エピローグ「宰相家は安泰や」
礼拝堂の鐘が鳴った朝、セシルは一人で丘を登っていた。
母の墓前に花を供えて、静かに手を合わせた。
以前と違ったのは、祈りの言葉だった。
誰かのために祈るのではなく、自分自身と向き合うための祈りだった。偏っていた自分を、認めるための祈りだった。
風が丘を渡っていく。
セシルは目を開けて、墓石を見た。
「……お母さん。少し、わかった気がします」
何がわかったのか、言葉にはしなかった。
ただ、以前より少しだけ、空が広く見えた。
◆◆◆
訓練場に、カミラの姿があった。
フェンス越しではなく、中に入って、腕を組んで立っていた。
ガイウスが気づいて、剣を下ろした。
「……カミラ」
「久しぶりだな」
カミラはまっすぐガイウスを見た。
「お前、戻ってきたか」
「……ああ」
「本当に?」
「本当に」
カミラは少しの間、ガイウスを見ていた。
それから、ため息をついた。
「……まったく、心配させやがって」
「すまなかった」
「謝罪はいらん」
カミラはフェンスに背を預けて、腕を組んだ。
「その代わり、もう一度だけ見せてみろ。お前が惚れた騎士の姿を」
ガイウスは少しの間、黙っていた。
それから、剣を構えた。
カミラは黙って、その姿を見ていた。
目元が、少しだけ和らいでいた。
◆◆◆
王太子の執務室の前、クラウスは扉の前に立っていた。
中から声が聞こえる。レオナルドが誰かと話している。
以前のクラウスなら、扉の前で黙って待っていた。
しかし今日は違った。
扉を叩いた。
「殿下。少しよろしいですか」
「……クラウス? どうした、改まって」
「申し上げたいことがあります」
扉を開けて、中に入った。
レオナルドの前に立って、まっすぐ目を見た。
「先日の件について、私はずっと黙っていました。それは間違いでした」
「……」
「これからは、殿下が間違われた時には申し上げます。たとえ殿下がお嫌いになられても」
レオナルドは、しばらくクラウスを見ていた。
やがて、小さく笑った。
「……遅いぞ、クラウス」
「申し訳ありません」
「でも、ありがとう」
クラウスは深く一礼した。
目元が、かすかに赤かった。
◆◆◆
夕暮れの庭に、セレスティアがいた。
薔薇の垣根の前、一人で立っていた。
足音が近づいてくるのを聞いて、振り返った。
レオナルドが、そこにいた。
「……殿下」
「セレスティア」
レオナルドは立ち止まって、まっすぐセレスティアを見た。
「謝りに来た」
セレスティアは何も言わなかった。
「お前が待っていてくれることに、甘えていた。お前が信じてくれることを、当たり前だと思っていた」
夕日が、二人の間に伸びていた。
「……本当に、申し訳なかった」
レオナルドが、頭を下げた。
王太子が、婚約者に頭を下げた。
セレスティアは少しの間、俯いていた。
それから顔を上げた。目が、赤かった。
「……顔を上げてください、殿下」
声が、震えていた。
「私は、ずっと信じていましたから」
夕日の中、二人は並んで立っていた。
◆◆◆
学園の図書室の奥、窓際の席。
午後の光が差し込む、静かな場所だった。
エリゼが本を読んでいると、隣の椅子が引かれる音がした。
アルノルドが、何も言わずに座った。手元には分厚い本。いつも通りの、静かな佇まいだった。
エリゼは少しだけ目を丸くして、それからまた本に目を戻した。
二人並んで、しばらく黙って本を読んでいた。
窓から風が入って、カーテンを揺らした。
アルノルドが、ふと顔を上げた。
窓の外を見ながら、ぽつりと言った。
「お前は昔から、強がりだな」
「……は? 急になんですか」
「泣きそうな顔をしている時ほど、背筋を伸ばす」
エリゼの手が、止まった。
胸の中で、何かが弾けた。
(……まさか)
幼い頃の記憶が、鮮明に蘇ってくる。
王城の廊下。迷子になって、泣きそうで、それでも背筋を伸ばしていた、あの夜。
隣に座って、何も言わずに本を読んでいた、名前も知らない少年。
(あの時の……)
エリゼはゆっくりとアルノルドを見た。
アルノルドも、エリゼを見ていた。
その目が、静かに語っていた。
ずっと前から、知っていたと。
「……ずるいやん」
エリゼの声が、かすかに震えた。
「なぜ」
「先に気づいといて、黙っとったんか」
「……お前が言わなかったから」
「言えるか、そんなこと!」
エリゼは顔を逸らした。耳が、真っ赤だった。
アルノルドは小さく笑った。
それから、静かに言った。
「あの時、隣に座って正解だった」
エリゼは何も言わなかった。
しかし逸らした顔が、少しだけ緩んでいた。
二人並んで、また本を開いた。
言葉はなかった。
それでも、十分だった。
◆◆◆
王城の一室。
謁見を終えた国王陛下と、宰相ヴィクトールが向かい合っていた。
学園のこと。四人のこと。これからのこと。一通り話し終えて、二人の間に静寂が落ちた。
国王陛下が、穏やかに言った。
「宰相よ。お前のとこの息子は、立派になったな」
「……恐れ入ります」
ヴィクトールは静かに一礼した。
国王陛下が立ち上がり、部屋を出ていく。
一人残ったヴィクトールは、窓の外を見た。
学園の方角に、夕日が沈んでいく。
息子の顔が浮かんだ。隣に立つ、金髪の令嬢の顔が浮かんだ。
ヴィクトールは小さく、誰に言うともなく呟いた。
「……宰相家は、安泰だ」
夕日が、静かに沈んでいった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。これにて本編は完結です。
余話がもう一本ありますので、そちらをもって本当の完結となります。
一本筋の通った、漢気のある女性を描きたいという思いで書き始めた作品でした。
エリゼが拳で、言葉で、仁義で、大切なものを守り抜く姿を最後まで書ききることができて、とても嬉しいです。
読んでくださった皆様のおかげで完走できました。本当にありがとうございました。またどこかの作品でお会いできることを楽しみにしております。




