43.船
この街の背景に聳える山は、その岩肌に葉を落とした木々を隠していた。寒い冬が去った今、一斉に芽吹く若葉が景色のコントラストを上げていく。心なしか、黒かった海も青く透き通って見えてきた。
散歩する椿に声を掛ける人々の顔ぶれも増えていく。過ごしにくい寒い時期が去ったのだ、野外で楽しむ茶のお供も、その内容を豪華にしていく。
街では他にも変化が見られる、家畜の登場だ。今まで何処にいたのやら、山羊のような動物がわんさか湧いて出た。岩肌の新芽に旺盛な食欲を見せている、木が枯れかねない勢いだ。
そして驚いたことに、海の色が変わり始めてから船を見かけるようになったのだ。
『スターシャ、アレの名前は何?』
『船ですよ』
神官スターシャは、キョトンとした表情で返す。
スターシャは神官として、この神都で教会に仕える身分の女性だ。少し前は、この国で喚び出された聖女を探し出す使命を帯び、数名の傭兵と旅をしていた。使命を果たした今は教師役として、この世界の言葉を椿に伝える職務も持つ。
椿は追われていると思っていた都合上、このスターシャを随分と嫌っていた。今は、ただの糞真面目なマゾヒスティックな女性と言う評価に落ち着いている。この数ヶ月で、この都市の性質や、自分が喚び出された召喚の儀式など、色々な事が判明した。スターシャの性癖は余計な情報だが。
『船、うん、船って言うのか』
『初めてご覧になるのですか?』
『ええ、「帆船」は初めて見るね。絵本に船は出てこなかった』
何故、冬の間に姿を見せなかったのかも聞いてみたかったが、話が難しくなりそうなので止めておいた。椿はまだ、簡単な会話しか使えない。話し好きのスターシャに付き合うと、こちらが分からなくても延々と続いてしまう。
今日は、夕飯までに大事な話があるから、早く家に帰りなさいと言われている。お爺ちゃんが珍しく直接伝えてきたのだ、真面目な顔で。まあ、そこに見える立派すぎる帆船が関係してるんじゃないかな? こんなあからさま、お約束だろう。
そんな訳もあって、散歩しながら街の人々とできるだけ会話する形の勉強は、早めに切り上げる。まだ日も傾き始めていない時間に、街の一番高い位置にある錬金術のアトリエ兼、店舗に戻ってくる。すると、店舗のない別館の方の様子がいつもと違っていた。
『うわー、玄関が開いているのを初めて見るよ』
『あの兵装はフーリィパチのものですね』
玄関脇を固める兵達を見て、スターシャが零す。
『フーリパチ?』
『お嬢様が喚び出された街ですよ、フーリィパチ』
そんな名前だったのか、あの街は。滞在したのは僅かに10日ほどだが、この世界でどこが一番落ち着くかと問われれば、あそこだと思う。この気持は、とある女性の顔の記憶と共に湧いてくる。椿に魔力の使い方とポーションづくりを教えた女性、カミラだ。
彼女がいなければ、この世界をとっくに諦めて、自暴自棄になっていただろう。
別れ際に託された手紙を読む事ができるようになったのは、随分と前のことだ。聖女召喚とか言う、ふざけた儀式で自分が喚び出された事も書いてあった。何故か、そう、何故かその場にいた誰もが椿の顔を見ておらず。逃げ出した椿の捜索は、随分と手間取ったらしい。まあ、みんなおっぱいを見ていたからな。
ところで、椿は周りからお嬢様呼ばわりされている。この世界では孫が居ても可怪しくない年齢ではあるが、それを話しても誰も信じない程に年若く見えるらしい。今思い返すと、カミラからも子供扱いを受けていたような気がしてきた。
2度目の召喚の際、女神に何かされた可能性もある。質の良い鏡がないため、そこは曖昧なのだ。水を張った桶を鏡代わりに確認した事もあるが、そこには違和感のない自分の顔が映るのみだ。
そもそも、椿の身長は180cmを優に超える。この体型でお嬢様はないだろう。そう思いながら、自分よりも頭2つ分は背の低いスターシャに続いて屋敷に入った。
今日のスターシャは、神殿の服を着ていた。兵達が来ることを見越していたのだろう。その兵達は、右手の平をこちらに向けて左胸に添える礼をする。これは、武器を持っていないことを示す、敵意はありませんよ、ってのが元にあるらしい。地球でもよく見た、指を伸ばして額のあたりに持ってくるアレもそうだと聞いた事がある。異文化の中で形は違えど、発端は似てくるものなんだな。
スターシャは、歩きながら返礼する。椿は不機嫌に一瞥をくれてやるだけだ。あの街の兵と言えば、2回目の召喚で強制された全裸徘徊の目撃者が多数居る。どこに、それが居るか分からないだけに、不機嫌にもなる。
店舗側の居間には向かわず、スターシャが迷わず向かったのは別館の1階の奥だった。そこには、普段は使わない広い食堂があった。迎賓のための、ちょっと豪華な食堂のような部屋だ。すでに段取りができているように見える。
部屋に入った椿の不機嫌は頂点に達する。件の目撃者が居たからだ。
『お寛ぎのところ失礼します』
お爺ちゃんが、片手を上げてスターシャに応える。
『ツバキは随分と不機嫌なようだな、何かあったか?』
椿が顔を顰めながら応える。
『今、ありました』
いわゆる長机の議長席に座るお爺ちゃんに次いで、上座に陣取るのは金髪碧眼の王子様だ。つい先程、名前が判明したばかりの都市で出会った王子様だ。ちなみに、椿はあそこを王都だと勘違いしていたが、実際はこの神都が王族の住まう街らしい。
不機嫌の原因だと、指を向けられても平然と立ち上がる王子様が、椿に歩み寄り言葉を掛けた。
『健やかに過ごされているようで安心しました。
こうやってお話するのは、初めてですね』
『お気遣いありがとうございます。
そうですね、お話する機会はありませんでした。
ずっとおっぱいを見ていらしたものね』
スターシャが赤面するのを横目に、お爺ちゃんは呆れ気味の顔でどういう事かねと尋ねる。
『お風呂の最中に喚び出されたんです。
おかげで、全裸で街中を徘徊する羽目になりました』
この王子様のせいでないことは百も承知の椿だが、不機嫌の責任を負えとばかりに畳み掛ける。
言葉を失い、口をパクパクさせる王子の代わりをお爺ちゃんが引き受ける。
『何故、逃げ出したのかね?』
ふむ。お爺ちゃんは、事情を知っているようだ。
『それは、また<ピー>されて殺されると思ったからです』
今度は明らかに怒りの表情を見せるお爺ちゃんに、椿は続きを促された。
『この国には2回目で喚び出されたんです。
1回目の時は、いきなり斬りつけられました。
兵達にいいようにされて、森に捨てられて獣に喰われました』
簡単にまとめる椿に、王子も怒りを露わにする。
『協定を破って召喚の儀式を強行したのは事実だったのか!
しかも、聖女に手をかけるとは……!』
『落ち着きなさい、ヴィクトール。
やっと、ニジニ国の言うことの裏が取れてきた。
これほど短期間に2度も召喚が成されたことは記録になかったが。
何のことはない、同一人物が喚ばれたわけだ』
何やら話が進んでいるお爺ちゃんと王子様に、椿が水を差す。
『本当に私が聖女なんですか?
1回目のとき、もうひとり喚ばれていたんですが……』
王子に続いて、お爺ちゃんもお口パクパクを始めた。
『真っ先に斬り捨てられた私と違って、あちらは歓迎されていました。
私としては、不要ならすぐに帰らして頂きたいところです』
もうひとりが知り合いだとは言わないでおく。そして、こちらの要求ははっきりさせておくべきだ。
『私はこの世界に、歓迎されていないようですし』
頭の中でギャーギャー喚き散らすあの糞女神の声を、このように都合よく伝えておく。
『では、なぜ2度目があった?』
難しい顔になったお爺ちゃんが突っ込んでくる。
『そもそも、獣に喰われたと言ったな。
風呂の最中に喚ばれたという2度目と、どう繋がるのかね?』
むぅ、お爺ちゃんが手強いぞ。役立たずと判断されて、扱いを軽くして欲しかったのだが。
『斬られてからずっと、何をされても死ねませんでした。
無理やり生かされていた感じがします。
喰われているあたりから、やっと意識が曖昧になりましたが。
……気付いたら、お風呂に居たんですよ。
お風呂しかない場所に居たと言うか……』
お爺ちゃんは、椿の表情から嘘ではないと判断したらしい。ヴィクトールと呼ばれた王子様に話を振る。
『お前が儀式を執り行ったのは、ニジニ国の強行からどれほど開いていた?』
『1月も開かないかと』
げ、あの時点で1ヶ月も経過していたのか…… 2度目に召喚された頃にはもう休みが終わってた可能性があるな…… 酷いもんだ……
つまり、召喚されてから、もう10ヶ月は経ってるんじゃないかな。戻れても、無職になっている可能性が高いな。マンションとか、契約どうなるんだろう。そもそも、行方不明扱い? まさか死亡したこととかになってないだろうか? なんだか、泣けてきた……
『辛いことを思い出させたな』
現実的な考えに至り、涙目になった椿を見たお爺ちゃんが良いように勘違いして、椿に気を使いだした。
すこし気まずい空気になった食堂に、図ったように全身を白の衣服で統一した侍女シェロブが現れた。食事を載せたワゴンを押している、他にも数人の侍女が続いてくる。
このシェロブは、侍女から傭兵、そして神殿付きの侍女に落ち着いたという遍歴の持ち主だ。とある貴族の元で侍女として働いていたところ、魔法の才能を見出されたらしい。その後は、暗殺者まがいの仕事を幾つも請け負っていたそうだ。その貴族にいいように使われていたのだろう。その後、神官たちにより救われ、神殿に囲われたようだ。異常な信仰心は、その頃の反動かもしれない。この国が奉じる女神と、その貴色の白に執着を見せる女性だ。
『さて、少々遅くなったが紹介しよう』
食事の準備が整った頃に、お爺ちゃんが口を開く。
『このロムトスの第2王位継承権を持つヴィクトール殿下だ』
半年以上暮らして、初めて耳にするこの国の名前だ。そして、王子様で合ってたらしい。お爺ちゃんは、食事をしながら聞きなさいと前置きしてから話を続ける。
『普段は、衛星都市フーリィパチを治めておるが、
厄介ごとの解決のためツバキを訪ねてきたところだ』
お爺ちゃんの続きを、王子様が引き継ぐ。
『隣国ニジニが、貴方の引き渡しを要求しているのです』
はぁ? となった。
『私を、ですか?
斬り殺しておいて、必要と?』
『我々は聖女の召喚に成功したものの
何者かに身柄を攫われてしまった、と言う主張なのです。
手を掛けた事は匂わせていません。
……そもそも、同一人物と言う認識はないかもしれませんね』
怒りが湧いてくるかと思ったが、あの糞王子ならさもありなん。興味が薄まった椿は、食事を続けることにした。
『続けて成功した前例がないのだ、それを盾に我が国が聖女を奪った、と』
『ひとつ分からないのが、我々は聖女の半身を保護している、と言う主張だな』
お爺ちゃんが補足した内容に、椿は顔をしかめる。心当たりはある、茜ちゃんを指している可能性だ。マンションのひとつ上階に暮らす山田家の娘、女子高生の茜ちゃんだ。椿と共に拉致されたが、彼女に関してはかなり状況が違っていた。糞王子達の呼びかけに対し、返事をしていた。対して言葉が分からなかった椿は、その時点で自分が巻き込まれたのだと判断している。
『ふたり呼ばれた、もう片方じゃないんですか?』
何故、半身と言う表現なのかは椿も分からない。保護している、の表現が言葉通りなら、茜ちゃんの身上は心配いらない事になるのが救いだ。
『ツバキはふたり居たと言ったな、自分と同じ状況だとどう判断した?
簡単に思いつくのは、それが顔見知りであった、などだが』
結局、知り合いである事はごまかせないようだ。
『知人の娘さんです。
私は彼らの言葉が分からなかったけど、彼女は会話をしていました。
それで、私は巻き込まれたと思ったんです。
切り捨てられましたしね』
茜の母親はツバキの同級生だ。その説明に、王子は目を丸くする。
『そのような幼い娘が喚び出された記録はありませんね……
娘からツバキの話を聞いて、人質の意味合いを込めたのでしょうか』
王子の「半身」に対する解釈に、お爺ちゃんは否定的だ。
『それでは、同一人物であると把握していることになる』
思考の海に潜り始めた王子を、椿の台詞が無理やり引き上げる。
『そもそも、茜はこの国なら成人している年齢ですよ』
『えっ?!
でも、その娘の母親は貴方と同い年だと……』
椿が食事を終えるまで、王子は固まったままだった。
晩婚化の日本、産めよ増やせよの異世界の王族、
王子の母親より年を食っているかもしれない。




