第13話 村娘ミナの起業
企画書を書くには、頭の中でいろいろなシミュレーションをすること。
あの場合は? この場合は? 脳の中に、回路を作るみたいにね。
事業が頭の中で固まらないと、人を説得する企画書はできない…。
でも、ミナはまだ数カ月しかこの世界にいないのです……。全然、この世界の事情がわからない。
後は正直になるしかないか…。
身分証明を得たミナは、タンブリーの役所内の商業登録課で商会の登録をすることになった。
第三セクターとして商売をするのは個人ではできない。こちらも法人になる必要があるのだ。法人になれば、いろいろな相手に対して信用が上がる。
「こちらにお名前と、商会名をお書きください」
重厚な部屋の中で、担当者がミナにペンを渡した。立派な口髭を蓄えた、いかにも役人という雰囲気の中年の男性職員だ。
複雑な飾り罫で縁取りされた枠の中に文面があり、その一番下にミナは自分の商会の名前を書いた。
「テンソル商会 代表 ミナ・クロエ」
エルノー村の住人の苗字は皆エルノーになるのが普通だが、ミナはミナ・クロエと登録していた。もともと苗字があるからだが、エルノー村に留まるつもりがなかったということもある。
そして、テンソルはそもそもTPUのT、テンソルから付けたのだが、ミナとしては、この言葉は農産物、農民、物流、販売など、農産物流通インフラに携わるすべてのものをまとめる言葉だと認識していた。いずれは農産物に限らず、いろいろな流通インフラをつくりたい。
担当者はサインされた書類を受け取ると、奥に入っていき、しばらくするとまた戻ってきた。
「お待たせしました。こちらがその登録証となります。これで登録は完了です。」
担当者は平たい長方形の石の上に商会名が書かれたものをミナに渡した。ミナがそれをひっくり返すと、裏には例の数字と文字の羅列があった。
「ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」
ミナは膝を曲げてスカートの端をつまむこの世界式の挨拶をしてお礼を言った。
これでやっと、あちこちと契約ができる!
役所のロビーでカイルが待っていた。
「見て! 登録証よ!」
「テンソル商会? …悪くない」
「でしょ?」
ミナは得意だった。道はまだまだ遠いのだが、なんとか入り口には立てた。プレゼンした商会からの返事は今月中にはもらえるはずである。
次にミナがすることは、荷馬車にどのように野菜を積むか、というシミュレーションだ。
ミナの頭の中にある理想の運搬車は、いわゆるボトルカーだ。重い飲料を運ぶための専用の車で、車の左右の両面の扉が開く、真ん中に間仕切りがあるなど、荷が崩れにくく、取り出しやすい工夫が凝縮している。
(もちろん、最初から専用車は無理だけど、将来は農産物専用の荷馬車がほしいな…)
荷馬車が良ければ荷崩れは少ないし、その分、傷んで廃棄する量が減る。
ミナは村役場に寄って、集積所や保管庫を見せてもらい、荷馬車の寸法を測り始めた。
木箱がいくつ載るのか、どのようにすればより野菜の傷みが少ないか、いろいろ考えなければいけない。荷馬車には雨除けのホロが付いている。
御者席の上までホロが伸びていて、多少の雨なら避けられる。だが、大雨になるとホロでは雨を避けられない。
正直言って、ミナがシミュレーションした見積もりがかなり甘いのだ。
そこが不安をつくり、2割の手数料で採算がとれるのか、心配になっているのだ。
詳細な見積もりは不安を取り除く。逆に、不安があるときはまだシミュレーションが甘いしるしだ。実際の作業を思い浮かべ、漏れはないかと考え抜く。
ミナはこの世界を良く知らないのだから、見積もりが甘いのはある程度仕方がない。何度も現場に足を運び、人の動きをイメージする。そこで必要なものは何かを考えるのだ。
(はあ~。AIがないって厳しい…。アイ、懐かしいな。どうしているかな…)
どうしているもなにも、アイはただのAIである。つい人格化してしまう。
Z世代特有の贅沢な悩みを言いながら、とりあえずカイルと家に帰ることにした。
道々、カイルに聞く。
「春になると、カイルは忙しくなるよね。もうこうやって、付き添いしてもらえなくなるよね…」
「そしたら、レイに来させればいい。まだレイは畑の仕事しかしてないんだからさ」
「うん…そうね」
ちょっぴり残念な気がした。
「やっぱり、一人で歩いて街まで行くのはだめ?」
「ダメ。危険なんだから。それがわかっていない」
「誰が襲うの?」
「そりゃあ、いろいろ襲うだろ」
「魔物とか?」
「ん~、変な男とか」
「そんな人、いるんだ…」
「ほら、そういうところが妖精なんだよ」
「えっ…?」
「頭が天然なんだから」
「頭が天然…」
コンサル会社で新人の頃にも「天真爛漫はやめろ」と言われたことがある。ビジネスにおいて「無知、天然、天真爛漫は失敗の元」だと教えられた。実務についた3年間の間になんど怒られたことか。
(妖精みたいって、つまりバカって意味? ぐぐぐ…)
「とにかく、一人で歩くのはダメだからな。ちゃんと言うこと聞くんだぞ」
「う、うん、わかた…。カイルの言うこと、聞く」
感情が拒否しているので、「インディアン、嘘つかない」のようなたとたどしい外国語のように答えた。
――ちゃんと言うこと、聞くんだぞ――
これは昔、さんざん親に言われた言葉だった。子供の頃は反発もあったが、そのうちにそれは正しいとわかった。
(仕方がない。一人でこっそり移動しようかと思ったけど、カイルの言うことを聞くか。私はなんといってもこの世界ではアウェイなんだから…)
家に帰ると、ミナは書字板でせっせと計算する。今のところの試算はこうだ。
農家から1箱1ポルで買い取った野菜を、ミナは1.5ポルで商会に渡す。差額の0.5ポルがミナの取り分で、そこから村に1割を支払う。
この数日の参加農家との対話でわかったのは、試験期間の3カ月は別として、本格的な定期便運航開始となると、5日に1回出せる農産物は1軒が5箱だということだった。月6回のペースだと月30箱。10軒でひと月に300箱となる。
最初の目標箱数は――月500箱だ!
でも、もし50軒の農家が月に40箱だしてくれたら、2000箱だ。
(あ、荷馬車一台じゃ足りない…)
荷馬車に詰める量が50箱だとすると、40回分となる。荷馬車二台だと御者二人になって、人件費が跳ね上がる。村には2台の荷馬車があるが、両方とも借りるわけにはいかない。
(ということは、1日2往復も考えなくちゃ…)
レイをこき使うしかない。大口客ならば、市場で売るようにあさイチに持っていく必要はないのだ。2往復できるだろう。
とにかく、参加者を増やさなければならない。まず最初の3カ月で成功事例を作る。初期の参加者が喜んでくれるなら、他の農家もそれに倣うだろう。
あまりにも細かく頭を使って、疲れてしまった。アイがいないのも困るが、一番困るのは紙がないことだ。貴重すぎて、試し書きができない。書字板は小さいので、字を書いては消す。
(いやいや、成功のコツは、持っているものを最大限に生かすこと。足りないものを数えるのはやめよう…)
ミナはまた合気道の呼吸法の訓練をはじめ、心を落ち着けるのだった。
カイルは腹を立てていた。
クルムがミナに対して何かしたことはわかっていた。
ミナはそれを語らなかったが。リネットが事業に参加していたのに、それをわざわざ断ったというのはクルムに原因があるに違いなかった。
ミナを家に送り届けると、彼はクルムに会いに行った。
扉をどんどんと叩いて、クルムを呼ぶ。
「クルム!」
ドアが開いて、クルムが出て来る。
「何しに来たんだよ…」
クルムはドアの取っ手を片手で持ったまま、カイルをにらむ。
「お前、ミナに何をしたんだ」
クルムは黙っていた。そして、「フン」と顔をそむける。
「なにもしてねぇ。お前に関係ないだろ」
「関係ないわけないだろ。お前、ミナに余計なことを言っただろ!」
「余計なことなんか言ってねえ! 必要なことだけ言ったんだよ」
「俺がファルクの仇ってか?」
「事実だろ」
「お前、まだそんなこと言ってんのか…」
「ファルクは帰ってこねえんだよ!」
そう言って、クルムはドアをパタンと閉めようとした。それをカイルが取っ手を引っ張って阻止する。
「いい加減にしろよ。俺を恨むのは筋違いだろ。それでも俺も我慢してきたが、ミナは関係ない。お前のおふくろさんだってミナの事業に参加したかったのに、お前がじゃましたんだろ!」
「うるせえよ! お前に関係ない!」
クルムはバタンと大きな音を立てて力いっぱい扉を閉めた。
「今度ミナにおかしなことを言ったら、次はない。……それだけだ」
カイルは扉の向こうに聞こえるように言った。
クルムは黙ったままだった。扉の向こうで扉をしっかりと閉めている。
カイルはそのまま帰って行った。
商業振興会の会議室で、ミナはプライク商会と二度目の打ち合わせをしていた。村役場が協力してくれることはプライク商会にすでに伝えてある。
「うちのほうで検討させていただきましたが、もう少し確認させていただきたいことがございまして…」
トージャーは少し難しい顔で切り出した。
「はい、どのようなことでしょうか」
トージャーの質問はかなり細かかった。もし、予定の量の農産物が収穫できなかったらどうするのか。雨の日の収穫は可能なのか。冬はどうするのか。常設店の5割と言っても、その価格はどのように調査するのか。輸送中に野菜の傷みはどれくらい発生するのか。…
正直言って、いくつかは答えられるが、ミナにもすべての予測はつかない。
「申し訳ございません。わたくしにもそれらの予測はつきません。しかし、今回取り扱うのは日持ちする農産物です。ですから、村の集積場に余裕をもって保存することができると思います。傷みの度合いにつきましては、木箱に藁を敷くなどしてできるだけ傷みを防ぎます」
もろもろの細かい話し合いをして、トージャーは帰って行った。また彼の商会に持ち帰る、と言って。
(はぁ~。事業を立ち上げるって、本当にむずかしい…)
ミナはため息をついた。コンサルタント会社で3年働いたと言っても、ゼロから一人で立ち上げを担当したことはまだなかったのだ。いつも上司がいてくれた。それがどれだけありがたいことか…。経験は宝なのだ。
(ま、愚痴っても仕方がない。何事も経験していかなければ、成長できないんだから)
ミナは自分で自分を励まして、カイルとともに帰るのだった。今回は仕上がった3着のドレスを持って。
今まで、着古して色褪せた農民の服でプレゼンをしていた。それがどれだけ非常識だったか。
カイルはそれに気づいていた。
だから、服を買ってくれたのだ。
(身分証明。服。この先、何が足りないのか、想像もつかないよ…。本当にやれるの? 私……)
ミナはちょっぴり弱音を吐いた。
自信がないときって、練り込みが足りないの。
それを不安のせいにしないで、よく考えて頑張ろう!
あとね。大人って、すぐに「あれしろ、これしろ。あれはするな」って言うじゃない。
それはね、子供よりも世界が広く遠く見えているから。
ミナにはまだ、この異世界の常識がわからない。子供とおんなじ。
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