第32話 文明を動かす者
また、あの男がミナを…! いったい、男の目的は?
収穫が始まって、納税が終わる一か月の間、暑い夏の中、三人の定期便担当はかなり神経を使って働いた。
若者を助っ人にした策はうまくいき、若者もよく働いてくれたので、農家には大変喜ばれた。
その間、バンリオル商会のための納入もしたし、試しに始めた貴族の館向けの不定期の便も少しだが納入した。
なんとか予定をすべてこなすことができたのだ。そして、やっと普通のサイクルでの日々が戻ってきた。
トージャーが楽しみにしている、バンリオルとの正式契約は、間もなくのはずである。
ミナはレイと共にプライク商会への納入を済ませて、レイをイーロイのところに残し、また一人で市場をゆっくりと歩いていた。
「おや、ミナさんではありませんか? お久しぶりです!」
後ろから声を掛けられ、振り向くと、こげ茶色の髪の若い男がいた。185センチくらいだろうか。上等な襟付きのシャツに吊りバンドのズボンをはいている。ニコニコしてミナを見ている。
「え? どちら様でしょうか…」
ミナはまったく思い出せなかった。「お久しぶり」と言われるようなお友達はいない。
「もうお忘れですか? リックですよ。ほら、飯屋を経営している…」
「飯屋…? ああ! あのお芝居の…」
ミナは両手をポンと合わせて、彼のことを思い出した。1か月半も前のことだ。忘れてしまっても仕方がない。
「なんですか? お芝居って」
リックは驚いた顔をしていたが、ミナはあきれたような顔をして答えた。
「昼ごはんを営業していないのに、営業しているフリをして、私に変な質問をした方ですね」
男は目を丸くした。
「えっ…、そんなふうに思っていたんですね」
「違います?」
フンとばかり、ミナはさっさと歩こうとした。なんだかあやしい男なのだから仕方がない。
あの後、ミナはよく考えるとわざと水を掛けられたのだと悟ったのだ。
「お待ちください!」
リックはミナの手を握って引き留めた。
「なんでしょう?」
わざと迷惑そうな顔で振り返って、リックをにらむ。
「あ、あの…。ちょっとご相談がありまして…」
「なんでしょう? 私がお役に立てるとは思いませんが…」
気のないミナを見て、リックは少し焦った。
「あ、そうだ。お連れがいるのでしたよね。お連れもご一緒にお食事でもいかかですか? ごちそうさせてください」
「あ、ぜひ!」
いつの間にかレイがミナの後ろにいる。今答えたのはレイだ。
「レイったら!」
ミナはあきれてものが言えない。
「兄貴がミナを一人にするなって言ったのを思い出した」
ニコニコしながらレイは言った。
「ええ、ぜひこちらへ。どうぞどうぞ」
「ミナ、行こう! ごちそうしてくれるって!!」
レイは一度は街で食事をしたいとずっと言っていたから、この機会を逃さないらしい。
「どうぞ、ご遠慮なく」
そう言って、リックに手を引っ張られ、レイに背中を押され、ミナはリックの店に行った。
「さあ、お座りください」
前回のように女の子がいる。そして、料理人が一人。
「今日は何を召し上がりますか?」
リックが向かいに座って言う。
レイは壁のメニューを見て、「マロのステーキを!」と叫ぶように言った。
(はぁ…、この子…。育ちが丸見え…)
「ミナさんは?」
「…この店のシグニチャーをください」
「シグニチャー?」
「この店の一番の看板料理のことです。なんですか?」
「ああ、それなら、ロマネスクですね。うちのオリジナルです」
そう言って、リックは料理人に注文をした。
ミナは高かろうが、そっちが誘ったのだから注文してやる、という勢いでシグニチャーを頼んだのだが、あっさり受けいれられたようだ。
リックは何も注文しない。
「で、何でしょうか。ご相談とは…」
ミナはにこりともせずに言う。
「あの…。ミナさんは定期便を主宰していらっしゃるのですよね」
「え?」
今度はミナが目を見開いた。それをリックが知っているとは思いもしなかった。
「なぜそれをご存じなのですか?」
「一部の業者たちは知っているようですよ」
「そうでしょうか…」
「だって、実際、街に野菜を積んだ荷馬車でいつもいらっしゃっているではないですか」
「はあ…」
ミナはレイを見た。
レイは罪のない顔でニコニコしているだけだ。料理が楽しみで仕方ないらしい。無邪気なやつ。
「私は御者台に座っているだけですわ。で、それが何か?」
「実は、このあたりの野菜の業者から、不満が出ているようなのです」
「え?」
「最近、顧客が野菜を購入してくれなくなったと」
「え?」
「で、大口客に大量の野菜を卸す荷馬車がいるらしいってね」
「ま…」
ミナはさっきまで敵だと思っていたこの男が、敵ではないのかと思い始めた。自分に注意を促そうとしているのだろうか。
「で、ご相談なのですが、その業者たちをなんとか救ってやりたいのですよ」
「は?」
さっきからミナはわからない話ばかりだ。
「なぜあなたがそれを気になさるのです?」
「そ、それは…まあ、この街が好きだから、ですかね」
「はぁ…」
この男はいったい誰なのだろう。確かに、この店のオーナーらしいのだが。つまり金持ちの道楽息子なのだろう。とりあえず、ミナは答えた。
「それならば、…その方々は、大口客に売るのではなく、このような飲食店に売ればよいのではないですか?」
「ほう?」
「大口の客に対して、一人、二人の個人の販売業者では野菜がそもそも足りません。ですから、大口客は何人もの業者を使わざるを得ないのです。その手間たるや、大変なものです。毎日のように、どこかの業者とやり取りします。ですから、それは非効率なのです」
「なるほど。わかります」
リックは頷いた。
「でも、小さな飲食店であれば、量は賄えるでしょう。ですから、自分の提供できる量の顧客を探すべきです」
「なるほど」
「私は市場の周りの飲食店を何軒か周り、その仕入れの仕方を調べました」
「ほう?」
「すると、みんな、料理人か主人が市場に赴いて自分たちで調達しているのです」
「なるほど、確かにそうですね」
「でも、それでは効率がよくありません」
「とすると?」
「野菜のほうが移動すればよいのです」
「え?…」
リックはミナの言葉に思考が止まってしまった。
「つまり、荷馬車に積んだ野菜を、業者のほうが飲食店に売りに行けばよいのです」
「そ、それは…」
戸惑うリックにミナはたたみかけた。
「そう思いませんか? 一人ひとりの料理人が市場に行き、その日の仕込みをするよりも、野菜を持っているほうが、荷馬車に野菜を積み込み、それを店まで行って、必要な量を売る。そういうサービスがあってよいと思います」
「さ、さーびす?」
「そういう便利さの提供があってよいと思います」
「なるほど…」
「大切なのは、工夫をすることです。従来と同じやり方をずっとしていたら、文明は進化しないのです。誰かが何かを考える。そして、それを頭の中だけに終わらせず、実行する。それが文明を進化させます」
「なるほど…。おっしゃる通りですね」
「もちろん、誰にでもできることは思いません。一人ではできないでしょう。仲間を集める必要があります。でも、不可能ではないと思います」
「確かに」
「それには勇気が必要です。それをやる者こそが、文明を動かし、商売に勝つのではないでしょうか」
「な、なるほど…文明ですか…」
料理がテーブルに運ばれて、そこで話は途切れた。
「どうぞ、召し上がってください」
リックは料理を勧めた。
「ありがとうございます。いただきます」
「いただきます!」
レイも大喜びでステーキにかぶりつく。
ロマネスクとは、マロの肉の中にカマリと麦を詰めてオーブンで焼き、それを3つに切り分けて、トルトのソースを掛けた料理だ。ミナは丁寧にナイフとフォークで上品に食べた。
「おいしい…」
ミナは料理の味の細やかさに感嘆した。
リックは頬杖をついてミナが食べる様子を見ていたが、ふと一言質問をした。
「ミナさんは、どうして文明を動かそうと思ったのですか?」
ミナは口の中が空になってから、ゆっくり答えた。
「私は、世界が私に望んでいると思うことをしようとしています。それが文明を動かすとしたら、それはただその結果にすぎません」
そして、また一口食べた。
「世界が自分に望んでいること…ですか」
リックは静かにほほ笑みながら、言葉を味わっていた。
そして、満足そうにミナが食べるところをしばらく黙って見ていた。
食べ終わって、3人分のお茶が出て来る。
リックも共にお茶を飲んでいる。
「ミナさん、その移動販売、私がやっても良いでしょうか」
ミナはカップを下ろしてリックを見た。
「え…。もちろんかまいませんが…」
そのあとの言葉を飲み込んだ。本当は(あなたにできるの?)と聞きたかった。
(いったいこの人は何者?)
「よろしいのですね? 発案の権利を主張なさらないのですか?」
「ここまでの考えなど、発案とは言えません。仕組みを述べたわけではありませんもの。実行することこそすべてです。リックさんがおやりになるのなら、それは良いことだと思います。私は文句を申しません」
「ありがとうございます」
「ま、こないだ私を騙したのはお料理をいただきましたので許して差し上げますが…」
ミナはまだ不満そうに目を伏せて言った。
「わざと水を掛けたことは許しておりません」
「え…」
リックはドキッとしたようだった。
「でも、あなたがその事業を成功させて、あぶれた野菜業者を豊かにしてくださるなら、許して差し上げます」
ミナはすまし顔で言った。
リックは微笑んだ。そして、ミナに向かって手を出す。
「承知しました。では、合意の握手を」
ミナはちょっと警戒したが、レイもそばにいることだし、警戒を解いて、手を差し出した。
「移動販売の事業は、私がさせていただきます」
リックはそう宣言した。
(い、いったい誰なの?! この人…)
ミナは目の前の男が不審でならなかった。
野菜を大量に仕入れたら、それはスケールメリットがあります。
逆に言うと、小口しか下ろせない人たちは面倒な業者。それは切られても仕方がない…。
それを助けようと言う、この男、ただモノではない…
次は、インセンティブで村人を動かしたミナの策が、アンドリオンの目に留まり…
だんだん、ミナが大きく評価されていきます。
3月1日からこの野菜大量販売を始めてから、今、約半年です。
よかったら、ブックマーク、伏してお願いいたしますm(__)m




