エルフ族の事情
2話連続の投稿となります。
ゼン一同を宴に向かわせたエルは、1人家に残り、考える。
彼女が持つ固有能力は、【人物鑑定】の他にもう1つ。
そのスキルは【予知】。その名の通り、未来を予測することが出来るスキル。
しかし、彼女が自らそのスキルを発動させることはない。何故なら本人の意思通りに使えるものではなく、何かの拍子に天啓の如く脳裏に映るからだ。
「ほんにのぅ。もうちぃっと、融通利けばよいものを」
彼女が見た光景、それは――
森の主はゼンに倒され、エルフ族やフェアリー族もろとも、森が焼け、死んでいく。
それをとても悲しそうな目で見るゼンの姿。その右手には、「天の武器」。
「守り神」と評した、森の主が「神獣」であることは、エルも知っている。
神の名が付くものが人類種に滅ぼされることはない。だから、この未来は有りえない。
あくまで普通ならば、だ。ゼン一行は、普通という枠から完全に外している。
エルはゼンに言ったとおり、リリーナやフランに対しては【人物鑑定】をしていない。
だが、彼女たちの傍に付いていた、[三頭犬]と[大戦猫]に対しては【人物鑑定】をした。伝説の野獣そっくりの犬猫の姿が気になったからだ。
そこに出た、「半神獣」という表記と、「ゼンの眷属」という情報は、エルにとって【予知】通りのことが起こる可能性を高めさせる一因になった。
あくまで【予知】は予知でしかない。
脳裏によぎり、凶報に思えたことは、行動によって回避することが可能なものだとエルは思っている。
必ずしも予知通りに行くとは限らない。あくまで可能性の問題だと。
しかし。
これほど鮮明に、光景が脳裏によぎることは、滅多にあることではない。
鮮明さは、そのまま起こりうる可能性の高さに繋がっている、とエルは思っている。
そう、セシルやウェリアが攫われた時のような。
「……どうせぇ、というのじゃろうなぁ」
あの2人のこと以上に、今回は深刻だ。しかも対策すら思い浮かばない。
ゼンと「神獣」を会わせない、というのは難しい。今のところ会わせない理由がない。
であれば、ゼンと「神獣」の邂逅を防ぐために、ゼンを殺す?
それは不可能だ。断定してもいい。一族の滅亡が早まるだけに過ぎない。
ゼンの格位は「神格級」。どういうわけか、眷属は「一般級」だったが、まだ生まれて間がないのかもしれない。
それでも、それぞれのステータスは尋常ではなかった。
エルの【人物鑑定】は、【解析】のような数値化こそされないものの、[鑑定]と異なり、「S」以上の評価が存在する。
それでもなお、最高値は「SSS+」という評価となり、それ以上は測れない。
この評価、ゼンの【完全解析】にして、数値が「1000」以上がそれに当てはまる。
固有能力の【人物鑑定】とはいえ、この世界の基準値からかけ離れたゼンのステータスを完全に把握することは不可能。
ゼン本人はおろか、眷属であるガルムやリュタンすら測りきれない。同様に、ネリーもまた、評価することが不可能なレベルに入る。
もっと単純な理由で、ゼンを殺すことは出来ない理由がある。
エルフ族にとって、「同族殺し」は禁忌。まして、伝説の「黒髪」エルフともなれば、誰も手を下すまい。
外界に出たエルフ達は知らない。「黒髪」エルフの意味を。その価値を。
希少種は、エルの知る限りでは、自分が唯一の生き残りだろう。
しかし、ゼンは「クォーターエルフ」でありながら、「ハイエルフ」の可能性を持っている。
一見矛盾に感じるが、「ハイエルフ」は種族ではない。あくまで希少種という存在に過ぎない。
エルフの歴代長老のみが知っている事実として、黒髪の「混血エルフ族」は、「産まれたことがない」。
黒髪のエルフ族は、例外なく先祖返りであったという事実もあり、純血種でしか有りえな「かった」ことだ。
だがこれも過去のこと。
いつからか、混血種でも先祖返りが産まれて来るようになった。
その中で、エルフ族やフェアリー族として産まれて来た先祖返りは、エルの知る限り、ごく僅か。
「黒髪」のエルフは特別な存在だった。
実のところ、「黒髪」が全て、産まれながらにハイエルフだったわけではない。【鑑定】の結果、普通のエルフだったこともある。
だが産まれてきた「黒髪」は、その全員が心身ともに非常に優れた「母」として育ち、長きに渡り子を成す。いわば「エルフの母」とも呼べる存在であった。
今の集落に残るエルフの大半は、遡れば「黒髪」に行き着く。それだけ強い影響力を持ち、繁殖力が低下する一方であるエルフの「救世主」、それが黒髪エルフが伝説たる所以。
ハイエルフという存在は、【人物鑑定】の結果で出ることもあれば、後天的にそう呼ばれることもある。一種の「称号」と言ってもいい。エルフ族として優れている、それが「希少種」であり、「ハイエルフ」である。
ゼンはエルフ族であり、「黒髪」である。
そして、「男性」であり、本人は認めなかったが、「先祖返り」である。
いずれも【人物鑑定】で間違いないことを確認済だ。【擬態】しているパラメータも看破した。
エルの【人物鑑定】では、特殊能力以上のスキルについてまでは把握していない。これが固有能力としての【人物鑑定】の限界でもある。
エルは思う。褐色肌の番の娘が言った通り。「雄として英れているからこそ、英雄」という評したゼンについて、正しくその通りなのではないか。
クォーターエルフでありながら、ハイエルフになりえるという、かつての常識を完全に覆す、異質な存在。
しかも歴代最高峰に届くほど強烈な能力の持ち主であり、なおかつ種の補完ということに対して優位な性別。
「ならばこそ、エルフ一族が滅びる、ということはなかろうて、なぁ」
たとえこの集落ごと、一族が滅亡したとしても、外界に出て行った数少ない同胞は残る。
そしてゼンが生きて子を成せば、ハイエルフの可能性が高いゼンならば、優秀なエルフの因子を残してくれるに違いない。
願望込みとしても、分の悪い賭けではないだろう。
「予知が外れるのが、一番ええんじゃがのう……さすれば、わしも、おこぼれに預かれるやもしれぬからのぅ」
エルは集落の長老である。
ハイエルフは長きに渡り、子を成せる。
エルフ族の女性として、歴史を知る者として。
初めて現れた「黒髪の男性エルフ」に対して、惹かれない理由を探すほうが難しかった。
◆◆◆
居心地が悪いにも程がある。
出てくる料理は非常に美味だが、それを味わえる雰囲気じゃない。
なるほど母さんの言うとおり、エルフの里の野菜は質が違う。
現実を見ないように、ちょっと土の質も見てみたところ、相当いい感じだ。
そういえばリリーナの畑も、大して手を加えなくても、作物の出来が良かったっけ。
などと現実逃避しても、見たくも聞きたくもない現実は、目の前にあるわけで。
リリーナやフランもそれ相応に歓待されているのだが、俺に対する女性エルフの目つきがヤバい。
一部男性エルフの目はそれ以上にヤバい。血走っていると言ってもいい。
聞こえてくる話し声もロクなもんじゃない。
「なんで男なんだ……いや、この際、男でもいいんじゃないか?」
「いやいやよくねぇだろ。大丈夫だって!絶対男じゃないから!いいとこ男の娘だって!」
「何言ってるのよ!あんな可愛い子、男になんてあげないんだから!」
「貴女同性でもイケる口だったの?私は感じるわよ、あの子、ちゃーんと男の子してるわよぉ」
「そうねぇ。あの金髪の子が守備範囲なら、ストライクゾーンは問題なさそうね!」
「何言ってやがる!あの子に男の良さを教えるのは俺の役目だ!」
誰か助けて!ヘルプミー!もうやだこの人たち!
だいたいさぁ、俺まだ10歳なんよ?なして捕食されそうになっとるん?
エルフの基準は分からんけどさ、「若すぎる」ってジルかディースも言うてたやろ?
「モテモテだねー」
「モテモテなのだ」
リリーナとフランは我関せずとばかりに他人事。
ちょっと君たち、俺に少なからず好意を持ってくれてたよね?
助けてくれてもいいんじゃない?ここアピールのしどころじゃないの!?
「お前ら未来の旦那様に対して何かもうちょっとないわけ?」
「あ、それ言っちゃう?それ言っちゃうんだー。んふふ」
「おお、ゼンが遂に妾を認めたか!これは戻った際に母上に報告せねばなるまい!」
「お前らもロクなこと考えてねえな!」
こいつらも味方じゃねーし!便乗する気だー!
何なの?里帰りしたエルフに対して、みんなこんなノリなの?
里帰りするエルフがどれだけいたか知らんけどさ!
『ダンナはしゃあねえですよ。見た感じがどうしても……』
『元々エルフ族ってのは、スタイルは良くても、まな板って女も多いからねェ。まあコトに及べば分かることだし?』
「俺の味方はどこにいるの!?」
ガルムやリュタンも、諦めが肝心と言わんばかりだ。
ってかまさか、お前らこうなること、知ってたんじゃねえだろうな?
どうにもお前ら、人類の事情に詳しすぎる気がするぞ?
そういや高位の精霊獣だから、知能も高いよな?普通の精霊獣は「エルフはまな板」なんて知らないよな?母さんはそれなりにあったもんな?
『し、知らねぇっす』
『何のことか、ちょっと、わからないね?』
「てめえら覚えとけ。あとでシメる」
久しぶりに全力カマせる相手も出来たし、今使える力をフルに使って相手をしてやろうじゃないか。
なあに問題ない。どうせお前ら死なないし、いいよな?
はっはっは、今気付いたわ。俺の訓練相手にお前ら、丁度いいな?程よく強くて、死なないって、便利だよな?
『『勘弁してください』』
腹を見せて服従のポーズを取ってきたが、許さん。貴様らは道連れに……。
「まあ待て皆の衆。ゼンが困っておるではないか」
などと考えていたら、ジルがどうやらこの場を取り成してくれるようだ。
さすがイケメン!ディースと違って残念じゃない方のエルフの鏡だね!
って、今ふと思ったけど、母さんは里帰りしない方がいいな。帰ったら絶対里帰りしないように伝えよう。
「今日のところは歓迎するのみだ。ちなみに彼は間違いなく男性だから、女性陣で明日からの閨当番を籤引きで――」
「お前さぁ、まともなのかまともじゃないのか、どっちかはっきりしろよ……」
ジルの始めた仕切りに、これでもまだマシと考えるべきか、やはりまともじゃなかったと考えるべきか、もう脱力するしかなかった。
◆◆
ようやく宴が終わり、与えられた小屋の一室で一息。
3人同部屋なのは多少問題だが、「番の娘じゃろ?」ということで同じ小屋にされた。いや、まだそういう関係ではないですけども。
ただ、正直集落の様子からしても、そんな裕福そうな感じはしない。
だったら屋根があるだけありがたいというものだ。文句は言うまい。
それに……
「貞操は守られた……」
「そんな泣きながら言うことでもないと思うんだけど」
「男の貞操などどうでもよいと母上が「お前の母ちゃんには会ったら絶対説教する。絶対だ」……す、すまんのだ」
宴の最後に長老がやって来て、「ゼンにちょっかいかけるには、ちーと早いのぅ。あと2年くらい待つがよかろうて」と、問題を先送りしただけな気がする言葉が出てきたので、ひとまず俺の貞操は守られた。
本当にひとまず、という気がしてならんのだが、長老の言うとおり、いくらなんでも早すぎるだろう。
というか、まだ本格的に「その気」にならないのは、多分身体年齢的なところもあるとは思う。
使おうと思えば、使えると思いますけど。
(マスター、本音は?)
(一年。リリーナはともかく、フランはちょっとやばかった)
(素直だね)
妖精の声には素直に答える。【念話】でしか話せない相手に、本音を隠すとか無駄だ。
リリーナに比べて発育が抜群に良く、ネリーが「始まった」年頃くらいまで既に育っているフランは、色々と無防備すぎて、俺も大変だった。
なんつーか、もうDくらいはあるよな、あれ。このまま育てば……。
(マスター、思考がピンク)
(すまんかった。で、どうだった?)
余計な思考を振り払い、妖精に尋ねる。
(ここから北に、フェアリーの里、あった。多分マスターなら、そんなにかかんない。半日くらい?)
(珍しいな。フェアリーって分かるのか)
(あの子たち、わたしたちと似てる。探すの簡単)
妖精はてっきり、人類種はまとめて「ヒト」扱いだと思ったが、フェアリー族は違うようだ。
そういやラピュータも、フェアリー族は精霊を認識しやすいとか言ってたっけ。
【天上書庫】のデータベースでも、フェアリー族というのは、人類種かどうかかなり悩ましい部類に入るっぽく、「交配は可能」という程度の情報しか得られなかった。
それ言うたら魔物と家畜でも交配は可能でしたやん?今更【天上書庫】の知識加減の微妙具合に嘆いても仕方ないけど。
ラピュータに直接聞いてもいいんだが、あいつも結構いい加減だからなぁ。
とりあえず「神獣」に会う機会は作れそうだし、その前にフェアリー族とも一度会っておきたいと思っている。明日にでも……。
「ゼンよ。少し構わんかの?」
小屋の外から声をかけられた。
リュタンが密かに【隠蔽】をかけて外で待機しているのだが、何も言ってこなかったし、通して問題なしと判断したんだろう。
了解の返事をすると、声の感じで分かってはいたが、やはり長老だった。
「その長老というのはやめんか?エルと呼んでほしいのぅ」
「人生の大先輩に対して、名前で呼ぶのは抵抗ありすぎる件。しかも遡れば俺の何代前かの婆ちゃん、ってことになるんだけど?」
「エルフは四世代も離れれば別物じゃて。そも、年齢など、大して気にする気質でもないようじゃがのう?」
「……まあ、努力はしてみよう」
感触からすると、俺も80近い年数生きてきた実績になるわけで。その4倍と言われても、正直ピンと来ないところはある。
そういえば俺のステータスの表記、153歳って書いてあるけど、これは一体どういう基準なんだろうか?
一番ありそうなところだと、「加納善一」の魂の年齢ってことになるけど、だとしたら俺は神界で70年近く過ごしていたということになりそうな……って、今はいいか。
「不快な思いを、させたかのぅ?」
「不快、っていうのは、ちょっと違うけども……いつもこんな感じなのか?という疑問は持ったな」
「こっちにも事情があるでなぁ、勘弁せぇ。それと、ちぃっと、話しておこうかと、思うての」
宴のことを謝罪に来た、というわけではないらしい。
まあ別に謝られるほどではないし、とりあえず助かったし。
あらためてエルの姿を眺める。
女性にしては長身、エルフ基準だとよく分からんが、多分170cmくらいはあるだろう。
座っていた時から床に流れるほど緑色の髪は、立っている今でも地面につきそうなくらい長い。
宴の時にも見ていたが、エルフは緑色の髪がデフォなのだろうか?青い瞳も、母さんと変わらんな。
ぶっちゃけ母さんがハーフだとして、この集落に住むエルフと何が違ったのか、今でもよく分からん。寿命や成長が違うのだろうか?
「そうじゃ。なーんも変わらん。ゼンの見た通りじゃよ」
「その機先を制する感じ、やめてほしいなぁ」
ふふっと笑ってみせる、自称356歳。
どことなく、寂しげな感じがする。
まだ20そこそこくらいにしか見えない、見た目うら若き女性の表情とは思えんなぁ……まぁ、356歳だからな。
「おんしゃに負担させることでは、ないんじゃがの……」
ポツリと話し出したエルの話を要約すると、リリーナから少し聞いた、「エルフの繁殖事情」と重なる点がいくつかあった。
そういえば俺が「エルフ族」とされた、[遺伝鑑定]の時、母さんが少し驚いてたのを思い出す。
母さんはこのことを知っていたのだろうか?確かにこの集落に来る前まで、俺や母さん以外に、「エルフ族」は見たことがなかった気がする。エルフの血が混じってそうな人はいたと思うけど。
俺の場合、種族云々の前に、性別の方を疑われることが多かったしな……。
さて、エルフ族についてだが、少なくともこの集落の中では、種族が残るかどうか、かなり危険な水域にあるとエルは見ているようだ。
というのが、この集落のほとんどが、エルの直系の子孫、ということになるらしい。
実際のところ俺もそうなるハズなのだが、祖母エリーゼはエルから見て、「玄孫」に当たるそうで、その更に孫ともなると、もはや他人であるという。
一応直系的なところで言えば、エルからすると、ギリギリの6親等。いわゆる「昆孫」になると思われるが、確かにまあそこまで行くと、他人だろう。元日本人としては、基準からすると、一応親戚の範囲に入る気がするけど。
少なくともエルフ基準では、四世代離れれば他人、ということらしいので、三世代くらいまでが範疇に入るのだろうか。
つまり、何が言いたいのかというと。
集落の中で子を成すには、「血が濃すぎる」という問題が発生しているわけだ。
同族意識は強くても、親戚意識は薄いエルフ族。だとしても、俺が知る知識が当てはまるのであれば、そりゃあ子は成しにくいだろう。
外からの血を入れようにも、結界のせいで入って来れないというのなら、尚更だ。
もしかしたら神獣も、そういった都合もあって、時折外界から人類を入れていたのかもしれない。
ここに前述の「エルフの繁殖事情」が混じってくる。
実のところ、俺のようなハーフ同士、四混血種というのもかなり珍しいらしいが、そこから「クォーターエルフ」とされたケースも極めて稀なことらしい。
というのも、ハーフエルフと呼ばれる人種はそれなりにいたらしいが、その子が更に「エルフ族」と認定されるケースがほとんどないのだという。
エルフはいいとこ取りした種族、という認識だったが、遺伝子的に劣性だったりするんだろうか?
だとしたら、シェラが「他の種族には目もくれない」とした、当時のエルフ族は、ある程度正しい認識だった……という可能性は、ないこともない。
だが思うところはある。
迷いの森にある集落、という凄まじいムラ社会的な環境で、こういう事態は想定外だったのか、という疑問だ。
「こういう言い方はよくないかもしれないけど、その、「狙って」そういう子孫は残さなかったの?」
遺伝子的な話までは行かないにしろ、こういう行き詰った状況を避けるために、こういった集落が先祖代々続いているのであれば、何かしら用意はするものではなかろうか。
長老と呼ばれているエルが、こういう理屈が分からんほど蒙昧とした人物には見えないし、どれだけ続いているかも分からんが。
「実際、おったんじゃがなぁ。わしとは別の血を残す、そういう存在がのぅ」
「……その一族に、何かがあった?」
「うむ。まぁ、既におらんものと思うておるがのぅ。その折に、そちら側の血が、廃れてしもうて、の」
150年ほど前のこと、外界からの客人が集落に流れ着いた。
人間族の女で、辿り着いた当初は、何をするでもなく、ぼーっとしていたという。
エルは当時長老ではなく、別の血筋に当たる人物がその人間族の面倒を見ていた。
ただ、生きる意志すら感じず、自殺目的で森に入り込んでしまったのではないか、というのが当初の見立てだった、らしい。
ある日のこと、突然その人間族の女が、集落に住むエルフに襲い掛かった。
たかだか1人の人間族の女。何が出来るわけでもないと高をくくったエルフ一族は、ただ1人にいいようにやられ、何十名という死者を出した。
そしてその女は、2人の女エルフを連れて、どこかへと消え去った。
「この時は気付かなかったがの。この時に殺された同族が、ことごとく同門であり、わしとは別口の血筋であったことに、の」
「なるほど、ね。その時に攫われたのは、もしかして希少種?」
「左様。以来、わしが最後の希少種となってしもうたわ」
どうやって目星をつけたのか、どうやってこの森に入り込んだのか、どうやって森から出たのか。
時間が経ちすぎて、最早調べようがあるまい。
だが、どうしてそんなことをしたのか。どういう思惑があったのか。
その疑問については、なんとリリーナが答えを持っていた。
「そこにアジェーラ聖国の陰を見られた、そういうことでしょうか?」
「王国の娘っ子は賢いの。何か知っておるかえ?」
「いえ、私に分かることはほとんどありません。ですが、エル様の口ぶりと、聖国の闇、と呼ばれている部分が、気にかかりまして」
「聖国の闇、か。妾も母上から聞いたことがあるのだ」
初めて聞くワードだが、俺も無関係ではなさそうな感じだ。
リリーナに続きを促すと、アジェーラ聖国という国は、アジェーラ神を唯一神とする、一種の宗教国家であるという。
民の暮らしぶりなどに不可解な点はないが、アジェーラ聖国では一つの主義を掲げている。
「人間族こそ最も優れた人類種であり、他の人類種に人権は認めない」
これがアジェーラ聖国の宗主であり、アジェーラ教の教義であるという。
ただ、この主張はあくまで宗教的なものであり、アジェーラ聖国に限り適応するというものであり、他国に考えを押し付けるようなことはしない。
カルローゼ王国としても、アルバリシア帝国としても、国交的には問題ないし、「外国人」という扱いであれば、他の種族を差別するようなこともしないのだという。
少なくとも、平民レベルで言えば、そういうことになっている。
「ですが実際には、かなり強硬な手段を取る、暗部の部隊がいるものとされています。カルローゼ王国の王女としては、聖国の主義は理解し難いものがありますが……」
いつの間にか真面目モードに入っているリリーナの話によると、絶対主義とでも言うべきか、人間族以外が主に治める国に対して、秘密裏に行動する部隊が存在するのだという。
巧妙な手口で、いつのまにか国の高官に居座ったり、国の機密情報を盗み出したりするほか、人民の扇動や、要人の暗殺までこなす。一言で言えば、諜報員というより、工作員だろうか?
強固な基盤を持つカルローゼ王国や、力こそ正義というシンプルなアルバリシア帝国の王族だからこそ、そういった手合いがアジェーラ聖国に存在すると知っている。
もっと小国では、そういった諜報員がいることすら気付けず、知らぬうちに少なくない影響を及ぼされていることも珍しくない。
――不意に、<厄災級>討伐戦のことを思い出す。
冒険者ギルドの本部があるのも、アジェーラ聖国だったはずだ。
敵だった、アンヌやヨハネは、Sクラス冒険者だった。
何か一つ、線が繋がった気がするが……確証がなければ、証拠もない。
いずれにせよアジェーラ聖国には一度行く必要があるだろう。まだまだ先の話になるだろうが、神具も回収しないといけない。
とにかく、今は聖国云々は置いておこう。
「……思うところはあると思うけど、過去は過去、今は今だ。結局、エルは俺に何が言いたいの?」
「いや、皆の手前上、ああは言うたものの、わしならいつでも相手をするぞ、とな」
「茶化すなよ、違うだろ?何か別のことを言いに来たはずだ」
「本当にそれだけじゃ。あとはまぁ、エルフ族の長として、なるべく同族を増やしてくれると、ありがたいのぅ」
笑いもせずそう告げるエルに違和感。
流石に冗談を言いにきたわけではないだろう。だが、言いたいことというのは、本当にそれだけらしい。
ならば言葉の裏に何かがある。何だ?
「……外界に出た、エルフ族を連れて来い、とでも?」
血筋が遠くとも、エルフ族同士であれば、子もエルフになる、という話は聞いた。
つまり、ハーフであろうとクォーターであろうと、この集落に住まうエルフとの子であれば、エルフ族として生まれてくることになる。
むしろこの里に必要なのは、純血種としてのエルフではなく、俺のような混血種のエルフの方だろう。
エルフ×エルフ=エルフ族という式が成り立つのなら、その血統は薄い方が好ましい、という話だ。
また、ハーフエルフ×ハーフエルフ=エルフ族は成り立たない可能性が高い。
これが成り立つのであれば、外界でもエルフ族が増えてもいいはずだ。そうならないから、エルフ族という種族の数が減っているのが現状になると思われる。
「まあ、それもあるのじゃがのぅ。本当に同族を大事にして欲しい、ということだけじゃ。手間を取らせたの」
そう言いながら、エルは小屋から出て行ってしまった。去り際にも淀みはない。
だが、その背中に、何か引っかかりを覚えた。
やはり、【完全解析】を試しておくべきだっただろうか。
何かしら見抜かれたのは確定だが、エルの固有能力くらい見ておけば良かった。
◆◆
貞操の危機の後には、色々と考えさせられる話を聞かされ、少しばかり疲労感の残る翌朝のこと。
あまり眠れなかったのだろう。リリーナとフランは、少し体調が悪そうだった。
俺は2人にもう少し休んでいるように伝えると、ガルムとリュタンを残して小屋から出た。
考えてみれば、あの2人としても久しぶりの人里だったわけで。
特に王族として迎えられたわけでもないのだから、慣れない環境だっただろう。今にしてみれば、自分のことで精一杯だったことを反省する。
(おいで)
妖精を呼び出し、進むべき方向を確認してから、駆け出す。
久方ぶりの全力疾走。集落と集落の間になるためか、それなりの道もある。
走らずにはいられなかった。久しぶりの肉体負荷に身体が軋むが、何か発散せずにはいられなかった。
俺がクォーターエルフとして産まれた意味。
そんなものは考えもしなかったし、元々人類種で産まれればそれでいい、という程度の話でしかなかった。
カルローゼ王国がそうだったからか、人種による違いなんて大したことはないと思っていた。
だが、この里についてから、一晩。そう、たかが一晩の間に、随分とその意味が大きくなった気がする。
神界で聞いた話と現状の違い。
世界の滅亡と、エルフ存続の危機。
俺の神具の行き先。
神獣。
アジェーラ聖国の闇。
今この手にコアブレイクがある、そのタイミング。
考えれば考えるほど、いくらでも繋がりがありそうな気がする。
結果は「今」でしかない。俺の指針にブレが出ることはない。
そして結論を、焦ってはいけない、間違ってはいけない。
優先順位を忘れるな。
その中で、ベストな決断を下す。下せるだけの力はもう持っている。
順番を間違えても、結果が出せればそれでいい。
それでも悩むのは、俺が人だからだ。
やっぱり俺は神なんかじゃない。あくまで人なのだ。悩んで当たり前だ。
時には相談したい時もある。何もかも投げ出したくなることもある。
けれど、出せる答えは、常に1つ。
全ては、俺が俺であるために。
それを決して、間違えないように。
ふと、立ち止まる。
――うん。ちょっと、違うな。そうじゃないんだ、本当に大事なことは。
◆◆◆
『お嬢、旦那が出発されましたぜ』
「すまんのだガルム。ゼンを謀るような真似は、不本意であろうに」
『嬢ちゃんも気にすることないよ。アタイらはダンナの眷属だけど、嬢ちゃんたちの守護者でもあるんだからね』
「ありがとね、リュタン。でもフラン、ゼン様1人にしちゃって、大丈夫かな?」
「妾たちでは力になれぬのだ。せめて考える時間くらいは、と思ったのだ」
「確かに、ね。多分、私たちじゃ、分かってあげられないと思うし」
ゼンに単独行動させようと試みたのは、里に着いて以降、基本的に様子見という姿勢を崩さなかったフランだった。
帝国の天才は、王国の秀才より、世間を知らないという自覚があった。それ以上に常識を知らないのはゼンなのだが。
かれこれ1年以上、夜を共にした仲だ。自分よりリリーナの方が、物事を正しく理解していることは知っている。
2人はゼンの行動指針というものを、よく理解している。
物事の優先順位を立て、それを第一に行動する。森に飛ばされて以降、常に自分達の安全を第一に考えてきた。
だから一計を案じた。一時だけでも、自分達のことを隅に置いてくれるように。
ゼンが思っているほど、彼女たちは精神的に疲弊していない。
見知らぬ土地で、見知らぬ人々と交流する、これは元より苦にしていない。無駄に王族として振舞う必要がない分、楽なくらいほどだ。
また、エルフ一族の問題についても、それほど重くは受け止めていない。何故なら基本的には「他人事」だからだ。
これがゼン自身の問題ともなれば、彼女たちも深く考えただろう。だが彼女たちは、ゼンが種族というものに頓着を持っていないことを知っているし、一国の姫という立場にある。
大局的に考えれば、エルフ一族の存亡という問題は、彼女たちには無関係のこと、そういう割り切りがある。
昨晩のエルの話にしろ、気になったポイントはただ1つだけ。
「聖国、か。母上は、極力関わるな、と言っておったのだが……」
「いつかは関わりそうだよね。私もあまり好きじゃないし、出来れば関わりたくないけど……」
アジェーラ聖国については、世間一般としての評価と、国のトップとしての評価は、全く異なるものになる。
カルローゼ王国、アルバリシア帝国ともに、隣接はしていないが、「厄介な国」というのが王族としての評価になる。
関わりを持たないことは、両国ともに有り得ない。冒険者という職業が国に必須な以上、その本部がある国と付き合いをしない、という選択は存在しない。
それに聖国が後ろめたいことをしているのは間違いないが、その大半は善良な、とまでは行かずとも、普通の人間が住む国には違いないのだ。
もちろん2人とて、王族といってもまだ幼い。知っていることの方が少ないのだから、判断が付くものではない。
それでも、ゼンがあの国と関わるならば、何かしら起きるように思えてならない。
「……ゼン様、抱え込みすぎなきゃいいんだけど」
リリーナの言葉に、フランが小さく頷いた。




