第五話「イエスマンなら犬でもできる」
クラウスを呼び出したのは、厩舎の裏だった。
人気がなく、静かで、余計な耳がない。アルノルドが場所を選んだのは、この話を他に聞かせるつもりがなかったからだ。
クラウスは最初、世間話のつもりで来たらしかった。いつも通りの、穏やかな表情をしていた。
王太子付きの従者として申し分ない、落ち着いた物腰だ。
しかし、アルノルドの顔を見て、少し眉を寄せた。
「……アルノルド殿。どうかされましたか」
「話がある」
アルノルドは単刀直入に、クラウスの目を見た。
「お前に聞きたい。何のために、従者になった」
クラウスが、一瞬だけ目を瞬かせた。
「……それは、殿下にお仕えするためです」
「お仕えする、とはどういうことだ」
「殿下のご意思を尊重し、殿下のお役に立つことです」
「主人の顔色ばかり窺うのが、従者なのか」
クラウスの口が、閉じた。
アルノルドは続ける。
「言われたことだけやっていたら、楽だな」
「……」
「主が笑っていれば頷いて、主が怒れば宥めて、主が間違っていても黙って従う。それは楽だ。波風も立たない。誰にも責められない」
夕暮れの風が、厩舎の裏を通り抜けた。
「でも、それは従者じゃない」
クラウスの表情が、わずかに固まった。
アルノルドは、一歩だけ前に出た。
「クラウス。今のお前は、レオナルドを守っているつもりかもしれない」
「……はい」
「違う」
静かな、しかし揺るぎない声だった。
「レオナルドを貶めているのは、お前だ」
「っ……」
「主が間違った方向に進もうとしている。それを止めるどころか、黙って見ている。お前がそこにいることで、殿下は誰にも止められないと思っている」
クラウスの拳が、わずかに握られた。
「主が間違った時、身を挺して止める。正気に引き戻す。それが本当の忠義じゃないのか」
しばらく沈黙が続いた。
クラウスは口を開こうとして、閉じた。何かを言いかけて、飲み込んだ。
アルノルドはその様子を見ながら、静かに続けた。
「ただ、それはお前自身が正気を保っていなければできないことだ」
「……」
「今のお前は、正気か」
クラウスが、息を呑んだ。
アルノルドは少し間を置いてから、また口を開いた。
「もう一つ聞く」
声が、低くなった。
「王太子殿下は――たかが男爵令嬢が、気軽に話しかけられる存在なのか。気軽に触れられる存在なのか」
クラウスの体が、ぴたりと止まった。
「次代の王だ。この国の頂点に立つ人間だ。その方が、身分も立場も弁えない距離感で接されることを、お前は黙って見ていたのか」
「……それは」
「殿下の品位を守るのも、従者の仕事じゃないのか」
言葉が、重く落ちた。
アルノルドは最後に、静かに言った。
「もし私の言っていることがわからないなら――お前の両親に聞いてみろ」
「……両親、に」
「従者とは何か。忠義とは何か。お前の両親なら、答えを知っているはずだ」
クラウスは、しばらく動かなかった。
やがてゆっくりと――目を逸らした。
厩舎の壁を見つめたまま、何も言えなかった。拳が、小さく握られていた。
アルノルドは何も言わずに、その場を後にした。
◆◆◆
渡り廊下の角。
またエリゼがいた。今日も柱に背を預けて、静かに立っている。
「どやった」
「目を逸らした」
「そか」
エリゼは小さく息を吐いた。
「クラウスは真面目なやつや。真面目なやつほど、楽な道を選んだ自分に気づいた時、一番堪えるもんや」
「……」
「だから大丈夫や。あいつは自分で答えを出す」
アルノルドは、その横顔を見た。
「なぜそこまでわかる」
「……女の勘や」
エリゼはそれだけ言って、歩き出した。
アルノルドは思った。
(この人は、人を見る目がある)
それは頭脳でも政治力でもない、自分が持っていないものだと、静かに認めた。




