、いわゆる“余所行き”の服を着て帰ってきた。
一見すれ貴族の息子にも見える。
衣装もそうだが、生まれもっての整った顔立ちは、将来“イケメン”の有望株だ。
また十三歳という若さを忘れさせるほど、振る舞いには落ち着きがある。
一体、どんな人生を歩めば彼のようになれるのか。
背中に刻まれた痛々しい傷を思えば、僕の想像が及ばないほど、過酷な道のりだったのだろう。
だが、そのおかげで今の彼がある。
今は僕の大切な家族の一員だ。
「準備が整いました。僕はいつでも出られます」
「わかった。それと、ガウエス。お前は帰っていいぞ、ご苦労だった」
それを聞いてガウエスは両手を強く握りしめた。
表情には決意のようなものが浮かんでいる。
「…差し支えなければ、一緒に宮殿へ連れて行ってください」
「一緒に?」
「はい。師匠が調合した薬の効果をこの目で確かめたいんです。ただ、お邪魔であれば無理にとは…」
言い終える頃には語気が弱くなっていた。
絞り出すような言葉だったが、真剣な表情も見られたため、気持ちに偽りはなさそうだ。
もし、邪な考えがあれば、人心の掌握に長けたペオがいち早く気が付くだろう。
チラリと横目に見たが、特に何かを察知した様子はない。
「…そうだな。下手な真似さえしなければ、特に断る理由もない。それを十分理解していれば連れて行ってやる」
「はい、もちろんです!」
大会の時とは違い、とても聞き分けが良い返事だ。
どちらの姿が本物なのか少し疑問だが、僕は今の姿の方が好きだ。
一生懸命という言葉がよく似合うほど、表情が生き生きとしている。
彼の同行を許可し、外出先から帰ってきたサフラに事情を話して宮殿に向かった。
皇帝の寝室では、ずっと傍らを離れなかったアルマハウドが出迎えてくれた。
あれから特に容態の変化はないらしい。
それでも、満足に食事が食べられないため、体力的に厳しい状態が続いている。
一刻も早い解毒が必要だった。
「アルマハウド、陛下の毒を解毒出来る薬が手には入った!急いで治療を始める」
彼はそれを聞いて表情を明るくした。
彼にしてみれば、待ちに待った吉報というヤツだ。
そんな彼の顔を良く見ると、目の下に隈が出来ていた。
どうやら昨日から一睡もしていないらしい。
いくら丈夫な身体を持っていても、眠らないのは相当辛いはずだ。
それに、昨日受けた内臓へのダメージも癒えていない。
これでは皇帝が助かる前に彼が倒れてしまう。
それでも、彼は気丈に振舞い、治療に差し支えないようベッドサイドを明け渡してくれた。
「ペオ、お前一人で対応出来るのか?」
「証書の指示内容を見れば出来ると思います。きっと、レイジ様にも出来ますよ?」
「いや、お前は手先が器用だからな。俺がやるより適任だ」
「ありがとうございます」
彼はそう言って腕を捲った。
証書に書かれた内容に目を落とすと、薬を使用する方法は二つある。
一つは薬液を口から直接飲ませる方法。
もう一つは注射器を使って、静脈に注入する方法だ。
前者と後者の違いは薬が効く時間らしい。
後者は直接血液中に送り込むため、即効性が高いようだ。
しかし、それには注射器が必要になる。
ペオは初めから前者で対応するつもりだったため、注射器を持っていなかった。
ペオは小瓶の蓋を開け、皇帝に飲まそうとすると、それを見ていたガウエスが声をあげた。
「…ペオさん、ここに注射器がある。薬液を直接送り込んだ方が効果すぐに現れやすい」
「え…でも、僕、注射器なんてしたことありませんよ?」
ペオは突然の申し出に混乱してしまった。
普段あまり見ることのない顔だ。
彼は回答に困り、視線を泳がせて僕に助けを求めてきた。
こういう時は主の出番というヤツだ。
「…確かに、直接血液の中に入れた方が効果的だろうな。だが、ペオには無理だ。もちろん俺にも出来ない。それに、便りの医者は席を外している。この状況でどうするつもりだ?」
「…僕がやります!やらせてください。絶対に成功させます」
「信用出来ん!何かあってからでは遅いんだぞ!!」
治療の様子を後ろで見ていたアルマハウドが声を荒げた。
彼にしてみれば皇帝は自分の命と同等か、それ以上に大切な人だ。
だから、“失敗した”では済まされない。
そのため、誰にでも出来る前者を希望していた。
ただ、問題は薬が効くまでの時間だ。
薬を口から摂取した場合、薬が効くまで半日近くかかる。
そのため、待っている間に容態が悪化するというリスクもあった。
ガウエスはそれを考えた上で、後者を提案している。
また、“一か八か”というほど成功率が低いわけではないと説明を添えた。
「アルマハウド、落ち着け。ガウエスの話を聞こう。結論を出すのはその後でもいいだろ?」
「しかし…」
「お前は陛下の事になると周りが見えなくなる。悪い癖だぞ?」
「…すまん」
彼は自分の落ち度を認めて謝罪した。
実際、最終的な判断はガウエスの話を聞いてからでも遅くはないし、その内容に納得できなければ、当初の予定通り前者を採用すればいい。
「初めに質問だ。注射の経験は?」
「主に、自分が毒を受けた時、自らの腕に注射が出来ます。こちらの成功率は百パーセントです」
「じゃあ、他人には?」
「正直言って、片手で数える程度です。ですが、一度も失敗したことはありません。それに、人にもよりますが、静脈は青く見えるので、手元が狂わなければ間違いは起こりません」
「…と、言ってるが?」
体格のわりに少し臆病なところがあるアルマハウドに目配せをした。
話を聞いている間、眉間にシワを寄せて腕を組んでいる。
彼の事だから、信憑性の高い話でも、頭ごなしに否定するつもりだろう。
「信用出来んな。何より、この男は何者なのだ?」
「あぁ、紹介がまだだったな。以前、俺が大会の本戦で戦った男だ。覚えてないか?」
「いや、申し訳ないが覚えがない」
「そっか。まあいい、問題はそこではないからな。この解毒剤を作った人物の弟子だ。それなりに名の通った毒のエキスパートだよ」
「毒のエキスパート…まさか、師匠というのはルーカス殿か?」
「はい。ルーカスは私の師です」
「…そういう事か。ようやく話が繋がった。そうか、ルーカス殿は弟子を取っていたんだな」
それを聞いてアルマハウドは一人で納得してしまった。
彼も師匠であるルーカスという人物を知っているらしい。
名前を聞いただけで納得をしたところを見ると、その筋ではかなり有名人なのだろう。
「…それで、お許しいただけませんか?」
「ルーカス殿の弟子というなら断る理由もない…よろしく頼む」
「と、言うわけだ。ガウエス、頼む」
アルマハウドの許可を貰い、ガウエスはベッドサイドに移動した。
皇帝の袖を捲くり、真剣な表情で腕を見詰めている。
そして、ガウエスはポシェットの中から別の小瓶と布を取り出した。
「ガウエス、それは?」
「エタノールです。これで腕を消毒し、それから注射します」
「なるほど…スーッとするヤツだな。アレは何度やっても好きになれないんだよな…」
前世で予防接種を受けた時の記憶が甦った。
鼻を突くアルコールの臭は何度嗅いでも好きにはなれない。
スーッとする感覚も、これから“注射をします!”という宣告をされているようで、あまり気分のいいものではなかった。
「男爵はエタノールをご存知なのですか?」
「ん?普通だろ、それくらい」
「いえ、これは精製がとても難しく、知っている者はあまり多くありません。師匠以外の方で知っているのは男爵が初めてです」
「そうなのか?」
ペオとアルマハウドに視線を移して確認してみたが、首を横に振るばかりだった。
同時に、何か珍しい物を見る目で見つめられている。
ただ、前世の知識だと説明したら妙に納得されてしまった。
僕が転生者だと知っている二人に説明する場合、これ以上の理由はない。
「そっか…。まあいい、余計な話をしたな。続けてくれ」
ガウエスは小瓶の蓋を開けると、部屋の中に微かなアルコールの匂いがした。
やはり、この臭いには抵抗がある。
彼は慣れた手つきで消毒を済ませると、慎重に針の先を腕に刺した。
その瞬間、眠っていた皇帝が痛みで呻いて身体が動いた。
しかし、チクリとする痛みは一瞬だ。
「…終わりました。成功です」
「やったか!でかしたぞ」
「ありがとうございます。大変栄誉な役目をいただき、こちらこそ感謝しています」
あとは薬が効いてくるのを待つだけだ。
いくら即効性があるとは言え、数秒で解毒できるわけではない。
ガウエスによれば、早ければ数分で効果が現われるだろうと付け加えた。
余談ですが、風邪を引きました。身体が火照ってかなりヤバイです。(汗)
そういえば明日は“金環日食”ですね。
天気予報によれば、どうやら曇りなので見られそうにないですが…。
ご意見・ご感想・誤字脱字の指摘があればよろしくお願いします。




