47.教会の街
ゴトゴトと進む馬車からゴブリンに石を投げつつ進む。
以前に通った際は、こんなにゴブリンは現れなかった。大発生と言われてもピンと来なかったが、こうして見ると確かに多い。青鬼とゴブリンが徒党を組んでヒトを襲うなど、かつて無いことだ。それこそ、絵本には魔王の軍団なるものが登場していた。その構成は明らかではないが、似たような状況に陥っているのだろう。
そうさ、まさに今、絵本の中で起きていたことが現実になったのだ。
これは、御者くんの弁である。
やはりロムトス語が使えた御者くんは、ニジニが親切で置いた訳ではない。椿がロムトスとまだ繋がっている事を期待してのことだ、ようは間諜である。あるいは、椿の独り言すらすべて拾う気でいたのかもしれないが。
その彼曰く、椿の槍捌きを見て評価が変わったんだと。ニジニは割と脳筋な体質があり、武芸に優れる事が尊敬を集める才能らしい。出鱈目な勇者の影に隠れてしまったが、青鬼を単独で、しかも槍一本で倒すとか、そうそう無いらしい。まあ、槍じゃなくて薙刀なんだけど。
あの車列の中央を襲った青鬼が真っ先に椿を襲ったのは、殿でゴブリンを潰しまくっていたのが原因だろうと御者くんは語る。亜人と言われる化物たちは、まず一番強いと判断した個体に挙って襲いかかるらしい。
長く伸び切ったこの車列で、先頭と後尾にだけゴブリンが襲ってくるのもこの理屈のようだ。なんせ先頭には茜がいる、近づいたら某ホラーゲームのロケットランチャー張りの攻撃が飛んでくるのだ。まず、茜が集中攻撃の対象になるのは想像に難くない。そして、後尾では石しか飛んでこないが、それでも即死するのだからゴブリン達の評価は似たようなものだろう。後方の亜人達は、椿を狙うのだ。
見かけは馬車だが、乗っかっているのはあの勇者だ。そのおかげで戦車の行軍となっているわけだ。なるほど、亜人が現れても止まる必要がないな。
例の大きな木がたくさん聳える、深い森の側を通る道に差し掛かった。御者くんに、以前ここで耳の長い美形に襲われたことを話す。『森人』とのこと。魔力の多い種族で、茜が見せたような戦いが得意らしい。ヒトと同じ女神を崇拝するが、黒髪は堕落の終着点として特に嫌うらしい。
なんだそれ、堕落とはいったい……
あれも亜人なのかと聞くと、ヒトと同じように女神がこの世界に産み落とした命だと言う。他にも地人やら、野人やらが居るらしい。『野人』が気になるな…… ロムトス語で原っぱの『野』であるが、旅する、とか長距離を移動する、とかの意味もある。地人はあれだろ、エルフが居るんだしドワーフだって居るかも知れない。指輪物語になぞらえば、残るハーフリングが野人な気もするな。
心配を他所に、その耳長の襲撃はなかった。
椿は素晴らしい景色を堪能しながら、馬車に揺られて過ごすことができた。かつて3泊4日は掛かった、神都から教会の街までを僅か2日で走破したのだ。馬車は楽ちんである。
久しぶりの教会の街である。糞司祭に覗き魔女と、ここには嫌な思いしかない。
先の駅と同じように、勝手に馬車を降りて宿を探す。椿は一度使った施設を繰り返し使うタイプだ、かつて利用したことがある宿を選ぶ。革もの屋と服飾屋にも行きたいが、すでに日も落ちかかっている。もう店じまいを始めているかもしれない。明日の朝に訪ねようか? 馬車に置いていかれても、走れば追いつけるし。派手な茜が居てくれるので、椿への関心は低いだろう。割と好き勝手しても咎められないように感じる。そもそも、居ないことに気づかれないかも? まあ、見張りの御者くん次第かな。
宿で受付を済まそうとすると、女将が声を掛けてきた。
『おや、見た顔だね』
……ちゃんと言葉が分かるよ。以前はこの世界の住人達が見せる豊か過ぎる表情を頼りに、コニュニケーションをとったものだ。なんと感慨深いことよ。
そこに祈る神が居るわけではないが、天を仰いで何やらブツクサ言う椿を気にもせず、女将は話を続ける。
『馬鹿みたいに背の高い黒髪の女を見かけたら、
聖堂にくるように伝えてくれって頼まれていたんだよ。
思ったより早く来てくれて助かったよ』
教会の事だろうか? 『聖堂』だし、聖なる家だ。そこに来いって?
いったい誰なのか。疑問が表情に出たのか、女将が続ける。
『珍しいことに神殿侍女が、わざわざうちなんかに来て
言伝を残していったんだよ。
昔はもっと居たんだけどね。
フーリィパチに神殿ができてからは、偉い人と一緒に移って行ったからねぇ』
神殿侍女と言えばシェロブが思い浮かぶ。彼女なら魔法で一瞬でこの街まで移動できる。しかし、放逐された椿を追ってくるとも思えない。
とりあえず、女将に礼を言ってから宿を出る。
時刻は日暮れだ、椿は熊モードで小走りに教会へ向かう。中央の通りをまっすぐ行けばよい。なんせこの街のど真ん中にあるのだから。幸いなことに、外国の軍勢がくると言うことで街の人々の目は門前の広場に集中している。多少目立っても問題はない。
それにしても、フーリィパチに神殿があるとは初耳だ。そう言えば、あの街は椿が呼び出された場所だった。召喚は女神が行うとか聞いているし、召喚の儀が執り行われるのに神殿ほど相応しい場所は他にない。それに段々と思い出してきた、糞司祭とおんなじような衣装のおっさんがたくさん居た気がする。あそこが神殿か、なるほどー……
懐かしい街に思いを巡らしている間に教会が見えてきた。
相変わらず教会の入り口には扉がない。フーリィパチの教会と予想される例の建物にも扉がなかったし、教会の特徴なのかもしれない。来る者は拒まず、とか?
すっかり日は落ちて、入り口の脇では篝火が周囲を照らしている。内部からも明かりが漏れているのが分かる、夜更かしをしないこの世界の住人達にしては珍しい。椿を待っていたのだろうか。
それにしても、地球に於いては寺を電灯でライトアップするは下品だと思っている椿だが、篝火で照らし出される教会には心動かされるものがある。元は病的に白い建物だ、まるで夕日を浴びたような茜色に染まっているのは何とも趣がある。
あまり遅くなると宿に迷惑を掛ける、椿はとっとと用を済ますべく躊躇ない足取りで中に入った。
最初に目に入ったのは、女性とその隣に立つ糞司祭だ。あの時とまったく同じではないか。椿は、知った顔の司祭よりも女性に注目する。スターシャと同様に満面の笑顔が見て取れる。
『お久しぶりです、聖女様!』
うげっ! 覗き魔女だ! 間違いなく、あの魔女がいる。スターシャと言い、教会関係者は頑丈過ぎないか? またもや恍惚とした表情で椿を迎える、様変わりした魔女が一歩こちらに近寄った。胸の前で手を組み、口は笑う形のままで半開きだ。これはアレだ、お気に入りの芸能人を前にしたおばちゃん達の仕草だ。
スターシャもそうだったが、椿に殴られるとあのようなアホになるんだろうか。この魔女は特に頭を強く殴ったからな、いや強いってレベルではなかったはずなんだが……
『心配しなくても、彼女は元からこんな感じですよ。
フーリィパチで出回っていたポーションのお陰で、
彼らはみな快癒しています。
とある時期に、白い魔力の籠もった奇跡のような
ポーションが出回っていましてね。
はてさて、どこで作られたものやら』
こんな事を言いながら、司祭は椿から視線を外さない。お前が作ったんだろうと、暗に言っているのだ。
それにしても、カミラの元で作ったポーションが、こんなアホを量産してしまったのか。残りの2人もアホになっているかもしれない。そんな牽制地味た挨拶もそこそこに、司祭は話を進めていく。
『大司教さまの計らいで、貴女がこの街で十分な
休息を取れるように準備をしておりました』
大司教とは、あのハゲな…… 派手な衣装の司教様だろうか。
『ニジニの兵はどうするんですか?』
椿の疑問に司祭は頭を振って応える。
『放って置いても勝手に進むでしょう。
彼らにはフーリィパチの大神殿で合流すると伝えてありますよ。
そもそも、貴女がわざわざ馬車を遣うことはないでしょう。
それに、フーリィパチまでなら一瞬で着くことができる、ほら』
司祭が女神像の脇にある、扉のような意匠が施された白い壁を指差す。司祭の話題に出るのを見計らったように、壁から人影が浮かび上がってきた、シェロブだ。
『お嬢様、ここからは私もご一緒いたします』
覗き魔女が自分も連れてけとばかりに、ずいっと一歩近寄ってくる。無視だ、無視だ。
『ニジニの出立が急すぎて、根回しが間に合わなかったんです。
貴女を連中と同行させるなど、気が気でなかった』
なんでもシェロブは、物資を集めていたらしい。シェロブの魔法で何時でも、何処からでも、神殿の部屋に取りに行けるそうだ。ハゲな…… 派手な衣装の司教様の取り計らいだそうな。曰く、女神様のお力をヒトの魔法如きで測れるはずがない、とのこと。なんとも意外な味方がいたようだ。
シェロブの説明を、司祭が引き継ぐ。
『そもそも、他国の魔法使いの鑑定を信じるわけがないでしょう。
ロムトスから聖女を引き離し、掻っ攫うつもりかもしれない。
もともとイオシキー大司教は、貴女を王から引き剥がす機会を狙っていました』
先王たるお爺ちゃんが椿を囲っていたので、静観していただけだと言う。名前が発覚したハゲと、お爺ちゃんは同世代だ。政敵として切った張ったを繰り広げた間柄ではあるが、公務を離れれば友人としての付き合いもあったらしい。
ニジニから使者が訪れたのを機に、王が動き始めたのだ。もともと、聖女としての奇跡など目立った行為がなかった椿だけに、亜人討伐の開始は目処が立っていなかったそうだ。そこに、とても分かりやすい力を持つ勇者が現れた。聖女を餌に焚き付けて、ニジニを国内の亜人討伐に持って行くのが王の狙いだ。
大司教はこれに反対したらしい、聖女は最後の最後に後片付けだけすれば良いと。なんせ、絵本には聖女の冒険活劇はない。そんな記録は存在しない。勇者が大暴れした後、聖女がその役割を果たす然るべき機会が訪れるはずだ、と。
なんとも甘言ではないか、大司教の考えは素晴らしい! 勇者を主に働かせて、最後の美味しいところだけ掻っ攫えと言うのだ。同意しかないぞ、うん。
思わずこくこくと頷く椿に、司祭は呆れ顔だ。
『それでも、ロムトス国内の亜人退治は手を抜かれては困るので
同行して勇者を焚き付けて頂きたい。
ニジニに渡ったら手を抜いてよろしい、と』
イカレ王と、大司教の要求は巧いこと折半されたらしい。
ともあれ、今夜の宿は教会に移ることになった。実家の祖父といい、神都のお爺ちゃんといい、ハゲの大司教といい、椿には孫属性が付いているのか、やたらチヤホヤされるものだ。代わりに若い男にはモテないのだが。
そして、椿はいつぞやの座敷牢にそっくりな部屋の、ふかふかのベッドで夜を越えることができた。
やたらとお年寄りにモテる人って居るよね。




