第27話 あやしい飯屋
アメリカで働いていたミナは、なぜか異世界に来てしまった。そして、なんとか生活力を身につけようと、野菜買い取り事業をする商会を作った。領主の息子に認められ、二人の補佐の官僚をつけてもらい、大商人を顧客にしようとしていた。そんなとき…。
このお話は、ミナがブリア領の行政顧問となり、ブリアを侵略から守るため、自由港を作り上げるという壮大なお話です。長いお話ですが、よかったら、お付き合いください!
初めてのかたは下に用語集があります!
次の日、納品が終わると、レイとミナは市場に行き、別々に農産物の価格や品質や種類の調査をしていた。
ミナがよそ見をしながら歩いているといきなりバシャッと胸に水を掛けられた。
「うわっ!!」
ミナはびっくりして飛び上がった。
「あ、ごめんなさい!」
12歳くらいの女の子があわててやってくる。彼女が柄杓で水を掛けたのだ。ミナの髪と服は上半身がずぶぬれになった。
すると、女の子の後ろから、男が飛び出してきた。
「お前、何をやってるんだ! も、申し訳ございません!」
と、女の子を叱り、ミナに頭を下げる。
「いえ…。あの…いいです」
今は雨季も終わった夏だ。このくらいの水はすぐに乾くだろうが、何しろカイルの買ってくれたドレスで、絹の入った良い生地なので、肌が透けてしまう。
カバンで胸を隠しながら、さっと走り出そうとした。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
男がミナの腕をつかむ。
「うちの店、このすぐ近くなんです。服が乾くまで、うちで休んで行かれませんか?」
ミナはちょっと驚いた。
女の子は申し訳なさそうに縮こまっている。
「あの…。本当に申し訳ありません…」
「うち、飯屋なんです。よかったら、食事していってください」
「え、飯屋?」
「ええ、すぐそこです」
確かに、この格好はみっともない。レイと落ち合う時間までにはあとまだ1時間ある。ミナは誘われるまま、びしょびしょの服と髪で男の案内する店まで歩いた。
その男の店はすぐそばだった。ミナは中に入るときょろきょろと周りを見回した。
ちょうど昼時だというのに、なぜか、お客は一人もいなかった。
「こちらにお座りください。おい、飯だ。あれを出してくれ」
そう言って男は調理場の料理人に指示をする。
ミナが入り口付近のテーブルに座ると、男は向かいに座った。テーブルには白い布がかけられている。椅子の座り心地も良い。
女の子が手ぬぐいを何枚か持ってきてくれた。ミナはそれを受け取って髪の毛と胸を拭く。
「本当に申し訳ございませんでした」と男は口では言っているが、なぜか楽しそうだ。
ミナは手ぬぐいを肩から胸にかけて、「はあ」と言った。
男は20代後半くらいだろうか。濃い茶色の髪で、髪の毛がはねている。四角い輪郭の顔に一文字の眉が特徴的だ。
「あの…、私はリックと言います。この店をやっているんです」
「はあ…」
ミナはなんでこんなことになっているのか、混乱していた。いつの間にか知らない男が目の前に座って、向かい合って話している。
料理はすぐに仕上がり、さっきの女の子が運んできた。
「パスターテです。どうぞ、お召し上がりください」
少し幼そうな声でその子は言った。
「はあ…」
それはラザーニャのような食べ物だ。
ラザーニャの上に薄切り肉、チーズや葉物野菜が載っているような料理で、パスターテという名前らしかった。
仕方なく、ナイフとフォークで食事を始めた。胸に張り付いたブラウスを手ぬぐいの上からときどき剝がす。
「…おいしいです」
ミナは思わず感想を言った。
「そうですか。よかった!」
男は頬杖をついてミナに笑いかけた。その笑顔はすっきりとした魅力がある。
(なんなんだろう、この人…)
ミナはなんとなく不信感を持っていた。水を掛けた失敗をこんなに気にして、食事をおごる…。高級料理だ。そのくせ楽しそうなのだ。異世界でアリなのか、ナシなのか…。
相変わらずアウェイの自分にはこれが普通かどうかがわからない。
しかし、ミナのいつもの性で、つい計算をしてしまうのだ。
(この店、この広さなら、家賃はだいたい…くらいで、今、人件費は3人分。とすると、客単価が…ポルで、少なくとも1日…人は必要。じゃないと赤字)
食べながらきょろきょろして、そんなことを考えていた。
不思議なことに、この男はそんなミナを見ながらニコニコしているのだ。
(なんなの、この人…)
しかし、またミナの性で計算が始まる。
(このパスターテに使っているのは麦とオニールとトルト、それに上に載っているこの肉は上等の牛肉のようなマロ。付け合わせの野菜はセチ豆で…)
最後にいきつくのは、「ここの仕入れはどうなっているのだろう?」なのだ。
そんな思いを巡らせているうちに、パスターテは食べ終わって、お茶が運ばれてきた。
目の前の男を無視して、お茶をゆったりと飲む。
「お味はいかがでしたか?」
「あ、ええ。おいしかったです。ありがとうございます。パスターテの固さも絶妙で、オニールやトルトも上質でした。マロもとてもおいしかったです。高級品でした…」
「そうですか。お気に召して良かったです」
なんとなく違和感を感じるのは、この男の言葉遣いが、市場や飯屋に似合わない上品なところがあるからだ。
「あなたは…ええと」
名前を言ったような気がするが、忘れてしまった。
「リックです。この店の主人です」
「あ、そうでしたね」
「このお店、どう思いますか? おいしいはずなんですけど、この通り、客がいないんです。私はどうしたらいいか…」
そう言って、リックは目を伏せた。いかにも悩んでいるふうに。
「そうですね。お客さん、いませんね…」
ミナは男の言葉にさらに違和感を感じていた。そして、テーブルの白い掛け布を見た。
「何がいけないんでしょうかね…料理も場所も悪くないと思うんですけど」
「はあ…」
ミナは何も言えなかった。
店を見回すと、壁に料理のメニューがある。料金もこの料理に対しては高くない。とはいえ、中の上という価格帯だ。
「ここは、割と上品なお料理を出していらっしゃるのですね」
ミナはメニューを見てそう思った。
「上品? そうですか?」
「ええ、いただいたラザーニャ…パスターテも、上品なお料理ですよね。料理人はとても良い腕だと思います。ただ、場所的にもったいないかと…」
「ふむ…。もったいない? 上品というのは具体的にどういう意味でしょうか」
「ここは市場の近くですから、昼にやってくるのは市場の関係者ではないでしょうか。
市場の関係者なら、食べる料理の内容よりも、早く安く食べるのを好むかもしれません。
もちろん、夜のお客様は違うと思いますが。こちらは夜のお客様向けのお料理のようです」
「なるほど。昼はメニューが客層の好みと異なるということですね」
「あと、メニューを見たところ、一日に使用する野菜の種類が多いのではないでしょうか。
もし市場の客を狙うならば、単価が低くなります。
もっと効率よく野菜を使いまわせば、廃棄量も減りますから、利益率が上がるでしょう」
「なるほど。具体的にはどのようにすれば、野菜を使いまわせるのですか?」
「『本日のお任せ料理』がこの店にはないようです。それがあれば、使い切りたい野菜を使って、お得な料理が作れます」
「なるほど…」
ミナはハッとした。こんな話をしている場合ではなかった。手ぬぐいを外して席を立つ。
「あ、私、もう帰らなければ。連れが心配しています」
そう言って立ち上がった。服はだいぶ乾いていて、少なくとも胸に張り付いてはいない。
レイが心配しているかもしれないから、早く戻らなければ。
「ああ、大変失礼しました。お送りしましょう」
彼も立ち上がり、ミナの手を丁寧に取った。まるで貴婦人の手を取るように。
「うちの下働きが大変失礼しました。お許しください」
そう言って、一礼をした。
「ええ、もう大丈夫ですわ。こちらこそ、ごちそうになりました」
相変わらず、品の良さに違和感を覚えながらも、ミナはさっさとレイのところに戻ろうと思って、そそくさと店を出た。
男は店の前でまた手を取って、ミナを案内する。まるでダンスに誘うかのようだ。
「ぜひまたお会いしたいです。次はいつこちらへ?」
「え? あの…。わかりません」
そう言って、ミナはうつむいた。
(あやしい…どこか騙されているような…)
「レイ!」
レイの姿を見つけて、ミナはほっとした。
「では、またいつかお会いしましょう、ミナさん」
そう言って、リックはきれいな一礼をしたのだった。
「なに、あの人」
レイが男を見送ってミナに聞く。
「さあ? 私に水をかけて、食事をさせた人」
「なに、それ?」
レイはわけがわからない、と言った顔をした。
ミナもわけがわからない。
(そもそもあの店、ランチをやっていない。夜しか開いていない高級店のくせに。それなのに「このとおり客がいない」なんて言って…。変な芝居よね。何者?)
だが、もう関係ない。二度と会わないだろうから。
(あれ? 私、名前言ったかな?)
リックの最後の一言を思い出し、ミナは再び違和感を覚えたのだった。
リックというあやしい男。彼の正体は…?
用語集
ミナ … 主人公。MBAを取得したあと、異世界に来て起業する。のちのブリア侯行政顧問
レイ … ミナが世話になっている家族の一員。カイルの弟
カイル …ミナを助けてくれた冒険者。今は騎士団で訓練を受けている
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