35話 アンジェラ王女とエリック
「おはよう! 大聖女サクラ」
「師匠……いい加減、からかうのはやめてください!」
ケセラの町から王宮に戻り、この会話のやり取りももう何度目になるだろう。サクラはうんざりした様子で、ジロリとジャレドを睨みつけた。だが、そう呼ぶのは彼だけじゃない。むしろ大勢の人々が、サクラを聖女ではなく「大聖女」と呼んでいる。
「そりゃあそうだよ。魔法陣もないのに、サクラ一人の力で結界を張り直したんだ。しかも今回の結界は内側だけじゃなく、外にも影響がある。隣国のサエラからは、瘴気が減ったと感謝の手紙が届いているよ」
あの虹色の結界は、この国だけでなく隣国にも影響を与えるほどの力を持っていた。彼女に言うつもりはないが、アルフレッド殿下にはサクラあてに多くの「結婚の打診」があったらしい。
(殿下と婚約していないことでサクラに相手がいないと思われたのだろう。ケセラから帰ったその日に婚約しておいて本当によかった……)
だが、サクラの関心は隣国サエラからの感謝状ではなく、別のことにあったようだ。ほんの少し表情を曇らせ、言いづらそうに口を開く。
「……サエラといえば、アンジェラ王女の結婚は取りやめになったのですか? エリックは今はどこに?」
あの二人の後始末は、すべてジャレドが引き受けてくれた。あの日、かなり遅れて合流した彼から聞いた話では、アルフレッド殿下がすぐに駆け付け、二人を捕縛したという。
その後のことも、俺はもちろん知っている。だが、サクラには話していなかった。いや話す必要はないと思っている。だが、なにも説明しないままも良くなかったみたいだ。彼女はのらりくらりと質問をかわす俺ではなく、ジャレドに聞くことにしたらしい。
罪人の末路など知ってほしくない俺が眉間にしわを寄せると、ジャレドはそれを見てフッと笑い、サクラに説明し始めた。
「ああ、それは気になるよね。怖がらないで聞いてほしいのだけど……アンジェラ王女たちは『術返し』にあったみたいだ」
「術返し……」
思いもしなかった返答に、サクラは目を見開いた。
「口封じの呪いは僕が吸い取ったからよかったけど、忘却の呪いは結界を壊したことで解けたからね。魔術がそのまま二人に返ったらしい」
「そうだったんですか……」
意外にもサクラの反応は落ち着いていた。ジャレドもその様子に目を細める。
「驚かないの?」
「私の国にも似たような話があります。悪いことをしたら自分に返ってくるとか、呪いをかけたら破られて自分が苦しむとか……。もちろん、この世界みたいな本当の魔術じゃなくて、おとぎ話みたいなものですけど。なんとなく予想はしていました」
サクラはふうっと息を吐くと、そっと俺の隣に立った。聞いて確かめたことで、怖くなったのかもしれない。俺が肩を抱き寄せると、彼女は胸に頭をのせ寄りかかってきた。
「でも、魔術が返ったということは、二人にも呪いがかかったのですか?」
「ちょっと違うかな。二人は高熱を出して、今までの記憶を失っている。だから話が通じない状態でね。仕方がないから王女は王宮の離れの塔に一生幽閉、エリックも遠くの牢で過ごすことになるだろう」
「そうですか……」
あんな目にあったのに、サクラは二人の行く末を案じているようだ。犯罪者とはいえ、後味の悪い結末を知るのは苦しいのだろう。俺は慰めるように彼女の頭をなでたが、サクラの表情はまだ晴れない。すると突然部屋の扉が開き、アメリの明るい声が暗い空気を吹き飛ばした。
「サクラ様! そろそろ結婚式のお衣装合わせですよ!」
アメリの声に、サクラの顔がパッと輝いた。大きく深呼吸して振り返ると、すっかり明るい笑顔になっている。
「そうだった! ありがとう、すぐ行くね! じゃあカイル、またあとで。師匠もブルーノさんも夕食でね!」
俺の腕からスルリと抜け出したサクラは、すぐにアメリのほうへ駆け寄る。
「素敵なドレスがいっぱいですよ」
「わあ! 楽しみ!」
楽し気に笑いあい、二人は部屋を出て行った。残念だが今は俺より、親友との時間が彼女には必要みたいだ。一方、ジャレドの背後で、珍しく暗い顔をしているのがブルーノだった。お茶の準備をしながらため息をつき、なにか言いたげにジャレドを見ている。もちろん、彼がその視線に気づかないわけがない。
「どうしたんだい、ブルーノ。この結末は不満かい?」
少しからかいの色が混じったジャレドの言葉に、ブルーノはさらに眉をひそめる。
「だってそうでしょう? 自分たちがした行いを覚えておらず、幽閉されて終わりだなんて。エリックはまだしも、王族であれば良い食事や衣服を与えられます。サクラ様への仕打ちを思うと、私は到底許せないのです!」
穏やかな彼が声を荒げる姿を、俺は初めて見た。ジャレドはそんな彼を見て薄く笑ったが、その笑顔の奥にはどこか冷たい影があった。
「おいおいブルーノ、君も教会の人間だろう? それなら僕がさっきサクラに伝えたことが『嘘』だって気づいてくれないと」
「え……? 嘘だったのですか?」
ジャレドは湯気の立つお茶をふうふうと冷ましながら、のんびりと答える。
「そうだよ〜嘘も嘘。サクラの聖魔力を利用した呪いをかけたんだ。しかも、二人は自分たちの記憶を保つために、魔法陣を書くインクに自分たちの血を混ぜていた」
「そ、それで……どうなったのですか?」
ブルーノの急かすような声に、ジャレドの目がわずかに光を帯びた。




