第27話 古強者(ふるつわもの)の咆哮と、氷の残滓
離宮の静寂の中で、王妃イザベラはゆっくりと掌の上の「ハチミツ飴」を口に含んだ。
一瞬、彼女の眉が驚きに跳ね、次いでその瞳が、春の雪解けのような柔らかな光を湛えた。
「……懐かしい味。昔、母様が風邪を引いた私に作ってくれた、あのハチミツ菓子の温かさと同じだわ」
飴の甘さが、マリアの裏切りで凍りついていた王妃の心を内側から溶かしていく。彼女は深いため息とともに、背筋を真っ直ぐに伸ばした。もはやそこには、影に怯える孤独な女性ではなく、一国の国母としての「覚悟」が宿っていた。
「静江、そしてエルゼ・ルミナ。……あなたたちを信じるわ。明日、国王陛下への公式な謁見の場で、エルゼの『侯爵昇叙』を正式に打診しましょう。……ですが、覚悟なさい。あの公爵たちが、そう易々と首を縦に振るとは思えません」
「ええよ。……あんたらが政治っていう『綺麗事』で動くんやったら、うちは『生活』っていう現実で殴り込みかけさせてもらうわ」
うちは不敵に笑いながら、テーブルの上の特大水晶玉をアイテムボックスへと戻そうとした。
その時、指先に鋭い痛みが走った。
「……っ、冷た……」
水晶の表面が、まるで氷の塊のように凍りついとる。
あやかしたちの恨み言や、マリアが振りまいた「負の念」を直接覗き込んだツケや。霊視の代償として、うちの指先からは感覚が消え、心臓の鼓動が少しだけ早くなる。
おばちゃんの58歳の魂が、20代の若い肉体の「無理」を叱っとるみたいやわ。
「……静江さん? 顔色が……」
アレンが心配そうに寄ってくる。うちは「なんでもないわ、ただの肩こりや」と笑って誤魔化し、スカジャンのファスナーを上まで上げた。
翌日。
王都の象徴である『太陽の玉座の間』は、重苦しい殺気に満ちていた。
中央に立つエルゼは、うちが新調させた「ルミナの獅子」の紋章をあしらった気高い正装に身を包んでいる。その後ろに、うちは軍師として控えた。
玉座に座る国王の左右には、グレミオ公爵をはじめとする守旧派の貴族たちが、牙を剥いた獣のような顔で並んどる。
「――よって、ルミナ伯爵のこれまでの功績を鑑み、これを侯爵へ昇叙させることを提案いたします」
王妃イザベラの凛とした声が響いた瞬間、グレミオ公爵が床を鳴らして一歩前に出た。
「断じて反対です! 陛下! 功績なぞ、ただの運と、どこぞの馬の骨とも知れぬ占師の妖言によるものでしょう! 伯爵家が侯爵へ、それもこのような『若造』が昇るなど、王国の秩序を乱す冒涜に他なりません!」
「せやろな。……兄ちゃん、あんたそう言うと思ってたわ」
うちが列から歩み出ると、広間にどよめきが走った。
今日のうちは、銀色のスカジャン――『必勝』の文字が眩しく輝くモデル。
「秩序、秩序って……。あんたらが守ってるその『秩序』のせいで、王都のあやかしたちが泣いてるん、知らんのか? ……陛下。占師として、一つお伝えさせてもらいますわ。今の王都、見た目は立派やけど、中身は『ゴミ屋敷』寸前です」
「……何だと? 貴様、この神聖な場で何を!」
怒鳴り散らす公爵を無視して、うちはアイテムボックスから水晶玉を取り出し、国王の目前の台座に叩きつけるように置いた。
昨日の冷たさがまだ残る。指先が震えるが、うちは構わずに水晶に両手を密着させた。
――視界が切り替わる。
豪華な玉座の裏、そして国王の王冠にすら、真っ黒な塵のような「負のあやかし」が群がっとる。それは、貴族たちの嫉妬や汚職が形を成したもんや。
「霊視、開始や。……陛下。あそこの大鏡を見てなはれ」
うちが水晶を通して念を送ると、広間の壁にある巨大な姿見が、一瞬だけ異様な光を放った。
そこに映ったのは、美しい正装を着た貴族たちの姿……ではない。
彼らの背中に張り付いた、醜いヘドロのような影。そして、一瞬だけ水晶に反射したのは、スカジャンを着た若い娘ではなく、**「58歳の、眉間に皺を寄せた大阪のオカン」**の凄みのある顔やった。
「……ひっ! な、なんだ今の影は!」
「それが、あんたらが溜め込んだ『心の汚れ』やわ。……陛下。エルゼちゃんを侯爵にする条件として、うちがこの王都を『大掃除』してみせますわ。……まずは、グレミオ公爵。あんたが隠してる『裏の帳簿』。あれを食い散らかしてる鼠のあやかしを、今すぐここで実体化させてあげよか?」
うちは、感覚の消えかけた指先で、水晶をさらに強く握りしめた。
頭の奥で、激しい頭痛が弾ける。
「……特売日の主婦を舐めたらあかんで。……王都まるごと、ピカピカにリフォームしたげるわ!」
静江の叫びとともに、水晶から放たれた衝撃波が、広間の不浄な空気を一気に吹き飛ばした。
それは、王都という名の「深淵」への、宣戦布告やった。
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