44.聖女
王子の紹介があった会食から、一夜が明けた。
今日は、朝食の後でまた一席を設けるらしい。椿の年齢が話に出てから、明らかに王子の対応が塩っぽくなった。失礼極まりない。母親に近い年齢の女に欲情した自分を恥じたのだろうか、それとも惚れた椿との歳の差が衝撃だったのか。うむ、惚れたとか、ないか。
まあ、聖女を側に侍らせて悦に浸りたかったのかもしれない。すでに椿の中で、王子は真面目系クズを認定済みだ。もう、王子は居なくても良い。久々に朝食を共にしたお爺ちゃんと、そのまま昨日の続きへと会話を進める。
『聖女ってなんですか?』
一番はっきりさせておきたい事を聞いておく。
『魔王による魔物の大氾濫を終わらせる役割を持つと伝わっておる』
『魔王? 絵本にあった女神のお伽噺の?
それが魔物を増やしているんですか?』
ゴブリンやら、青鬼やら居るんだから、魔王が居ても不思議ではない。
『そう考えられておる。
実際にヒトの手では滅ぼせないと、数々の記録が伝えておる。
我々ヒトは、魔王が生まれる度に聖女を迎え対抗したそうだ』
『ヒトに対して不死身なんでしょ?
私が魔王なら、聖女が出てくる前にヒトを滅ぼしたいと考えるよ。
つまり、もう魔王の存在は確認されているってことだよね?』
お爺ちゃんが言うには、増え続けている魔物と、それらが強力になっていることから、魔王はすでに出現していると考えられているらしい。たしかに、絵本では黒い魔力を持ったヒトが魔物を生み出したと描かれていた。
ゴブリンやら青鬼などの亜人種は、今代の魔王が生み出しているわけではないとお爺ちゃんは続ける。絵本にあった、最初の黒い魔力を持つヒトが生み出し、今もこの世界にこびりついているらしい。そしてアレらは、繁殖しているわけではないと言う。突然に姿を表すのだと。
『大凡、100年毎に魔王は蘇ると、記録がある』
『ん? 同一人物なんですか。蘇るって』
『魔王をその目で見たことがある者なぞ、それこそ英雄か聖女自身だけであろうよ。
ただ、記録にはそうあるのだ』
なんとも半端な記録だこと。魔王と「黒い魔力を持つヒト」が同一人物かも分からない。ともかく、聖女が「白い魔力を持つヒト」ってのに間違いはないらしい。取っ替え引っ替え用意されるのだろう、白い魔力のヒトは。冗談抜きで、拉致及び強制労働ではないか。
『ところで、なぜ黒髪を嫌うんですか?
まあ、なんとなく想像はできるんですが』
お爺ちゃんは片眉をくいっと上げて応える。
『魔王はすべからく黒髪らしい』
『さっき、同一人物かは分からないって。
髪の色だけ残るとか、その記録ってのは本当に信用できるんですか』
他にもあるぞ、とお爺ちゃんは可笑しそうに続ける。
『どの国の者であっても魔王と対話を成せなかった、とかな』
『黒髪で、言葉を知らないとか、まるっきり私じゃないですか』
『さぞ、嫌われたであろう?』
『この世界にきて1分で殺されるくらいには』
『儂も初見では面食らったもんだ。
だがもう大丈夫だろう、会話も十分にこなせる。
何よりその白い魔力が、ツバキが魔王ではないと証明しておる』
お茶のおかわりが終わる頃に、今日は城に上がってもらうと伝えられた。この格好で良ければと答えると、構わないらしい。お爺ちゃんは準備をしてくるからと食堂を出ていった。
『この世界では、白い魔力を持つヒトが居ないんです。
居た記録もなくて、例外が聖女様なんですよ』
お爺ちゃんを見送りながら話を補足するシェロブに、スターシャが乗ってくる。
『女神様は白い魔力を持つそうです。
つまり白い魔力を持つお嬢様は女神様と言うことです!』
笑顔でにじり寄るスターシャを押しのけて食堂を出た。
『つまり聖女って、自分の世界に居ないから
余所から拉致ってきてる、って事じゃないの?』
椿のボヤキに答える声はない。
そのまま2階に上がり、シェロブに着替えを手伝ってもらう。半年も経てば、服を変える機会がいくらか持てた。けれども、初めて手に入れた装いと基本的に変わっていない。
白い開襟シャツにカーキ色のベスト、同色のスカートは椿の体型にあったものがなく膝下まで。外套は革製のものは旅装とし、普段使いからは遠ざけた。代わりを腰までの丈で新しく作っている、これには植物由来の木綿のような布を使用した。日本ではトンビコートとか言われる、和装っぽい姿のお気に入りだ。植物由来にしたのは、もちろん強化できるようにだ。靴は、ずっと同じ革の編み上げブーツを愛用している。
割と錬金術士達が好む姿に近い。出かける準備を終えたお爺ちゃんと並ぶと、同じ職場の上司と部下の様相だ。これを誂えたときにお爺ちゃんは、孫が自分の装いを真似ているのを愛でるような視線を送ってきたものだ。いや、実際に意識している。某魔法学校の校長先生と言われても違和感ないお爺ちゃんの装いだ、真似をしたくもなる。
玄関を出ると、馬車が待っていた。坂道の多いこの街では、馬車は究極に軽量化されている。2頭引きの馬車は、屋根がない。乗用車のように、前方を向いた椅子が4つ付いたシンプルなものだ。後方に蛇腹のように格納できる布の幌があるが、晴れの多いこの季節は取り外されている。何より座面もビーチチェアみたいな、フレーム間に布が張ってあるものなのだ。下手なクッションより、振動に強い。
御者とお爺ちゃん、スターシャを含めた4人で乗り込むと、馬車はするすると進みだした。揺られること30分、半島の先端にあるお城に到着した。館で馬車を見送ったはずシェロブが、当然のように先に着いて待っていた。彼女の壁抜けの魔法は、同じ意匠であれば離れていても1枚の壁であるかのように通り抜けられる。便利すぎるだろ。
『兵が多いですね』
『ニジニの客人を迎えるのだ、少しは気を使う』
『少しですか』
『お前さんを攫われないように、な。
連中、無駄に多い兵を連れてきておる。
誤解されても文句は言えまい、存分に備えさせてもらう』
乗り込んだ他国を威圧するためか、本当に攫う気があるのか、とにかく頭のネジが何本か弛んだ連中らしい。港に泊まるバカでかい船もニジニの使者のものだ。なんと3隻も使って来たらしい。港では一番手前にバカでかいのがあって気づかなかったが、奥に並んで居たようだ。
お爺ちゃんに続いて歩く椿を、ロムトスとニジニの両兵がマジマジと見つめてくる。いきなり斬りかかってきやしないかと考える椿の緊張が伝わったのか、両脇をシェロブとスターシャが固めてくれた。
この街に住む人たちには随分と親しんだ椿だが、この城の人間達にはまったく縁がない。ただ、話は伝わっているのだろう、ロムトス兵の視線に敵意はなく、強い興味が伺えるのみだ。
立派な廊下を進み、まずは謁見の間で王様と初対面だ。シェロブとスターシャが神殿式の礼をとる中、椿は棒立ちで王様を眺めた。あの馬鹿王子の親なのだ、敬意も湧かない。
そんな椿を、お爺ちゃんは疎か、王様本人も何ら気にする様子がない。
『初めてお目に掛かる、聖女殿』
王様は髭を短く刈揃えた美丈夫だ、映画俳優かよ。流石のお貴族様のトップを行く遺伝子だ……
どことなくお爺ちゃんに似ている。椿の視線に気付いたお爺ちゃんが、図らずも答えをくれた。
『国王のフォールガだ』
『おっと父上、できれば自分で名乗りたかったのですが。
改めまして聖女殿、フォールガ・ロムトスです』
玉座に浅く腰掛け、こちらに興味津々な態度がただ漏れな王様は随分フランクだ。そしてお爺ちゃん、やっぱり偉い人だったんだ。先王? ご隠居様ってか。
『老婆と聞いていたが、なんとも可愛いらしい娘ではないか。
その見慣れぬ顔立ちは、やはり異世界の血と言う訳か』
老婆? あのバカ王子の感想か? 許せん……
こめかみに血管を浮かべかねない様子もどこ吹く風で、王様は椿に近寄り手を取った。
『うむ、バカ息子共には勿体無い。
どうかね、私の妻になりなさい』
『こんな世界に骨を埋める気はありません。
それに、イリヤ様の方が好みです』
イリヤはお爺ちゃんの名前だ。面倒はお爺ちゃんになすりつけておくに限る。
『いい加減にしなさい、フォールガ』
『いいではありませんか、美人は口説かねば失礼だ。
なんせ、半年も会うのを我慢したのです』
美形の男にチヤホヤされる夢のような場面ではあるが、イラつきしかない。天然物の女好きなのだろうか。いや、これでも一国の舵取りを任された為政者なのだ、聖女と言う駒の使い方に思いを巡らしているのだろう。宥めて賺して、せいぜい国の利益になってくれってところか。
『そろそろ、ご用件を伺いたいのですが』
色仕掛けも、軽い態度も、椿には意味がない。椿がトキメクのは、休日の午前の空気と、極上のチョコレートくらいだ。諦めた王様は、玉座に深く座り直し、椿に真顔を向ける。
『実はな、ニジニの連中が貴女に面会を求めている。
とても面倒くさい人たちでね、困っていたところだ。
君がここに至る経緯を聞いているので、できれば会わせたくない。
が、本人の意志を尊重しようと思って呼び出したのだよ』
『お気遣いありがとうございます。
その言葉で誰が来ているのか、なんとなく想像できます』
『おぉ、解かってくれるか。
なぁ、面倒だろう?
先触れもなかったんだ、堪んないよねぇ』
折角直した口調が段々と崩れていく。こちらが素なのだろうか。
『面会の場には、備えがある。
ツバキに害がないよう最大限の努力をしよう』
『ただ、力ずくで来られると怖い状況でね。
あちらには「勇者」がいるのだよ』
ん? 勇者……?
勇者がいるなら、お役御免じゃなかろうかと少し期待する椿さん。




