施工1
水車のカラカラと言う音と家畜の鳴き声だけが丘の向こうから響き渡る。二人乗りの馬車に窮屈そうに収まる巨躯が、太く武骨な杖を突き、吹きすさぶ秋の臭いに顔を顰めた。
巨体の男はカーテン付きの窓を捲り、外の様子をうかがう。彼の故国であれば数世紀も前に破棄されるか博物館に寄贈されたような有輪犂が家畜に引かれている。種蒔きをする男も不快なにおいを漂わせる堆肥の上で足を汚し、土まみれの手で布からてきとうに豆をばらまく。男は片眉を持ち上げ、馬車の進む方向に視線を送る。前方には工事業者が行儀よく並び、槍斧の代わりにスコップと、そして爆薬を積んでいる。
元より警戒心の強いプロアニアの君主ステラ・フォン・ホーエンハイムは、自国の技術が盗まれそうな土地に赴く、技術者達には一等目を光らせている。まして国家が絡む可能性のある事業であると報告されては、彼の内心にある懸念は益々膨れ上がった事だろう。
そうした事情から、ウネッザのダンドロ商会より依頼を受けたナルボヌなる地の運河開通工事について‐つまりはエストーラ側やカペル側に解析される恐れのある作業について‐領主に対して自国の秘匿性に配慮させる為に訪れたのであった。
「陛下、態々陛下がいらっしゃらずとも、よろしいのではないでしょうか?」
馬面の男が窮屈そうにしながら、ステラの顔色を窺う。男の言葉に視線を車内へ戻したステラは、杖に体重を掛けながら答えた。
「で、あろうな。しかし、ナルボヌの女領主と言うのも気になるし、何よりもダンドロ商会主導の工事と言うのが気になる。わが国はエストーラにもカペルにも、酷い賠償金を払わされたことがあるからな。ますます信用ならんよ」
「えぇ、それはそうですが、しかし。今回は恐らく、何の関係もないかと思うのです。所詮一領主の開拓事業に過ぎないでしょう」
馬面の男は補足する。男は祖国の民族衣装に身を包んでおり、革製のつやのある靴もカペル王国ではどこでも見られない。
暫く馬面の男を睨み付けた後、ステラは気難しい表情でカーテンを捲る。堆肥の臭いに金の臭いは微塵も無く、鉄臭さや煉瓦造りの家とも縁のない道が続く。ステラは一つ溜息を吐き、耐え難いにおいに顔を顰めた。
「……その様だな」
馬車は道の両側に畑が広がる中を真っ直ぐに進み、小川の流れるほとりに小さな集会場らしきものがある、石の要塞を認めた。古く苔生した外観から、いつ頃まで自国で作られていたのかさえ判然としないほどの時代遅れな城に、思わず笑みを零す。
確かに馬面の男の言うように関心が無いかも知れず、また関心があったとしてもステラの考える最悪の事態などは起こりようもない様子であった。集会場の中の人影が立ち上がる。彼は慌てて集会場の中心にある鐘を鳴らす。その音色は通常の集会場のそれや、宗教的な儀式に纏わるそれとは一線を画し、ファンファーレとも違う。ステラが訝し気に片眉を持ち上げていると、集会場に向かって兵士が走り出し、そして兵士は男に何か言伝をされる。兵士は踵を返して持ち場に戻り、もう一方の兵士にそれを伝える。すると、暫くして跳ね橋がゆっくりと下ろされ、堀代わりの城への道が開かれた。
「……歓迎のムードではないと思っていたのだが、随分と良い待遇ではないか」
「陛下の御高名のお陰でしょう。ほら、あの女性の微笑みを御覧ください。歓待して下さるに違いありませんよ」
馬面の男の言うとおり、兵士達は跪き、中から煌びやかな衣装に身を包んだ……非常に痩身の女と、カペル王国の重鎮が着るような服を身にまとった男達が待ち構えていた。ステラは杖をたん、と叩く。そして、杖に全体重をかけて重い腰を持ち上げ、よく通る声で叫んだ。
「馬車を止めろ、私は行くぞ」
男は凡そ貴族とは思えぬ配色のない衣装の裾を風に膨らませながら、停止した馬車からゆっくりと降り立つ。暫く城壁の荒い石の隙間などを見回してから、ゆっくりと、杖を突きながら歩き始めた。
やがて杖が地面を数十回叩いたのち、跳ね橋の向こう側に立つ女達の前に、ステラの巨体が辿り着いた。
「ようこそいらっしゃいました、ステラ・フォン・ホーエンハイム様。私が領主である、ジョアンナ・ドゥ・ナルボヌで御座います」
痩身の女が恭しく頭を下げる。ステラは杖を前に持ち、自らの膝に負担をかけないように配慮しながら、口角を持ち上げて見せた。
「苦しゅうない、朕こそが、ステラ・フォン・ホーエンハイムである」
その男は、辺鄙な田舎の、小さな礼拝堂が立つ城に訪れて吝嗇家の女領主と向かい合った、初めての君主であった。




