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口だけ勇者 ~剣も魔法も使えないので、言葉だけで異世界をひっくり返す~  作者: はなたろう
第3章 王都

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第48話 燃える盤面

 階下、一階店舗の分厚い扉が、何者かによって乱暴に蹴り破られる轟音が、夜の静寂を切り裂いた。

 怒号と、金属の鎧が擦れる甲高い音が、階段の下から一気に押し寄せてくる。


「な、なんだ!?」

 ノクトが弾かれたように立ち上がり、腰の短剣に手を伸ばした。


 俺は、瞬間――息を呑んだ。

 ほんの一拍。心臓がひとつ強く打つだけの時間。

 だが、その一拍の中で、内側で何かが冷えていく感覚があった。

 盤面が動いたのではない。動かされたのだ。俺の想定よりわずかに早く、相手の方から。


「動くなッ! 王国軍だ!」


 階段を踏み鳴らして上がり込んできたのは、重武装の王国騎士たちだった。

 抜身の剣が、ランプの灯りを反射して鈍く光る。土足で踏み荒らされた床板が、ぎし、と痛々しく軋んだ。


「な、何よあんたたち! 営業時間は終わってるわよ!」

 リーシャが立ち塞がろうとするのを、ノクトが慌てて後ろに引き下がらせる。

 ガランの太い喉から、低く獣じみた唸りが漏れた。彼の巨腕がわずかに膨張し、剣の柄に触れかけた瞬間――俺は手でそれを制した。

 ガランの動きが、ぴたりと止まる。だが、その牙はまだ、むかれたままだった。


 騎士たちの背後から、ゼクスの側近らしき高慢な顔つきの文官が進み出た。

 鼻の高い、痩せた中年。仕立ての良いローブの裾が、床を撫でていく。

 彼は羊皮紙の巻物を広げ、感情のない声で読み上げ始めた。


「王命により通達する! 勇者レオン、魔導師エレーヌ、聖職者イリアの三名は、本日付で王子ゼクス殿下の直属部隊に編入された。よって、以後彼らとの私的な接触を一切禁ずる!」


「なんだと……!?」

 ノクトが息を呑む。


 文官は冷笑を浮かべ、さらに言葉を続けた。

「また、王都南部のスラム街全域において、悪魔の瘴気が確認された。衛生および治安維持の観点から、三日後の正午をもって、当該地域を『全面焼却処分』とする。近隣の者は速やかに退避せよ!」


 リーシャの顔が引きつった。


「軍の動員と魔導師の準備に必要な、最低限の刻限だ」

 文官は鼻先で笑った。

「逆に言えば、それより一日でも遅らせる気は毛頭ない、ということだ」


 そして、彼は付け足した。一言だけ、声を低くして。

「――ふん。薄汚い路地裏ごと、ひと晩で一掃だ。せいせいしますな」


 ノクトの肩が震えた。

 ガランの喉が、もう一度、低く唸る。


 スラムの焼却。

 その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍りついた。


「嘘でしょ……スラムには、まだ数え切れないくらいの人が……それに、うちの物流倉庫だってあるのよ!?」

 リーシャが血相を変えて叫ぶ。


「私の工房もあるが、補償はされるんだろうな?」

 ミレナが淡々と言う。


「ある訳ないだろう」

 文官は冷たく言い放つ。


「補償もなく焼き払うだと? ふざけるな!」

 ガランが怒号を上げ、巨体を震わせた。床板が、ぎし、と軋む。


 だが、俺は微動だにせず、ただテーブルの上に置かれた羊皮紙の通達書を見つめていた。

 頭の中には、すでに三つの像が同時に浮かび上がっていた。


 ひとつは、燃え落ちる物流倉庫と工房。獣人たちが鎖を外され、「誇り」を胸に行き来していた、王都の新しいあの風景。

 ひとつは、エレーヌ。あの夜の独白から察するに、彼女が最も恐れているのは自分の魔法そのものだ。その恐怖を、王命という鎖で強制的に再演させられる。

 そしてひとつは――王立図書館の片隅で、インクで指を黒く染めながら、たった一人で「存在しない人々」を文字に繋ぎ止めていた、あの少女。フローラ王女。


(……なるほど。勇者を人質に取り、俺の物流網と、フローラの「戸籍」が眠る場所ごと燃やす気か)

 しかも、その火を放つのはエレーヌ。かつてのトラウマをえぐり、彼女の心を完全に破壊する、一石三鳥の非情な手だ。


 俺の頭の中の机では、すでに、無数の条文と帳簿が、音もなく開かれ始めていた。

 文官と騎士たちは、俺たちが絶望に打ちひしがれる様を確認するように鼻を鳴らすと、乱暴な足取りで店を出て行った。階下の扉が、わざとらしく強く閉じられる音が響いた。


 静寂が戻った事務所で、皆の視線が俺に突き刺さる。

 リーシャの瞳には、怒りと、その奥に隠しきれない不安。

 ノクトの顔色は、見たことがないほど青い。

 ガランは剣の柄を強く握ったまま、ただ俺の答えを待っていた。


「ゼン……どうする気だ。このままじゃ、勇者たちも、スラムの連中も……」

 ノクトの声が震えていた。


 俺は、ゆっくりと息を吐き出し、テーブルの上の通達書を手に取った。

 王国の絶対的な暴力。盤面をひっくり返そうとした代償として、システム側が放ってきた最大のカウンター。


「……やはり、来たか」

 俺は呟き、わずかに口角を上げた。


 王城からの強権的な介入。

 それは、俺たちの経済侵略が「急所」を突いていたという、何よりの証明だ。

 そして、相手が動いてくれた以上、これは反撃ではなく――こちらが先に仕掛けた攻めの、二手目に過ぎない。


「ゼ、ゼン……?」

 リーシャが、俺の顔を見て後ずさった。

 俺は、天井を見上げ、反撃の手順の思考を巡らす。


「三日だ」

 俺は通達書をテーブルに放り投げ、全員を見渡した。


「三日後の正午までに、ゼクス王子のこの『完璧な盤面』を、へし折る」


 リーシャが息を呑む。

 ノクトが唾を飲み込む音だけが、やけに大きく聞こえた。


「ゼン、お前……まさか、勝算があるのか」

 ノクトが、ようやく声を絞り出した。


 俺は、その問いには答えなかった。

 答えは、まだこの場で口にしていい段階にない。盤上に駒を並べきってから初めて、確信として声に出せるものだ。

 代わりに、テーブルの端に置かれていた一枚の羊皮紙――ノクトがフローラ姫の手記から書き写した、スラムの住人たちの名前と年齢が並ぶ、あの一覧――その一枚を、指先でそっと拾い上げた。

 ランプの灯りに透かす。

 フローラ姫の手記には恐らく、何百という名前が、命を持った文字として、そこに並んでいる。


(殿下。あなたが指を黒く染めながら書き溜めたものを、灰にはさせない)


 俺は胸の中だけで、まだ言葉も交わしたことに等しいかどうかも怪しい少女に向けて呟いた。

 そして、口元の冷たい笑みを、ほんのわずか、深くした。

 ランプの炎が、わずかに揺れる。

 窓の外、王都の南、何も知らずに眠るスラム街の上空にだけ、薄い雲がゆっくりとかかっていた。


 夜は、まだ二日と半分残っている。


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