代行、公務中
「ゆっくり養生とは何だったのか」
俺の公務時間は月日の経過とともに伸びている、というか母さん曰く、「これくらいにしときなさい」という時間まで伸びた。
もっと幼い頃に散々こき使っておいてなんだそりゃと思ったが、俺がいない間に俺の有難みが分かったのだという。
巡り巡って言えば俺のやらかしたことではあるわけで、そう言われると何とも言えない。
現在の公務時間は、正確にはこちらの世界なりに言い方があるのだが、まあ9時~15時といったところだ。どこの銀行や役所だと問い詰めたい。
実際には昼休みもあるので、もう少し長いこと仕事をしているが、ざっくり言って6時間労働ということになる。無論銀行や役所は窓口が開いているのがこの時間なだけで、普通のサラリーマンと似たような勤務時間だと思うが。
てか銀行の話はええねん。
こっちの世界に銀行なんてもん……あるかもしれないが、聞いたことはないし。
問題は今の俺の現状だ。
公務時間が机に座っているだけで終わる件について。
いや、ただ座ってるだけじゃないよ?勿論仕事はしてる。めっちゃしてる。
ただし、その量が半端ではない。これ俺見る必要ある?ってものまで処理してる。
あくまで俺の主観ではあるのだが、本来俺が下す決裁はほんの一部に限られる。
はずなのだが。
「なぁ、サリア。お前持ってくる書類の量、異常じゃね?」
「サリアは皆様から預かって来ているだけでございます」
「それ嘘だよね?お前っていうか、諜報部が決裁を下すことはないにせよ、厳選は出来るよね?てかしてたよね?」
「面倒になりまして」
「いやそれがお前の仕事だよね?」
やれやれと首を振るサリア。見た目は確かに子供だが、中身知ってるぞ。お前結構アレな年齢に入ってきてるの知ってるんだぞ。
「サリアは母親の血が濃いので仕方がございません。それに成長しないというのは、老化もしないということでございます。つまり、サリアは死ぬまでこの姿ということでございます。ちなみに母親もサリアと同じで、腹ポテ幼じ……」
「いやいやいや、今そういう話じゃなかったろ?話の流れからしておかしいよな?あと幼女妊娠とかわけわからんこと言わんでいいからな?」
「レリック公がお聞きになりたそうな顔をされておりましたので。まあそれはさておき……サリアが整理をしないのではなく、御身へのいやがら……もとい、気配りの一つとしてお考え頂きたくございます」
今嫌がらせっつったよね?
いや、俺これ以外にもやりたいことあんだけど。マジで。
イアンやローレに手ほどきもしてやらにゃいかんし、ネリーとの約束の装備も作りたいし、私兵団についても実戦を積ませたいし。
「そういった肉体への負荷がかかりそうなことは、ネリー様・シャレット代官様より確実に止めるように、との仰せでございます」
「サリアも人の思考を読むタイプなんだな、うん、知ってた。てか別に事務仕事だってそれなりに負担になると思うんだが」
てか物作りくらいいいだろう。そもそも公務に含まれることじゃないし、訓練より負担はかからないし。
だいたい事務仕事つっても結構大変なんだぞ、肉体的疲労はともかく、精神的疲労というか、頭の方をそれなりに使わなきゃいけないし。
「というよりも、敢えて厳選せずに持ってきたのは以前からでございまして、今更問い詰められましても。レリック公の業務処理速度は異常と聞いておりましたが、やはり頭がおかしいのではございませんか?」
「人を異常者みたいな言うのはやめろ。これは人が持つ可能性の力だ、やろうと思えば誰だって出来る」
もしかしたら、というか確実に【天上書庫】の並行思考能力が発動しているとは思うが、普通の人間でも時間に限りがなければ、やれる。
パソコンもワープロも電卓もない状態でどれだけ時間がかかるか(算盤は作った)、なおかつ追加されてくるということを考慮しなければ、だが。
「はっきり申し上げますと、レリック公の処理速度を見ておりますと、気持ち悪いのでございます。本当にチェックしているのか、計算書を経理部門で確認してみても、誤りが全くないどころか、そもそもの数字に齟齬があると突き返されている始末。何かの魔法でございますか?」
「気持ち悪いとか言うな。ついでに魔法は俺には使えねぇし。一応それに近いものを使って手抜きはしてるけどな」
これまで俺の手元に来た書類の中で、一番多く混じっているのは、予算書や決算書などの類だった。
最初は算盤を使って筆算をしていたのだが、それをやるのも面倒になってきた。
というわけで考えたのは、術式を組んでマクロ化し、目で見たものをそこに張り付けて、意識外で計算する。
要は表計算ソフトのような術式を脳内で構築しているわけだ!
……うん、俺にしか出来ないね。おかしいと言われても仕方ないね。
人間はコンピューターにはなれないんだよ。俺エルフだけど、そんなことは些細な違いだよね。
「てかそうじゃなくてだな。百歩譲って俺を机に張り付かせるのが目的だとしよう。だけどな、本来これをやるべき人員はどうなってんだって話だ。サリアも一人でやってたわけじゃないだろうに」
「皆様休暇を頂いております」
サリアの返答に頭から机に突っ伏した俺を、誰が咎められるというのか。
だがしかし。
よくよく考えてみると、サリアの端的な返答に頷けないこともない。
ただでさえ俺が不在で過重労働気味だった役場の人員、特に部門長をはじめとした幹部級には相当な負荷がかかっていたようだし、先日のラロッカもそうだが、あまり不満を口に出すことがないスミヨンですら、「少々疲れ気味でして」とか言っていた。
そこで俺が帰ってきて、幾分回復度合いも良くなってきたことから、ここぞとばかりに母さんがまとめて休暇を与えた、というのが事実であるようだ。
ユーリがもはやギースの直臣扱いとなってしまっている以上、母さんにも相当負担をかけてたみたいだし。
こればっかりは身から出た錆というか、俺がケチをつけられようもないし、休暇を取らせること自体は大賛成だ。
「だからといって管理職がほぼ全員、同じ時期に休暇を取るってのはおかしいだろ」
「レリック公といいますか、「ゼン代行がいれば安心して休める」というのが総意でございました」
「総意かもしれんけど、だからって同じ時期はおかしいよなぁ?誰か言わなかったか?俺一人で大丈夫かってさ?」
「おりましたが、キリがございませんでした。ですから、ネリー様が……いえ、何でも」
「そこちゃんと最後まで言ってくんないかな?すごい気になるんだけど」
ネリーさん何したの?
実力行使で休みを取らせるとか、彼女だったら普通にありそうなんだけど。
「ネリー様も相応に苦渋の決断でございました。レリック公に押し付けてよいものかともお考えであったようでございます。もっとも、そのネリー様もシャレット代官様より強く休むように仰られまして……。実のところ3日ほど前から、役場に出仕している幹部はレリック公だけとなっております」
何といえばいいものか。何かこう、このやりきれない思いをどうすればいいものか。
ネリーを休ませるのはいいことだと思うし、母さんが言えば納得はするだろうけど。
あー……うん、まあ、いやぁ、でもなぁ……。
とりあえずこれだけは聞いておかねばなるまい。
「それで、母さんは?」
「ゾーク様と冒険者ギルドに向かわれたのが5日ほど前でございます」
「……あー、そうかい」
どうやら母さんもリフレッシュに向かってしまった模様。
公務時間が限られるというのに仕事量が激増してしまった理由は、だいたい母さんのせいらしい。
なんつーかさ、役場の仕事をさせときゃ身体を使わないとか、そんな理由で丸投げするのは絶対おかしいと思うんだ。
ちょっと気持ちの切り替えがつきそうにないが、結局やることはやっとかないと他が迷惑だろう。
やむなく突っ伏した机から頭を持ち上げ、書類と向き直る覚悟を決めたところで、サリアが言った。
「真におかしいのはレリック公でございます」
何が、と反射的に答えそうになって、やめた。
「本来であれば順次伝令を出し、ある程度休暇を消化した人員を業務に戻す予定でございましたが、あまりにもレリック公の手際が凄まじく、サリアもタイミングを逸している最中でございます」
さっきも言ってたな、俺の処理速度と精度が異常だって。
要するに一週間前くらいから様子見で休暇を出して、いけそうならそのまま皆休ませて、無理っぽければ戻す、みたいなセーフティをかけておいたわけだ。
その加減をサリアが見極める予定だったわけだけど、俺がいけちゃってるわけね。
あれだよな、俺は悪くないよな?
「……この際だから期間一杯休んで貰えばいいんじゃね」
「それだとサリアが休めないのでございます。サリアはネリー様と交代で休暇を頂く予定でございますので」
「一体俺にどうしろと。てかサリアも休めばいいんじゃね」
「後からネリー様に何と説明せよと?サリアまで休暇を頂いてしまえば、レリック公の監……もとい、お世話をする者が」
「別に監視を訂正する必要は全くない、というかわざとだろその言い換えは。まぁ、言わんとしてることは分かる。で、結局最初に休暇を貰った人員に与えた期間は?」
二週間。
これが一週間前に与えた休暇の最大日数であるそうな。
この期間、俺さえ頑張ればその期間大いに英気を養ってもらえるわけで。
最初の3日間くらいはすぐに戻されるとか思っていた人もいるかもしれないし、そうなると今更戻ってこいとも言いにくい。
休みも一週間経てば「あ、このままでいいのかな」くらいには感じるだろうし。
そんなことを考えつつ、書類に走り書きを残しつつ、脳内に焼き付けた計算思考を走らせつつ、サリアのジト目に「俺に責任の所在は全くねぇし」とか思いつつ。
「休暇に入ってる人員に今すぐ伝令を出してくれ。内容は「来月の15日まで出仕するに及ばず」だ」
「……本日から三週間後、でございますが?」
「呼び出す可能性が高いとか言われて休暇を堪能できるワケないだろ。その分を考慮せにゃならん。けどまぁ、ネリーには「来月の1日」って伝えとけ」
「サリアへのお気遣いなら不要でございます」
とか言っちゃってるけど、安堵のため息が一瞬漏れたのは確実だ。
タイミングを逸したとか言ってたけど、他にもまあ色々懸念事項はあるんだろう。
相応の忠誠心は持っているし、いい性格している奴ではあるけど、常識を逸した人間性でもない。
俺が心配ってのもあるだろうが、それ以上に役場に幹部級がいない状況で、俺の補佐として一人残されているというのは、結構辛いと思う。
まぁ、もっとも、それ以上に。
「ネリーへの気遣い、ってのもあるんだよ。ネリーの場合、休暇とか言われても逆に落ち着かないだろうし、自意識過剰気味に言えば、俺の傍にいた方が安心するんじゃないか。交代でサリアは再来月まで休んでいいからな」
この際だからネリーのご機嫌取りもしておくことにする。
サリアを俺に付けてから、微妙に不機嫌なんだよな……父さんは、「だいぶマシになった」って言ってたけど。
俺がいない間、どんだけ不機嫌だったんだよ、ネリー。
◆◆◆
静かすぎる。
幹部級が集まるイストランド群役場の三階に上がってきた官吏、予算管理課の一人であるジェイクは、何か薄気味悪いモノを感じていた。
課長が休暇中であるため、急ぎの案件については代行の決裁を受けるように、というのが役場内で行われた先日の通達。
上司が休暇であれば、その課長の上司である部門長に決裁を仰ぎに行くのならば分かる。
だが、その更に上の代行に、というのは何故なのか。
答えは簡単で、その部門長も休暇中だからだという。
ならばせめて、他の部門長なり、課長なりが対応すべきなのではなかろうか、とジェイクは思うのだが、これもまた休暇中であるという。
いくらなんでもおかしい。
幹部級、所謂管理職がこぞって休暇、というのは多少は羨ましい気持ちもあるし、憤りもないわけではない。
だが、ヒラの一官吏からしてみても、平時の彼ら・彼女らの多忙さは普段から見て分かっている。
だから休みを取ることは悪いこととは思わない、これはジェイクに限らず、大半の役場官吏の総意である。
それでも代行に直接決裁を仰ぎに行くというのは少しばかり躊躇われる。
現代日本社会で言えば、ヒラ社員が支店長辺りに直接仕事のやり取りをしているようなもので、有り得ないとまでは言わないが、恒常的にするようなものでもない。
急ぎの案件でなければ諜報部統括班のサリアに渡せばいいのだが、課長の不在が響き、もう月末だというのに来月の予算書がまだ出来上がっていなかった。
よって、代行に直接誰かが報告に向かわなければならない。
ついでに言えば、今月の決算書の作成が間に合っていないことを伝えなければならない。
誰もが行きたくない中、予算管理課の比較的キャリアの長い人員の中でくじ引きが行われ、見事「当たり」という外れを引いてしまった不幸な職員。それがジェイクだった。
「ゼン代行かぁ……シャレット代官なら簡単に決裁くれそうなんだけど、どうなんだろう」
あ、レリック公とか呼ばないとマズいのかな、なんてことを考えつつ、独り言を呟きながら、ゼンの執務室の前に立つ。
緊張と多少の恐怖から、未だ入り込む決心が付かず、ドアの前で途方に暮れる。
が、そんな時間は長く続かない。
「そこの人ー、入っていいよー。急ぎなんでしょ?」
閉まっているはずのドアの向こうから、明らかにジェイクに向けた声がかかったのだ。
何か物音でも聞こえたのかとジェイクは思ったが、ただ途方に暮れていただけで、これといって物音は立てていないはずだ。
そんな感じでやや混乱していると、逆に内側からドアが開かれてしまった。
「予算管理課のジェイクですか。急ぎなら早く入りなさい」
「は、はい。すみません、サリアさん」
動揺を隠せないまま返事をした相手は、諜報部のサリア。
私兵団特務隊所属、諜報部統括課長という、自分より確実に格上の存在である。
促されるままに代行執務室に入ると、そこには目を疑う光景がそこにはあった。
山のように積まれた書類が2つ。その間に飄々とした様子で山から山に移す作業を行う、一人の子供。
ただ移しているわけではない、片手にペンを持ち、片手に判を持ち、異常な速度で目を書類に通し、記入しては判を押す。
明らかに多忙そうではあるが、片目はこちらを向いている。しかも、作業をしながら。
何をどうしたらそれで処理が出来るのか、全く意味が分からない。
これが適当にやっているというのならまだ理解出来なくもないが、そんな雰囲気は微塵も感じさせない。
「作業しながらですまんね。それ、急ぎなんでしょ?見せて」
「は、はい。来月の予算書なんですが」
「そっちの山の一番上に置いて。聞きたいことがあれば聞くから、1分待って」
ジェイクが言われるがままに予算書を山の上に置くと、ゼンはすぐさまそれを手に取り、数秒見たかと思うと、すぐさま数箇所に記入を行った。
そしてジェイクの手元に戻される。この間、1分にも満たなかった。
「朱書きしてある部分が訂正箇所、計算が間違ってた。あと来月の予算書は人件費を少し多く振る、残業してもらわないといけないし。土木に予算を多めに振っているのは、街道整備に手を付けるんだよね?足りなかったら予算増資か俺が直接対応するから、その時はまた報告に来てくれるかな。とりあえず決済印は押したから、訂正箇所の部分だけ作り変えといて。朱書きした数字のまま本書を作ればオッケー」
そう告げられてジェイクは予算書を見ると、随分朱書きの部分が多いことに気づく。
よくよく目を通してみると、確かに間違っているようだ。
検算をしてみないと分からないが、数字のズレがあったようで、微差ではあるものの決算額に齟齬が発生している。
「一応精査はしてもらった方がいいけど、多忙なら決裁は済ませてるからしなくてもいい。それで間違ってたら俺のせいだからね。何か質問は?」
「あ、いえ……あー、えっと、その」
頭の整理がつかないままに、ジェイクは予算書のこと以外で報告しなければならない案件があったことを思い出す。
「そのー、今月の決算書についてなんですが」
言いかけて、遅れています、とストレートに言っていいものか、と逡巡するまでもなく、ゼンから簡潔な言葉がかけられる。
「資料は揃ってる?」
「は?えっと、はい。個別の納品書や支払書などは揃っておりますが」
「なら、持ってきて。日付的に今月の出納は完了してるだろうから、そのままバラで俺のとこに。したらば俺が決算書作るから、そっちに回付する。あとはそっちで問題なければ、決裁するからこっちに戻して」
「え?あの、さすがにそれは……」
無理だろう、と言いかけて、サリアに咎められる。
「レリック公は公務時間が限られているのです。仰る通り、早急に資料を取り纏めて持ってきなさい」
「は、はい。えっと、いつまで「今すぐに、です」はいぃっ!」
ジェイクが慌てて出ていこうとしたところに、今度はゼンから静止の声がかかり、無造作に袋が投げ渡される。
「慌ただしくて悪いね。その袋の中に必要な資料を入れて持ってきて。整理はしなくてもいいから、1時間以内によろしく」
そうじゃないと今日中に終わらないから、というゼンの呟きに対してリアクションを取る余裕もなく、ジェイクはその[魔法袋]を手に慌ただしく自分の部署へと戻る。
同僚たちに先ほどのことを話すと、何かの冗談だろう、という風でまともに取り合わなかったのだが、そうでなかった者がいた。
休暇者への伝令要員として残されたはいいものの、結局呼び出しをかけることなく、休暇の延長を伝えるだけに留まったレイスである。
レイス本人は特務隊所属であるが、それ以外の役割として彼に付与されているのは、主に役場内の情報伝達や、伝令役の取りまとめ。
あまりレイスには自覚がないが、結構重要なポジションに据えられていたりする。
「ゼンさんなら特段おかしなこともないッスねー。シャレットさんも大概ッスけど、元々イストランド群ってゼンさんが土台を作ったようなもんッス。ネリーさんほどじゃないけど、サリアさんも結構おっかないッスから、とりあえず資料だけ早く回した方がいいんじゃないッスか?ゼンさんの公務時間、今日はあと2時間もないッスよ」
レイスの言葉に互いに顔を見合わせる予算管理課の面々。
実のところ、役場内で財務に関わる人員に古株は少ない。その理由はスミヨンの進言にある。
曰く、「金に関わる部署に同じ人間が居座るのは避けるべし」という内容で、ゼンもそれに応じたものである。
仕事柄、新人ばかりを配属させているわけではないが、イストランド群に長く勤めている人員も少ない。元々官吏だったものや、商人上がりなど、勘定方に優れた人員が一時配置される部署、それが予算管理課である。
財布を握る部署が幅を利かせないようにすること、そしてイストランド群という異質な場所を知ることといった意味合いも兼ねており、重要な部署ではあるものの、最重視はされていなかったりする。
「代行が公務時間が限られているのは知ってますけど、だったら1時間以内に持っていかなくてもいいんじゃないですか?見るだけでも3日はかかりますよ」
「それから決算書を作るとか。今月中とか無理ですって」
月末処理に忙しく、それなりに遅くまで残業をしている面々だ。
ゼンを侮るわけではなく、自分たちに発破をかけようという内容だろう、という認識でいる。
だから、それが間違っているのだとレイスは軽く告げる。
「いや、ゼンさんのことだから、今日中に終わらせるんじゃないッスかね。あの人の常識はおいらとはかけ離れてるし、事務方のことはよく分かんないッスけど、あの人マジで規格外ッスから」
半信半疑といった様子で早急に資料を取り纏め、ジェイクが再び代行執務室に向かってから30分後。
戻ってきたジェイクは茫然自失といった様子で、力なく手元に資料の入った[魔法袋]と数枚の書類を手にしていた。
予算管理課の面々が何があったのかと尋ねたところ、力なくジェイクは腕を上げ、書類を見せる。
この表題は「決算書」。綴られた内容は、見事なまでに簡潔な、そして完璧な内容のものであった。
追記で「運輸部門の勤務表に抜けが2名分」、「諜報部門の出納に一部不備有」といった、不足分のことまで綴られており、不足分の予想されるであろう金額についてまで書かれてあり、「今月決済分については流動予算にて決裁すべし」という処理までされている。
最後に一言、朱書きにて書かれた文面に一言。
「来月までは精査の必要なし。但し、予算書と決算書の内容にある齟齬について疑念有。諜報部及び総括部にて監査を再来月に行う準備有。来月の決算書にて判断せり」
大半の者は意味が分からないといった様子であったが、ごく一部には戦慄すべき内容だったらしく、顔を青ざめている者もいた。
「修羅代行に逆らうことなかれ、というのは本当だったんだ……」
ジェイクの呟きは予算管理課の面々を一斉に頷かせるものであり、ゼンにとっては無駄な、役場にとっては実例を伴った伝説が一つ、ここに生まれた。
「ゼン代行がいれば、役場に人員はいなくてもイストランド群は回る」
実際にはそんなことはないのだが、そういう認識が生まれてしまった。
◆◆◆
下級役人というか、職員というか、幹部級以外の人員もそんなに質は悪くない。
リラやエイブに指導書、所謂教育マニュアルを渡してみて、実際の効果がこれなら、俺がいなくてもやっぱり十分にやっていけるということだな、うん。
もっと後ろめたいというか、グレーな部分が多くあるもんだと思っていたが、実際はそうでもなかった。
これなら俺が代行として役場に常駐する必要はないだろう。母さんもたまに顔を出す程度で十分かな。
直接介入が必要な案件はまだまだ残っているので、その辺りは要調整だけど。
「ところでネリー、最近母さん達になんかあった?俺から見るとネリーも若干アレなんだけど」
「何のことでしょうか」
すました顔で答えるネリー。
サリアが休暇に入って、交代で俺の補佐についてもらっているのだが、随分とご機嫌に見える。
やはり俺の傍がいいのだろうか。なんてのは言い過ぎにしろ、幾分落ち着きを取り戻したのだろう。
ただ最近よそよそしい、とまではいかないが、俺に隠れて何かしている様子。
……実は妖精経由で何をしてるか、知ってるんだけどね。白々しいリアクションするのもアレなんで、先に「知ってるよ?」的なニュアンスを伝えておいただけだ。
「まぁ、それはいいとして。俺の体もほぼ回復はしたわけで、そろそろ学園に入る準備をしようと思うんだが、ネリーはどう考えてるんだ?」
「当然私も入学します。ゼン様の将ともなれば、御身一人で学園生活を過ごさせるつもりはございません」
「それは反対しないし、むしろ俺としてもありがたいんだが、諜報部については?」
「サリアに任せようかと。レイスにその補佐をお願いしています」
レイスも既に呼び捨てなのな。
実際直属ではないけど部下みたいなもんだし、レイス本人がこちらを畏まってる感じだからまあいいか。
「もしかしてサリアを俺に付けてたのって、そういう判断をさせる意味合いもあったり?」
薄らと笑うネリー。怖ぇよ。
でもまあ、そうだとしたらネリーの中では既に「使える」という判断をしてたんだろうな。
あとは俺がそれを許すかどうか、って話か。
俺にとって諜報部は最重要部門と言っていい。
官吏のトップ級であるスミヨン辺りからすると、確かに重要ではあるが、もっと大事な部門があるという。
冒険者である父さんや母さんはあまりピンと来なかったようだが、代官業が板についてきた母さんは「重要視する理由が分かったわね」と先日零していた。
この世界で一番の理解者であるネリーはよく分かっているようで、その役目を担ってきたが、俺が入学するとなれば話は別、となるのだろう。
今後のことも考えると、諜報の部門長からネリーを外すつもりはない。
ただし、役目を委任出来る存在は必要だろう、とも考えていた。
「ネリーがいいなら俺が反対する人事って基本的にないんだけどな。能力的にも適任じゃないか?性格はアレだが、大きな問題はないように思える。ただ部門長にってのは時期が早すぎるから、この際役職を増やすか」
「それは諜報部以外にも、ということですか?」
「部門長代行って枠を増やそうかなと。先月みたいな状況は作為的に作らないと起こらないけど、補佐とかって肩書だと軽すぎるし、エイブさんとかはもういい年齢になってるし、ここらで後継者的役職を作っておくのもいいかなって」
「ゼン様の代官代行のようなものですか?確かに部門長だけでは抱え込む案件も多そうですからね」
俺の「代行」はほとんど形式的なものだけどな。
ぶっちゃけ母さんは知らない事案とかいっぱいあるし、もちろん逆もあるだろうけど、そっちは相当少ないだろう。
「幹部級って扱いだけしといて、役職を決めて上下関係を分かりやすく定めてなかった俺も悪かった。今の形を崩す必要はないから、ここだけは特別枠ということで、それぞれの部門長に選んでもらおうかね」
「文字通りの「代行」ということですか?」
「ん、代行のことは部門長が責任を持つってことで」
ポスト的には部長代理とかになるだろうか。
副部長まではいかないが、相応のポストにはなるだろう。
正式な役職とは言い難いものの、部門長自体が増える可能性も高いし、幹部候補を育てる意味合いでも悪くないと思っている。
「副部門長とかもそろそろ用意した方がいいかもしれんけど、そこまではまだ組織が成熟しているとは言えないし、その辺りは側近とか秘書とかでカバーしよう。あと、正式にユーリをうちの筆頭から外して、ギースに出仕させようと思うけど、どうだろう」
「ユーリをですか……」
ユーリの処遇についても相談してみると、ネリーが考え込みつつ、意見を口に出す。
「確かにもうフィナール伯の直臣といいますか、かつてのエドナ女史の立場にユーリはいるのでしょう。ですが、このイストランド群の政務官としての筆頭は紛れもなくユーリです。ただでさえゼン様とフィナール伯の関係は複雑ですので、そこに臣下の異動となりますと、対外的な懸念は考えられます」
「ふむ、もう少し詳しく」
「つまりは――」
ネリー曰く、ユーリを正式にギースの元へ送るのは、いくつかの問題点があるという。
まずは、ユーリが母さん、つまりシャレット代官の元で優れた統治を行い、名政治家として既に名が知れているということ。
そのうえで本来はギースの部下扱いである母さんの子、つまり俺がギースより格上の貴族位を持っているということ。
ここが既にややこしい問題になっているのだが、ユーリは母さんの臣であり、それ即ちレリック家の臣である、という見方が出来ること。
最後のは正式なものではなく、レリック家の臣として正式に認めているのは本来ネリーだけなのだが、他から見た視点で言えば、母さんは既にフィナール領から独立した存在で、イストランド群は事実上レリック公領であるという。
厳密にはレリック公という名はまだそれほど広まっていないので、シャレット代官領、といった感覚であるようだが。
「つまり、穿った見方をすれば、「上司から部下を奪った」とか、「レリック家を出て行った」とか、見聞的によろしくないことも有り得る、と。なるほどねぇ」
「出過ぎたことを申し上げました」
実際のところどうなんだろうか。
俺がわけわからん爵位を持っていなければ、ギースの立場からすると、ユーリは「陪臣」に当たる。
それを「直臣」として抱えることはおかしくはないが、少なくとも母さんのことを配慮する必要があるわけで。
だがユーリは、あのエドナ女史の娘でもある。となると、元鞘、というのはおかしいかもしれないが、かつての大黒柱の娘の成長を見て、そのポジションに迎え入れる。
これならさほど違和感のある話でもないが……問題は俺の爵位が異常だってことだわな。
「いやいや、俺は嬉しいよ。マジで」
俺の返答にきょとんとするネリー。なんか久しぶりだな、こういう表情。
「いやだってさ、ネリーはそれを自分で考えて、俺に具申してきたわけじゃないか?成長してるなって思ってさ。流石は俺の片腕だって自慢出来るよ。武については今更言うまでもないし、文についても十分任せられる。文武両道、知勇兼備。よきかなよきかな」
「あ、いえ……にゃあぁ……」
照れてるネリーを思わず抱き寄せて、撫でてしまった。
かわいい。抱きたい。
最近キリっとした態度を取ってることが多くて、とても頼れるけど、二人でいる時くらいはもっと柔らかい感じでもええねんで?
……てか、微妙にあれだな、最近気づいたんだが。
あ、いや、これは後にしよう。なんか台無しになる気がするし。
「要は対外的に色々はっきりするまでは、今の扱いを続けるべきだってことだよな。ギースが俺の直臣みたいな扱いになって、その陪臣としてユーリを譲る、みたいな形が望ましい、というわけだ」
「そうですにゃ。引き抜いた、みたいな感じになると、どっちもいいことないにゃ」
ネリーの言い分は「上下関係をはっきりさせろ」ということだろう。
少々穿ちすぎな気はするのだが、そういう見方をする……というか、評価をする奴も出てくる可能性は高い。
王城の連中を見た後だと余計にそう思える。
「互いにどう思うかは別として、第三者の視点は微妙ってことだよな。じゃあ当分はユーリは筆頭のままで」
「あ、でも、シャレット様への補佐官は別に必要かもしれにゃいにゃ」
だいぶん砕けてきたネリーを撫でまわしつつ、ふとそんなことを言う。
ユーリがこちらで公務を行うことが難しく、俺も入学するとなると、母さんへの負担はどうしても重くなる。
なるべく俺もこっちに戻るつもりではいるが、言われてみればそうかもしれない。
「流石はネリーだ。推薦したい人とかいるか?」
「んにゃあ……んー、難しいにゃ。それこそネリーくらいしかいにゃいにゃ」
なんか目が蕩けてきたので、そろそろ撫でるのをやめた方がいいだろうか。思考能力も低下してる気がする。
しかしまあ、これも難しいっちゃ難しいな。
それこそ元エリートだったスミヨンか、あるいは老練なエイブくらいなものだが、この二人を部門長から外してまで補佐に付けるのはちょっとな……。
他に適任というと、それこそネリーになってしまうので、これでは本末転倒もいいところだ。
一応、思いつく人材がいないこともないが……どうだろう、カルローゼ王国として認められるかどうか確認してみないとな。
「うーん……ギースやセス爺さんに相談してみるか。そこまでの実務能力は必要ないにせよ、簡単に務まるポジションでもなさそうだ」
「それがいいのにゃー」
しなだれかかってくるネリーの耳を撫でまわしつつ、この話は一旦棚上げするとして。
さっき気になった点を聞いてみる。こればっかりは自分ではよく分からないからな。
自覚している部分もあるんだけど。
「ところでネリー。俺さ」
「にゃ?」
「背、ちょっと伸びたと思う?」
この章間で書きたかった話は他にもあったりするんですが、暇な時にでも後付けすることにします。
というわけで、ようやく入学前くらいに話が飛びます。




