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レーザー

 関東地方に死の灰が降り注ぐ。


 原子力に詳しい大山教授のこの発言により広まった「最悪の被害」想定は、全国に大混乱を巻き起こした。


 ルシファーが原子炉に迫るのは二日後と分かっている。

 ネット上では、さまざまな意見が出されていた。


『ルシファーを止められないなら、原発の方を動かせばいいだけだろう』


『どうやって動かすんだ? 大きなトラックで引っ張るのか?』


『地下核実験の映像見たら、地面が陥没してるじゃないか。あれで原子炉を下に下げるんだ!』


『バカ! 原子炉が誘爆するだろう!』


『単純に燃料棒抜けばいいじゃないか』


『たった二日で抜けるような代物じゃないんだってば!』


 テレビやラジオでも何とかならないか、これからどうなるのかといったことを、専門家やジャーナリスト、タレントまでもが加わって議論していたが、結局「被害をどれだけ押さえられるか」、「どこまで避難すれば安全か」、「家族単位でできる放射能対策」など、もはや放射能が漏れ出すことが前提の後ろ向きな討論となってしまっていた。


 そんな中、その事件は起こった。

 

***********


 ルシファーがその街を通る事を、地元の高校生である杏奈が知ったのは、昨日の夕刻だった。

 その時のはしゃぎ様は、彼氏である達也にとって、先行きを大いに不安にさせるものだった。


 翌日、彼女は朝早くから、達也を連れてルシファーの予測進路上を下見していた。

 二人とも高校一年生。夏休みの真っ直中だ。


「もう、もっと真剣に取り組んでよ。私たちの街が、ルシファーに襲われるのよ!」


「だったら、逃げればいいだけじゃないか。なんでわざわざ『被害想定マップ』なんて作る必要があるんだよ!」


「何言ってるの、災害対策には基本じゃない!」


「今から作って、何の役に立つんだって言ってるんだよ」


「確かにそうだけど、まだ被害に遭う前の街並みを写メや動画で撮っておくことは重要でしょう!」


「あんなちっちゃな球で、そんな大きな被害なんか起きるもんか」


「何言ってるの、相手は海上自衛隊でも倒せなかった悪魔なのよ!」


 杏奈には口では勝てない。それはずっと前から、達也は理解していた。

 だから、これ以上は何も言い返さず、ただ黙って歩道の上を並んで歩く。


「何? どうしたの? 怒ったの?」


「いや、別に。いつものことだから」


「そう。なら、いいわ。……ふう、それにしても暑いわねえ」


 杏奈がそう言って、白いTシャツの胸元をつまみ、ぱたぱたと前後にはためかせた。

 一瞬、見えてしまった肌にどきりとする達也。慌てて目をそらす。

 幸い、その様子は彼女には気付かれていなかった。


「達也ももうちょっと、しゃきっとっていうか、頼りがいがあったらいいのにねえ……」


 杏奈のいつもの口癖だった。


「そっちこそ、もうちょっと……」


「何? 交際申し込んできたの、達也の方よね?」


 先手を取られて、また押し黙る。


(あの一言を言ってしまったのは、やはり失敗だったかな……)


 彼は、深くため息をついた。


 達也と杏奈は、中学校からの同級生だった。

 ただ、その頃は特別仲が良かったわけではく、普通の友人という感じだった……表面上は。


 だが、少なくとも達也は、細身で整った顔立ち、快活であっけらかんとした性格の彼女に憧れていた。

 だから同じ高校に進学し、クラスも一緒、そして席が隣になったとき、運命じみたものを感じていた。


 彼女は中学生の頃はあまり恋愛に興味を持っていなかった。

 本音を隠していただけなのかもしれないが、そんな彼女も友達に彼氏ができたのを見て、素直にうらやましがった。


「いいなあ……私も彼氏、欲しいなあ……」


 達也は、惚けたように隣の席でそう呟く彼女に、


「僕じゃだめかな……」


 と言ってしまった。

 それが、彼女にとっては、「交際を申し込まれた」になっている。


 まあ、間違いではない。

 うっかり言ってしまった一言とは言え、達也の本音だった。

 それに、そのおかげで、一応杏奈は、達也の彼女ということになっているし、それ自体は彼も良かったと考えている。


 だが、そのために圧倒的に達也の立場は弱かった。先ほどのように、事あるごとに「交際申し込んできたの、そっちでしょう?」と言われてしまうのだ。


 杏奈の方は、「他に好きな人とかいないし、しょうがないから、一緒に居てあげる」というスタンスだが、それでもこうやって一緒に並んで歩いていると、時折肩を彼に触れさせたりもしてきた。


 そんなちょっとした挙動が、達也にとっては嬉しかった……だから、少々「上から目線」の彼女でも、気にしないように心がけていた。


「あれ……ご神木の辺り、なんか人が集まってるね。やっぱりルシファー、ぶつかるのかな」


「ああ……どうやら、そうみたいだね」


 心配そうに答えた達也だったが、内心、少し興奮していた。


「御神木」とは、この街を東西に通過する国道沿いにぽつんとたたずむ、樹齢五百年は超えていると言われる巨大なクスノキだ。


 神聖であることを意味する注連縄も締められている。

 こんな老木が一本だけ、不釣り合いな場所に生えている理由は、『この木を切り倒そうとする者には災いが降り注ぐ』という、ありがちでまことしやかな伝説が残っているからだ。


 実際、江戸時代以前の古い文献にも、


 「切り倒そうとした者の斧の刃が折れ、跳ね返り、その者自身に当たって数日後に死亡した」


 という記録が残っているというし、また、戦争中の空爆でも町中が焦土と化す中、この御神木は生き残っていた。


 さらに、平成に入ってからも、『道路拡張の為に切り倒すことはやむを得ない』と主張していた(と噂される)市議会議員が交通事故を起こして大けがを負うなど、『呪いは健在』との評判が住民の間で根付いていた。


 そんな御神木が、ルシファーの進路上に存在する。

 県警による事前調査の結果、その事実が明らかになっていたのだ。

 今回の杏奈の行動も、この御神木の被害状況を記録することがメインだった。


 ただ、彼女が真剣に御神木に被害が及ぶことを懸念していたのに対し、達也は少し違っていた。

 ルシファーが御神木に突っ込むとどうなるか。

 如何に御神木といえども、なすすべもなく破壊されてしまうのか。

 それとも、本当に呪いの力で、ルシファー自体が何らかの影響を受けてしまうのか。


 おそらくは前者になるであろうが、それはそれで、「御神木を貫く悪魔」という構図が成り立ち、その決定的場面を撮影したい、などという少々不謹慎な期待を持っていた。


 そしてその事を、達也は深く後悔することになる。

 自分の不真面目な考えが、杏奈を死の淵に追いやってしまった、と――。


 人だかりの中心には、御神木と、そのすぐ脇に二台の大きなカメラ、そしてテレビで見たことのある女性アナウンサーが立っていた。


 彼女は二十代後半ぐらい、高級そうなスーツを着ていて、遠目にも「容姿端麗」という言葉が当てはまりそうだった。


 もちろん、これがテレビ局の取材であることは、達也にも一目で分かった。

 だが、なにやらちょっともめている。人が足りない、とか、レーザーがどうとか、中継に間に合わない、もったいない、などと聞こえてきた。


 そのうち、スタッフの一人が、二十人ほど集まっている見物人の中から杏奈に視線を向けて、


「あ、あの子とか、いいんじゃないですか?」


 と言い出した。

 きょとんとした表情を浮かべる杏奈。するとそこに、女性アナウンサーが近づいて来た。


「ほんと、かわいらしい女の子ね。高校生? もし時間があったら、ちょっと協力してほしいんだけど……」


 達也にとって、それは本当に意外な展開だった。

 彼女らスタッフ一同は、「御神木にルシファーがぶつかる」可能性がある、ということで取材に来ていた。


 そしてその進路を正確に測定した結果、御神木にはほんのわずか「かすめる」程度で済むということだった。


 それを証明するために、レーザーによるマーキングが進路調査隊の手によって行われており、その様子を放送したいが、レーザ光を受ける役割を担うスタッフが必要、という話だ。


 御神木は、わずかにカーブする県道の内側(南側)に立っており、その県道を挟んだ反対側(北側)に広い歩道が整備されている。


 その更に北側は、ガードレールを超えると土地が低くなり、幅百メートル程の川が流れている。

 ちなみに、ルシファーが向かってくる方向には田園が広がっており、見通しがいい。

 彼らが居る場所は、つまり、田園地帯と川を分ける大きな堤防の上だった。


 ルシファーの進路を示すレーザー光をスケッチブックの白い紙面で受けて、それを生中継で放送する。

 ただ、そこに集うスタッフはそれぞれ役割があり、どうしても人数が足りない。


 テレビ局のディレクターは、作業着を着た調査隊の隊員がレーザー光を受けるのでは少し絵が寂しい、と考えていたし、また、その作業員自身もテレビに出るのは勘弁して欲しい、と言っていた。


 そこに、彼女……杏奈が現れた。

 生中継で放送するため、どうしようかと皆で悩んでいたところ、可愛らしい女の子である杏奈が通りかかったのを見て、彼女がいいのではないか、とスタッフ達は考えたのだという。


 もちろん、その言葉にはかなり「お世辞」が入っているのだが、杏奈が食いつかない訳がない。


「やります! 地域住民の皆様のお役に立てるのなら、こんな光栄な事はないです!」


 と目を輝かせて、瞬時にOKを出した。


「ふふん、これであの子に並べるわよ!」


 と、自慢げに達也を見やる杏奈。

 もちろん、「あの子」とは、今話題沸騰中の、ルシファーの第一発見者、そして名付け親である女の子の事だ。


 前日、達也もその子の事を「可愛い」と褒めたものだから、杏奈はいじけるわ、すねるわ、怒るわで大変だった。


 生中継直前という、運とタイミングの良さもあったが、達也としても自分の彼女が「指名されて」テレビに出るのだから、そんなに悪い気はしない。なにより彼女の機嫌が良くなってくれるなら願ったりだ。


 こうして、あっさりと杏奈の出演が決定した。

 といっても、彼女は何かしゃべる訳ではない。

 御神木と道路を挟んだ反対側にしゃがみ込んで、ルシファーの進路を示す赤いレーザー光を、スケッチブックで受けるだけだ。


 ルシファーは海抜の関係でかなり低い位置、道路面ぎりぎりを通る事が既に分かっていた。

 杏奈はしゃがんで、抱えるようにそのスケッチブックを持つ事になる。


 ジーンズを履いているので、スカートと違って変な気を遣う必要もない。

 色気はないが、まあ、高校一年生だし、可愛らしい女の子だし、爽やかに映ればそれでいいだろう、というような事を、スタッフが小声で話していた。


 達也はそれを、人ごとの様に聞いていた。

 しばらくの後、スタッフの合図と共に、生中継が始まった。


「こちらは、まもなくルシファーが通過すると見られる現場です。ごらんください、この立派な木。樹齢五百年を超えると言われる、地元では御神木として名高いクスノキです。当初、ルシファーがこの御神木を直撃するのではないかと心配されましたが、幸いにもかすめる程度で……」


 達也は、スマホのワンセグでその番組を見ている。

 目の前の光景が、画面上に表示されている。なんとも、不思議な気分だった。


 彼を含めた見物人は三十人ほど。全員、スタッフの事前の指示に従い、一定の距離以上は近づかない。

 そんな中、ワンセグの映像は、杏奈の全身をアップで映し出した。

 抱え込むように持っているスケッチブックの白い紙面に、鮮やかな赤い点がくっきりと光っている。

 ちょっと緊張した彼女の表情まで、しっかり確認できた。


「あの赤い点は、ルシファーが建物に開けた穴と、今浮遊中のルシファーの上端をレーザーで結んだその先にあるものです。つまり、ルシファーはあの点のわずかに下、まさに地面ぎりぎりを通過するものと思われます……」


 女性アナウンサーの解説が続く。

 もちろん、これは地上波デジタルでも放送されているので、ワンセグではない普通のテレビにはハイビジョン画質で映し出されているはずだ。


 達也は、ルシファー関連のニュース、特に地元のテレビ局放送のものは全て録画するように設定していた。だから、後で自分達もこの映像は大画面で見られるはずだ。  

 

(録画失敗してたら、杏奈、むちゃくちゃ怒るだろうなあ……)


 そんな事を、彼は考えていた……まさにそのときだった。

 数人の、大きな悲鳴が聞こえた。


 それにはっと顔を上げた達也の目に、恐ろしい光景が飛び込んできた。

 わずかにカーブする道路を、不自然に傾いて走行する巨大なトレーラー。


 そこに満載された、長さ十メートルはあろうかと思われる、数本の鉄骨。

 不安定に積まれていたそれらが、トレーラーの傾きにバランスを失い、崩れ落ちる。


 生中継のカメラが映し続ける中、巨大な車体の横転と同時に、スローモーションのように鉄骨は降り注いだ……スケッチブックを抱える、杏奈の真上に。


 そこに居合わせた全員が身をすくめる轟音、そして数秒、時間が止まった。


「……う……うわあぁぁ、杏奈!」


 真っ先に声を上げたのは、達也だった。

 土煙が上がり、数本の鉄骨が横たわるその場所に、彼は自らの危険も顧みずに飛び込んだ。

 やがて他の見物人や、テレビ局のスタッフも我に返り、急いで彼女がいた場所へと駆けつける。


「御神木の呪い……」


 だれかが、そうつぶやいた。


 ――それは、奇跡だった。


 腰より下を鉄骨の下敷きにされながら、彼女は、目を開いていた。


「……達也……私、どうなったの?」


「杏奈、杏奈……よかった、生きてた……どっか痛くないか?」


「うん……でも、動けない……」


 痛くないが、動けない。それは、達也をひどく不安にさせた。

 彼女は、痛みを感じることができないほどの大けがなのではないか、と。


「……こりゃあ、凄い! 運良く、歩道の段差にはまってる!」


 腹ばいになって、彼女と鉄骨の隙間を覗き込んだテレビ局のスタッフが叫んだ。

 達也も、同じようにやってみて、彼女か生きている理由を悟った。


 車道と歩道の間には、段差が存在する。

 そしてたまたま、その切れ目、つまり歩道が低くなり段差がなくなっている箇所に彼女の身体が入り、その上に鉄骨が覆い被さっているのだ。


 ただ、鉄骨は一本ではない。

 数えてみると、五本もの鉄骨が複雑に重なり合い、それらと歩道の隙間にできたわずかな空間に、杏奈が入り込んでいるに過ぎなかった。


 なんとか脱出しようとするが、彼女の身体は鉄骨につっかえて、思うように身動きすることもできなかった。


「……無理しなくても、これなら、一番手前の鉄骨さえどかせば助けられそうだ。今、クレーン車を呼ぶから、ちょっと我慢してくれ」


 そう声をかけて来たのは、自らも額からわずかに血を流している、作業着姿の男だった。

 横転したトラックの運転手のようだった。


 彼は青ざめていたが、彼女が生きていたことに安堵、そして責任を感じているのか、いそいでどこかに電話をかけていた。


「杏奈、杏奈……」


 達也は、道路側に出ている彼女の右手をずっと握っていた。

 暖かいし、握り返してくる力強さも、彼を少し安心させた。


「もう……私、大丈夫だから……男の子なんだから、泣かないで」


 安心させるように笑顔を見せる杏奈。だが、その彼女も涙を流していた。

 そして、杏奈が少し顔を持ち上げた、そのときだった。


 彼女の額に、何か赤いものが見えた。


 最初、達也は、彼女が血を流しているのかと、ぎくりとした。


 しかし、それが先ほど見た、レーザーによる赤い点だと気付いて、一瞬安堵し、その直後、背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「うっ……あっ……」


「……どうしたの、達也……」


 顔色が明らかに変わった彼を、杏奈は不審に思ってそう言った。

 それに対し、彼は思考が停止したように、何も応える事ができない。


「……ルシファーが……来る……」


 側にいたテレビ局の男性スタッフがそう呟き、青ざめた。


 ルシファーは、レーザーの点の直下、地面ぎりぎりを通る。

 つまり、彼女がはまっているその空間を、ルシファーが通過するのだ。


「今、この地点は、既にルシファーから半径一キロの避難指示区域に入っています……」


 一人の若い警察官が、恐ろしい言葉を発した――。

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