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「私の願いを聞いて」

 


 少女は一人きりになってしまった。


 まだ死ぬには若すぎる年齢だった少女の両親は、自分たちが死んでしまうことなど全く考えてはいなかった。

 少女をいつまでも子供のままに、蝶よ花よと甘やし育てたせいで、両親の商売の跡を継ぐ事はできはしなかった。けれど、両親の商売の片腕が節度ある人物だったおかげで、商売の方は滞りなく。生前の通りの一生困らない生活が、出来る程度の信託財産が残されていた。

 生活の不安はなかったけれど、両親を失ってしまった悲しみはいつまでも付きまとう。


 大好きな両親にもう二度と会えない、悲しみ。

 その痛みに浸っている間に、少女の周辺はあやふやなものとなっていた。

 これからの社交界での位置が、どうなってしまうかわからない少女を、周囲の人間は遠巻きにしていくだけだった。

 それとは対照的に、ローレルとセマーム様はよく慰めに屋敷を訪れてくれた。

 セマーム様は特に熱心に。


「君を支えたい」

「君といると落ち着く」


 そう言われて――冷静になってよく考えれば、そこに愛の言葉なんてなかったけれど。

 少女はそれにすがってしまい、喪服を脱ぐ頃にはセマーム様と婚礼を挙げていた。



 けれどセマーム様のお屋敷で暮らすことになって、「夫」になると彼は変わってしまった。

 ……結婚式の忙しさと、これから起こる初めての経験への緊張で。

 夢かうつつか待ち侘びて、一人で目覚めた新婚初夜の次の朝。

 隣のひんやりとした感触のシーツ。

 訪れてくれたと思ったのは、少女の願望だったらしい。


 それで、嫌でも気付かされた。


 愛されてなくても……同情でもよかった。

 熱い情熱がなくてもお互いが尊敬できる穏やかな夫婦でいられたらと思っていたのに、夫になったセマーム様は屋敷に帰ってきてもくれなくなった。まるで少女と結婚したことを後悔しているように。


 このままではセマーム様も――私からいなくなってしまう。


 悲しむだけじゃだめだ、と思った。

 両親が死んだ時に思ったこと。

 本当に何も自分はできなくて、両親に一人娘としてぬくぬくと守られていたことを実感した。

 だから今度こそは、せめて「妻」としては努力しようと思った。

 屋敷に長年仕えている執事や使用人頭に教えを乞い、セマーム様の妻として、女夫人としてあろうとした。初めの頃は使用人だからこそ、未だに少女が「本当の妻」ではないと知っていて「女主人」の扱いをどうしていいか判断できずに、遠まきにしてお客様を見ているような態度だった。

 が、少女の真剣さを知ると、女主人として段々と認めだしてくれた。


 屋敷を維持すると言う事は、大変な事だった。

 対外的な社交への対応は、両親が生きていた時も些細な事しかできなかったがは手伝っていたので少し要領をつかむと少女にもできるようになった。

 しかし難しかったのは屋敷の采配を振るう事。家政婦や執事などの上級使用人への指示、セマーム様のご両親の浪費癖の所為で膨らんだ借金の為に使用人の数は少なく、それでも残った使用人へ満足に給金を出していなかった。少女にとっては自分の毎年の配当金おてあてで、払えるような金額。セマーム様に心配を掛けたくなくて、セマーム様に相談もせずに工面した。


 屋敷の人たちも、少女のおかげでだんだんと正常に機能していく屋敷に安心を感じ取ったのか。打ち解けてくれて、それがお金の力だとしても――出来る事はそれぐらいしかない、お役にたてると思うと少女には嬉しかった。


 セマーム様が帰ってきたら、居心地の良い場所にしてあげたい。

 ただのお飾りの妻だったとしても、それだけは妻としてのできることだったから。

 一時の同情から結婚して……結婚式の日に目が覚めて後悔されてしまったとしても、仕方がないと思っていた。

 だから少しでも、その後悔が薄まるように少女は努力しようとした。


 無駄だと分からなかった。

 努力すればきっと報われると愚かにも思っていた。



 ――それが、独りよがりな願いだとは気が付かずに。






 夫婦同伴が原則の夜会に出る時に、やっとセマーム様と二人で話せる機会ができた。

 久しぶりの二人での時間に、少女はとてもうれしかった。

 けれど、夫の表情は硬い。

 笑顔を見せて丁寧に少女に接してくれているが、それはどこかぎこちなく心ここにあらずと言った様子だった。それは、少女の方を見ないし、目も合わせない事からも明らかだった。

 できるだけセマーム様の気に障らないように、当たり障りのない妻としての会話をしようとして、少しでも答えてくれるのが嬉しかったが、会話に気が乗らないのが感じ取れて、次第に会場に向かう馬車の中は、気まずい沈黙に包まれてしまう。


 夢のような豪華なお屋敷での夜会も、前のように少女の心は浮き立たない。


 夫婦同伴で正餐の後は、自由に社交を楽しむ時間となっていた。

 カードに興じるグループもあれば、男性同士で煙草を吸い語らう者、ダンスルームで踊る者、知り合いの婦人同士でサロンのようにおしゃべりを始めるグループと様々だった。

 セマーム様は、それとなく少女に女性同士のおしゃべりを進めると、いつの間にか少女の傍からいなくなってしまう。


 どこへ行ってしまったのだろうと、少女は視線をさ迷わせ探してしまう。

 しかし、彼はどこのグループにも加わっていなかった。

 どこにも夫がいないことが、妙に気になってしまう。

 さすがに先に屋敷に帰られてしまったということはないはずなのに、一緒にいてはくれないのだと淋しく思ってしまった。


 ――夫婦同伴の場所でも、最低限の同伴だけ。


 そう、会って夫の態度がはっきりわかってしまうと、会えない時に期待してしまった願望。屋敷の皆がだんだんと認めてくれたように、いつかきっと……は高望みだったと。妻としても頑張ることを許してはもらえないかもしれない現実を突きつけられて、会場の盛り上がりとはうらはらに、心が挫けそうになる。

 涙で滲んだ化粧を直すべきだと化粧室に向かおうとして、あまりにも動揺していた為に気がつくと、どこか別の棟へと迷ってしまったようだった。

 迷った先に出たのは見覚えのない人気のない廊下。

 どこか遠くの方から、会場の賑やかな声が微かに聞こえてくる。


 この場所はどこだろうか、招待客の姿が全く見えないということはプライベートゾーンに踏み込んでしまったのか。早くゲストゾーンに戻らなければと、少女が思った瞬間。男女の話し声が近くから聞こえた。

 このような人気のない場所で男女が……と、はしたない想像が少女にも容易についてしまう。

 人気のない他人が足を踏み入れないような静かな場所は、格好の密会場所でもある。

 ますますこの場所から離れなければ、相手も少女も気まずい事になるに違いないと、少女はあわてて踵を返そうとしたが、それを引き止めるように聞き覚えのある声が耳に届いた。


 ――それはどんなに小さくても少女が聞き間違えることはない、夫の声。


 相手の声はよく聞こえないが、誰かと会話している様子に自然と足がそちらの方に向いてしまう。だんだんと、声が聞き取りやすく大きくなっていく。少女の足は正確にセマーム様へと距離を縮め近くなったのだろう。途切れ途切れだが鮮明に聞こえてくる会話の中に、少女の名前が繰り返し出ていることから、自分のことが話題に上っていると、少女にもはっきりと分ってしまう。


「もう。限界なんだ……これ以上、彼女を偽るのは耐えられない」

「まぁ何をいうの、セマーム? そんな事を言うものではないわ」


 はっきりと、聞こえるセマーム様の声。

 それに答える、艶のありながら憐憫を感じさせる声は――。



「貴方は、お金の為に彼女と結婚したのでしょう? 本当に愛してるのは私だって、私にはわかっているの」




 友達と思っていた、ローレルだった。







 ――馬鹿だった。

 本当に愚かだった。


 結婚してもらえた幸運が降ってわいた所為で。

 それが本当になるだなんて思っていたなんて。


 本当の妻だったのなら、その場に踏み込んで二人に対峙出来ただろうか。

 いや、妻であっても、二人の間に入り込める訳がなかった。


 本当に愛されてるのは――彼女なのだから。


 足元が崩れるような、ふわふわとした感覚。

 ただ歩いているだけなのに、白薔薇のつぼみを模した見事な絨毯がぐにゃりと歪む。

 まるでぬかるみに足を取られているように、歩きにくい。

 それでもこれ以上は二人の会話を聞けなくて……傷つきたくなくて踵を返す少女は、人にぶつかってしまう。少女を正気に戻したのは、身なりのきちんとした壮年の男性の暖かな笑顔だった。問いかけられて他人の存在を感じて、夢から醒めたように我に返る。

 男性の声は、年の割にはしわがれた声だったが聞き取りやすかった。


「どうかしましたか? お顔が真っ青ですよ?」

「い、いえ」


 自分の身に起こったことが信じられなくて、どうしたらいいのか分らない。

 でも、逃げるわけにもいかなかった。

 屋敷に戻れば……いや、帰る頃には嫌でもセマーム様に会う事になってしまうのに。


「ふむ、夫と愛人の密会現場を見てしまったということですかな?」

「!」


 少女は聞き間違えかと思うほど、穏やかな顔から発したとは思えない内容だった。

 勿体ぶった抑揚、芝居がかったその言葉。

 きっかけのように、また夢の中にいるような感覚にストンと引き戻される。

 今は夢なのか……ショックを受けた現実なのか、あいまいでふわふわとした不思議な感覚。

 見知らぬ家の見知らぬ場所、そして不思議な初対面の紳士という状況が、現実を感じさせない。


 この気持ちは、まるで、舞台の登場人物になったかのような感覚。


 預言者のように現在の少女の状態を言い当てたように。

 そんなぼうっとしてあてられている気持ちがわかるからだろうか、紳士は少女の気持ちなどお構いなしに言葉を紡ぐ。


「先程から見えてしまったのです、お辛いでしょう、ええ、お辛いはずだ貴女は。そんな貴方も……実に運がいい」


 ――運がいい?


 何がいいというのだろうか。

 芝居がかったような紳士の台詞に、怒りよりも悲しみ、悲しみよりも疑問が押し寄せてくる。

 目の前の紳士は懐から金の名刺入れを優雅に取り出すと、名刺を取り出し少女へ恭しく差し出した。


「これは魔法の名刺です」


 紳士の言う事を証明するかのように、名刺は室内の灯りとは違った、キラキラとした輝きを灯していた。調の鱗粉のように、光が名刺からこぼれているように見える。


 そこには「偉大なる魔法使い シャズ」と勿体ぶった装飾文字で書かれていた。

 裏には聞き覚えのない地名の住所が書かれている。

 シンプル過ぎる名前に滑稽で、舞台の小道具を受け取ったように思えた。


「この名刺が、何か?」

 本当に理解ができなくて聞き返せば、まるで祖父が孫に言い聞かせるような優しさで紳士はこう返す。


「何でも望みを叶えてくれる、魔法使いへの『鍵』ですよ。

 私はもう叶えてもらったからいらないものです、あなたに差し上げましょう、その場所にいる魔法使いがあなたの『本当の望み』を叶えてくれるはずです」

「……望み?」

「ええ、何でも。

 些細な願い事から、お嬢さんが思いもつかない途方も無い事まで。

 夫の心を取り戻したいという望み程度なら、この魔法使いには簡単なことでしょう」


 ――本当に、叶えてくれる?


「……そして、夫の愛人を消してしまう事は更に簡単だ」

「そ、そんな恐ろしいこと」


 物騒なセリフに、一瞬。

 優しげな紳士の顔が、燭台の炎が揺らめいた所為か、まるで悪魔のように歪んで見えた。

 影も一瞬男に羽が生えたようだった。




「誰にも言ってはいけませんし、この名刺を肌身離さず持っている事です。約束事をやぶれば魔法使いヘの『鍵』は効力を失うでしょう」




 そのあとはどうやって、会場に戻ったのかも覚えていない。

 光り輝く舞台から急に引きずり降ろされたような心地で、セマーム様と屋敷への帰路に就く。

 罪悪感からなのだろうか、それとも……馬車の中では域の馬車でのよそよそしさはなかったかのように、セマーム様は少女に気を遣ってくれたのだが少女はその優しさを素直に受け取る事は出来なかった。


 夜会から数日、相変わらず帰ってきてくれない夫を待ちわびながら。


 夢のようでいて夢じゃない証の様に、少女の手に残った不思議な名刺。

 それを隠し持ちながら、段々と胸に育っていく「願い」


 今頃はもしや、二人で会ってるのだろうか。

 辛かった、寂しかった、なぜこんな残酷な事をと、聞きたかった。

 しかし、尋ねる機会があったとしても、聞けはしなかっただろう。


 ――答えはもう知っているのだから。



 少女は深く考えて、この魔法使いへの名刺を使い己の胸の中で育ちきった『願い』をかなえてもらう事を決めた。










「ご主人様、お客人をお連れいたしました」


 少女はその声ではっとなり、目の前の人物の声に自分が今どこにいるかを思い出した。


 不思議な執事に室内に入るようにと促されて、開かれた扉の隙間から見えるのは薄暗い部屋。

 たくさんの蝋燭と、不気味な装飾が施されたランプに照らされた室内は、貴族然とした廊下から切り離された不気味さで、足がすくんでしまう。魔法使いの部屋に所狭しと並べられている繊細な調度品は呪術的で、美しいと言うよりも薄気味悪かった。燭台のほのかな明かりが揺らめいていて、調度品の間から何かが飛び出てきそうな一瞬、闇に誘い込まれる様な感覚。

 危険だった外よりも、何が起こるかわからないと理性に警鐘が鳴る。

 ぬるま湯の世界に浸っていた少女には、計り知れない未知への恐怖。


 でも止まる訳にはいかなかった。

 この場所にいる意味を振り返る。


 ――もう十分。

 辛い思いも、悲しい思いもしてきて、他に怖い事なんて何があるだろう。


 自然と一歩踏み出す。

 そして、室内の主が口を開く前に少女は言った。



「魔法使い様、どうか私の願いを聞いてください」






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