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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
ゆりかごを覗く時の顔は
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金のにおい2

 一週間ほど経つと、ガルシア卿からの返信があった。

 ガルシア卿は丁寧な挨拶と共に、是非、乳母を寄越してほしいと返してくれた。彼はその後に「妻との愛を育む時間と、子を愛する時間との二つを大事にしたい」と書き記し、まだ愛を育む気があるとはっきりと書き残している。私はその言葉に若干の希望を見出した。

 第一子と言わずとも、第三子が帯刀をするようになった時、もしかしたら私を娶ってくれるかもしれないと考えたためだ。私は特に年下を好いているわけではないが、ガルシア卿の血であれば、ある程度釣り合いが取れるし、何よりも向こう10年は金の心配がない。アンリ王も辺境の女領主との結婚程度ならば悪い気はしないだろう。そう言った淡い期待を覚え、私は歓喜のスキップをしながら乳母候補者達を集めた。


 集められた乳母候補者達ははじめほどは怯えておらず、毅然とした態度で私を待ち、そして深く頭を下げた。彼女達の背後を通り抜けるたびに、ほのかな香水の香りが鼻を掠める事がひどく屈辱的に思え、私は出来る限り息を止め、足早に席へと向かう。会議室の中心に私が座すると同時に、耐え難い甘い匂いが一斉に髪を揺らして座る。ほんのりと香る甘いにおいを逃がすため、ジュスタンに目配せをして窓を開放させた。


 他意がなくとも、この行動に一同はどよめく。両手を持ち上げてざわめきを抑えると、次には混ざり気のない静寂が場を支配した。


「では……ガルシア卿から、依頼を頂きました。なので、貴方方の意思を聞きたいのだけれど」


 重苦しい沈黙が場を支配する。彼女たちは現状よりもよりよくなる環境と言うものを知らない。住環境はともかく、かつてのナルボヌ家が彼女たちにとって居心地が良かったことは疑いない事だった。

 だから、仕方がないのかもしれない。しかし、ガルシア卿からの好意的な反応を無下には出来ないし、ナルボヌ家の事情を理解してもらうより他には仕方がない。


「私、やります」


「えっ……?」


 そう言って手を挙げた使用人に目を丸くしてしまう。彼女は真剣なまなざしで手を挙げ、真っ直ぐに私を見た。


「お給金は弾むんですよね?」


「……えっと」


 私は困惑したまま、彼女と向き合った。星の明かりが降り注ぐ逆光の中で、私の間抜けな表情が彼女にどうとらえられたのだろう。彼女はそっと手を下ろそうとする。


「約束致します」


 低く、力強い声が響き渡った。腰の後ろで手を回したジュスタンは、そのままの姿勢で大きく息を吸い込む。毅然とした表情で言い放った。


「フーケ様が採算は合わせて下さる。貴方の食費はガルシア卿持ちですから、私達の食事よりずっと豪華になる事も保障しましょう。ですので、胸を張って、行ってきて下さい」


 手を挙げた彼女は厳かに頷く。ジュスタンは私を見下ろす。眉尻を下げた優しく穏やかな微笑で言葉を見下ろしている。

 深い息を吸い込み、降り注ぐ明かりを背に受け、逆光に相応しい微笑を作る。


「約束するわ。さぁ、早い者勝ちよ。あと一人、世話役をしたい方はいるかしら?」


 静かに手が挙がる。一人、また一人と。私は目を細め、それぞれに役割を与える。ガルシア卿のもとへ向かう二人のほかは、貴族からの返答次第で出張して貰うように指示した。

 そうして、乳母候補者の数名が名乗りを上げたところで、この集会を終えた。


「ふぅ……」


 自然と漏れた溜息と共に、椅子にもたれ掛かる。全身が鉛のように重く感じられ、背中にある様々な雑音と空気とを交互に吸い込んだ。


 ブフォ、ブフォ、と不細工に鳴く蛙の声、月に猛る狼の遠吠え、領土を囲む森達の騒めき。耳を澄ますと初めて微かに届く音の中には、ジュスタンの片づけの音が響いていた。


「ジュスタン。ありがとう」


「お褒めに与り光栄に存じます」


 ジュスタンは椅子を無音で整えながら答える。どこよりも音に溢れた空間で、椅子たちは床を擦らずに異質な動きをした。


 一つ、一つと整えられていく椅子の数だけ、余韻が薄れていくと、溢れていた雑音の一つ一つも消えていく。森の騒めきは鳴りを潜め、狼の遠吠えは空の彼方へと霧消し、ブフォ、ブフォ、と鳴く声だけがけたたましく残った。


「私、もっと長引くと思ってたのに。迂闊だったわね、そんなことで言葉を失うなんて」


「会議とは揺れ動く天球のようなもの、絶えず浮動し、また止まる事も許さず、そして一向に進展しないものでございます。自分の心の不意を突かれれば、ジョアンナ様は幾つかの権利を失うかもしれません」


 最後に椅子を引く音が響いた。


「ですから、毅然として構えて下さい。虚勢は忠臣達が受肉させますから」


 ジュスタンは静かに白手袋を纏った手を放し、手を後ろに組んで佇んだ。鮮明になる思考がジュスタンの微笑を捉えた時、私は自然と立ち上がり、整えられた椅子の後ろを静かに歩いた。


 響く靴音に椅子の音はかき消される。木窓の軋む音と共に、闇は一層深くなる。


「それじゃあ、任せたわ」


 蛙の声が聞こえなくなってすぐに、私の周りに纏わりついた香水のにおいが消えた。


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