それは誰の為だったのか
「お前は本当、俺に似ていないな」
バシリオスはきょとんと父親の顔を見上げた。父は面長でスッキリした顔立ちだったが、バシリオスはくっきりした二重に意思の強そうなしっかりした眉で、顔のパーツがはっきりしていた。
自分はどちらかというと母親似だ、という自覚はあった。眉は整えているからわからないけど、二重の目元が似ているとよく言われた。
その時はただ「父に似てないな、僕は母似」というそれだけしか思わなかった。
その真意に気がついたのは数年後だった。
父親と愛人との間に弟が産まれたのだ。
父親は愛人の身元を公表しなかったが、たった一度、一度だけプライベートスペースに弟を連れて来たのだ。
父親は遊び人で、正直、弟妹は何人もいると思う。だけど王宮に招いた弟はこの子だけ。
赤子特有のまろい頰、どこをとっても丸い体、薄い平行眉にスッキリした目元。
「ははっ、ダニエルは可愛いなぁ」
(父に似ている)
愛おしそうに頰にキスをする父親を見て、無性に胸がざわついた。
頰にキスなんてされたことない。まして頭を撫でられたことも。最近は男らしく育ち、母の面影も薄くなっていく。
『実は陛下のお子じゃなかったりして』
そんな噂が流れるほどだ。
父親は前々から疑っていたのだ。前々から、自分の子じゃないんじゃないかと。
「問題ありませんよ。貴方は陛下も認められた第一王位継承者なのですから。次の王は貴方です。母がなんとしても皆に貴方が王だと知らしめてやりますからね」
気がついてから、母親の言動はおかしいと感じ始めた。だって本当に王の子なら知らしめてやる必要なんてないのだ。当然であることに理由はいらないはずなのだ。
「いいですか、くれぐれもあんな家畜女の子に負けてはいけませんよ。ああ、比べるのも悍ましい」
家畜女。
母親はあの赤子の母親を突き止めていたのだろう。
(負ける? 負けるって何。俺は王の子なんだろう。第一王子で、第一王位継承者で、成人すれば王太子だろう)
もし過ちがあって、自分が負けるとするならばそれは誰の罪だ。
その考えはだんだんと表面化していき、態度に出たのだろう。時折母親は怯えた目でバシリオスを見た。そして追い詰められたように狂っていき、命を絶った。
それが答えなのか。真実は何なのか。
葬儀の後、母親の執事が持って来た鍵束に、答えは詰まっていた。
「これは何処の鍵だ」
「ご案内致します」
王族居住スペースの一番奥、離宮で遊興に耽る父親が近づかなくなった王の部屋。その奥、すれ違えないほど狭い、人一人分の通路を通り抜けて、地下へ潜った先に隠れた書斎はあった。棚に古い書物が並ぶ小部屋には隠された扉があり、そこから更に地下へ。
ひんやりとしたその部屋の壁一面に、真っ赤なワインが寝かせられていた。
一本手にとる。
「アンクローディ産のワイン? 何故ここにこんなに沢山……」
そして部屋の真ん中に、傷んだ文机がひと組あり、古ぼけた日記帳があった。
ページを捲れば、内容は三文芝居かという自己陶酔したペラペラな恋愛話の末にバシリオスが産まれたという、怒りが沸き起こる内容だった。
母はヴィクサス侯の従姉妹で、浮気の相手は又従兄弟であった。二人で侯爵家と王家を手に入れて愛を証明しようという、頭のおかしな内容が、まるで希望に満ちているように書いてある。
(本当に王の子ではないとはな……)
更には王に気づかれ、薬物入りのワインを飲ませて薬漬けにしたとある。だがその思惑にも気が付かれて実の子が誕生してしまった。
頭の悪い親父殿は、この国を本当に支えた一族を王族として据えたいと寝ぼけたことを言い出したらしい。
沢山いると思っていた弟妹は母にきちんと処分されていて、結局直系の王家の血を引くものは、例の家畜女の子供だけだった。
「君はこのことを全て知っていたのかな」
「勿論でございます。バシリオス様、是非王妃様の悲願を達成下さい」
「そうか」
バシリオスは文机に置いていたワインを再びつかみ、執事の頭に振り下ろした。
沸き起こった怒りがあまりに大きすぎて我慢が出来ない。頭に来すぎて目の前がチカチカする。
「がっ……!?」
「ワインの瓶とは意外と丈夫なのだな」
割れなかったので、バランスを崩した執事にもう一発いれて殴り倒した。
「安心しろ。殺しはしない。お前には聞きたいことが沢山ある」
ワインを文机に叩きつけて割る。ぶちまけられた中身が日記帳を赤紫色に染める。狭い地下室に充満したむせ返る程の甘いアルコール臭に頭がジンと痺れた。
感情の赴くままに、鋸歯状になった断面を倒れた執事の背中に突き立てる。
「とはいえ、少し憂さは晴らさせてもらうがな」
ぐり、と手首を捻ると苦しげな呻き声が上がった。胸がすく。
ヴィクサス家は代々王家の座を狙って娘や親戚を送り込んでいたようだ。今代でも擦り寄ってくるだろうから、利用しよう。
そして本当の王家の血を持つ者。自分にないものを持ち、自分を脅かす、忌々しく、憎らしく、殺すだけでは満足しない。あいつをどうしてやろうか。
「王は、俺だ」
全てを手にしてやる。王家の全てを。
「逃しは致しませんよ」
不粋なテノラスの謁見に対応してやっていた部屋に、突如武装神父が雪崩れ込んできた。王専用通路から脱出しようとすると、その通路の先からシスター姿の小娘が現れ、相対した。
武装神父と護衛騎士が剣を交える中、別の出入り口からの脱出を試みようとすると、ふらりと小汚い塊が手を掴んだ。
とんでもない異臭に手を振り払う。最近は臭すぎてまともに躾に向かわなかった。だからこんな反抗的な目で前に立ちはだかろうとするのだ。
振り払った勢いに負けて転んだ骨と皮のような男の背中を思い切り踏みつけた。痩せた胸があげるミシミシとした軋みが足に伝わる。
「がはっ」
「家畜が……身の程を知れ」
男は首を捻り、こちらを見上げて笑った。
「へへへぇ」
無邪気な笑みはいっそ狂っていて、ぞっと背筋に寒気が走る。男の全身が淡く光を帯びて、咄嗟に足をずらした。
「やめて、お父さん!」
シスターの叫びが、轟音にかき消された。
***
爆音に、巻き上がる土埃。咄嗟にクラウディオがソニアを抱き込んだので、ソニアはクラウディオの胸から顔を離して見上げた。
「クラウディオさん、大丈夫っスか!?」
「ん、僕らは、ね」
シル、ティンバー、ランドリック、ロハンと全員無傷だが、険しい表情をしている。
シルが張った障壁の向こうに目を向けるが、破壊の振動で壁や天井からパラパラと砂埃が落ちて、見晴らしが悪い。
「何が、何の爆発だったんスか」
「魔力を圧縮、解放するだけの魔法とも呼べぬ代物よ。ペキュラでは魔力操作の練習でするごく初歩的な動作である」
クラウディオが風の魔法で視界を晴らすと、玉座を分断するように氷の壁が立ちはだかっていた。そのお陰で、衝撃はあったものの、直接爆風を浴びた者はいないようだ。貴族達はその場でうずくまり、逃げようとしていた混乱が一時的に収まっている。
クラウディオの手を払う動作に合わせて氷壁が消える。その向こうにはシルが出したと思われる障壁がアウロと武装神官を包んでいた。
「二人とも流石っス」
目を凝らしてみるとアウロは無傷のようだ。ただ真っ青な顔で必死に手を伸ばしている。足の力が入らないのか床を這い、泣きながら叫んだ。
「誰か、助けて下さい! お願いです、誰か……神様!」
悲痛なその声はソニアの耳にハッキリと届いた。
「シル様、これ消して欲しいっス」
シルが無言で障壁を消すとソニアは一目散に駆け出した。長くボリュームのあるスカートを持ち上げてうずくまる人を避け、玉座に上がる数段の階段を跳び登り、アウロの元へ辿り着き、段上を見回した。
(爆発かと思うほど大きな音だった)
ペキュラにいる時にソニアも魔力の圧縮について学んだ。魔力の圧縮、解放をすると起点から全方位に向かって平等に力が拡散し、爆発の擬似現象を起こせるというもの。圧縮した力に比例して解放時に大きな破裂音がすると言っていた。特徴としては熱量や鋭利さを伴わないため、火傷や裂傷は起きず圧力のみが襲いくると聞いていた。
咄嗟にアウロを守った武装神父の背中に、相対していた騎士が吹き飛んできて、アウロの前に張ったシルの障壁に叩きつけられたのだろう。崩れ落ちて気絶している。王は側にいたもの達と共に壁まで吹き飛んで叩きつけられたようだ。
問題は床に倒れたこの男。アウロを見ると、泣き濡れた瞳が縋るようにこちらを凝視していた。
震える唇を開き、懇願する。
「ち、父を、助けて下さい、お願いします。お願い……たすけて……」
(この人アウロの親父さんなのか!)
「ダメだ、アウロ。ダニエルはもう……」
「わかってるだろう? 治癒魔法は万能じゃない」
二人の武装神父がアウロを宥めている。
その通り。治癒魔法は本人の治癒力を魔法で爆発的に高めて治癒する魔法で、本人がそれに耐えうる体力が無ければ助けられないのだ。
ソニアはダニエルの横に屈んで手を触れ、魔力を少し流した。
(この人、ジジィと似ている)
酷く汚れているが、状態も、顔も。驚くほどよく似ていた。
饐えた臭いに腐敗臭、甘臭い臭いも一緒。飢餓状態が長く抵抗力はない。
魔力を開放した時に、シルの様な障壁を張らなかったのか張れなかったのか、うつ伏せになったその腰が衝撃で潰れている。未だ息があることが奇跡。
一刻を争う状態だ。
ソニアが魔法を使おうとした時、いつの間にかきていたクラウディオがソニアの肩を押さえた。
「クラウディオさん」
「治すの?」
いつも飄々としたその顔の、眉間に皺が寄り怒ってる様にも見える。けど、きっと心配してくれてるんだろうなと思う。
大丈夫に見えるようにソニアは笑顔を浮かべた。
「治すっスよ」
気をつけなければならない。
相手の体力も魔力も、血の一滴すら消費しない様に。足りないものを全て自分自身の魔力で補う。もっともっと。もっと沢山。骨を再生して、腐って治癒力が失われたところは重点的に。飢えは魔法で治せない。だけど死なないところまで。もっともっと。足りない。腐ってしまうと難しい。魔力だけでは足りない。お腹の真ん中で渦巻く、このもうひとつの力の雫を一滴、わけてあげないと。
(がんばれ、がんばれ。あなたの生を望んでいる人がいるよ)
魔法が強い光を放ち、自分と患者だけの感覚に陥る。先王を治療していた時を鮮明に思い出す。でも違う。肩を支えるクラウディオの存在がとても心強くて、安心する。
(大丈夫、治るよ。ほら、もう一滴。もう一滴。ああ、ほら。もう、治ったね)
ソニアはダニエルから手を離し、額に浮かんだ汗を袖で拭った。
「ふう、さすがに疲れたっス」
クラウディオの手が肩から離れてぎゅっと抱きしめられる。
「ソニア、其方は馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、大馬鹿者ではないか」
「あの状態で治療出来るものなのですか?」
「やはりソニア殿の魔法はすごいな」
「相変わらずすごい魔力量だな」
いつの間にかシル達も側に来ていて、治療の様子を見ていたようだ。他の三人はよくわかってないみたいだが、クラウディオとシルは険しい顔をしていた。
(ありゃ、やっぱ知ってたっスねぇ)
ソニアも本当は知っていた。このもうひとつの力はあんまり使っちゃいけないものだって。教えてくれたメリッサが言っていたから。
「あたしだって、そうそうやらないっスよ」
苦笑して、アウロを手招きする。
「アウロ」
「ソ、ソニアさん……ああ、そんな」
アウロは泣きながら這いずるように近づいてきて、頭を床につけた。
「ご、ごめ、ごめんなさい。こんなことを頼んで、願ってしまって、ごめんなさい。本当に、ごめ、なさっ……」
「いいから、この人をよく寝かせてよく食べさせるっス」
「っはい……はい。ありがとう、ございます」
武装神父二人も信じられないものを見る目で近づいてきて、お礼を言って意識のないダニエルを抱き起こした。随分と軽そうだった。
難しい治療も終えたし、巻きついたままのクラウディオの腕をポンポンして、離してくれと伝えるが、離れない。
「えーと、離して欲しいっス?」
「何で?」
「ほっとくと死んじゃうっスよ、あの人」
ソニアがエーリズ国王を指差すと、クラウディオがこてりと首を傾げる。あざとい。
「大丈夫、居なくても困らないよ?」
「いやいや、一連の証人としていた方がいいでしょう! ペキュラも呪い持ち込みの嫌疑を掛けてるんですから」
「あー、それあったな。俺の疑いが完璧に晴れるなら生かしておこうぜ」
「死なぬようにした後、逃げられないよう両足を折っておけば良いだろう」
「ソニアをまだ働かせる気なの?」
抗議の声を上げるティンバーにランドリックが追随する。シルは最早何を言っているのやら。助ける基準にちょっとついていけない。働くって言っても、今日は笑顔で突っ立ってただけで、今しか魔法使ってないし。
ソニアの困惑が伝わったのか、クラウディオは渋々腕をどかして手を繋いだ。
「無茶は駄目だよ」
「大丈夫っス。元が健康そうなので、遠慮なく本人の治癒力引き出せそうっス」
ソニアが右腕でガッツポーズを見せると、クラウディオもやっと笑顔を見せた。
エーリズ国王は吹き飛ばされた際に内臓にダメージが出ていたようで、お腹に血が溜まりぽっこりしていた。危ない。いつもは魔法で少し抑えている治癒による痛みも、コントロールすることなく治した。激痛による疲弊と、急激な治癒による空腹、貧血、倦怠感で足を折らずとも動けなかったので良しとしよう。
その後、謁見室にいた怪我人達が我も我もと列を成した。ソニアは治療を求められると断れない。だけどソニアをいいように使おうとするエーリズ貴族の態度に、苛々したクラウディオとシルが背後に立ってくれて、大変スムーズに治療行為が出来た。
治療している間に、皇帝陛下の隠密のあの人が、三日掛けて国境間際で待機していた軍隊を連れてきて王宮を包囲。王妃や王太子まで、サクッと身柄を押さえてしまったようだ。
更に、どうやらクスフェが聖女の遺跡調査の為にアンクローディ領に来ているようなのだが、弟子達の入国許可が降りなかったと、箒に乗り上空から王宮へ詰めかけて、パニックと恐怖に拍車がかかった。
結果、歴史上最速の終戦となったのだった。
「つ、疲れたー! さすがに魔力すっからかんっス」
「お疲れ様でした」
「ハンナは大丈夫だったっスか?」
ひと通り治療を終えたソニアは根城としているエーリズの迎賓館へと、ひと足先に戻ってきた。道中、馬車のカーテンが引かれていたので外の様子はわからなかったが、争いがあったと信じ難い程不気味に静かだった。既に日は落ち、辺りは暗い。
三国それぞれの代表であるクラウディオ、シル、ランドリック、ランドリックの護衛を任されているロハンは現場を離れられないので、ティンバーが馬車で送ってくれた。ティンバーもそのまま王宮へ蜻蛉返りだ。
「はい。混乱はありましたが市民の暴動もなく、反抗勢力の便乗も初動で抑えられました」
ハンナは本職の隠密の方で駆り出されていた。いわゆる情報操作。王宮の騒ぎで下町に余計な混乱が起きないように、市井に交じって噂を流し、パニックを抑えていた。ハンナ曰く「一番得意な分野」だそうで、生き生きと出発していったのが印象深い。
この日はさすがに疲れて、お風呂の後少しだけのつもりでベッドに横になったら、そのまま眠りに落ちてしまった。
人の気配にふと目を覚ますと、窓の外がほんのりと明るくなっていた。
「ごめんソニア、起こしちゃったね」
寝ぼけた目を擦ると、クラウディオはソニアの顔にかかった髪を指で避けた。
「すまんっス、起きてるつもりが」
「構わないよ。昨日あれだけ魔力を使ったのだから、休んでくれていて良かったよ」
クラウディオの顔にうっすらとした隈が浮いている。
起き上がってその頰に手を添えると、クラウディオはすり寄る様に目を閉じた。ちょっとかわいい。
「まさか夜通し……」
「なかなかまとまらなくてね。大まかにまとめてきたから、午後まで休憩だよ。それより昨夜は食事してないんだって?」
「あ、疲れて寝ちゃったっス」
指摘されると、なんだかお腹が空いてきた。
「食事した後、一緒に昼寝……いや朝寝をしようか」
「あたし起きたばっかスけど」
「ダメ、もう少し寝よう。……本当に、心配したんだ」
頰に添えていた手を取られて、掌にキスをされる。くすぐったい感触に、ぶわっと顔が熱くなる。
「約束して欲しい。もう二度と、あの治療方法は行わないと」
昨日のダニエルを治療した時の事だと、ソニアは眉を下げた。
「目の前に治せる人がいるのに、助けるなってことっスか?」
「死ぬ運命を捻じ曲げる必要はないだろうと言っているんだ。この世の理を無視した行為には代償が伴う。わかるよね?」
わかる。わかっている。だけどもしまた目の前に死にかけた人がいて、助けてと手を伸ばされた時、その手を取らずにいられる自信はない。
黙り込んだソニアの手をクラウディオは両手で包み込んだ。
「……君は、僕と長い時を共に過ごしてくれないのか?」
「クラウディオさん」
その悲しげな表情に、ソニアの胸の奥がギュッとする。自分が思うよりずっと、クラウディオは未来まで考えてくれているんだ。それなら、自分も応えたいと思う。
「わかった、約束するっス。もう使わない、クラウディオさん以外には」
「うん?」
ソニアはジロリとクラウディオを見る。
「クラウディオさんだって今回無茶したっスよね? ハンナが言ってたっス。本当だったら地下でもっと楽に制圧出来たはずだって」
「あー……。うん、わかった。僕も約束するよ。ソニアが無茶しない為に、僕も無茶はやめるよ」
「クラウディオさんが怪我したら絶対絶対、何としても助けるっスからね!」
ソニアが拳を握って決意を露わにすると、クラウディオは苦笑して頭を撫でた。
「わかったよ。それと僕のことは愛称で呼んでくれるんじゃなかったの?」
「あ、ラウ、さん……」
「ん」
満足そうに笑われると恥ずかしい。
***
軽く水浴びして部屋へ戻ると、寝巻きの上にストールを羽織ったソニアが、朝食の並んだテーブルを眺めていた。さながら「待て」と言われたワンコのようで微笑ましい。
部屋に入ってきたクラウディオに気が付き笑顔で顔を上げた。
「ク、ラウさん!」
「お待たせ。食べようか」
「はいっス」
アンクローディ領から迎賓館に戻った時は、結局根回しと書類作成に忙しくて、雑談なんかはあまり出来なかったので、久々ののんびりした二人きりの食事だ。
ソニアは早速籠に盛られたパンを選んでいる。
最初はクロワッサンにするようだ。
「そう言えば昨夜の話し合いの時、アウロ嬢からペキュラとエーリズの間の森は魔獣が出るって聞いたんだけど、ソニア走ってきたって言ってたよね? 大丈夫だった?」
「あ〜実は、魔獣に遭遇したっス。でもなんか怪我を治して欲しかったみたい? で。魔獣は初めて会ったけど、ちょっと不思議な生き物だったっス」
正確にはアウロ達一族が無断出入国を繰り返していた話だ。何でもメリッサが若い頃森の近くで怪我をした魔獣の治療をしたことがあるらしい。それから魔獣側が治癒魔法使いがいる時は襲わなくなった為、それを利用して、追手を撒きやすい森を利用していたんだとか。
魔獣が魔力の質を見抜けるという事柄に、シルはいたく興味を持っていた。
そんなアウロ側の事情をかいつまんで話すと、ソニアはこくこくと小刻みに頷いた。
「なるほど、ババァならやりそうっス。いつも子猫とか子犬とか、助けらんない年寄り犬とかも拾ってきて……」
「待ってソニア、子猫?」
子猫というくだりで、両腕で抱えるような仕草を見せるのは違和感がある。実物はクラウディオも抱いたことがないが、子猫は片手に乗る、若しくは掴めるサイズだと記憶していた。
「そうっス。ババァが拾ってくるのは大体大型の種類なんス。このくらいの大きさの子で、ミルクを良く飲むから、周りに文句を言われながらキッチンで大量のミルクを温めていたのもいい思い出っス」
それは確実に大きい。
クラウディオは(それって魔獣の子だったんじゃ……)という言葉を呑み込んだ。
(いい思い出と言っているし、知らないなら知らないでまぁ、いいか)
ペキュラ側に知られると「魔獣を手懐けられるかも!?」と、実験に協力しろとか言われそうなので黙っておくことにしよう。
***
二つ目のパンを皿に取ったソニアが、ふと手を止めた。つられてクラウディオもベーコンをフォークに刺す手を止める。
「もしもっスけどー」
「うん?」
お皿の上のパンを見ているのはずなのになんだか遠く、記憶の中のメリッサの笑顔が目の前に浮かぶ。
「ババァからジジィの治療を引き継いでなかったら。引き継いでいても、途中でジジィが生きてることに嫌になって“もう治療はいい”って言っていたら。あたし、どうなってたんスかねぇ」
「それは……」
ソニアが使えるほとんどの魔法を教えてくれたのはメリッサだった。特にあの、ちょっと変わった力の使い方は“先王の治療に絶対必要になるからしっかり覚えるのよ”と。聖女の中でメリッサの弟子の中には何人も習得している子はいる。だけど皆滅多に使わない。
「ジジィは絶対言わなかったっス。“もう治療を止めてくれ”って」
「……おかしくなってて言えなかっただけかもよ?」
「そうかもしれないっス。……けど」
こんな骨と皮になって、食べたいものも食べられず、どこにも行けず、毎日痛みを耐えてまで生きる先王を、当時は生き意地の汚い奴だと思っていた。哀れに見えるなんてどうかしている。欲望に忠実に、好き勝手生きてきたクセに、治療しなければ殺すだ、助けて下さいと泣き落とすわで、狂ったくそジジィだと、思っていたんだ。
でも。
わずかだけ、正気に戻ったような時。
暖かな日差しの中、それはまるで愛しい人を見つめるように。どこか遠く、優しく呼びかけるように。
『私は約束を守っているよ。偉いだろう。君に褒めて貰えるのが楽しみなんだ』
ずっと不思議に思っていた。先王が誰と何の約束をしていたのか。誰の為の約束だったのか。温かな笑顔は誰に向けていたのか。
あの日あの時、もし聞いていたら。その答えがわかったのだろうか。
今となっては誰も知らない。知る術もない。
ただあの鬱々とした日々の中の穏やかな瞬間だけが、切り抜かれたかのように忘れられない。
少しだけしんみりすると、眉尻を下げたクラウディオが心配そうな微笑みを浮かべていた。
「ソニア、意味はあった?」
「!」
「徒に苦しみを長引かせただけ、だったかな?」
ソニアは目を閉じて胸を押さえ、首を横に振る。微笑むと口元を涙が伝った。
「……なかった。無駄なことなんて、ひとつも、なかったっス」
二人が亡くなって初めて、ソニアは二人の為に泣いた。
クラウディオは立ち上がり、ソニアの涙を拭う。
「ク、ラウさん」
ソニアの慣れない愛称呼びに、しっとりした雰囲気が一瞬止まる。また間違ってしまった。
「……ソニア、朝食を終えたら少し呼び方の練習しようか」
「へぇっ?」
「もういっそクラウでいいから。“さん”はもういらないよ。そうだ、間違えるたびにキスをしようか」
「あ、あ、あ、あ、あ、あれはダメっス! 喋れなくなるっス!」
真っ赤な顔で腕で大きくばつ印を作るソニアに、クラウディオはにっこりと良い笑顔を浮かべる。冷や汗をかいたソニアは早々に愛称呼びを習得することになる。
***
本編に入れようか、カットしようか、大層悩みましたので、こちらにお邪魔しました。




