N②
東堂新聞社のインタビューを終えたNは、私室の椅子に座ってある人物を待っていた。
「――Nさん、入りますわよ」
Nの返事も待たずにドアノブは回され、扉は開かれる。
部屋を訪ねてきたのは桃花だった。
「やあトウカ。今日も見回りかい?」
「ええ。わたくしが出向くことで、皆さんを安心させる必要がありますから」
桃花は、【秩序派】が管理するいくつかの町を毎日のように回り、久遠の襲撃を警戒していた。
ちなみに、街から街への移動には『転移ポータル』と呼ばれる施設を使っている。
『転移ポータル』は1度行ったことのある街へと瞬時に移動できる施設だ。
また、持ち運びのできる『転移結晶』という消費アイテムもある。
「アリサさんのインタビューはどうでした?それと、大監獄の視察の方も」
「どちらも、大したことはないよ。大監獄の囚人は本当に何も知らないようだし、インタビューも特には……ああ、そうだ。決戦の日にはあの新聞屋をここに呼ぶことになる」
「……上手くいくと良いのですが――」
最近の久遠には、不穏な動きが多い。
東の最果ての侵略、桃花の暗殺未遂、さらに彼女が久遠に加入したという噂もある。
そして問題なのが、それらすべての動きが全く感知できなかったということだ。
偶然かもしれないが、随分と奇妙な話だった。
「まあ、少し休みなよ。ハーブティーでも飲むかい?」
「……お願いしますわ」
久遠が宣戦布告をしてきて以来、桃花はずっと忙しく動き回っており、かなり疲れがたまっているようだった。
Nはテーブルを挟んで反対側にある椅子に桃花を座らせると、棚からコップと茶葉を取り出し、すでに沸かしてあったお湯でハーブティーを作り始める。
「最近ちゃんと寝てないだろう?shaynが言うには、7徹目らしいね」
「また、あの子は勝手に私のことを……。休んでいる暇なんてありませんわよ。それに、そもそもこの世界で眠る必要なんて――」
「ダメだ。眠らなければそれだけ集中力は下がるし、疲れも溜まる。いつ久遠が攻めてくるかも分からないんだ。体調は万全にしておくべきだよ」
真面目な桃花には、ただ休めと言うより、次の戦いに備えろ、と言った方が効果的だ。
「……そうですわね。分かりました。今日は少しだけ眠ることにしますわ」
少しだけ表情を崩して疲れた顔を見せた桃花に微笑みながら、Nはハーブティーをテーブルに置いた。
桃花は、Nの淹れたハーブティーを飲み、一つ息をつく。
「……いつ相手が攻めてくるか分からないというのは、気が滅入るものですわね」
「一応、100周年のその日に合わせて攻めてくるとは言っているけれど。実際のところどうかは分からないからね」
特に、向こうは少数精鋭。
数十人単位で隠密して動かれると、見逃してしまう可能性がある。
そしてたかだか数十人でも、こちらの拠点の1つくらいは簡単に落とせるだろう。
敵拠点には斥候を配置しているし、新聞社からの情報提供もあるが、どこまで機能してくれるか。
「向こうの利点はレベルの高さと高性能な武器による圧倒的な“個”の力。守るものの多いこちらとしては、少人数であることを活かして縦横無尽に動かれたら敵いませんわね」
「それはないんじゃないかな。向こうからしてみればただでさえ少ない戦力だ。分割しようとは思わないと思うけど。それに、こっちは転移を使えるわけだし。防衛に徹すれば負けることはまずないよ」
転移には、いくつか制限がある。
例えば、転移結晶は最後に行った街に戻ることしかできない、一部のダンジョン内部では使えない、などだ。
そしてそんな制限の1つに、犯罪者には使えないというものがある。
そもそも転移先が街中なので、街の機能が使えない犯罪者には使えないというわけだ。
「そんなに不安がらなくても大丈夫だよ。久遠が最後に街を占拠したのは1年前だ。装備は万全でも、ポーションはもうかなり少なくなっているだろうさ」
街を占拠するデメリットの1つに、新たにNPC製のアイテムが作られないところが挙げられる。
街が正常に機能しているのなら、安いポーションはほぼ無限に手に入るが、占拠してしまえばその時店に並んでいる分しか手に入らない。
もちろんプレイヤーが自分で作ることもできるが、【脱出派】にまともなポーション職人はいない。
なぜなら、五大ギルドの1つであり、ポーション職人のほとんどを抱える生産系ギルド『漆黒魔術師同盟アルティメットファイアー(仮)』が【秩序派】だからだ。
今の久遠は、時間が経てば経つほど回復手段を失っていく状態だ。
ゆえに、自警団は自分から仕掛けることはせず、待ちに徹しているのだ。
と、そこまで話してNは気づいた。
戦いのことなど忘れてリラックスして欲しいのに、結局戦いの話をしていることに。
これはマズい。
どうにか話題を変えなくてはいけない。
「ボクの姉が言うには、疲れた時はとにかく寝るのが大事らしいよ。だからキミも――」
「……Nさんはお姉さんがいらっしゃるのですね」
桃花の反応を見て、Nはしまったという顔をする。
焦って話題を変えようとしたのがいけなかった。
「……言ってなかったかな?」
「知りませんでしたわよ」
100年来の友人が家族構成も明かしてくれていないということに気付いたせいか、いじけたような態度をとる桃花。
普段から団長として凛々しさを崩さない桃花にしては、なかなか珍しい姿だった。
「この世界で生きていくと決めた以上、前の世界の話はしない方がいいと思って言わなかったんだよ」
「それは、わたくしもそうですけど」
この世界に閉じ込められた多くのプレイヤーは、外の話をしたがらない。
なにせ、いつ出られるのか、そもそも本当に出られるのかすら分からないのだ。
ゆえに彼女らも、ゲームが始まる前の話は、ほとんどしたことがなかった。
しかし、もう1世紀近く一緒にいるのだ。
そういう話をしても良いだろう。
「それで、お姉さんはどんな方ですの?」
「自由奔放で、じっとして居られない性格の人だったよ。成人したらすぐに家から出て行って、世界中を飛び回るような、そんな人だった」
「まあ、あまりNさんとは似ていませんのね」
「そうだね。強いて言うなら、ハートやキミの方が似ているよ」
眩しそうな、なにかを思い出すような目をするNを見て、桃花は不安に思う。
彼女は本当に自分についてきていいのだろうか。
「……Nさんは、お姉さんに会いたくはならないのですか?」
本当はこの世界から脱出して、姉に会いたいのではないのか。
そんな桃花の不安に、Nは心底嫌そうな顔をする。
「まったくキミは心配性だね。ボクの知り合いなんて、とっくに老衰で死んでるさ。それに、そもそも姉はゲームが始まる前にどっかの外国でテロリストに撃たれて死んだからね」
「えっ?そ、それは配慮に欠けたことを聞いてしまって、申し訳――」
「いいよ。もう1世紀前の話だから。とっくに心の整理はついてる。そもそも……そもそもだ。ボクはあの日、キミについて行くと決めたんだ。キミと共にこの世界を守ると。だっていうのに今更疑われるなんて心外だな」
「Nさん……」
早口でまくし立てるNに、桃花は申し訳なさそうな、それでいてどこか嬉しそうな顔をする。
桃花は残ったハーブティーを一口で飲み干す。
気持ちを切り替え、表情を作り直す。
その表情は、友人に見捨てられることを恐れているようなものではなく、自警団の長としての表情だった。
「それならばこれからも、わたくしの理想のために働いてもらいますわよ」
「もちろんだよ。我らが団長殿」