〈seagull N〉
「あははっ!遅い遅い!」
ベヒモスの巨大な触手の群れは、まるで1つの波のよう。
その波が、ハートを飲み込まんと迫っていく。
しかしその動きはあまりにも遅く、激しく動き回るハートにはまるで当たらない。
針の穴に糸を通すように触手の間を潜り抜け、時に触手を切りつけながら、ベヒモスへと接近する。
ドローンの軍団が銃弾の雨を降らせるが、こちらも当たる気配はない。
「『アサルトランス』!」
ラスボスたるベヒモスには、状態異常やデバフは効かない。
ゆえに、純粋な火力で勝負しなければならない。
ハートはスキルによってクリティカルダメージを倍増させながら、ベヒモスに連撃をお見舞いする。
無防備に近づいてきたハートを捉えるため、ベヒモスの触手が唸りを上げる。
「あははっ、当たんないよ!『竜巻旋風』」
そのスキルは物理法則を無視してハートを浮かび上がらせ、一瞬のうちにベヒモスの上をとる。
ハートは横方向に回転しながら、象のようなベヒモスの頭に遠心力の乗った攻撃を放った。
さらにベヒモスの背を駆け抜けながら、切りつけていく。
ベヒモスの背は広く、駆け抜けるには充分だった。
反面、ブニブニしている上に揺れるので、走りにくかった。
ハートはそんな悪路をものともせずに動き回りながら、大地たる背中に短剣を突きつける。
ドローンはベヒモスに弾が当たるのも気にせず、こりずにハートを狙う。
ハートはドローンの攻撃を避けつつも、ドローンに対しては攻撃しようとしない。
何体いようとハートを遮ることなどできないし、どうせ倒しても後から後から湧いて出るのだから、無視しても良いだろうと思っているからだ。
そんなハートの考えは確かに正しい。
いや、正確には正しかったと言うべきか。
突然、ドローンの動きが変わったのだ。
それは、ベヒモスの背で暴れるハートを、ハエ叩きのように触手が襲っている時のことだった。
ドローン軍団のうちの3体の中から、突如として刃が生えてきたのだ。
3体のドローンは中距離戦を捨て、近接戦闘に移行してきた。
「ははっ!なんのつもり?」
ドローンの飛行速度も反応速度も、到底ハートに対応できるものではない。
だというのに自ら間合いを詰めてくるなど、自殺行為に等しかった。
だが、ハートはその考えが甘かったということを思い知らされることになる。
その3体のドローンは、先ほどまでとはまるで動きが違っていた。
相手の剣筋を読み、その小ささと飛行能力を活かして立体的に飛び回り、連携して多角的に攻めてきた。
さらに後方のドローンの動きも変わる。
これまではただガムシャラに目の前の敵を撃つだけだったのが、前衛の隙を埋めるようなタイミングで、あるいは逃げ場を潰すように撃ってくる。
まるでモンスターではなくプレイヤーを相手にしているみたいだ。
「強くなった?けど、足りないよ!あははっ!『飢鳥転進』」
ハートは空中へと飛び上がり、3体のドローンを見下ろす。
身を翻して、一太刀で3体まとめて叩き切った。
これで、鬱陶しくまとわりつく奴はいない。
そう考えていたのだが。
後方で銃を撃っていたドローンの内の3体から、またしても刃が生える。
どうやら、近接戦闘してくる個体は変わり者、というわけでもなさそうだ。
機械なのだから当たり前か。
どれだけ倒しても、ドローンたちにこの陣形を崩す気はなさそうだ。
それに加えて、ベヒモスの触手まで攻撃を仕掛けてくる。
ドローンたちを一切巻き込んでないあたり、連携はとれてるようだ。
ドローンの動きが変わろうとも、ハートはほとんどダメージを負っていない。
しかし、ベヒモスへの攻撃の手はかなり緩くなっている。
普通であればかなりマズい状況だ。
しかし、ハートの考えは違う。
ダメージは確実に蓄積している。
ならば、いつかは倒せる。
その“いつか”は明日かもしれないし、来月かもしれないし、来年かもしれないが。
30年間一瞬の休みもなく戦い続けたハートにとってみれば、あまりにも短い時間だ。
ドローンと触手の猛攻を受け流しつつ、ベヒモスへ攻撃を加えていく。
と、そこでハートは気づいた。
地面が、傾いていることに。
これまでベヒモスの触手以外の部分は、ほとんど動かなかった。
常にフラフラと揺れてはいたが、ハートが小さいから大きく揺れているように感じただけで、ベヒモス視点では大した動きではないだろう。
しかしここにきて、横向きに倒れ始めたのだ。
ハートはベヒモスの背を登り、横腹を目指す。
そこに待ち構えていたかのように3体のドローンが現れ、ハートを切りつける。
2体まではかわしたが、3体目はかわしきれずに短剣で受ける。
それが失敗だった。
3体目のドローンが赤い光を放ったと思ったら、次の瞬間には爆発していた。
爆発は小さなものだったが、不安定な足場にいるハートを吹き飛ばすには充分だった。
ハートは空中に投げ出されてしまう。
そこを狙って2体のドローンがハートを狙う。
「っ!『爽閃』」
短剣系最速のスキルで、ハートは2体のドローンを叩き切る。
しかし、ドローンはそれでは終わらない。
射撃戦用のドローンが、待ちかねていたように銃口を向けていた。
「『旋風刃』!」
ハートの体は物理法則を無視して下に沈み込む。
それにより、銃撃の当たる位置がズレる。
だが、完全にかわせるわけではない。
おそらく、左腕は持っていかれるだろう。
そんな状況下でも、ハートはひどく落ち着いていた。
笑顔の仮面の裏で、落ち着いていた。
腕が無くなるから、なんだというのか。
どうせ時間が経てば生えてくるのだし、今はポーションだってある。
片腕が飛ぶ程度のことは、この30年でいくらでもあった。
むしろ、五体満足な時間の方が少なかった。
たとえどれだけ傷ついても、どれだけHPが減ろうとも、0にならなければそれで良い。
痛みなどないのだから。
だが、なぜだろうか。
エイの顔を思い出したのは。
あの日、塔の前で炎を操る男と戦った時。
ハートは、あの戦いで『死にかけた』とは思っていない。
HPゲージが赤く染まるのは、ハートにとって“ピンチ”ではなく“いつも通り”だ。
結局あの時だって死にはしなかった。
だというのに、どうしてエイはあんな悲しそうな顔をしたのだろうか。
どうして彼女は、抱きしめてくれたのだろうか。
ハートには、分からなかった。
けれど、分かることはある。
エイが、親友があんな悲しそうな顔をしているのは、嫌だということだ。
腕が無くなっているところを見られたら、傷ついているところを見られたら、きっとエイはまたあの悲しそうな顔をするだろう。
それは、嫌だった。
「『鏑矢・爆音』」
一筋の矢が、銃弾を射貫く。
矢は着弾した途端に爆ぜ、爆音を響かせながら爆発した。
爆風は盾のようにハートを守り、弾は1発も当たらなかった。
ハートは猫のように音もなく着地し、矢が飛んできた方向を見る。
確認するまでもないことだが、矢を放ったのはNだった。
「ハート!」
「……しぐるん?なんでここに?」
ハートは笑顔のまま、しかしどこか怪訝な顔でNを見る。
ベヒモスと戦うことをあれだけ反対していたNが、ついてくるとは思っていなかったのだ。
そんなハートに対して、Nはいつものように無表情――ではなかった。
「……キミは、いつも人の話を聞かない」
Nの瞳には、激情が秘められていた。
時々、それこそ数年に一度ほどのことだが、Nはこんな風にハートを怒る。
しかし、今日のソレはいつもとは少し違うように見えた。
「自分の決めたルールに従わないと怒るくせに人が決めたルールは守らない!危ない場所には嬉々として突っ込んでいくし、少し外に出れないと退屈だとか言ってすぐにどこかに行く!真面目な式典をしょうもないイタズラで台無しにするし、人のオヤツは勝手に食う!1人で冒険に出るのが好きな割に、1人で寝るのは嫌だとか言って勝手にベッドに潜り込んでくる!」
ハートには、まったく意図がわからなかった。
戦闘の最中だというのに、Nは何をしたいのだろうか。
わからなくて当然だろう。
これは、一種の踏ん切りだ。
過去の自分から、生まれ変わるための。
「それに……変なところで責任感が強い。今日も、あの日も、みんなを危険に晒した責任をとったつもりなんだろ?だからボクの話も聞かずに一人で突っ走った」
Nはもう、怯えない。
膝を抱えてうずくまることの無意味さを教わったから。
だから、鳥籠は必要ない。
もう、線は引かない。
「だから、ボクも決めた。もう2度と、キミを1人にはしない!たとえキミの命令だろうと、置いていかれはしない!キミの横で、ボクも共に戦う!」
名は体を表すという。
今の彼女は、古性凪ではない。
ならば鳥のように、この空を飛んでみせよう。
広大で、恐ろしく、何より自由なこの空を。
それが、〈seagull N〉としての生き方だ。




