ハート⑦
西暦2100年(デスゲーム開始から70年)バベルの塔
ラストダンジョン『バベルの塔』の攻略10日目。
その日、夜明けの探索者は壊滅した。
メンバーのほとんどがゲームオーバーになったことで、ギルド成立の最低人数を下回ったのだ。
始めは120人もいた攻略隊も、今やたったの5人だけになってしまっていた。
最後に死んだのはジュジュだった。
千を超える天使の群れにも怯まず戦い、そしてベヒモスの一撃であっけなくゲームオーバーとなった。
「クソッ!クソッ!クソがああああ!」
「みゆきさん!落ち着いてください!」
目の前でジュジュが消え去り、怒りに震えるみゆきが、すぐにでも仇を討たんとラスボスに駆け出そうとする。
あの怪物に、ろくなダメージを与えられないことは分かっている。
しかし、このまま逃げ続けていると、怒りで頭がどうにかなってしまいそうだった。
そんなみゆきを羽交い絞めにして止めようとしているエイの顔は、悲痛に歪んでいた。
ここが戦場でなければ、今すぐに膝を折って泣き出してしまいたかった。
だが、周囲を取り囲む無数の天使を前にして、そんなことをしている余裕などなかった。
そんな2人に、桃花が近づいてくる。
カツカツと足音を立てて、ゆっくりと。
そして桃花は、みゆきに向かって思い切り平手打ちをした。
「みゆき!託されたのでしょう!?ジュジュさんに!ならば、まずは生き残ることを考えなさい!」
「……あああああぁぁぁぁ!」
みゆきはジュジュに託されていた。
この世界から脱出してほしいと。
ここから生きて出ることこそが、彼女の願いだ。
そんなことはみゆきも分かっていた。
分かっていても、自分を抑えられなかった。
必ず守ると、そう誓ったあの日の約束も果たせない、弱い自分への怒りが抑えられなかったのだ。
しかし、桃花の顔を見て頭が冷えた。
すべての感情を押し殺したかのような彼女の顔を見て、思い出したのだ。
今の自分の手には、4人の仲間の命がかかっていることを。
みゆきは、ベヒモスのいる方向ではなく、出口への道を塞ぐ天使の群れに向かって突っ込んでいった。
「しぐるん!バフの残り時間は!?」
「約30秒!それまでに脱出しないと不味い!」
ハートとNの声は、いつになく焦ったものであった。
それもそのはずで、彼女らはすでにアイテムとスキルのほとんどを使い切っていた。
今かかっているスキルの効果が切れたなら、この天使の包囲網を突破するのは絶望的だった。
「みゆきちゃん!退路の確保を!なんとかして出口までの道を作って!」
「……ああ!」
現状、5人は天使たちを少しずつ削りながら、出口に向かって進軍していた。
みゆきが火力で前線を押し進め、ハートと桃花が左右の敵を切り伏せ、Nが全体のサポートをする。
そして、後ろから迫るベヒモスを押しとどめるのはエイの役割だった。
ベヒモスは、5人を決して逃がすまいと触手を振り回していた。
触手は末端ほど細くなっており、エイに届くのは先端だけ。
しかしそれでも、触手は大人の身長ほどの太さを有していた。
激しく襲いかかってくる触手を、エイは何とか受け止める。
かつて味わったことのないほどの衝撃が全身を突き抜ける。
「こ、っのおおおぉぉぉ!」
「レイちゃん!ごめん、もう少しだけ耐えて!」
どうにかしてベヒモスの攻撃を耐えきり、周囲の天使からの攻撃に備えてポーションを飲む。
持ち込んだポーションの残量からして、あと2回耐えるのがやっとのようだった。
「トウカ!左上方から奇襲だ!迎撃を合わせてくれ!」
「了解ですわ!」
脅威は、ベヒモスだけではない。
周りに数千と浮かぶ天使は、ステータスだけならハートたちより上だ。
さらに厄介なのは、天使は空を飛んでいて、常に上方からの奇襲にも気をつけなければならないことだ。
単調な近距離攻撃しかしてこないことが唯一の救いだが、それでも徒党を組まれればかなりキツくなる。
ゆえにハートたちは、敵の攻撃パターンを見切ることでほんの一瞬でも1対1に持ち込み、敵を吹き飛ばすことで道を切り開いていた。
「レイちゃん!代わるよ!」
「……ごめん、おねがい!」
エイの速さは、5人の中で一番低い。
最後尾にいては追いていかれてしまう。
なので、最も速いハートが殿を代わるのだ。
ハートの攻撃力では、天使にまともなダメージを与えることはできない。
だが天使には『最も近いプレイヤーに攻撃を仕掛ける』と言う特徴がある。
それを利用すれば、回避し続けることで天使を足止めすることは可能だった。
「うおらああああ!」
みゆきの怒声とともに、天使が3体まとめて吹き飛ばされる。
それらは、出口までの道をふさぐ最後の一体だった。
「30秒!間に合った!」
「エイさん!ハートさん!道が開きましたわ!」
「よし、走るよ!」
ハートたちは全速力で走り始めた。
背後から迫ってくる天使にかまわず、必死で逃げ出した。
「転移トラップがまだ残ってるから、気を付けて!」
「大丈夫だ!場所はもうわかってる!」
転移トラップをさけながら、5人は出口へと急ぐ。
扉は、もうすでに見えていた。
しかし、問題がある。
天使のステータスは非常に高い。
速さに関して言えば、ハートより低いが桃花と同等といったところだ。
そして、他の3人よりも速い。
ハートはちらりと後ろを振り向く。
まだ少し距離はあるが、出口につくより追いつかれるほうが早いだろう。
再び立ち止まってしまえば、もう脱出は不可能になるかもしれない。
無論、ハート1人なら逃げるのは容易だ。
桃花はもちろん、みゆきやNだってなんとか走り続けることはできるだろう。
だが、エイは違う。
彼女はこの塔に挑んだ120人の中で最も遅い。
さらに、何度もベヒモスの攻撃を受け止め続けたことで、HPはもう限界に近いだろう。
このままでは、間違いなくエイは死ぬ。
「みんな!先行って!」
「え!?ココちゃん!?」
ゆえに、ハートは決断した。
奴らを足止めするために、ここに残ることを。
「ダメだよ、ココちゃん!残るなら私も――」
「立ち止まらないで!私の速さならすぐ追いつくから!外で待ってて!」
有無を言わせずに、ハートは叫ぶ。
それでもなお、エイは迷う。
親友を死地にただ1人置いていきたくはなかった。
迷うエイに、冷酷とも言えるNの言葉が投げかけられる。
「エイ。キミが突っ立ってたら、ハートが戦う時間が延びる。それくらいわかるだろう」
「……っ!わかった……」
エイは知っていた。
ハートが、誰のために足止めを買って出たのかを。
だからこそ、ここに残って戦いたかったし、だからこそ、ここに残るわけにはいかなかった。
「死ぬなよ、リーダー!」
「ハートさん……!」
「大丈夫!私、最強だから!あんなの相手に殺されたりしない!」
探索者たちは知っていた。
ハートの強さを。
彼女がやると言ったなら、それはやがて現実となるのだ。
4人は足を止めず、ハートだけが残った。
そこに、長槍が突きたてられる。
長剣が、棍棒が、鉈が、斧が、雨のように降り注ぐ。
しかし、その攻撃はハートには当たらない。
天使の単調な攻撃では、ハートを捉えることなどできないのだ。
「よし、もう少し……!」
扉の距離など、大したことはない。
あとほんの数秒、凌ぎ切るだけで良い。
そうすれば4人も扉にたどり着いて、ハートもようやく外へと脱出することが――。
「――え?」
バランスが、崩れた。
背後から、何らかの力が加わったのだ。
高レベルプレイヤーのハートが、バランスを崩すほどの力。
それはもはや、攻撃と言って差し支えない。
だが後ろには、敵などいない。
この状況が、索敵スキルが、それを保証していた。
そう、いるのは、4人だけだ。
後ろにいるのは夜明けの探索者の4人だけで、間違いなかった。
そんなことを考えている内に。
ハートの右手が、地面についた。
多少バランスを崩そうとも、ハートにとっては問題にならない。
ここからたて直せばいいだけの話だ。
本来であれば。
ハートの触れた地面に、紋章が浮かび上がる。
それは、決して踏まないようにと気を付けていた転移トラップ。
ダンジョンの最奥に飛ばされる最悪のトラップ。
ハートは、それに、触れてしまっていた。
#
「――は?」
つぎの瞬間、ハートの眼に映ったのは石の壁だった。
プレイヤーであれば簡単に壊せそうにみえるその壁が、じつはなによりも硬いことを彼女は知っていた。
いや、そんなことはどうでもいい。
「えっ、なんで、え?」
彼女は混乱していた。
後ろにモンスターなんているはずがない。
あの道は1本道で、モンスターがいたなら気づいている。
ならば、残る可能性は1つしかない。
「――誰かに、押された?」
なんで、なんでなんでどうして?
なにが起こった?
誰が起こした?
ふいに、天使の気配に気づいた。
天使はベヒモスのいたところに特に多くいたが、この塔の全域を広く徘徊してもいるのだ。
「ヤバッ!」
ハートに、天使を殺せる攻撃力はない。
攻撃を回避し続けることはできても、それではジリ貧だろう。
数が減らせなければ、いずれかわしきれずに殺されるだけだ。
ハートは、気配がしたほうとは別の扉を開け、廊下に出た。
「とにかく、入口に戻らないと」
ハートの心は、まだ死んでいなかった。
天使の行動パターンは把握したし、塔の内部構造は頭に入っている。
1度目は、塔の探索と仲間の捜索をしながらだったので10日もかかったが、自分1人が脱出するだけなら3日もかからない。
その間、天使の攻撃を受けずにいるのは、不可能ではない。
ハートは、そう考えていた。
「っと、そうだ」
ハートは、フレンドリストを開いた。
ハートにイレギュラーが起きたように、他の4人にも何らかのイレギュラーが発生している可能性がある。
その結果は、全員生存。
さらに、通話可能状態になっているということは、ダンジョンからはすでに出たということだ。
「良かった。みんなは外に出れたんだ」
4人とも無事であることを確認して、ハートは安堵のため息を吐く。
どうやら、あの足止めは無駄ではなかったらしい。
きっと4人はハートが出てこなくて酷く慌ててるに違いない。
だから、早くここから出てみんなを安心させなければ。
いいやもしかしたら、自分を助けに乗り込んできてくれるかもしれない。
その時は、みんなで一緒に脱出しよう。
……背後からきたあの衝撃の正体は、考えないことにした。
ハートにとっては、仲間の存在だけがいまの正気を支えてくれていた。
仲間を疑い始めれば、きっと正気など保てなくなる。
なんにせよ、あの攻撃の正体は帰ってから聞けばいい。
もし仮にそれでも正体がわからなくても、それならそれでいい。
友達を、なにかの犯人にはしたくなかった。
#
3日もあれば塔から出れる。
それが希望的観測に過ぎないことを思い知ったのは、トラップを踏んで4日目のことだった。
塔には障害物が少なく、空を飛ぶ天使相手に身を隠すことは難しい。
ゆえに、天使に出会うたびに大きく迂回せねばならず、ハートは出口にまったく近づけなかった。
さらに、迂回できない場合は天使の間を突っ切るしかない。
普段であれば回避するのは簡単だが、なにせ今のハートは2週間も不眠不休の状態だ。
いくらプレイヤーは眠らずとも活動できるとはいえ、ハートの集中力は限界に近かった。
「身代わり、使い切ったか……」
つい先ほど、最後の『身代わりの宝玉』を使い切ってしまった。
これでもう、即死級のダメージは一度たりとも許されない。
そんな状態でベヒモスの前を横ぎらなくちゃいけない。
あの山のような怪物の横を、天井を埋め尽くす天使の大軍の横を、一切の攻撃を受けずに走り切らねばならない。
「……やるしかない。みんな待ってる」
けれども、そこを抜けねば仲間の下へは帰れないのだ。
ならば、やるしかないだろう。
#
ハートがトラップを踏んでから、20日が経過した。
過程は地獄だった。
ほんの数時間だけと寝ようとしたら殺されかけたり、ポーションを節約しようと自然回復だけに頼っていたら攻撃されて死にかけたりもした。
嵐のような天使の猛攻をくぐり抜け、大地が震えるほどのベヒモスの攻撃をかいくぐり、そしてついには、扉の前にたどり着いた。
ハートはすでに満身創痍だ。
HPは1割を切り、左腕はどこかにいっていた。
残った右腕で、ハートは扉に手をかける。
ようやくだ。
これでようやく、帰れる。
この扉を開ければ、きっとそこには仲間たちがいる。
大勢のプレイヤーを連れて、今にも塔に突入しようとする直前で。
驚いた顔をした仲間に『ほら、私は死ななかったでしょう?』なんて言うのだ。
それから、それから、それから――
「――え?」
しかし、扉は開かなかった。
どれだけ力を込めても、ビクともしなかった。
まるでハートの希望をさえぎるように、門はただ静かにたたずんでいた。
「ウソ、でしょ。閉まってる?」
扉が、閉まっている。
これまで、ダンジョンの入り口があかなかったことなんてないのに。
押そうが引こうが引っ張ろうが、扉はビクともしなかった。
「あか、ない?」
扉に、短剣を突き立てる。
しかし、一切の傷はつかない。
何度も何度も、短剣をふるう。
しかし、扉になんら変化は起こらない。
力をこめすぎたせいか、短剣は手から零れ落ちてしまう。
かまわず、扉をたたきつける。
何度も、何度も、殴るようにして。
外にいる誰かが、聞いてるんじゃないかと。
扉をたたく音が、聞こえてるんじゃないかと。
誰かが、誰かがだれかが、扉の前に立っているはずだと。
全身から、少しずつ力が抜けていく。
扉をたたく音はだんだんと弱々しくなっていく。
まともに、立っていられなくなる。
ひざをついて、扉によりかかるような姿勢になる。
すがりつくように、扉をたたく。
なんども、なんども、なんども。
なにかが壊れる音が聞こえた。
壊れたのはきっと、心だ。
「なんで!ねえなんでなんでなんで!ひらいてよ!あいてよ!なんであかないの!?ねえ!なんでだれもいないの!?まっててっていったじゃん!れいちゃんとーかちゃんみゆきちゃんしぐるん!なんでいないの!?どこにいったの!?いみわかんない!ひらいてよ!おねがい!おねがいだから!」
ハートは忘れていた。
ここが未だダンジョンの中であることを。
戦場の中で、ひざをついて大声で喚き散らすことの意味を。
「――あ」
周囲には、天使の大軍。
万に達しようかというほどの天使たちが、ハートを睥睨していた。
#
なぜ、まだ生きているんだろう
どこか、暗い部屋で寝転がりながら、彼女はそう思った。
あの場で、死んでいてもおかしくなかったのに。
なぜか、生きている。
「……あ。ポーション、もう、ない」
HPを回復するためにポーションを出そうとして、ないことに気づいた。
そして、ポーションがないことに気づくのがすでに7度目であることも思い出した。
白い霧がかかったように、記憶は曖昧だ。
「なんにち、ここにいるんだろう」
もはや、時間の感覚などなかった。
ウィンドウ表示を開けば日にちは書いているのだが、今の彼女にそんな発想はなかった。
「なんで、だれもたすけにこないの?なんで、わたしがないてるのにだれもたすけてくれないの?」
彼女は泣いてなどいない。
当然だ。
この体に涙を流す機能などついていないのだから。
誰も、助けになど来ない。
エイも、みゆきも、桃花も、Nも、誰もこない。
きっともう、死んだと思われているのだろう。
あるいは、押した誰かが、なにか小細工をしたか。
もしかしたら4人とも共犯で、今頃高笑いでもしているのかもしれない。
ああ、いやだ。
仲間を疑ってしまう弱い自分が嫌だ。
そうか、弱いからダメなんだ。
弱いから、なにもなせない。
弱いから、失う。
ふと、父の言葉を思い出した。
いつ聞いた言葉だったかは、もう忘れてしまったけど。
――心が負けそうになったら、笑え。笑ってるやつが一番強いんだ。
「…………あはっ。あはははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
わらえ、わらえ、わらえ。
よわいココロをおおいつくせ。
えがおでハートをそめなおせ。
ないても、わめいても、だれもたすけてなどくれないのだから。
「あーあ、バカみたい」
殻のように、仮面のように、彼女は自身を覆い隠した。
弱い自分を、笑顔で埋めた。
彼女は、笑う。
自分の弱さを嘲笑う。
すべては、最強であるために。
もう、なにも失わないために。
「あははっ!」




