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【カイ編】終末予言者の的中率0.02%をスコアボードで投影した

カイ・ルーベンス、23歳。旅する書記官。各地を回り、出来事を記録する。

 夕刻。王都中央広場。


 空が赤い。夕焼けではない。壇上の男が、頭上に浮かべた魔導文字のせいだ。「血」「滅」「終」の3文字が、赤く点滅しながら空中に浮いている。文字の周囲に黒い煙のエフェクトが漂っている。芝居がかっている。だが効いている。


 広場に200人ほどの群衆が集まっていた。


「明日、王都の門は血に染まる!」


 壇上の男が叫んだ。黒い法衣。血走った目。痩せた顎。指が長い。空を指差すときの手の動きが、振り付けのように正確だ。練習している。この煽りは何十回も繰り返されてきた型だ。


「星が落ちる! 炎が降る! 備えぬ者に救いはない!」


 群衆がざわめいた。前列で子供を抱えた母親が、足元の布袋を握りしめている。袋の中は食料だ。今夜の夕飯か、明日の弁当か。隣の商人が、財布を胸に押し当てている。家賃の金だろう。


 カイのOSが、勝手に注釈を付けた。


《翻訳:『炎は止められませんが、あなたの財布は確実に軽くなります』》


「どうすれば助かるんだ!」


 声が上がった。男が待っていた声だ。間を取った。3秒。芝居の間。


「祈りを捧げよ。そして、布施を。金と食料を神の使いに託せば、あなたの魂は星の炎から守られる」


 母親が布袋を差し出しかけた。子供が泣いている。布袋の口から、固いパンがひとかけ見えている。今日と明日の2食分。差し出せば、今夜は空腹だ。


 でも母親の顔には、恐怖だけではない何かが浮かんでいた。安堵に似た何か。


 この男の言う通りにすれば、考えなくて済む。星が落ちるかどうか、自分で調べなくて済む。排水溝が詰まっているかどうか、自分で確認しなくて済む。パンを差し出せば、この人が全部決めてくれる。怖いけど楽だ。自分の頭で判断する夜より、誰かの答えに従う夜の方が、ずっと眠れる。


 隣の商人が、財布を握りしめながらぼそりと呟いた。


「星の炎より、家賃の方が毎月確実に降ってくるんだがな……」


 誰も聞いていない。家賃は自分で考えなければならない問題だ。星の炎は、この男に考えてもらえる問題だ。人は、自分で考えなければならない問題から、誰かが答えをくれる問題へ逃げる。


 カイ・ルーベンスは、広場の端の石柱に背をもたれて、その全部を記録していた。左手の指が無意識にリズムを刻んでいる。群衆の人数を数えているのだ。5人ごとに親指が折れる。癖だ。旅先で人の数を数えるのをやめられたことがない。


 23歳。旅する書記官。ルーベンス家の血筋。各地を回り、出来事を記録し、統計をとるのが仕事。腰に携帯用記録水晶。肩掛け鞄に簡易ホログラム投影装置。左耳の後ろに、書記官ネットワーク端末。


 脳内ログ解析OS(旅する書記官Ver.)起動。


《広場不安指数:89》

《群衆冷静さ指数:12》

《財布被害予測:高》

《予言者声量:最大》

《内容新規性:0パーセント》


《発言パターン照合中……》


《一致:先月ヴェスタル領「海が枯れる」74パーセント》

《一致:半年前ザルツ領「山が崩れる」68パーセント》


(やっぱり、あの男か)


 母親の手が布袋に伸びている。


 記録だけでは足りない。


 カイは石柱に預けていた背中を、少しだけ離した。


 †


 広場を見ていると、過去の光景が重なることがある。


 自分の故郷の小さな村。まだ10歳の頃。村の広場に、同じような男が立っていた。魔導文字も煙のエフェクトもなかった。ただの荒布の旗と、掠れた声だけだった。


「今年、川は枯れる! 畑は干上がる!」


 男が叫んでいた。父が隣で腕を組んでいた。母は家計袋を握っていた。袋の中身は、冬までの貯えだった。


「貯えはどうするんだ」


 父が小さく呟いた。


「干ばつが来るなら、種を買い足すより、今のうちに水を買わないと」


 母の手が、袋の口を開けかける。それを見ていた自分は、ただ怖かった。「干ばつ」という単語の意味もよく分かっていなかった。ただ、大人たちが青い顔で何かを決めようとしている空気だけが怖かった。


 そのとき、村を通りがかった若い女が1人、男の前に出た。名乗らなかった。後になって、ルーベンス家の誰かだと知った。


「記録はありますか」


 女が言った。


「ここ10年、この川が枯れたことは?」


 男が口ごもった。女は村の古い帳面を借り、降雨の回数と川の水位を書き写した。子供だった自分には、ただ「たくさんの数字」が並ぶ光景にしか見えなかった。


 結果は簡単だった。10年間、川は一度も枯れていない。むしろ5年前に増水して橋を壊している。その橋の修理費用で、村は苦しい冬を越した。


「この人は、記録の外側から適当な言葉を投げているだけです」


 女は父と母にだけ聞こえる声で言った。


「記録されない予言は、存在しないのと同じです」


 その言葉が、カイの耳に残った。父は家計袋を閉じ、母は安堵と不安の中間の表情で、女に礼を言った。男は村から去った。干ばつは来なかった。川はその年も普通に流れた。


 その夜、カイは母から叱られた。「知らない人について行っては駄目」「危ないことをしている人は、両方ともなのよ」と。


 両方。恐怖を売る予言者も、それを止めに入ったルーベンスの女も。


 でも10歳のカイには、どちらが自分の味方だったか、もう知っていた。


 だから今、自分はここにいる。


 広場で、別の誰かの家計袋が開きかけている場所に。


 †


 翌朝。宿屋の一室。


 書記官ネットワーク端末を起動した。左耳の後ろが微かに温かくなる。接続完了。


「終末予言者ID:G-442。過去ログ検索」


 10秒後。返信が届いた。


 各地の書記官からログが次々に返ってきた。


「G-442。ヴェスタルの港町で『海が枯れる』→ 豊漁でした」

「G-442。ザルツの山間部で『山が崩れる』→ 登山シーズン大盛況」

「G-442。南部沿岸で『空が割れる』→ 快晴。なお内陸部で『津波が来る』とも言っています」


 内陸で津波。海から300キロ離れた場所で津波。カイの口角が微かに上がった。


 脳内解析。


《G-442 過去10年の予言ログ:147件》

《的中:0件》

部分的中こじつけレベル:3件》

《的中率:0.02パーセント》

《統計学的誤差の範囲内。実質ノイズ》


 OSが結論を出した。


《備考:ここまで外すのは、ある意味才能です》


 予言は運命ではない。記録されないことをいいことに、何度も使い回される「中古の嘘」だ。


 怒鳴っても意味はない。数字を見せよう。


 カイは送信画面を開いた。


「カイ・ルーベンスより各地書記官へ。G-442の王都活動への協力要請。広場にて公開ログ提示予定。追加エピソードがあれば至急送付願います」


 返信がすぐに返ってきた。


「了解。どうせなら派手にやれ」(ザルツの書記官)


「こいつのログ、整理するだけで3日かかったから、ガツンと頼む」(ヴェスタルの書記官)


「エンタメ枠のラベル、前から付けたかったんだよね」(南部の書記官)


「分類:ホラーから分類:コメディに変えていい?」(北部の書記官)


「それは被害者が減ってからにしましょう」


 カイは返信しながら、小さく笑った。


「世の中、外れる予言には金が出るのに、外れた予言を数える仕事には出ないんだよな」


 ヴェスタルから、追い打ちのようなメッセージが来た。


「だから私たちは、公費ギリギリでボランティアなんですよ」


 カイは苦笑を深くした。


(本当に必要な仕事ほど、誰も面白くないと思っている)


 だからこそ、少しだけ「面白く」してやる必要がある。


 前に1度だけ、「間に合わなかった」ことがある。


 予言ではなく、橋の老朽化のデータだった。ログはあった。3年分の劣化記録。亀裂の幅。荷重限界の推移。カイはそれを書記官報告に載せた。読んだ人間はゼロだった。「橋の亀裂」は「星が落ちる」より退屈だ。誰もニュースにしなかった。


 橋は落ちた。馬車が1台、川に落ちた。御者の老人は助かった。荷台に乗っていた親子は助からなかった。子供は4歳だった。


 数字は全部持っていた。それでも間に合わなかったのは、数字を「見せる方法」を持っていなかったからだ。


 あの夜、宿屋のベッドで天井を見ていた。記録をやめようと思った。3年分のデータを誰も読まなかった。橋が落ちた。子供が死んだ。数字は全部あった。でも届かなかった。


 なら、記録に意味はあるのか。


 予言者の方が人を動かせる。「星が落ちる」の一言で200人が金を出す。「橋の劣化率が年3パーセント」では誰も振り向かない。派手な嘘は届き、地味な事実は届かない。この世界の配線は、最初から壊れている。


 やめようと思った。ルーベンス家の書記官をやめて、普通の仕事に就いて、誰も読まない記録を書くのをやめて。


 やめなかった。


 理由は単純だ。やめたら、次の橋も落ちる。


 恐怖を煽る声より、静かな数字のほうが人を動かしにくい。それでも、数字で殴るしかない。ただし、殴り方は変える。


 †


 その日の夕刻。同じ広場。


 予言者が再び壇上に立った。昨日と同じ出で立ち、同じ演出。「血」「滅」「終」の魔導文字が赤く点滅している。


「王都は滅びる! 門は血に——」


 背後の空気が変わった。


 カイがホログラム投影装置を起動した。


 予言者の背後に、巨大な透明のスクリーンが出現した。予言者の真後ろ。予言者本人には見えない位置。だが群衆には見える。


 スクリーンに文字が浮かんだ。


 「終末予言者G-442:予言実績一覧」


 群衆の何人かが、予言者の背後の文字に気づいた。ざわめきが起きた。


 リストがスクロールし始めた。


 3年前:「大干ばつが来る」→ 実際:豊作。過去最高の小麦収穫。


 2年前:「疫病で人口が半分になる」→ 実際:人口0.2パーセント増加。出生率が微増。


 1年前:「空が割れる」→ 実際:快晴。雲ひとつなし。


 半年前:「海が枯れる」→ 実際:豊漁。鯖が大量。


 3か月前:「山が崩れる」→ 実際:登山シーズン大盛況。宿屋繁盛。


 先月:「流星が街を焼く」→ 実際:曇天。星すら見えず。


 まだある。スクロールが続く。10件。20件。30件。画面の端に「残り117件」と表示されている。


「これ……全部外れてないか?」


 群衆の中から声が上がった。


「あのとき『疫病が来る』って言ってたの、この人だったの? あの年、うちの子が生まれた年だけど」


「『海が枯れる』って、あれか。あの後サバが安くなって、鯖祭りやったの覚えてるぞ」


「山が崩れるって言ってた年、俺たち登山して酒飲んで帰ったよな」


「『空が割れる』日は、雲ひとつなくて日焼けした」


 ざわめきが広がった。予言者が振り返った。自分の背後のスクリーンに気づいた。


「な——何だこれは!」


「過去の記録です」


 カイが広場の端から前に出た。石柱に背をもたれていた姿勢のまま、声だけ通した。大きな声ではない。広場全体に届く声ではない。でも、群衆のざわめきが少し静まった場所では、十分に聞こえた。


「あなたの予言は147件あります。過去10年分です。各地の書記官が記録していました」


「嘘だ! 記録など——」


「記録はあります。書記官は嘘をつきません。嘘をつく必要がないので」


 †


 予言者の真横に、2つ目のホログラムが浮かんだ。


 巨大なスコアボード。


 「的中率:0.02パーセント(統計学的誤差の範囲内)」


 文字が大きい。広場の端からでも読める。


 「信頼度:最低ランク」


 「分類:エンターテインメント(フィクション)」


 しばらくして、OSが小さく追記した。


《※一部視聴者は財布を失います。視聴の際は自己責任で》


 群衆から笑いが起きた。最初は小さな笑い。すぐに広がった。


「0.02パーセントって、ほぼハズレクジじゃないか」


「昨日の市場の相場予想の方がまだ当たるぞ」


「エンターテインメントって何だよ。芸人かよ」


 カイはスクリーンを見上げながら、静かに付け加えた。


「記録されない予言は、存在しないのと同じです」


「だから僕たちは、まず全部記録します」


 予言者の顔が赤くなった。


「今度こそ本当だ! 今回は違う、今回は——」


 叫びながら、予言者が新しい魔導文字を空に描こうとした。「絶」「滅」の文字が途中まで浮かび上がる。


 カイのホログラムが、その上から別の文字を上書きした。


 「外れ確率:99.98パーセント」


 赤い「絶」の字の中に、冷たい数字が浮かぶ。魔導文字の黒煙エフェクトと、統計数字の白いフォントが、同じ空間でぶつかり合う。


「『今回は違う』も、あなたの過去ログに5回あります」


 カイが淡々と言った。


「5回とも、全部外れていました」


「そ、それは……試練だ。神はあえて外れを——」


「では『外れる』と予言してみてください」


 カイが首を傾げた。


「当たったら、それはそれですごいです」


 広場に、どっと笑いが走った。予言者の「最後の1枚」まで、過去ログに吸い込まれていく。


 それでも予言者は、かすれた声でなお叫ぼうとした。


「信者が離れていく……!」


「安心してください。残っているのは、まだ自分で考えられる人たちです」


 カイの言葉は慰めではなく、選別だった。


 予言者の目が変わった。血走った芝居の目ではない。追い詰められた獣の目だった。


「……書記官さんよ」


 声の調子が落ちた。壇上のパフォーマンスが剥がれ、素の声が出ていた。


「記録があれば救えると思ってるのか? あんたたちは数字を並べるだけだ。数字があっても、橋は落ちるんだよ」


 広場が静まった。


 カイの左手の指が止まった。5人ごとのリズムを刻んでいた指が、握りこまれた。


(——知っている)


 川に落ちていく荷台の音が、一瞬だけ耳の奥で鳴った。


 予言者がそれを知っているわけがない。偶然だ。だが、偶然は芯を食うことがある。


 1秒。2秒。


「……そうですね」


 カイは認めた。声が少し低くなっていた。


「記録があっても、届かなければ意味がない。だから今、僕はこうして広場で見せているんです」


 予言者が口を開きかけた。カイが続けた。


「あなたは恐怖を届けるのが上手い。僕は記録を届けるのが下手だった。だからスコアボードを作りました」


 予言者の目が揺れた。


「明日こそ——」


「明日の話は、明日の記録を見てからにしましょう」


 カイが静かに断ち切った。


 予言者の喉が、そこで途切れた。


 †


 群衆の空気が変わった。恐怖が引いて、笑いの後に、少しだけ冷静さが残った。


 母親が近づいてきた。布袋を胸に抱いている。子供が裾を掴んでいる。さっきパンを差し出しかけた手が、まだ少し震えていた。


「書記官さん」


「はい」


「……私、知ってたの」


 カイは母親を見た。


「うちの前の排水溝、去年から詰まってる。雨が降ると水が溢れて、玄関まで来る。掃除すれば直るって、たぶん分かってた」


 母親が布袋を握り直した。


「でも掃除するより、この人にお金を渡す方が楽だった。お金を渡せば、怖いことは全部この人が引き受けてくれる。排水溝は自分で考えなきゃいけないけど、終末は——この人に任せられるから」


 カイの指が止まった。


「考えるのが面倒だったの。怖いことが来るかもしれないって不安と、排水溝の泥を自分で触る面倒くささ。比べたら、お金を出す方が簡単だった。この人が『大丈夫』って言ってくれるから」


 書記官ネットワークにこの声は記録されない。スコアボードにも載らない。でもカイの耳には、147件の予言ログより、この声の方が重く残った。


「……ありがとう。スコアボード。あれ見て、やっと目が覚めた」


 カイは何と返すべきか、少しだけ迷った。


「排水溝の掃除、一緒にやりましょうか」


 母親が頷いた。子供が「やるー!」と叫んだ。


 カイが壇上に——ではなく、壇の横に立った。壇上には立たない。煽る人間と同じ位置には立たない。


 ホログラムを切り替えた。スコアボードが消え、代わりに地図が浮かんだ。王都の地図。排水溝と下水路が色分けで表示されている。


「王都の門が血に染まる確率は、過去のデータから見て、ほぼゼロです」


 群衆が地図を見ている。


「ただし、東区画の排水溝が詰まって浸水する確率は、過去3年の降雨データと溝の清掃記録から計算すると、80パーセントです」


「80パーセント!?」


「はい。星が落ちるより排水溝の方がよっぽど危険です。今やるべきは祈りではなく、掃除です」


 地図にToDoリストが表示された。


 「東区画排水溝:ゴミ除去。推定作業時間:大人10人で3時間」

 「南通り側溝:落ち葉除去。推定作業時間:大人5人で1時間」

「中央広場石畳:目地の補修。推定作業時間:左官1人で半日」


 ホログラムの隅に小さな注記。「※ 祈りも併用可。ただし溝は祈っても通りません」


 ざわめきが、少しずつ動きに変わっていく。


 カイは1度だけ、広場全体に届くように声を張った。


「予言ではなく、記録で判断してください」


「排水溝のゴミ、先月から放置してたわ」


「左官なら俺がやるぞ。半日ならタダでいい」


「ゴミ袋なら店にある。持ってくる」


 子供がバケツを探しに走っていった。大人が袖をまくった。商人が走った。


「祈る腕はそのままでいいから、掃除用にもう片方の腕も使おう」


 誰かが言って、広場に笑いが起きた。


 広場が動き始めた。


 予言者は壇上に取り残されていた。「血」「滅」「終」の魔導文字がまだ点滅している。だがもう誰も見ていない。魔導文字の赤い光の下で、群衆が排水溝に向かって歩いていく。予言者のパフォーマンスが、ただの照明になっていた。


 †


 翌朝。東区画の排水溝。


 ゴミが除去された。落ち葉が取り除かれた。側溝に水が流れている。中央広場の目地を左官が補修している。半日で終わると言っていたが、2時間で終わった。ベテランだった。


 カイは排水溝の前にしゃがんで、記録水晶に結果を入れていた。


「清掃前浸水リスク:80パーセント。清掃後浸水リスク:12パーセント。作業投入人数:28人。作業時間:延べ42時間。費用:ゴミ袋代のみ。布施総額:ゼロ」


 バケツを持って走っていた子供が、脇から顔を出した。


「書記官のお兄ちゃん、昨日の数字の板、もう1回見せて!」


「スコアボードですか?」


「うん。あの『エンタメ』ってやつ!」


 子供が笑った。カイは小さなホログラムで、昨日のスコアボードをミニサイズで出して見せた。


「これが予言者さんの成績表です」


「0.02パーセントって、テストだったらほぼ0点?」


「そうですね。100点満点なら、0点に丸めてもいいくらいです」


「じゃあ、掃除の点数は?」


 子供が排水溝を指差した。父親が「テストの話はやめろ」と苦笑している。


 カイは少し考えてから、ホログラム上に新しいスコアを出した。


「浸水リスク80パーセント→12パーセント。点数でいうと……88点です」


「やったー!」


「残り12点は?」


 父親が真顔で聞いてきた。


「来年も掃除したら満点です」


「追試か……」


 父親が肩を落とし、子供が「追試やだー」と叫んだ。


 左官のおじさんが近づいてきた。手にはまだ乾きかけのモルタルがついている。


「書記官さん。あの予言者、まだ広場にいるぜ」


「そうですか」


「誰も金を出さないから、スープを恵んでくれって頼んでた。なんかちょっとかわいそうだったよ」


「……スープは出しましたか」


「出したよ。キャベツのやつ。不味いけど温かいやつ」


「『これは神の試練だ』って言いながら飲んでたな」


「キャベツに謝ってほしいですね」


 左官が吹き出した。


「まあ、今度予言するときは、『キャベツが足りない』とかにしてもらいましょう」


「それなら当たるかもな」


 左官が笑った。「当たったところで世界は救われないがな」と付け足して。


 カイも笑った。


 †


 夕方。馬車乗り場。


 次の街に向かう馬車が待っている。カイは荷物を積み込みながら、書記官ネットワークに最終ログを送った。


「G-442:王都広場での活動、事実上終了。群衆は予言より掃除を選択。浸水リスクは80パーセントから12パーセントに低下。予言者は現在、キャベツのスープを飲んで広場のベンチで寝ている。次回予言の予告は『来年の春、花が咲かない』。的中予測:0.01パーセント」


 送信完了。


 すぐに返信が来た。


「G-442、うちの領地では『秋に葉が落ちる』って言ってた。実績:落ちました」(北部書記官)


「花が咲かないって、毎年外してる人だよね」(南部書記官)


「そろそろ『春に花が咲く』って予言して当てたらどうかと提案しておいて」(ザルツ書記官)


「それ当たったら、逆に怖いですね」(カイ)


 カイは笑いを噛み殺した。


 馬車に乗り込んだ。窓から王都の門が見えた。血には染まっていない。夕日に染まっている。オレンジ色。穏やかな色。


 OSが静かに報告する。


《本日の王都門:血染めフラグ無し》

《通行人:平常》

《子供:泥だらけ(排水溝掃除の結果と推定)》


 次の街では、別の予言者が「川が逆流する」と言っているらしい。川は逆流しない。でも橋の老朽化は進んでいる。予言を否定するのは書記官の仕事ではない。予言の横に事実を並べるのが仕事だ。


 どちらが世界を変えたかは、排水溝に聞けばいい。


 端末が光った。もう1件。ザルツの書記官から。公式チャンネルではない。個人通信。


「カイ。今日、市場でリンゴ買った。すごく甘かった。カイの分も買ったけど、届ける方法がない。次いつザルツに来る?」


 脳内ログ解析OS。


《受信メッセージ。分類:業務外。統計的価値:ゼロ。アーカイブ——》


 カイはアーカイブをキャンセルした。


 147件の予言は全件記録した。28人分の掃除記録も、排水溝のリスク推移も、予言者のキャベツスープも、全部記録した。書記官の仕事だ。記録しない情報は存在しないのと同じだ。


 このリンゴの1件だけは、記録しない。


 記録水晶には残さず、脳内ストレージにだけ保存した。


《保存先:非公式。分類:不明。アーカイブ期限:——設定不能》


 窓の外を、夕日に染まった王都の門が流れていく。左手の指が、無意識にリズムを刻んでいる。5人ごとのリズムではない。何を数えているのか、自分でも分からない。ザルツまでの日数かもしれない。


 ルーベンス家の書記官は、外れた予言の残骸を背景に、次の「退屈な危機」を整理しに馬車を走らせた。

お読みいただきありがとうございました。

次は明日18:00投稿予定です。


次が最終話。

石板、砂時計、水路、ルール——時代を超えた遺産を俯瞰する総集編です。

次の世代の15歳が、新しいファイルを開く。

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