樹永
暗がりが、少しずつ光を取り戻していく。
時刻は昼前。
天高くまで昇った太陽が、この地下空間にも陽の光を届け始めていた。
そんな空間とは正反対に、Nの心は暗く沈んでいた。
進むことも引くこともできず、ただ立ち竦むその姿は、まるで籠に囚われた鳥のよう。
どれくらいそうしていただろうか。
Nは人の気配を感じて我に返った。
「――誰だ!?」
警戒しながら気配のした方を見る。
そこにいたのは寝転がっている女性だった。
いや、寝転がっているのではない。
手の力だけで這い進んでいるのだ。
女性は両足を怪我しているらしく、使えなくなった足の代わりに両腕だけで動いていた。
さらに足以外にもたくさんの生傷があり、動くたびに傷跡が擦れて痛むようだった。
そんな状態だというのに女性はNの下へ……否、その背後にある扉へ向かって動いている。
痛みを堪えながらも、決して歩みを絶やさないその様には、執念すら感じられた。
女性はNを見つけると、かすれた声を出した。
「……ああ、なんだ。……まだ、ここにいたんスか……?」
「その声は、まさか、樹永かい?どうしたんだ、いったい!?その傷は……!?」
樹永は、いつものアバターではなく、生身の肉体を使っていた。
生身ゆえに、その傷はHPの減りではなく明確な痛みとして樹永を襲っていた。
「……別に、ちょっと焦って、転げ落ちちまっただけっスよ」
「まさか、上から落ちてきたのかい!?アバターはどうした!?」
「多分っスけど……索敵スキルが、作用するのは……アバターだけなんスよ。……だから、この姿ならドローンにも見つからない」
絶体絶命の中、とっさに思いついた生き残る為の一手。
思いつきにも等しい推察だったが、しかしそれに頼るしかない状況でもあった。
そして、その推察は見事に合っており、あのドローンの大群から逃げることができた。
しかし、すべてのスキルを使えなくなったことで暗闇の中を見渡すことができず、さらにドローンの大群の中を生身で突っ切るという緊張もあり、足を踏み外してしまった。
Nはしゃがみ込んで樹永の状態を見る。
ここまで動けるのなら命に別状はないだろうが、万が一ということもある。
「樹永、すぐにアバターに戻るんだ。塔の生命維持装置の中なら、少しはマシなはずだ」
「……あの機械なら、落ちた時に壊れちまったっス」
「そうか……なら、すぐに戻ろう。たしか、塔には医療キットもあったはずだ」
「……なあ、なんでアンタが、震えてんスか?」
まるで、Nの心臓を射貫くような言葉が、樹永の口から飛び出してきた。
樹永は無理やり気味に上半身を起こして、Nの胸ぐらを掴む。
彼女は今にも死にそうな顔で、必死にNを睨みつけた。
「……ハートさんがやつらを追いかけて行ったのも、エイさんならきっとハートさんを追うだろうってことも、アンタ知ってんだろ!?なのになんで、仲間置いて逃げ出そうとしてんスか!?」
「……知った風なことを。キミは、アレの強さを知らないからそんなことを言えるんだよ」
「ハァ、ハァ……ラスボスに勝てねえから、ビビッてゲームの中に引きこもったって?それで【秩序派】なんて名乗ってたんスか?笑えねえっスよ」
「キミに何が分かる!?あの日、大勢の仲間が死んで、一時はハートまで失った!あの日の絶望が、キミに分かるのか!?」
あの日Nは全てを失った。
あれから30年かけて、Nは少しずつ取り戻していった。
そして今日、あの日全てを奪っていった元凶と、それをも超えかねない怪物が現れた。
Nにできるのはもはや、もう何も奪わないでくれと、震えながら祈ることくらいである。
「ゼェ、ゼェ……分かりたくもねえっスよ。こんなやつに、アリサさんが殺されたなんて」
樹永は、まるで生気を引き換えにするように声を絞り出している。
もはや話すのも辛そうだ。
しかしそれでも、樹永は叫ぶ。
その思いを、怨嗟を、そして憧憬を。
「自分は、10年前も20年前も50年前も!アンタの記事を書き続けてんだよ!アンタは、夜明けの探索者は、もっと輝いていたはずだろう……!?ゲホッ、ゲホッ………………なあ、なんで殺したんだよ……。殺したんならせめて、強くあってくれよ……」
掴んだ腕からは徐々に力が抜けていき、ついには倒れ込む。
それに伴って声からも生命力が失われていった。
樹永は、自分の顔を見られたくないのか、顔を伏せていた。
しばらく、無音が場を支配する。
やがて樹永は顔を上げ、懐からあるモノを取り出した。
樹永は――元夜明けの探索者担当であり、現自警団担当の記者は、宣言する。
彼女らの理念を。
「――東堂新聞社の理念は、すべての人にすべての真実を平等に届けること。こいつが、今のアンタに必要な真実っスよ」
誰よりも誇らしく、誰よりも力強く、樹永は語る。
そうして樹永は、懐から取り出したソレを押し付けるようにしてNに渡した。
Nがソレを受け取ったことを確認すると、プツリと電源が切れたように倒れた。
どうやら限界が来たらしい。
Nが受け取ったモノは、つい先ほど樹永が手に入れたテープレコーダーだった。
無言のまま、Nはそのテープレコーダーを再生した。
『2029年11月9日。エージェント〈カーム〉より報告』
途端に聞こえてきた声に、Nは驚愕を隠せなかった。
その記録が100年も前のものだったから――ではない。
その声の主が、よく知った人物だったからだ。
「ねえ、さん……?」
それは、100年前に死んだはずの姉からのメッセージだった。




