シーン 108
広場での休憩が終わった。
束の間の休息は必要だ。
緊張が続けば無意識に力が入り、何もしていなくても疲れてしまう。
もちろん、休憩中ずっと警戒を解いていたわけではなく、危険が迫ればすぐに対応出来る準備は出来ている。
馬車は轍に沿って森を進んだ。
グリプトンの襲撃以来、特に何事もなく、生き物の気配さえ感じない。
忘れかけていた平穏な時間に感謝した。
「…レイジ、人だ!」
ニーナが声をあげた。
急いで御者台に移動すると、進行方向に数人の人影が見える。
みんな同じ格好で、白いパジャマのような姿だった。
遠くから見ても不気味で、幽霊かと思うほど虚ろな目をしている。
それでも、ちゃんと足があり、幽霊でないことは明らかだった。
「…こんな森の中に人?」
「移送された信者が逃げ出してきたのかもしれないな。武器は持っていないからあのままにしておくのは危険だ」
「そうだな。驚かせないようゆっくり近付く」
ニーナは馬をゆっくりと歩かせ、人影の方に近付いていった。
人影の数は全部で六人。
表情に生気はなく、みんな疲れきった顔をしている。
僕は彼らの手前で馬車を止めさせ、外に出て六人に声をかけた。
「こんな所でどうしました?」
「…逃げてきました」
集団のリーダーと思われる若い男性が口を開いた。
疲れているのか言葉に覇気はない。
集団を見てみると男女が三人ずつで、みんな若い印象だ。
この世界の常識で言えば、働き盛りの若者と言ったところか。
「逃げて来たってどこから?」
「…森の奥にある廃坑です。他にも仲間が捕らわれています」
「廃坑…ホリンズの根城か!」
「ホ、ホリンズ!?」
男性は怯えたように肩を震わせた。
他の面々も同様だ。
何か恐ろしい体験をしてきたらしい。
トラウマを思い出し、一瞬で恐怖が電波して六人を支配した。
「ここは危険だ。とりあえず馬車の中へ」
先を急ぐのは大切だが、彼らを見捨てるわけにはいかない。
彼らをどこか安全な場所に移す必要がある。
出来ればどこかの町に届けなければならない。
そんな事を思った時だった。
突然、一人の女性が膝から崩れ落ちた。
身体を痙攣させ錯乱状態になり、苦しそうな声をあげ始めた。
「レイジ、そいつらから離れろ!」
「…え?」
アルマハウドの声が聞こえた瞬間、女性は白目をむいて悶絶すると、背中の筋肉が急激に盛り上がり始めた。
背中は異常に膨れ上がり、骨格が異様に歪んでいく。
目を疑うような光景に目を奪われてしまった。
女性は数秒も経たないうちに、人の姿から獅子の身体に変わり、背中にはコウモリの羽が生え、尻尾はサソリの尾という怪物に変わった。
「レイジ、危ないッ!」
呆けてしまった僕の前にサフラが立ち塞がった。
次の瞬間、怪物はサフラに目掛けて突進攻撃を加え、彼女の身体が宙を舞った。
「サ、サフラーーーッ!?」
僕は頭の中が真っ白になり、無意識に目の前の怪物に向けて拳銃の弾を連射した。
怪物は顔面の原形を留めないほど穴だらけになり動かなくなった。
「レイジ、サフラちゃんを連れて馬車に戻れ!こいつらも同じだ!」
ニーナに指摘されて周りを見ると、他の五人も身体の変化が始まっていた。
僕は慌ててサフラを抱き上げ、ニーナの待つ馬車に駆け込んだ。
幸い怪我は軽傷で気絶しているだけだった。
ニーナに彼女を預け、セシルとアルマハウドの三人で迎撃に向かった。
残りの五人も先ほどの怪物と同じ姿に変わり、すでに僕らを取り囲んでいる。
気を許せば一斉に襲い掛かってくるだろう。
馬車の中にはサフラたちが居るため、できる限り被害を少なくしなければならない。
「馬車に近付けるな!絶対に死守するんだ」
変化した影響なのか、怪物たちは非常に気性が荒い。
飢えた獣のように、僕らを獲物として認識しているようだ。
数の面では“三対五”と不利な状況で、手薄になった二体がそのまま馬車を襲う危険性がある。
まずは馬車から遠ざける方法を考えなければいけない。
獅子の身体をした怪物なら、猫科の動物のように素早く動き回る可能性がある。
素早さに対応するには、取り回しが便利な拳銃の方が扱いやすい。
それに、最初の一体を倒した時のように、拳銃でも倒せる事は実証済みだ。
僕は二人が戦いやすいよう銃で牽制しつつ、怪物を馬車から遠ざけるよう仕向けた。
「二人とも、援護する!各個撃破するんだ」
怪物の機動力を奪うため、馬車に近い順番から数発ずつ弾を浴びせる。
弾を当てる事が最優先のため、思ったように急所には当たらず、一発ずつのダメージは致命傷には繋がらない。
それでも怪物を怯ませるには十分で、動きが鈍くなった敵から順に二人は斬り掛かっていった。
一体ずつの強さはそれほど脅威ではなく、弱ったところへ一太刀浴びせれば倒せる程度だ。
アルマハウドは大振りに剣を横薙にすると、同時に二体の怪物を斬り捨てた。
剣のリーチが長いため、重さを生かした一撃は恐ろしい破壊力がある。
セシルも目の前の怪物に対し、雷を帯びた刃で斬りかかると、怪物を一瞬で消し炭なった。
僕は残ったか怪物に狙いを定め、額に目掛けて何発も弾を撃ち込んだ。
最後の一体は逃げ出そうと背中を向けたため、セシルは飛び上がり直上から脳天を串刺しにして仕留めた。
後に残ったのは恐ろしい怪物たちの死体だけ。
周囲の気配を探ってみたが、近くに敵はいないようだ。
「…一体何だったんだ。何で人が化け物になるんだよ!」
「落ち着け、レイジ。きっとその答えはこの先に待っているはずだ」
アルマハウドは冷静だった。
僕がこの隊のリーダーなのに情けない。
動揺した心を抑えるため、両手で頬を強く叩いた。
「…すまない。少し動揺しただけだ。大丈夫、落ち着いたよ」
「それにしても、人間が化け物になるなんて聞いたことがない。ホリンズと言う男は一体何者なんだ?」
「…転生者だ」
「転生者…?」
僕はポツリと呟いた。
隠していてもいずれ分かる事だ。
馬車を見ると目を覚ましたサフラがこちらを見ていた。
彼女の無事がわかると自然に安堵の溜め息が漏れた。
「とりあえず馬車に戻ろう」
馬車に戻ったところで本題に入った。
まず、僕がどういう存在なのか詳しく説明するところからだ。
故郷が地球であること、ここへ来た経緯、前世の記憶がある事など詳細は多岐にわたる。
それを聞いた面々は目を丸くした。
彼らにしてみれば、僕が突飛な事を言っていると感じただろう。
そんな中でもサフラだけは疑う事なく、僕を真っ直ぐ見つめている。
転生者にまつわる話が終わり、ホリンズが僕と同じ境遇である事も告げた。
「…俄かに信じられんな」
説明を聞き終わって尚、アルマハウドは話を飲み込めずにいた。
言葉だけで事実を伝えるのは難しいが、決して嘘は言っていない。
彼の気持ちが分かるだけに、強引に納得させようとは思ってはいない。
「じゃあ、レイジは別の星の人なんだね」
「厳密に言えばそうなるかな。いや、どちらかと言えば記憶だけが残っていて、身体は別なのかもしれない。前世の俺は何処にでもいる普通の学生だったからな。こんなに強い身体じゃなかったんだ」
「そうなんだ。私はレイジの言葉を信じるよ。でも不思議。そうやって言われて、今までのレイジがしてきた事を思い出したら納得しちゃった」
サフラは頷いて一人で感心している。
こんな事を言って嫌われるのではないかと不安だったが、取り越し苦労だったらしい。
サフラが納得した事でニーナとセシルも何とか話が飲み込めたようだ。
残るはアルマハウドだけだが、彼はずっと難しい顔をしている。
「仮にだ…仮にホリンズがお前の言う転生者だとして、勝ち目がありそうか?私の見立てでは、ヤツはお前以上の実力と叡智を持っているように思うが」
アルマハウドは眉間にシワを寄せている。
まだ完全に納得した様子ではないが、僕の率直な意見が聞きたいらしい。
「…隠しても仕方がないからハッキリ言う。可能性は限りなく低い。いや、むしろゼロに近いかもしれない。ただ、これはあくまでも、俺が一人でヤツに挑んだ場合の話だ。だけど、みんなが協力してくれれば、その可能性は限りなく成功に近付くと思う」
「…そうか。わかった、それがお前の意志なんだな。転生者の話、これはまだ私の中で飲み込みきれていないが…お前を疑っているわけじゃないんだ。気を悪くしないでくれ」
アルマハウドは遠い目をした。
彼自身、自分の目で見たモノしか信じられないタイプだ。
完全に納得するには時間がかかるだろう。
「…それで、ホリンズと言う男が転生者なら、かなりの曲者だな。今倒した怪物にしても、グリプトンにしても、ヤツが作ったモノと見て間違いないだろう」
ニーナは冷静になって怪物の死体を眺めた。
元々、彼らは人間だったのか、それとも怪物が人の姿に化けていたのかの判断がつかない。
少なくとも人語を操り会話が出来たところを見ると、前者の可能性が高いだろうか。
「この先は慎重に進む必要があるな。レイジ、御者を代わってくれないか?私には少し荷が重い」
「わかった。お前は荷台で休んでいろ。それと、サフラの事も頼む」
「レイジ、いつでも戦える準備をしておけ。どんな罠が仕掛けられているかわからない。おかしな物を見つけても迂闊に近付くなよ」
アルマハウドがアドバイスをくれた。
この先は何が起きてもおかしくはない。
「…セシル、どうした?」
先ほどから一言も喋らない彼女のことが気になった。
何か悩んでいる事があるなら共有しておく必要がある。
「いや…大丈夫だ。少し考え事をしていただけだ」
「そうか?気になることがあったら言えよ」
「あぁ、心配してくれてありがとう。さて、気合を入れていくぞ」
セシルは気持ちを入れ替えて御者台に移動した。
彼女のナビゲートと索敵能力は非常に頼りになる。
セシルは森に入ってからずっと、微かに殺気を放ち続けているため、彼女の気配を感じ取った亜人や魔物たちは、事前に危険を察知して近寄ってこないらしい。
僕が探れる範囲で敵の気配を感じなかったのは、彼女が敵を遠ざけていたからだった。
おかげで旅が楽に出来ている。
だからと言って気を抜くわけではない。
心なしか手綱を握る手にも力が篭った。
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